第二十二話
〜叛逆の暗天使 Vivo per la tua morte〜
(後篇)
第三章 オルフェの後身 LA ISLA BONNITA第三章(2)へつづく
(1)
黒い影がテンガロン・ハットの頂に達する前に、ジンは振り返った。振り向きざまに払った右手に、ガンは握られていない。だが、さながらファニング(扇撃ち)の所作のごとくジンは撥ねた。そうして次の瞬間、横様に飛ぶ。
砂埃が舞った。舗装されていない路傍の石が撥ね上がる。
空(くう)を切った音がパウダーガンの発射音だと気付いた時、モンゴの目前にはぽっかりと開いた銃口があった。
シングル・アクション・アーミーの銀色の銃口だ。
「おい…」
モンゴが呼び掛けたのは無論、ジンに対してだった。ジンは膝まづいて見上げる。その視線の先に男が居た。
あの瞳だ。金色の瞳。
「貴様」
言い掛けて男は笑声を立てた。赤い長髪が揺れる。
「丸腰でオレにガンつけたのは貴様が初めてだ、若造」
「うるせえよ」
ジンは、背中に飛ばされたテンガロン・ハットを素早く被り直す。黒瞳が燃えていた。心なしか左頬の三条痕が疼いた。
「オレの銃を返せ、こんちくしょう!」
モンゴの胸先を向いているのは、《ブラックホーク・ディオファイア》だった。紛う事無き《神の銃》。そして、それはつい数週間前までジン・スティンガーの所有物だったのだ。
「これは既にお前の銃ではない」
キャプテン・ブラッドは、低く言った。それから、左手を腰のガンベルトに滑らせ、もう一丁の銃を引っ掛ける。
「まだこんな所でパウダーガン使いを気取ってうろついてるなど、いい物笑いだ若造」
言うが早いか、トリガーが弾かれる。あまりの速力に指先さえ霞んで見えた程だ。弾丸は二方に分かれて直線を描いた。ジンは咄嗟にモンゴの足を掴んで、引き摺り倒していた。そうしなかったら、今頃胸に風穴が開いていたところだ。
ジンは立ち上がった。立ち上がりざまに掴んでいたのだ、路傍の石だった。
指先で弾いた、その天然の弾丸が、ブラッドの耳元を掠める。狙った方向は、額のど真ん中だったのだが。
「指弾か。だが、てんで外れていやがる」
そう呟きながら、ブラッドは右手の甲で頬を拭った。微かに血が滲んでいた。そして、その瞬間男の顔は曇り、眉間に深い縦皺が刻まれた。
「なるほど。思いの外やるじゃないか。オレが撃った傷の回復も早いらしいな」
ジンは、ブラッドの言葉など深く聞いてはいない。
「兎に角ごたごた抜かすんじゃねえ!《ブラックホーク》を返して頂くまではオレはどかねえぞ」
「しつこいガキめ」
キャプテン・ブラッドはなおも撃った。だが、ジンは三度それを避けた。殆どすれすれかと思える危なっかしさはあったが。
「そもそも何の為にオレの銃を奪う必要があんだよ、手前!?」
「愚問だ」
と、ブラッドは吐き捨てた。帽子のつばの下から覗く瞳が細まった。
「この銃はお前を見放したのだ。それ以外に何がある」
「またそのごたくかよ。銃を選ぶのは人間だ。このオレだ!」
「ほざけ若造」
《ブラックホーク・ディオファイア》が火を噴いた。カカカ、とブラッドの笑い声が重なる。背中を激しく揺さぶりながらだというのに、パウダーガンを握る手首の位置だけは微動だにしなかった。
「お前は何もわかっちゃいねえ。パウダーガンこそ使い手を選ぶのだ。より強い使い手をな。銃は一つ処に留まるものじゃない。銃は人類共有の財産だ。銃に見捨てられた使い手にゃ、用は無いのさ」
打つ手は無しか、とジンは心中で呟いた。虎の子のパウダーガンが相手の手にある今は、まさに為す術もない。それでも立ち向かう気になったのは、もう後に退けない心境がさせたのか。
どうせ撃たれておっ死ぬならとことんまでやるしかない。ジンは腹を括った。
「オレは見捨てられてなんかいない。誰が見捨てるもんか!」
ジンは左足を後ろに蹴り上げ、その反動を利用して剥き出しの路面を蹴った。黄色い砂上が舞い上がる。幾つかの指先ほどある小石が、ブラッド目掛けて飛んだ。
ジンは身体を低くして跳躍した。
ブラッドの腰に組み付いた。実際、それよりかなり早い段階でブラッドの二丁拳銃は発射されていた。
ブラッドとジンは縺れ合って倒れた。ブラッドは、無理矢理ジンを引き剥がすようにして上半身を起こした。伸ばした右腕の先が、ジンの顎を捉えた。
まだ熱い銃口が、薄っすらと伸びた髭に当たり、肌を焼いた。流れ落ちる汗がスティールを伝い、蒸発していった。
ブラッドの瞳は勝ち誇るでなく、また哀れを装うでもなく、真っ直ぐにジンの黒瞳を見据えていた。このままトリガーを引きさえすれば、ジンの喉仏は破裂。ここで御仕舞いのチェック・メイトだ。
猛禽のようなブラッドの双眸が揺れた。
「…いいだろう、若造。男同士腹を割って話そうじゃないか。パウダーガン使いとしてだ」
ジンは唾をごくり、と呑み込んだ。汗が意志に反してとめどなく流れる。
「話し合いなんか。オレはこいつさえ返して貰えばそれでいいんだよ。じいさんの形見、師匠の手解きが血と汗になって、グリップに染み込んでらぁ」
ジンの声は裏返った。ブラッドは唇を歪めた。
「師匠。お前の師匠とは?」
「ジャバー・ウォック」
ブラッドの虹彩が一瞬開いた。低い鼻笑いが、喉に籠もって流れる。目の端が小刻みに痙攣していた。
「…なるほど、あのファスト・ドロウ・マスターか。お前の抜き打ちの仕草、どうりで何処かで見た事があると思えば」
くくっ、と確かな笑声が洩れた。先程からジンを苛々させるブラッドの声だった。
「ジャバー・ウォックを知っているのか?」
ジンは瞠目した。
「知っているも何も、オレ達はまさしく時を同じうして競ったパウダーガン使いだ。《神速の隠者ジャバー・ウォック》、《轟砲使いマーリオ・ランフロ》、《地獄の双銃キャプテン・ブラッド》と言えば知らない者はいなかった」
ブラッドはやや厚めの唇をにたり、と歪めた。だが、瞳は獲物を狙った鷹のままだ。
「何が可笑しい?」
「いや。ジャバー・ウォックともあろう者も、後継者選びには才が及ばなかったか。もしくは、運が無かったか」
あからさまな侮辱の言に、ジンはかっと頭に血が上るのを感じた。だが、それよりも今こうしてこの男の口から聞いている事実の方が重く圧し掛かっていた。
「オレが育てたのは、アルテミス・サフィールつまりミスティ・サファイア一人だ。マーリオは誰も選ばなかった」
ブラッドは、不自由な姿勢のまま続けた。
「何故か判るか?答えは簡単だ。ヤツはパウダーガンに見放されたのだ。誰がヤツを殺したのかは、ついぞこの間まで知らなかったがな。アラムート城塞で擦れ違うまではな…ヤツはアレを持っていた。あの銃を」
ジンは激しく息を詰まらせた。
ブラッドの言っている事が、だんだん意味不明になってきた。というよりも、ジンの思惑とは違う方向へ話が向いているからだ。だが、漠然とした言い知れぬ嫌悪感が喉元にせり上がってきた。
「て、手前は一体?」
ジンは心臓の高鳴りを抑え切れず、咳き込んだ。
「何の為だ?復讐か?」
フフフ、とブラッドはその言葉に対して喉声で応えた。
「復讐だの仲間割れだの喧嘩だの。そんな独り善がりはとうに捨てている。もとより『一度死んだ』身だ。総ては十二年前、いやもっと前に凶兆は始まっていたのだ」
「十二年前…」
ジンは、腑抜けたように鸚鵡返しに繰り返した。十二年前といえば、ジンは八歳もしくは九歳。丁度唯一の身寄りだった祖父を失って、孤児だった頃だ。ジャバー・ウォックに拾われた。
ガウン。銃声が響いた。思わず、ジンは全身を硬直させた。自分が撃たれたのではない。血煙が上がっていたのは、ブラッドの右肩だった。
「トリガーから指を離せ」
聞き覚えのある声だと気付くまでに、総ての言葉を聞かねばならなかった。それ程、声は普段の持ち主のものと異なっていた。ジンは漸く面を上げた。
黒い僧帽に、肌蹴た僧服のジョー・クリサンスマムが立っていた。
青灰色の瞳は、何時になく凍えるほど恐ろしく固定されていた。
ブラッドはジョーの言う通りに《ブラックホーク・ディオファイア》のトリガーから人差し指を外した。
「起きろ、ジン」
ジョーはブラッドの脇に回り、膝でジンの横腹を押した。無論その間もずっと、神父は《パイソン・ブラザーサン》を構えたままだ。
「シスタームーンの片割れか」
と、ブラッドは呟きつつジンを押し退けた。
「あまりうちの坊ちゃんを虐めてくれるな、大将」
ジョーは真顔で言った。ジンはやがてのろのろと立ち上がった。
「《ブラックホーク》を無条件で返せ、とは言わない。こいつに機会を与えてやってくれ。でないと、守り役としてのオレとしても立つ瀬がない」
「よかろう」
ブラッドは、あっさり認めた。ジョーの眼力に屈した訳ではない。思うところあってだ。ブラッドは巨躯に似ぬ素早さで立ち上がると、やや後退った。
「但し、その前に問題を一つ片付ける事だ。オレは西へ向かう。西へだ。間違うな、必ず追って来い」
「条件は呑んだ」
ジョーはきっぱりと承諾した。
ブラッドはそうして、二度と振り返らなかった。汚れたマントを靡かせて、風のように去っていった。
只、余りの展開の意外さに狐に抓まれたような気分なのは、既に傍観者と化したモンゴだった。
教会は、その晩遅くまで灯りが点っていた。
ジョーは分解したリヴォルヴァーにオイルを塗りながら、窓を見詰めた。摺りガラスの丁度真横に、ジン・スティンガーのむっつりした顔が覗いていた。夕餉の前から、充分過ぎるくらいにジンは無口だった。どうせ一度に幾つもの考えを平行させられる事は出来ないだろうと、ジョーは値踏みしている。従って、ジンの考えていることなどある程度お見通しなのだ。
「どういう事なんだよ。その『守り役のオレ』って」
ジンは、ジョーの顔を睨み付けた。
「言ったまんまさ。オレがお前のお守り役さ」
ジョーは、ステンレスのバレルに次から次へと舞い降りる埃を拭いた。
「判るように説明してやろうか?お前の守り役はドットーレ・ブールヴァルドではなくて、このオレ。ジョー・クリサンスマムだ、実のところはな」
ジンは只茫然と聞いていた。
「言ってる意味が判らねえか?ドットーレのやってきた事はウソ。っつーと、まぁ語弊があるが、本来のあの男の仕事じゃない。本当はオレがすべき事だった。只、諸々の事情だか何だか知らないが、オレは上に言われるままに動いただけだ」
ジョーは片頬を歪めた。
「判ったか?オレがここにいる。これが本来の姿だ」
「…判んねえよ」
ジンは吐き捨てるように言い、椅子の背凭れに腕を引っ掛けた。
「もうあの男は戻って来ないさ。役目は果たした。後は自分の為すべき事をするだけだ」
「ウソだ」
「戻って来ない」
ジョーの青灰色の瞳が、ジンの横顔を見詰めた。
「認めたくないのは判るがな」
ジョーはそう言いつつ、立ち上がった。
「人は進むしかない。『己の生きる場所を探す』か『己の死ぬ場所を探す』か、どちらかだ。その二通りしか此の世にはない。だが、何れの場合も答えは同じだ。事実を認めなくても進むところは一つだからな」
「説教ならゴメンだよ」
ジンは呟くように言った。
「アーチは何をしに行ったんだ?」
「それはオレにも判らない。あの男が、ドットーレが生き場所を求めて行くのか、死に場所を求めて行くのかさえ、オレ等には判らない。だが、答えが出るのはそう遠くないだろう」
ジョーは、懐から真新しいダンヒルの包みを取り出した。ジンは、椅子の上に片足を載せた。
「だからって、何で黙って行く必要があるんだ?何も言わねえって事は、戻って来るってことじゃねえのか?」
ジョーは答えなかった。黙って、一本抜き取ったタバコに火を点ける。
「大体、今にも消えて無くなりそうな言い方するから何だけど、よく考えたらアイツはゴキブリ並みの生命力だからな。殺したって死にゃしねえな」
ジンは、言い聞かせるように独りごちた。ジョーの吐き出した紫煙が、窓ガラスに映った。
虚しい沈黙の時間を、天使が通り過ぎて行った。ピーチィ・フィズは既に寝室で寝入っている筈だった。ひょっとしたら、扉の向こうで聞き耳を立てている可能性はあったが。
「それと。あの男が言ってた《神速の隠者ジャバー・ウォック》、《轟砲使いマーリオ・ランフロ》、《地獄の双銃キャプテン・ブラッド》ってのは?」
「ああ」
ジョーは、咥え煙草で真っ暗な窓の外を見遣った。漸く、重くなりかかった口を開いた。
「《称号》制度が敷かれる前の伝説的パウダーガン使いのことだな。尤も、伝説的といっても、一世代前に過ぎないがな」
「実際、オレが教わったのはジャバー・ウォックだ。そんなに有名人だなんて、知りもしなかった」
「その中で唯一《銃王》(プリンキパス)の称号を先んじて頂いたのが、あの男。ブラッド・ワルドーフだ。本来は、三人ともが今ある《銃聖》(サンテ)の位置にある筈だったが、どういう経緯で二人がそうならなかったのかはオレもよく知らない。それこそ、ブラッド本人に訊いてみたらよかろう」
ジョーは、再び煙を深く吐き出した。
「いや。オレが気になったのは、ブラッドが言った『アラムート城塞で擦れ違った』って」
ジンはジョーの表情を見た。特別変わりは無い。
「マーリオとかいうハンドキャノン使いを倒したのは、一体誰だったのか。考えなくても、答えは一つしかねえ。スタンレーが銃使いでない以上、アイツしかいないんだよ」
「どうだろう?」
ジョーは、振り返った。口許にやや皮肉めいた笑みが浮かんでいた。
「お前さんの予想は当たってるかも知れないが、だからどうよ?仮にドットーレ・ブールヴァルドだとして、ブラッドはまさかマーリオの敵を討つ為に彼を狙ってるとでも?パウダーガン使いに敵だの、そんな心情は要らない」
「そんなんじゃねえよ、ただ…」
言い掛けたジンの言葉を、ジョーは雄弁に遮った。
「譬えブラッドがドットーレを追ったとしても、ヤツが知りたいのは恐らく《キングコブラ・バニッシュメント》の曰くについてだ。『呪い』だか何だか知らないが、それだけの事だ」
ジョーに諭されると、どうもジンは反駁の余地が無い。さすがに神父だけあって、弁舌爽やかにして妙に説得力がある。いつもの相方だと、科学者ゆえにもっと棘があるストレートな言葉遣いだのだが。
「…お前さんは、何も心配する必要は無い。後は問題を解決すれば、直にキャプテン・ブラッドに追いつけるだろう」
「問題ってのは?」
と、ジンは間抜けな質問をした。だが、ジョーは茶化すでもなく、真面目に答えた。
「この村に巣食う問題だ。解決しない事には、パウダーガン使いの不名誉は消せない。仕方ないが、お前さんは暫くこの銃を使え」
ジョーは、テーブルの上に置かれたままの《パイソン・ブラザーサン》を指差した。
「オレはセコンド・ガンを使う。ったく、世話が焼けるがこれも守り役の仕事だからなァ」
「…済まねえな」
ジンは珍しくしおらしい声で、言った。