第二十二話
〜叛逆の暗天使 Vivo per la tua morte〜
(後篇)
第四章(2)へつづく第四章 夜は無慈悲な淑女 THE LADY FEEL HER PAIN
(1)
夜半に小雨があった。乾いた地面を濡らす程度のものだったが、それでも雨には変わり無かった。施錠の為に巡回していたジョーは、ふと礼拝堂の中で立ち止まった。扉が開きかけていたのだ。慌てて告解室の裏へ回り、小部屋に入り込んだ。長らく使われた紫檀の木材の匂いが漂う。腰を屈めなければ入れないような低く小さな扉を閉め、室内に入る。
木椅子と書見台のような机があるだけの僅かなスペースだった。
「如何しましたか?」
ジョーは、人の顔の半分も見えない小窓から、外を覗いた。丁度其処からは、懺悔者の口許が伺えるはずだった。目は口ほどにものを言う、というが人の口許は人品を表すものだ。とはいえ、ジョーは決まった教区も教会も持たない神父ゆえに、それ程多くの信者の告解を受けた事は無かったが。
見れば、姿は少年のようだ。唇は俄かに降った雨の所為でやや紫ばんでいたが、ぷっくりと愛らしい。
少年が、こんな夜半にと訝ったものの、ジョーはそのことは追及する術を持たなかった。
「…罪は」
と、少年は言い掛けた。
「人を殺(あや)めることは重い罪です。でも、それを見過ごすことも、同等の罪なんでしょうか?そうではないのでしょうか?」
少年は、おずおずとした出だしとは異なって、いやにしっかりとした口調で話し始めた。
小暗い中で見える少年の口の動きは、微かであり、声も低かった。だが、その持ち主をジョーは知っていた。この村か近辺に、よく似た声の少年が他に存在しなければの話だが。
「どういう事だ、いや。ですか?貴方は誰かが殺人を犯す場面にでも遭遇したのですか?」
ジョーは丁寧に訊いた。
少年は、今度は消え入りそうな声で諾、と言った。
「はい」
「それは確かなことですか?何時頃のことですか?ついさっき?それともずっと前の出来事ですか?」
「…二年前です。ボクはまだ小さかった。今でもまだ小さいけれど」
少年の声に紛れて、ジョーは息を呑んだ。喉を嚥下する唾の音がとても卑しく大きく聞こえそうな気がした。
「共同墓地があります。今日、雑貨屋のオヤジが埋められた町の墓地です。その少し北に行くと、溜め池があります。溜め池の脇に、古い調水小屋があるんです。そこで、見たんです」
少年の声が、俄かに震えた。
「小屋のところで何人かの人が言い争ってました。大勢の男がいて、一人の男の人を責めてた」
「貴方はそれを黙って見ていた」
「せ、責めないで。ボクはただ吃驚しただけで、何も出来なかったんだ」
「言いたくなければおやめなさい。神は貴方の意思を尊重します」
ジョーは優しい物腰で言った。それが伝わったからかどうか、少年は頭(かぶり)を振った。
「いえ…。最初は口論が激しくて、何を争ってるのかもよく判らなかった。でも、そのうち男達がその一人に殴り掛かったんです。武器も奪って、素手の人にですよ。ボクは恐くなって耳を塞いで、目も閉じてました。でも、どうしても殴る音、蹴る音が聞こえてしまう。…どうしよう、どうしよう。このまま黙っているなんて、出来そうもない。けど、恐くて何も出来なかった。立ち上がることさえも」
少年は、その高まる激情を抑えつつ早口に喋った。それにつれて、声のトーンも尻上がりになった。
「そのうち、聞いたこともないような音が…」
少年の声色が再び低くなった。
「何か弾ける様な、腹に響く音がしました。それから、直に静かになって足音だけが幾つか聞こえました。だけど、やっぱりボクは恐くて動けなかった。男達がいなくなると、あの人がどうなったかも判らないまま、ボクは家に逃げ帰ったんです」
沈黙の天使が通り過ぎて行った。ややあって、ジョーは深い息を吐いた。
「それは辛かっただろうね」
少年のそれに対する返答は無かった。
「翌日…小屋の番人が池まで行った時、遺体が見付かったんです」
唐突に、窓が白くぼんやりと光った。僅かに遅れて教会の外でゴロゴロと低い雷が鳴った。音源は遠い。少年は、ほんの瞬間その音に怯えた。
「池に浮かんでいたんです、あの人が。溺れた旅人だっていうことで、処理されましたが…」
そこまで言って、少年は言い澱む。雷の音は次第に近付きつつあった。
「貴方と、その死んだ男とは何の縁もなくとも、もしかしたら酷い私刑に遭って命を落としたとすれば、その場面に出くわした貴方は不幸であり、亡人はさらに不幸です。祈ってあげましょう」
ジョーは優しい声音で言った。
少年は、泣いているようだった。口許に幾筋かの透明な河が光っているのが伺えた。
「あの人は、ボクの…」
気配が変わった。少年は立ち上がった。雷鳴が大きく鳴り響いた。それに突き動かされたかのように、少年は小部屋を出た。
「ボクの姉さんの恋人だったのに」
言い捨てるようにして、少年は礼拝堂の通路を走り出した。慌ててジョーは、頭を強かドアに打ちつけながら告解室を出た。
後姿の長い髪が棚引く。細いシルエットが稲光に照らされ、ほんの一瞬少年の正体を明らかにした。
「アンドレア!」
ジョーは叫んだ。だが、少年は立ち止まらず扉を開け放った。後に残されたのは、横殴りの雨が注ぎ込む戸口の仄白い灯りのみだった。
小暗い門扉に人影が落ちていた。ジョーは大股に歩いて近寄ると、怯えた影が逃げぬうちにその肩を、むずと掴んだ。
「まだ教会に何か用かい?それとも、雑貨屋のオヤジの死体が生き返ったとでも?」
ジョーの押し殺した声に、振り返ったモンゴは絶句した。目の玉が充血している。そして、まだ浅い秋の雨だというのに震えていた。
「…い、いや旦那」
「ふん、びびって小便だけはちびらないでくれよ。下着の余分な換えはないんでな。それより、今出て行った男の子をみたろう」
ジョーは、モンゴの肩を掴んだ手をゆっくりと緩めて行った。片手には《ルガーPPK・リヴァイバル》が握られていた。専らセコンド・ガンとして滅多に使うことは無かった。そう、あの時イアン・マッカルパインことグラッド・アイと対峙した時以来だ。
「見たというなら、洗いざらいオレに話せ。二年前にこの町に何が起こったか、誰がその為に犠牲になったのか総て包み隠さずだ。いいな?」
「ひ、ひー」
モンゴは首を振ろうとして、肩を竦めた。
「その様子だと、あんたもそう深くかかわってはいまい。心配するな、喋ったからと言って死にやしねえ」
ジョーは苦笑を押し上げた。モンゴは、自由になった両手で頭を押さえた。
「やべえよ、喋ったらオレまで殺されちまう!勘弁してくれよ、旦那。後生だから」
「オレをそこらの腐れ神父だと思っちゃいけないねぇ。確かに聖霊には歓迎され得べからざる部分はオレ自身も認めるが、少なくともあんたを殺そうとするヤツよりは腕は上だ」
ジョーは、モンゴの顎の下に《ルガーPPK・リヴァイバル》の銃口を突きつけた。セフティ(安全装置)は外していない。
「パウダーガンの腕前はな」
「うひぃ。話すよ、話せばいいんだろ!ったく乱暴な…」
モンゴは自暴自棄になって、泣き叫んだ。
看板だよ、と言われてジンは仕方なくコインを置き、カウンターを離れた。しかし、外は折からの豪雨である。
「この雨で追い返すのかい、オヤジ」
と、不貞腐れ顔で言うと、酒場の主人は深く溜息を吐いた。客はもう、ジン・スティンガー以外に誰もいない。皆、雲行きが怪しくなる前に出て行ったのだ。
「今夜は通夜だってのに、皆いやに冷たいじゃねえか」
ジンは言った。店の主人はモップを床に滑らせつつ、顔を歪めた。
「明日も仕事がないわけじゃないだろう。それに…」
主人は、言い掛けて一息入れた。モップを持つ手が固くなる。歳を取るということは、思うように肉体が反応しないということだ。
ジンは、一瞬でその主人の些か厭世的な人生観を読み取る事が出来た。それは、長年の旅の経験だけではない。今迄の同行者に感謝すべきところだった。一人では気づかない事も、他人がいる事で判るというものだ。
「皆怯えてるのさ」
酒場の主人は小声で言った。
「殺し屋にか?」
ジンのストレートな物言いに、主人の頬が引き攣った。
「パウダーガンを持った殺し屋。町の誰を狙って来るかも判りはしない、ってか?」
ジンは少々茶化して言った。
「なに、心配要らねえさ。少なくともこの雨じゃ、パウダーガン使いもお手上げだ。部屋の中にでも入られねえ限り、撃たれることもない」
ジンがそう言った時、酒場の主人の視線は或る一点を凝視していた。まるで生きた蝋人形のような顔で、主人は声も無くモップの柄を握り締めていた。
「なァ、あん?」
ジンは主人の顔を見た。が、形相の異様な変化に只ならぬ気配を感じた。
振り返ると、店の扉の窓ガラスに白い物が浮かんでいた。一瞬ぎょっとなったが、それが直ぐに女の顔だと判ると、ジンは止めた呼吸を再び開始した。
「何だ」
音も無く開いた扉の隙間から、女の細身が滑り込んで来た。扉を開けねばならないとは、どうやら幽霊ではないらしい。
女性独特の華やかな体臭が、同時に入り込んで来た。
「町長さんじゃねえか」
ジンは胸を撫で下ろした。エヴァ・スプモーニだった。黒い髪はすっかり雨の所為で白い頬に貼り付いていた。肌は青白く、薄手のブラウスも肌にぴたりと吸い付いて奇妙な艶かしさを醸し出していた。
「レインコートも着ないで、一体何かあったの…」
ジンが、やや軽い調子で質問しようとした時だった。
鈍く重々しい衝撃音と共に、酒場の主人がカッと目を見開いた。額の真ん中に三つ目の眼球と思いきや、黒い穴が穿たれていた。大きく開いた穴からは、どす黒い血液がつつ、と流れ出すや、主人は真後ろに倒れた。遮るものも何も無く、従って主人はまともに床面に叩きつけられたのだが、もとより其処からは夥しい血漿、脳漿が飛散して、まるで裂けたスイカのごとくなった。そして、紛う事無く酒場の主人は絶命していた。
エヴァ・スプモーニは凍りついた表情のまま、ジンを見遣った。
右手に握られているのは、パウダーガンであり、強か雨に濡れた銃身からは、発砲直後の帯熱によって白い煙が立ち昇っていた。
第三者の目にも明らかな事実が、存在した。
「あんたがパウダーガン使い」
うっかり、ジンは舌を出した。
女。女が銃を握るとロク事にならない。咄嗟にジンは、そんな事を思い巡らした。
ディアーヌといい、ミスティ・サファイアといい、ジプシー・クイーンも然り。女パウダーガン使いこそ、トラブルメーカーなり。
エヴァは、そんなジンの思惑も何もかも無視したかのように、冷たい視線を向けただけだった。
「見れば判るわ。蛆虫を始末しただけよ」
エヴァは低く押し殺した声で言った。
「この、只の酒場のオヤジが蛆虫かい」
ジンは俄かに憎悪の籠もった口調で応えた。
「おぞましくて反吐が出るわ。生きる値打ちも無いのよ、連中は」
エヴァは、まるで普段とは別人格が憑依したかのように、冷たく言い放った。
「おい、生きる値打ちがあるかどうかはあんたが決めるこっちゃねえよ!」
思わずジンは、反駁した。だが、エヴァの握るパウダーガンの銃口が此方を向いた途端、情けないかな両手を挙げてしまう他無かった。
見たところ、銃は《コルトS.A.A.・45クラシックシビリアン》タイプだ。シリンダーの溝が無く、滑らかな黒い円柱だった。もしかしたら同型の《キャバルリー》の方かも知れない。恐らく、銘柄のあるレプリカであることは間違いない。
そして、この銃の本来の持ち主はエヴァではない。名の有るパウダーガン使いであって、《称号》保持者であることだろう。
どう贔屓目に見ても、エヴァのグリップは数をこなしたプロフェッショナルとは思えない。多少の心得はあるにしても。
「死んだっていいのよ、こんな奴等は死ねばいいの。でも、放って置いて勝手に死んでくれるわけじゃない。だから殺してやるのよ」
エヴァは、まるで首相演説のように滔々と流れるように主張した。
「ハァ?あんた正気か?頭おかしいんじゃねえか?」
「頭がおかしいかどうかは、アナタが決める事ではなくてよ」
そう切り返されて、ジンはぐうの音も出なかった。
「それともアナタも死にたいの?栄えある十三人目になりたいのなら、そうしてあげなくも無いわ」
エヴァは底光る目の端を吊り上げて、言った。鬼気迫る表情以上に、その言葉が文(あや)なす意味のおぞましさに、ジンは毒気を抜かれた。
「十三人目ってことはつまり、これまでの死人も全部あんたが…」
エヴァは黙って酷薄な笑みを浮かべただけだった。その瞳には酒場の裸電球のオレンジ色が入り込んで、月のように妖しい光を放っていた。