第二十二話
 〜叛逆の暗天使 Vivo per la tua morte〜
(後篇)


第三章 オルフェの後身 LA ISLA BONNITA
 
 (2)

 葬儀(フューネラーレ)はあくまで、しめやかに執り行われた。雑貨屋のオヤジの身寄りはといえば、年老いた老母一人だった。妻はとうの昔に子供を連れて家を出ていたし、親戚もこの町には無い。老母は、屈強な男達に担がれた棺を只悲しげに眺めているだけだ。
 ジョーは、お仕着せの僧服を身に纏っていた。いつもの短衣ではなく、シャツを肌蹴てもいない。
 やがて葬列は、教会からその裏手にある墓地へと向かって行った。裏手というが、それは飽く迄墓地に至る道程の間に民家も無ければ畑もない状態だからであって、実は徒歩で十数分の距離があった。
 神父であるジョーに続いて、喪主となる老母が歩いて行く。その後を棺桶担いだ男達が進む。その後を行くのが、町の人間だ。葬儀委員長であるモンゴ、町長であるエヴァ・スプモーニ、助役、粉屋、と続く。列の最後尾に、ピーチィ・フィズとジン・スティンガーが居た。
 空は曇っている。
 珍しく中空をコルヴォ(鴉)の群れが、4、5羽舞っていた。腐肉の臭いに敏感な連中だけあって、葬式には付き物だが。
 実際、葬式に出ていながらも、ジンは四六時中全く関係ないことばかり考えていた。
「ブラッドは、まさかマーリオの敵を討つ為に彼を狙ってるとでも?」
 ジョーはそう言った後で、自ら否定した。だがその言葉は、無意識に何かの暗喩を含んでいたように思われる。
「何より手前で確かめないことにゃ、始まらねえけどな」
 ジンはそう思う事にした。
「手前自身がアイツに訊けばいい。張り倒してでも」
 列が墓場に到着した。数十人の頭上を、鴉が大きく旋回し、立ち枯れた大木の枝にそれぞれが羽を休めた。休めた、というよりは腐肉を狙っているかのような視線を人間側は感じる。
 ジンは、不意に極東の町モジトでの出来事を思い出した。まさか喋る鴉は此処にはいないだろうが、それにしても赤く光る眼が不気味だ。
 逸らし際に、エヴァ・スプモーニと視線が絡んだ。エヴァはそそくさとジンから目を外した。それがまるで、悪戯を咎められた少女のような顔付きだったのを、ジンは見た。
 棺桶を地中に沈め、土を被せて行く儀式の間中、エヴァは一度もジンを見ようとはしなかったし、誰とも視線を合わせる事は無かったが。
 それよりもジョー・クリサンスマム神父の長広舌の方が遥かに、ジンにとってはおかしかった。何だ、真面目に仕事が出来るじゃねえか、と。
「聖霊に恃まれし…ううむむむ」
 ジョーは突然、言葉に詰まった。『祈祷集』を丸々読み上げるだけなので、何も詰まる必要などこれっぽちもない筈だ。
 ジョーは自分の頭上を見上げた。枯木に止まっていた鴉がけたたましく騒ぎ始めた。黒い羽が二、三舞う。
「何だ何だ?」
 スコップ片手の男たちも、さすがに不気味な鳴き声に戦慄し、周囲を見回した。
 うるるるる、とまるで狼の唸り声にも似た獣の低い喉声が響いた。古木の裏手に姿を現したのは、豊かな尾をぴんと立てた大型犬だった。
「スター・バック号」
 ジョーは叫んだ。言うまでも無く、鴉たちの騒ぎの元は、その犬の存在にあった。相変わらずギャアギャアと叫ぶ黒い悪魔共など、意に介さない状態で、スター・バック号はある一点を睨んでいた。
「ううー」
 目を光らせ、スター・バック号は狂ったように一声吠えると、目標に向かって突進して行った。
「危ない!」
 犬は参列者の中で、最も幼い、就学年齢にも達しない娘に飛び掛ろうとした。すんでのところで、ジョーは祈祷書を投げた。古びた本の角が犬の鼻面に命中した。
 ぎゃん、という叫びと共に、一瞬怯んだかに見えたスター・バック号だったが、それも直に克服して、犬は歯茎を露わにして唸った。
 人々は、驚愕のあまり立ち尽くす者もあれば、途端にスコップを放り出して一目散に丘を下っていった臆病者もあった。
 ジョーは少女の身体を庇いつつ、犬を真正面から見据えた。犬は決して人間を真向かいに見ようとはしないものだ。だが、それにしてもスター・バック号が見ているのはジョーでもなく、少女でもなく、モンゴでも棺桶でもないようだ。
 チャ、と撥ね上がった金属音を聞き当てて、ジョーは右手を大きく上げた。
「よせ」
 《パイソン・ブラザーサン》のシリンダーを回したのは、ジン・スティンガーだった。
「犬を撃ったところで仕方ない」
「何でだ?現に子供に危害を加えようとしたじゃねえか」
 答えるジンの、抑揚の無い言葉に対して、ジョーは極めて静かに言った。
「撃つ必要は無い。見ろよ、こいつぁ、気が触れたんでも誰か取って食おうってのでもない。怯えてるんだ。尻尾を見てみろよ」
 言われた通りに視線をやると、なるほど犬の尾は小刻みに震えて後ろ足の間にあった。
 ジンはパウダーガンを、ホルスターの中に仕舞った。
 スター・バック号は目を光らせたまま、徐々に姿勢を低くしていった。依然として鼻の頭にはきつく皺が刻まれており、剥かれた歯はぎらぎらとしていた。
 ジョーは怯える少女の肩から手を離すと、ゆっくりと犬に近付いて行った。そして、右手を差し出した。
「キャン」
 まるで仔犬のような声を上げて、スター・バック号は後退り、逃げ出した。ジョーはまだ、犬には触れていなかったのに。
 無言裡の安堵が、周囲の空気に滲み出した。
「さすが神父様」
 という賞賛の声さえ聞こえたが、そんなことはジョーにとっては何の価値も無い。鴉たちは、やがて西の空に散り散りに飛び立った。程無くして、埋葬作業が再開されたが、それを見詰めつつ祈祷書を拾い上げたジンの胸中には、釈然としないものがあった。
「あの犬は?」
「アンドレアの犬だ。普段は実に大人しいが、いやに興奮してたな」
 ジョーは、淡々と答えた。
「本人は何処にいるんだ?興奮どころか、あれは狂犬病かと思ったぜ」
「さてね」
 ジョーは頭を掻いて、嘯いた。作業はまだ黙々と続けられていた。
「しかし、これでハッキリした事がある」
「何がだよ」
「『呪い』の正体、いや。この町の凶事の総ての原因がな」
 陣は、目を丸くした。
「マジかい?そんなにあっさり判ったかい?」
「ああ。ちいとばかし、面白くない結果が出そうだが。それも致し方ない事だ」
 そう言って、ジョーはジンに背を向けた。夕陽が傾き掛けていた。

 パウダーガン保持者の数は、総一万二千四百六十八名。これは、飽く迄IDに記録されている数であって、実際はこれより二、三割は多いと値踏み出来る。所謂、ノンライセンスの人間だ。
 しかし、登録者数のうち実動人数はその内の約六〜七割。この数の曖昧さが、パウダーガン使いのメジャーでない由縁だ。勿論、銃火器としてはブラスター(熱線銃)のようなエネルギー供給に労力を要しないものが、遍く使用されている。
 早い話が、火薬弾を使用するパウダーガンはコストパフォーマンスの面で優れていないからだ。弾薬は、高価なものだった。そのことは既に北米の西部開拓時代から戦争の世紀を経て、人類が学び取った事だ。
 従って、ディアスポラの人間と雖も、純粋な銃使いを目の当たりにすることは、そう多くあることではない。
 そして、パウダーガンを持つ人間はお互いにある程度面識があったりする、という奇怪な世界でもあるのだ。
 象牙色の建物は、四階立てである。
 およそ二世紀以上も前、少なくとも二十世紀末に作られたであろう、近代様式建築物は、コンクリートの安っぽい壁ではなく、この土地特有の黄色い頁岩を使っていた。東西が交渉する街にある、この建物こそ《アソシアチオーネ・プレミオーロ》―つまり、《賞金稼ぎ協会》であり、《パウダーガン協会》をも包含していた。
 何故なら、パウダーガンの所有者の八割以上が、賞金稼ぎだからだ。
 そして、言うまでもなくここはヴァティカン・聖務省の機関でもあった。
「あの、どちらへ行かれますか?」
 受付を何気なく行き過ぎようとして、ミスティ・サファイアは呼び止められた。
 美神も歯軋りする容貌が、振り返る。形良い頬には、余裕の笑みが浮かんでいた。
「いちいちトイレを借りるのにも許可が必要なの?」
 言葉は冷たかった。
「失礼ですが、会員証かもしくは何方かの紹介状を呈示頂かないと、ホールより中へは、お通し出来かねます」
 受付嬢は、静かに、だが警戒を込めて言った。
「あら、いいの?じゃ、ここでしちゃうわよ」
「え、ええ?」
「本気よ。安心なさいな、おっきい方じゃないから。ずっと我慢してたのよ、これ以上我慢して膀胱炎になったら大変だもん。判るでしょ、女だったら」
 ミスティは、下腹部を押さえつつ受付嬢の強張った顔をじい、と見据えた。
「でも、困りますぅ」
「私も困るのよ。だったら、入れて頂戴」
「ええ〜」
 受付嬢は、思わず涙ぐんだ瞳を宙に向けた。だが、助け舟など何処にも見当たらない。
「早く!」
「そんなこと仰られても!」
「もれちゃう!」
 などと、やっているうちに、やがて現れたのは、小柄な中年男だった。見るからに温厚そのものの面差しで、鄙びた街角の何処かで露天商でもやっていそう風貌だ。豊かな口髭がそ思わせるのだろう。
「どうしたんだね?」
「あ、所長!この女性が、どおしても中へ入れて欲しいと言うんですが、身分証が…」
 うむ、と唸ってミスティの方へ向き直った所長は一瞬驚きの表情を見せたが、直ぐにそれは綻んだ。
「おお!貴女は」
「お久しぶりですこと、サラトガ所長」
 ミスティは、冷ややかな笑みを浮かべた。

「そうですなぁ。二年前のパウダーガン登録者の失踪記録ですか」
 サラトガ所長は、ゆったりとした口調で答えた。物の言い方は実に穏やかだが、手先はかの受付嬢の数倍、少なくとも一・五倍は早く動いていた。記録台帳を繰る指の動きに、ミスティは思わず感心した。
 所長室は、空調が素晴らしく利いていて、寒いくらいだ。
「でも、失礼ですけど。何でコンピュータ検索じゃないんです?」
「ああ。ここはねぇ、イスタンブールでも電気供給が複雑な場所でね。殆ど自家発電で賄ってるんですよ。空調に使うと、殆ど他の機械に回らないんで。電波状態も不安定ですからね」
「はぁ」
 ミスティは、覚えず頭を抱え込んだ。
 ジョー・クリサンスマムから連絡があったのは、昨晩だった。折も折、イスタンブールの巡検使詰所に到着した時の事だ。どう見積もっても、計算されたとしか思えない見事なタイミングだったが。
「何ですって?二年前のパウダーガン保持者の失踪、死亡記録を調べろと?」
 ミスティは、ヒラ巡検使が見せた一方通行の電子メールを見るなり、顔を顰めた。
 パウダーガン保持者は少ないとはいえ、ミスティの手持ちの資料では確認できない事項だ。幸い、ここイスタンブールには《アソシアチオーネ・プレミオーロ》の支部がある。恐らくは、そのことを見越してのジョーの依頼だということは、直ちに察する事が出来た。
 それにしても、手回しが良過ぎてむかっ腹が立つくらいだ。
「私はアンタほど暇じゃないのよ!」と怒鳴り散らしながら、それでもミスティは思うところあって、やはりジョーの思惑通りに《アソシアチオーネ・プレミオーロ》に来てしまった。
 それは、電信の最後の一文にあった。
『悪いが、これはあんたの近未来に大いに関係するだろう。キャプテン・ブラッドに遅れを取らない為にだ』
 ミスティは、納得も何も反射的に行動を取ってしまった。だが、今更その一文の奇妙さに気付かされた。
 確かジョーにはミスティ自身、過去の因縁を話した覚えが無いのだ。だのに、何故かブラッド・ワルドーフことキャプテン・ブラッドとミスティが浅からぬ縁である事を知っているとは。名前くらいは知識として知っているだろう。だが、その人間関係までも把握しているのだろうか。
「…でも、予測を遥かに超えて調査は難航を示してる様子だわ」
 と、サラトガ所長の所作をチラと見遣って、ミスティは溜息を吐いた。ここまで時代錯誤的だとは、思わなかった。それは恐らく、ジョー・クリサンスマムが見ても同じに感じるだろう。
 しかも、判明したところで如何に素早く情報を伝えるにしても、現状ではそれも容易では無いと見えた。
 本心を言えば、イスタンブールでの用件を済ませてしまえば、ミスティには直ぐにも向かうべき処があった。
 アラムートを発った直後に、近隣の巡検使から伝言を受け取った。
 差出人は実妹であるマルガリータ・サフィールだった。内容は、簡単な一言のみ。
「母ヴェルジーネ、ヴェネツイア大学病院へ移る」
 とだけだ。姉妹には、この一文で充分に真意が汲み取れる。もう長らく会っていないが、それ程に互いの心は密だった。
 だが、それだけではない。
 ミスティ・サファイアには、会わねばならない人間が複数いた。ミスティは、窓の外の黄色い空を眺めた。一刻も早く、出来れば風にでも乗ってイタリアへ、『法王庁本土』へ戻りたかった。譬えそれが、神話にある黄泉の国だとしても。離れるや、二度と振り返ってはいけない黄泉の国だとしてもだ。

 
 第四章(1)へつづく

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