第二十一話
〜叛逆の暗天使 Vivo per la tua morte〜
(前篇)
第二章 天使が棲む町 FOR THE TASTE OF KILLING第三章(1)へつづく
(3)
棗の樹が立ち並んだ裏庭に、ジョー・クリサンスマムは立っていた。棗は乾燥した土地に生える植物だ。樹木は既に夏の花は終わらせ、深秋に向かって固い結実を鈴なりに見せていた。
熟した果実を摘み取って砂糖煮し、パイに入れると美味いのだ、と普段あまり甘いものを食さないジョーはふと手持ち無沙汰に考えてみた。
少年が現れたのは、ジョーが三本目のタバコに火を点けたところだった。
「待たせたみたいだね」
アンドレアは悪びれた風もなく、言った。まるで慌てた様子も無い。
他人を待たせても、どうとも思わない育ちなのだ。ジョーは腹も立たなかった。
「姉さんが執務に戻るまでは抜けられなかったんだ」
アンドレアは、ジョーを手招きした。
村長宅は、遠近(おちこち)で見られる一般の住宅に比べると倍ほどの敷地面積があった。それでも、町自体が簡素な構造なので、幾分倹(つま)しい生活のように見える。
「忙しいのかい、姉さんは」
「まあね。町とはいっても人口は三千人足らず。大した仕事も無いんだけど、報告書とか、普請のこととかあるみたい」
少年は、如何にも知ったように答えた。実際、アンドレアも姉の状況を把握しやすい立場にあった。何しろ町長といっても規模が規模だ。
「公共事業なんて今更やっても仕方ないんだって。どうせ町は二年後には統合されるから」
「統合か。ヴァティカン国土省の通達があったか。ムスリムを排除するんだろうか?」
「さあ。姉さんはそうなったら、町長のお役は御免だから悪い気はしてないようだよ」
アンドレアは笑った。些か軽薄な笑みが、少年の美貌を引き立てていた。それは、むしろ堕落的なイメージであったが。
「普通の女の人のように暮らしてもしょうがない、って口では言ってるけどね。恋人を亡くしてから、輪をかけて頑なになっちゃって」
ジョーはエヴァの地味な顔立ちを思い浮かべた。装えば、それなりに年齢相応に美しく見えるだろうか。若さの盛りは今を過ぎれば、もう下るしかないだろうが、見目悪いわけではない。それに、何かエヴァの胸の内には、燻ったものを感じる。
「でも素直になればいいのにね。どうせ、普通の女なんだから」
アンドレアは、姉を小馬鹿にするように言った。まるで少年がその母親に反抗するみたいな言い方だった。
「それとも神父さんが言ってやってよ、女として人生取り戻すかどうか、って」
「オレが、ねぇ」
ジョーは気乗りしない返事をした。少年の態度は、大抵の事には目を瞑るジョーでさえも不遜に思われた。
アンドレアは、裏庭を突っ切って離れの棟へと歩いて行った。少年の、思いの外早い歩調に、ジョーは付いて行くのが漸くだった。喫煙は止めたほうがいいのだろうか、とジョーは内心消極的になった。
「と、ころで本題に、入ろうじゃないか」
妙な所で息を継ぐジョーの様子に気付くことも無く、アンドレアはまだ歩き続けた。
やがて、離れの更に北側までやって来ると、少年は立ち止まった。太陽光は深い木立の御蔭で薄い。
「…ああ。『呪い』の事だよね」
「一世紀以上も昔に、この村の連中が一人の旅人を見殺しにした『呪い』だとかナントカ」
アンドレアは、目を細めて頷いた。
サン・タルカンジェリスの町は、当時もこのようにひっそりしていた訳ではない。今現在よりは多少なりとも人口も多く、交通の拠点の一として通用していた。尤も、その頃はヴァティカンの領土ではなく、西アジアの最果ての地だったのだが。
無論、交通の要である以上、どんな旅人でも町には歓迎されたし、また町名の縁起が良いのでわざわざ宿泊していく商人連中も少なくなかった。
だが、ある時、起こり得る筈の無いものと思われていた事件が、町に起こった。
その男は、飄然と現れた。風雨に晒され、埃に塗れた上着は最早カーキ色とも沙漠の色とも見分けが付かなかった。首筋を覆って背中に掛けられたマントは、かつては日除けにも防寒にもなっただろうが、今は哀れな蜂の巣にずたぼろに成り果てていた。それだけでも、男が数多の修羅場を掻い潜ってきたのが雄弁に語られていたものだ。
顔の下半分を覆った黒い髭は、強(こわ)かった。
男が町のバールに入り、安い酒を舐めているところまでは、ごくありふれた光景だった。
独り黙って町を訪れた旅人だからといって、別段町の人間は厄介事を蒙った経験もない。
しかし、平和は直に破られた。
男がタンブラー一杯の安バーボンを半分も飲み終えないうちに、連中はやって来た。
まるで、鋼鉄の黒いペガサスを従えた闇の使者のようだった。男達はめいめい厳つい黒尽くめで、サンドバギーやらジープから降り立ち、忽ちの内にバールを包囲してしまった。
狙いは、旅の男以外の何者でもない。驚いたバールの主人やら客やらは、息を潜めて様子を伺った。町人は揉め事など殆ど知らないのだ。
黒尽くめの連中は、男を見つけるや、撃った。それは第三者の目にも明らかで、生け捕りにしようなどという次元ではなく、奪命を主旨とした攻撃だった。
男は抵抗した。しかも、男の手には町人たちが見たことも無い火薬銃、つまりパウダーガンが握られていた。もしや、と誰もが思ったものである。今や限られた人間しか持てないパウダーガンは、ムゼオ(博物館)くらいでしか一般人はお目に掛かれないものだが、男はそれを持ち物としていたのだ。
「旅の男が盗んだパウダーガンを、奪い返しに来た連中なのだ」
と、ぱっと見には思えたものだ。
ところが、男は腕が立つ。僅かばかりの弾丸で、男は厳つい連中をあれよという間に見事に追い返してしまったのだった。
町人たちは、改めて旅の男に問い質した。すると、男は答えた。
「私の家族は連中に拿捕され、或いは嬲り殺しにされてしまった。故郷も無い。帰る所も無く、私は常に連中から逃げ延びるしかないのだ」
と。同情した町人たちは、男を暫し町に留めて置くことにした。しかし、男が何故追われているのか、家族がそのような目に遭わされたのか、理由は一言も喋らなかった。
アンドレアは、そこで一息吐いた。
「でもね。人間て思った程良い生き物じゃあないね。男は直ぐにもまた連中が追ってこないように出立しようとしたんだけど、出来なかった」
「何故だい?」
ジョーは、一服点けた。
「男の持っていたパウダーガンを盗んだヤツがいたのさ。いや、複数だった。売れば大金になるパウダーガン、それでもって男は最早此の世には身寄りも無い」
アンドレアは、赤い口唇を震わせて言った。
旅の男は殺されたのだ。それも、最も残酷な方法によってだ。男の逗留する教会の庭師が、まず毒を盛った。男の手足が不自由になったところで、町の若い衆が数人、男を殴り、留めに例のパウダーガンで試し撃ちと称して男を撃った。
「男の遺体は、涸れ河のほとりに撃ち棄てられてたそうだよ。いつの間にか、それも消えてなくなっていたって。恐らくは男を追っていた連中が引き取っていったのだろうって。でも、恐いのはこれからなんだよ」
少年の顔色がやや蒼褪めていた。日光が当たりにくいだけに、木の葉の薄い影が、微妙な模様でアンドレアの頬をおどろおどろしく隈どっていた。
パウダーガンは、高値で売り捌かれる事となった。そこで招かれた鑑定士と武器商が、まず死んだのだ。
それもパウダーガンと思しき弾痕が死体を貫通していた。それから、矢継ぎ早に旅の男を謀った町の人間は、死んだ。不気味を通り越して、殆どそれは天誅ではなかろうかと残る町の人間は恐れた。中には、天誅などある訳が無いと必死に、下手人を探した人間もいたが、遂に見付からなかった。
「何とも面妖な話だな」
ジョーは、紫煙を吐きながら天を仰いだ。空はもうくすんだ青だった。日が傾くのが早いようだ。
「おかしなのはそれだけじゃないよ。そのパウダーガンは、何時の間にか忽然と消えていたんだって」
「『呪い』のパウダーガンかい」
ふ、とジョーは鼻で笑った。別に可笑しいわけでは無い。だが、『呪い』という言葉が引っ掛かった。
そういえば、ドットーレ・ブールヴァルドの持つ《キングコブラ・バニッシュメント》の謂れには、『呪い』があるとかきいたが。まさか、その銃ではあるまい。だが、仮にそうだとしても今現在と関わりあるだろうか。
「思い当たる事でもあるの?」
アンドレアは、微笑を浮かべた。
「いや。その『呪い』は、だがその時に終わってるんじゃないのか?」
「だと思うけどね。でも…」
アンドレアは、さっと顔色を変え、ジョーの胸元まで走り寄ると耳打ちした。
「姉さんが言っていた、前の神父様の話は嘘。神父様は腹を裂かれて死んだんじゃない。パウダーガンで撃たれた後があったんだ」
「え?」
「この事、誰にも言っちゃ駄目だよ。特に…判ってるね?」
アンドレアはジョーに緘口令を強いた。少年の癖に、慣れた仕草だった。
「ああ。約束しよう」
ジョーはタバコの匂いのする右手で、少年の右手を握った。これは、少年の訴えなのだ、とジョーの異端審問官としての本能が知った。本当は真相を明らかにして欲しいという少年の願いかも知れない。
アンドレアは、ジョーから離れると羞含んだように背を向けた。少女のように長い黒髪が、肩先で踊った。
「そういえば、神父さんも硝煙の臭いがするね」
少年は、得体の知れない笑みを浮かべて、裏庭を走り去った。
教会に戻るや否や、ジョーを出迎えたのは柔らかい非難の声だった。
「お昼も食べずに何処へいらしてたんですか?」
エヴァは、にこりともせずにジョーに問い掛けた。女町長の隣には、ピーチィ・フィズが立っていた。少女の顔は怪訝だ。
「せや。折角ウチが作ってやってんのに。ジンは?」
「さてね。何処へ行ったかオレも知らん」
ジョーは、肩を竦めた。
食卓の上には、冷え切った白い皿とその中の赤い内容物が見えた。その他には如何にも固そうなパンが籠に載せられていた。ジョーは椅子を引いた。
「不味そうだな」
「ほならやめといてや」
ピーチィは皿を横にずらそうとした。が、ジョーの方が一瞬早かった。皿は思いの外強く引かれたが、中身は一滴も零れなかった。
半信半疑でスプーンを付けたジョーだったが、一口食して愕然とした。
「何だ、結構美味いじゃねえか」
「へへん。エヴァに教わってん」
豆類をトマトピューレで煮込んだスープであり、この地方ではパンと共に食卓にのぼる一般的な家庭料理の一だ。
「あんた、なかなか家庭的だねぇ」
と、ジョーはエヴァに向かって言った。
エヴァは、どきりとしたように青い瞳を見開いた。ピーチィは、あからさまにマズイと顔を顰めた。
殆ど、味付けはエヴァがしたに違いない。悪いが、少女に料理の才能があるとは思えなかった。
それでも、もしかしたらピーチィは、ジン・スティンガーの為にこれを作ろうとしたのだろうか。余りに塞ぎ込んでいる同行人に、まさか笑いを取る為ではなかろうが。
ジョーは、苦笑した。
「こんなに料理が上手いのなら、恋人の一人や二人は…あ、二人はマズイか。いるんじゃないのか?」
「失礼ね」
エヴァは短く言った。顔がやや上気していた。失礼ついでに、ジョーは続けた。
「アンドレアから聞いたが、あんた恋人を亡くしたんだって」
「…おしゃべりな子ね、あの子ったら」
エヴァは、あからさまに顔を顰めた。この場にいない弟を、叱咤して見遣るような視線になったが、ジョーは不意に違和感を覚えた。理知的な印象の深い女であるのに、いやにこの時ばかりは感情に圧されているように見えたのだ。
兎も角、余りこの話題はしたくないようだ。だが、当然の事かもしれない、と思いつつジョーは止めなかった。
「そりゃ最近の事なのかい?」
「二年前のことです。それ以上聞かないで下さるかしら?それと、ちゃんとお仕事して下さいね。昨夜はまた雑貨屋のご主人が亡くなったそうなので」
「へいへい」
と、ジョーは渋々答えた。エヴァは頻りに引っ詰めた髪に触っていた。気分が落ち着かないのだろう。
「しかし、よく死人が出るもんだ」
「葬儀については、運送屋のモンゴから連絡があると思いますわ。私はこれで。仕事に戻りますので」
エヴァは声を硬くして言うと、即座に食堂を出て行った。残されたジョーとピーチィは、お互いの顔を見合わせた。
「…ヒマやねえ」
「ああ。誰も告解になんか来やしねえしな。草毟りも終わったし」
「ほならさっさと行こうよー」
「そういうわけにも行かない。次の神父が来るまでの辛抱だ。そうだ、お前アンドレアと遊んでろよ。お前好みの美形だぞ」
ジョーがそう言うと、ピーチィは頬を膨らせた。たった数日の滞在というのに、少女は退屈で黙殺されそうなのだ。
「イヤや、あの子何か胡散臭いもん。顔はいいかも知れんけど、ウチが望んでんのは心の男前や」
ピーチィは、テーブルに両腕を載せて力説した。
「はっは。なら、ジンもオレも充分男前だな?」
「…アホ」
ジョーは小馬鹿にされてしまった。ピーチィは、不意に振り返り食堂の窓から外を見遣った。空は既に茜色だ。夜雨の前のくすんだような黄色い雲が長く細く地平線ぎりぎりに浮かんでいる。
「退屈なだけやない。何かイヤな感じや、この町」
町の男達の話では、実際にその者の顔を拝んだ人間はいないという事だった。だが、誰人の手に拠るか悄然としない殺人は、昨年末より数えて十一人となった。これだけは確かな事実だ。
しかし、一体こんな無防備でいいのかとジン・スティンガーは訝った。
まず一人目は前の村長、つまりエヴァ・スプモーニの実父に始まったという。それから出納長が町外れで殆ど死に体となって見付かり、病院に収容されたが間も無く死んだ。次には、酒屋のオヤジだ。そうして、パン屋の後継ぎ。左官屋。農夫。小学校の教師。玉突き場のオーナー。出張庭師。町唯一の医者。神父。
何れの者にも共通点は見出せない、とモンゴはジンに語った。ジンは冴えない頭で、少し考えてみた。
「いや、共通点はあるじゃねえか。全員男だってのと、全員この町に住んでたってのと」
「そんなアバウトじゃあ、何の足しにもならねえ」
モンゴは、あっさりとジンの意見を却下した。
「しかし、今更探偵ごっこをしたところで始まらん」
「UP(国際警察)を呼べよ。確か、イスタンブールにいちばん近い分署がある筈だぜ」
「いやぁ。呼んではみたが、ナシの飛礫(つぶて)さ。こんな小さな町の出来事になんか関わっちゃいられねえほどお忙しい、ってわけだ」
「ふん、お高く止まってやがる。そんなら…」
と、ジンは言い掛けてふと思い止まった。巡検使を呼ぼうと言いたかったのだが、生憎それは果たせそうに無いからだ。ジンが唯一知っている女巡検使は、それは腕利きには違いないだろうが、彼女は既に西へと発ってしまった。
モンゴは、ジンからせしめたタバコをぷかぷかとやりながら、東の空を見詰めていた。二人は、雑貨屋からもと来た道をゆっくりと歩いていた。
「実はな」
モンゴはしかめっ面で切り出した。
「オレは、ついこないだ怪しい男を見掛けたんだよ」
村長宅へ配達に行った直後だったという。モンゴは邸の周りをうろつく不審な男の後姿を見掛けた。町の人間ではない、というのは風体からして直ぐに知れた。が、声を掛ける暇は無かった。
男はモンゴの視線に気付くや、やにわに振り返った。
「大柄な男だった。背丈も兎も角がっちりした体格だ。ありゃ流れモンだろうか?赤い髪と髭を生やしてたぜ。顔はそうさなぁ、精悍な感じで、ここらの人間じゃない。眸の色が浅い。おい、どうしたい?」
ジンは、モンゴの丸い目を穴が開くほど見詰めた。
「何か心当たりでもあるのかい?」
「男はガンベルトを提げていたか?マントは羽織っていたか?」
ジンはモンゴの肩をむんずと掴むと、我知らず揺さぶっていた。
「ガンベルト?判らねえな。薄暗かったんで。マントは確かに着てた。おい、痛えよ、一体どうしちまったってんだ」
「ああ、悪ィ」
ジンは漸く己の行動に気付き、手を離した。解放されたモンゴは、思わず額の汗を拭う。
ジンは、溜息を長く吐いた。胸の鼓動が早まっていた。モンゴは、ジンの鬼気迫る表情を訝った。
「間違いない、あの男だ。オレのパウダーガンを奪った男」
呟くジンの背中に影が差した。