第五話
 〜シルヴァー・アイズ・アンダー・ザ・ムーン vampiro del HongKong
(前編)


第二章 THE BLOODY NIGHT  血は熱く、そして甘く 

 サンタ・ルフェーブル病院の受付嬢は、木で鼻をくくったような対応で有名だ。それでも、まだ受付嬢がいるだけで、グレードが高い。一般の病院なら、機械音声のアナウンスしか流れないのだ。
「外来なら終了しました」
 若い受付嬢はさも忙しそうに早口で言った。アーチは首を無理矢理九十度横に捻って、カーテンに隠された受付嬢の顔を覗き込んだ。
「第三内科の病棟は何処?」
「えっ、第三内科は、緑のラインに沿って廊下を左に…うわ」
 受付嬢はカーテンを開けた。ガラス越しにアーチの姿を見て、思わず目を剥いた。
「ありがと」
 アーチは軽快な投げキッスをすると、ジュラルミン・ケースを抱えたまま廊下を進んだ。
 今、白衣を着ていないアーチは、病院内では一般人と同じに見えた。
 廊下はごった返している。手術室に向かう医師団やら、子供の応急処置を待つ母親、カテーテルを腕に通したままうろついている老人。
 少なくとも、自分が臨床経験を持った事のあるユーロ・パリの病院は、この半分くらいは静かだった、とアーチは感じた。尤も、安定していた時の記憶は割合に美化されているものだが。
「急患です!」
 看護婦がアーチの目の前に飛び出した。看護婦の視線の先には、若い医師の姿があった。休暇にはバイシクル・ツーリングでもやっていそうな筋肉質の男だ。
 看護婦は、白いエプロンに袖を通しながら、医師に喋り掛ける。
「路上で撃たれたそうですわ。出血がひどく、意識を失っています」
「出血?何でまた?」
 医師は怪訝な顔をした。ブラスターによる射撃なら、高温の熱線に焼かれる為、出血は然程では無い筈だ。
「ブラスターでは無いのか?」
「ええ、それが…」
 看護婦は口篭もった。
「先生!」
 ガラガラガラ。
 かなり旧式のカートが運ばれて来た。荷台に乗せられているのは、若い男。右肩から左脇腹から出血が激しい。白いシーツはぐっしょりと、赤黒く染まっていた。
「しっかりしてよう!このバカ」
 カートにくっついているのは、派手な化粧の赤毛の女だった。
 半分泣きながら男に話し掛けている様を、誰もが恋人か夫を凶弾の餌食にされたと見ただろう。
 アーチレリー・ブールヴァルドを除いて。
「こ、これは…!」
 若い医師は瞠目した。今まで彼が見た事も無い形状の傷だった。果たしてコンピュータ操作のみで手術出来るだろうか、と医師は愕然となった。
「輸血を!」
「すぐさま手術室へ!」
 口々に声が飛ぶ。
「おろおろしなさんな、みっとも無い」
 アーチは、人だかりを押し退け、医師の進路を遮った。
「何だね、キミは。新薬の試用の件なら、アポイントを取ってからにしてくれ!」
「製薬会社のセールスじゃあない。患者をオレに任せろと言ってるんだよ」
 アーチは腰を少し屈めて、医師と赤毛の女を見比べた。そうして、鮮やかな手付きでシーツを剥ぎ取り、男の脈を取り、額に手を当てる。
「血圧六十を切ってる。体温低下。被弾は二発。何れも四五口径のフルメタル・ジャケット。距離は二十メートル以上から。右上腕は貫通していない。左側腹は脾臓破裂の可能性有り。出血は今の所一・五から一・八リットル程度」
 医師と看護婦は呆気に取られた。余りに確かな目診だった。
「緊急手術だ。早くA型RHプラスの輸血用血液を四リットル用意してください」
「血液バンクに登録している本人のデータと照合しないのか!?」
 医師はうろたえながらも反論した。
「オレの言うことを聞け。A型RHプラスの赤血球タイプ002だ。無ければ004を使って、後に成分輸血で補う」
 アーチは、医師の言葉を無視して看護婦に話し掛けた。荷物は赤毛の女に押し付け、腕捲りをする。
「カッツォ(くそ)。撃たれて生死の境をさまよってるくせに、サングラスなぞ掛けたままで、アホたれが…」
「な、何だ。しっ、失礼だぞ。キミはここの医者のつもりか?」
「やぁかましいッ!ここの医者でなきゃ手術も出来んのか!アホんダラ」
 アーチは、若い医師に向かって巻き舌の罵声を浴びせると、指先で秀でた額を弾いた。不意にデコピンされた医師は、息を呑んだまま、真後ろに卒倒した。
「ふん」
「せ、先生?」
 看護婦は潤んだ瞳でアーチを見上げた。
「開いてる手術室。それと、旧式外科手術道具一式」
「あ、ありますわ!消毒済です!」
「結構!キミね。仕事は迅速、正確、丁寧かつ素早い決断力が医師の原則だっての。・・・ところで、今晩夜勤かい?」
 アーチは、看護婦と共にカートを押し始めた。

 手術室を出たアーチは、手指を隈なく洗浄してから荷物を取り、自動販売機の前に立った。
「何だ、ジェラートの自販機はないのか」
 コインではなく、IDカードを入れる仕組みになっている。アーチは、シャツの胸ポケットからカードを取り出した。だが、差し込んだものの、カードは戻って来る。掲示板のメッセージには、ネガ―レ(《受付拒否》)の文字が。
「あーらら」
 二度目も同じだった。
「何度やっても同じよ」
 甘い香水の香りと共に、ハスキー・ヴォイスがアーチに優しく忠告を与える。
 と、同時に長い指がアーチのIDカードを摘んだ。振り向いた目の前に、女特務巡検使ミスティ・サファイアの赤い唇があった。
「ここでは、受付を通していないIDカードで買い物出来ないの」
「ち。患者が勝手に飲み食い出来ないようにってか」
 アーチは、首を傾げて苦笑した。
「飲みたい物は?私がおごってあげる」
 ミスティは、自分のIDカードを自動販売機に入れた。この女、相変わらずな態度だが、全身見事に魅力的だ。
 黒い鹿革の短いジャケットに、同色同素材のぴったりしたローハイドをビキニの上に直接身に着けている。さらに、ジャケットのジッパーを弾き壊しそうに勢い盛り上がった胸元。
 どう見ても、勇ましくも悩ましい女シェリフだ。左腿にくっついているホルスターの中には、守護神《パイソン・シスタームーン》。美しき主人にうっかり手を出した誰かが、その毒蛇に噛み付かれるという具合だ。
 通行人もつい、振り返る。ミスティは、彼らに罪作りな視線を送った。洗濯屋はカートを壁に激突させてしまい、シーツを撒き散らし、介護士は車椅子を患者ごとエレベーターに挟まれた。
 アーチは、ミスティを上から下まで遠慮無く眺めて回してから、最後に深青の瞳を見詰めて答えた。
「飲ませたいモノならあるんだけどな」
「…聞いた私がバカだったわ」
 ミスティは半分呆れ顔で、腕組みをした。
「アナタ、いつからここの医師になったの?」
「二時間前から。パート・タイマーでな」
「相棒はどうしたのよ。いつも、一緒じゃなかったの?」
 ミスティは自分の分だけホット・コーヒーを取り出した。
「気色悪ィコト言うね。あいつなら生きてるぜ、しぶとくな」
 少なくともアーチのその口振りで、今現在、二人のコンビネーションがしっくりいってないという事は、ミスティも想像が着いた。
「しかし、キミとこんな所で会うとはな。二度目は偶然、三度目は…」
「お生憎様、私はただの定期検診よ。年に一回、これをやらないと、法務省に叱られるのよ」
 ミスティはつん、と尖った鼻先をアーチの方へ向けた。
「何なら、オレが診てやろうか?スペシャル・フルコースでさ」
「お断りするわ。それよりも、アナタこんな所でまた何を企んでるのよ?」
 ミスティは疑惑の篭った眼差しをアーチに投げた。とてつもなく、猜疑心に満ちた視線だった。
「企むもナニも。オレの本業は医者だぜ」
 流しの医者の商売方法は様々あるが、元手はタダとしても、診療の為の材料を揃えるのに一苦労する。二ヶ月もすれば一通りの物を新しく揃え直す必要があるのだ。
「第三内科に知り合いがいてね。クスリとか諸々の商売道具を調達して貰いにな」
 アーチは、ミスティが飲み干したポリ製のカップを再生容器に入れる後姿を眺めた。より正確に言えば、人目が無ければ誰でも齧り付きたいに違いない、垂涎モノの腰のラインをだ。
 黒いビキニが小気味良く引き締まった尻に食い込んで、きつそうに見えるのが、実に挑発的で良い。
 とはいえ、この女の前で露骨に放恣な考えに至るのは危険きわまりない事だ。多角的な意味で。
「ところで、キミ黒服の男を見掛けなかったかい?」
「黒服なんて腐るほどいるわ。何の事?」
 ミスティは意地悪く訊き返した。
「キミの考えてるのとちょっち違う」
「違う?」
「吸血鬼を見なかったか?処女を探して血マナコになってるよーな顔付きの黒服の男」
「目の前にいるわ」
 ミスティはこともなげに言った。アーチは大きく溜め息を吐く。
「悪いが、処女もしくは十三歳以下はオレの好みじゃないんだ」
「そう。兎に角見てないわよ。怪しげな黒服の男なんて」
「ほー」
「隠し立てなんかしても得にならないわ」
「ま、それもそうだな」
 アーチは素直に納得した。
「で、ホンコンを出たら、何処へ行くつもり?」
「アナタに関係ないでしょ。私は誰かさん達と違って、当て所無くぶらぶらしてるワケじゃないんだから」
 ミスティはやや警戒の色を見せて、皮肉めいた言い回しをした。
 廊下は静粛に、と掲げられた電光掲示板の文句を無視して、ドタドタと靴音が響いてきた。
「やべ、あの医者だ」
 アーチは長い長い廊下の遥か向こうから肩を怒らせてやって来る筋肉質の若い医師の姿を認めた。険しい表情まで見て取れる。
「どうしたのよ?」
 やにわに、アーチはミスティの腰を掴んで、ぐいと身体を引き寄せ、耳元に囁いた。
「今晩十時、ケネス通りのクラブ《ヴァン・ヴェール》で」
「どうぞお好きに。行かないわよ」
「さっきのおごりを返すだけさ」
 アーチは満足げな表情を一瞬だけ見せて、踵を返した。
「何言ってんのよ、バカ。本当は、看護婦に断られたってクセに」
 ミスティの罵声は、尻すぼみになってしまった。当の相手は、それを聞く前にそそくさと去っていたからだ。

 こういう時の一服は不味い。
 ジンは苦虫を噛み潰したような顔を、見られないようにと、背中を丸めた。立ち昇る煙さえ自分をせせら笑っているかのようにくねくねと動いている。
 左掌の中にあるフィルム・チップを見詰めるが、何も答えは返って来ない。
「お前がその厄介なフィルム・チップをどうするかは知らないが、オレは一切関わり合いにはならないぜ」
 アーチは、安宿のバールでウォッカを飲みながら、確かにジンにそう言った。《不帰の砂漠》で監察医ホリー・ディプシーがジンに託したフィルム・チップは、まだ誰の手にも渡っていない。
 届けて欲しい、と言われた相手が何処にいるのかは聞いたが。
「厄介かどうか、判らん」
「金になるなら結構な話だがな、ちっともそんな匂いはして来ないな」
 と、アーチはにべも無く答える。
「それとも、女医サンの形見として取って置くか?」
「そういう言い方は気に食わねえな」
「お前の気に食うか食わないかで、世の中は回ってんじゃないぜ」
 ジンは思わず、アーチの胸倉を掴み上げた。いつもながら、無謀だった。本気でこの色男と取っ組み合ったら、ギガントでさえも敵うまいに。酒客達も、そぞろ気がはやって、逃げ出す者もいれば、囃子立てる者もいた。
「寝たことのある女を悪く言うなんて、最低だぜ」
「何言ってんだ」
 アーチは、瞬きする。
「オレは、一度だって女の所為になんかしたことない。一千万ダッシュ騙し取られたって」
「やっぱり、寝たんだな」
 ジンは肩で息をしながら、アーチの頬にバーボン混じりの唾を吐き掛けた。
「幾らオレでも判る。ホリーが腹いせに、お前に毒を盛ったことの意味くらいはな」
「・・・・・・」
 アーチは黙っていた。相棒の若い感情では、もう一つ深いところが読めていない、とは思ったが口にすれば火に油を注ぐようなものだ。
「ホンコン・ヘヴンに行く」
 その一言だけ残して、ジンは酒場を後にした。
「・・・ガキめ」
 背後で呟く、アーチの声が聞こえたのをジンは覚えている。
 オレは大バカモンだと、今頃笑ってやがるんだろうな。アーチのヤツ。なっさけねえ。いけねえ。
 走馬灯みたいに、色んな事を思い出しちまうじゃねえか。畜生。
「大体、見ず知らずの女に警戒心が無さ過ぎる」って、アーチ、お前の言う通りかもしれんな。それでドジを踏んだ数は数え切れず。
 一見、ナンパに見えてシヴィアなのはお前の方か。いや、女から言わせたらオレもお前も似たり寄ったりかもな。
 じくじく、と疼く傷の動きを感じながら、ジンはとりとめも無く思った。
 やべえ。オレ、泣けてきた。
 回想モード、止めてくれ。死んじまうじゃないか。おい。おい。おいっ。
「おいっ!おいー!」
 がばっ、と起き出したジンは、全身を貫く痛みの余り、絶叫した。
「あ、あいででででで!」
 慌てて背中を倒すも、自分の重みで再び腹の傷が軋む。
「何やってんのよう」
 マルドが眉を吊り上げて、ジンを見下ろしていた。マルドの髪と唇は燃えるように赤く、天井は灰色。サングラスの色だ。
「……」
 十秒ほどの間を置いて、マルドは顔を引っ込めた。ジンには、漸く自分が何処で何をしているのかが判った。
「クソ。サイテーだな」
 ジンは呟いた。まだ、生きていた。右肩と脇腹がべらぼうに痛い。痺れ切っている。左の二の腕には、消炎剤入りの点滴装置が取り付けられていて、動かせない。
「あんたがここへ運んでくれたのか?」
「正確に言えば、救急救命士がね。…ったく、商売上がったりだわよ」
 と、マルドは不貞腐れた顔付きで再びジンを見下ろした。無論、昨日からマルドは街頭にも立っていないし、酒場にも行っていない。
 しかし、化粧は手を抜いていないようだった。
「すまねえな」
 ジンは天井の隅を見詰めながら、長い吐息と共に言葉を吐き出した。マルドは黙って、窓の外を見詰めた。紫外線カット・オフのガラス越しの、さらにガラス越しの窓。透明度は九十九パーセントとはいえ、直に見る空ではない。
「コーディは?子供達は無事だったか?」
 ええ、とマルドは頷いた。ジンの気掛かりは解けた。
「けど、礼を言うなら、あんたを手術してくれたお医者に感謝するのね」
 マルドは窓の珊に腰を凭せ掛けた。
 ジンは痺れた頭で、考えた。確かに被弾した時、右肩が重かった。貫通していないのは判ったが、同時に射撃手の腕も知れた。
 実際に手合わせした事は無いが、あんな至近距離で貫通させられないのでは、《神鎗》シルヴァー・ブレットの名が泣く。咄嗟の事でジンもたじろいでしまったが、実際、射撃手はパウダー・ガンの扱いに然程慣れていないようだ。
「しかし、貫通してない鉛弾を取り出せるような勇気のある医者が、今時こんな所にいたもんだな」
「あたしは動転したから、ちゃんと見てないのよ。けど、ここの医者じゃなくて、流しのお医者だって。看護婦の話だと腰の砕けるような男前らしいわよ」
 マルドは言った。
 流しの医者だと。腰の砕けるような男前だと。ジンは、訝った。
「…その医者、金髪碧眼で、身長は六フィート四インチくらい、女好きのする、ファースト・フード嫌いのヤツじゃ無かったか?」
「はぁ?あんた何でそんなこと判んのよ」
 マルドの真面目な答えに、ジンは噴き出しそうになった。
「何が可笑しいのよう?」
「いや、思い出し笑い」
 ジンは目を閉じた。腹立たしいが、奇妙に可笑しい。
 あいつめ、余計な事しやがって。

 場末の酒場通りには、旧市街と同じ臭いが立ち込めていた。
 ゴミと浮浪者と吐瀉物と安っぽいアルコールの臭い。何処まで行っても、下町は下町。裏通りは裏通り。
 所詮、ヘヴンの通称はプロパガンダに過ぎない。体良く中流市民を隔離しただけの無菌箱だ。それも何時の間にか、何処からかカビの菌は流れ入って来て、底辺は見事に繁殖している。
 店は、《アクィ・アイ・アリ》(《ここ・そこ・あそこ》)という、一見ふざけた名前が付けられていた。夕刻早い時間から開いている酒場など、少ないので、すぐに見つかった。
 アーチが店のチャイムを鳴らした瞬間、殺気が流れた。
 だが、それは殺気では無く、そぞろ冷たい空気だった。そんな物は旅人にとっては空気のように当たり前の事だ。
 《アクィ・アイ・アリ》の間口は狭いが、中は以外に広く、カウンター席は十の椅子、ボックス席は四つあった。店に入ると同時に非常口とトイレットの場所を探す。
 客はボックス席に三人。無口な客ばかりだ。カウンターには客が飲み残したらしいバーボンのグラスが一つ取り残されていた。
 アーチも黙って、カウンターに肘を着く。
「いちげんさんならお断りだよ」
 カウンターの中で、禿げ頭のマスターがむっつり顔して言った。アーチは胸ポケットから、一枚のカードを取り出した。ヘヴンに入る時、商人風の男から貰った物だ。カードの図柄を見るや否や、マスターは目を瞬いた。
「おっと…旦那。何にしやす?」
「ミエーレ・ジェラート(蜂蜜味のアイスクリーム)でも貰おうか」
 アーチはストゥールには腰掛けず、ジュラルミンケースだけを置いた。
「御冗談を。ここは酒場ですぜ」
「いや、悪いが酒は控えてる。飲み過ぎで起たなくなるのは御免でね。マスター、経験は?」
「全くその通りで」
 マスターは不精髭の生えた口元を微妙に歪めた。カウンターの中から取り出したのは、小さな木箱。木箱の中身は弾薬見本がぎっしり。
「フィヨッキ357マグナムを十五カートンと二五ACPを。それと、銀の十字架を溶かして作った弾なんての、あるかい?」
 アーチはカウンターの奥を覗き込むようにして、マスターに顔を近付けた。マスターは、無言でマグナム弾とセミ・オートマチック用の弾薬箱を出した。
 今は弾薬製造のメーカー名を言っても、そこで製造している訳ではない。飽く迄、少数の武器職人が作ったフィヨッキ・タイプの物という事だ。
「旦那、銀の弾は無いですなあ。吸血鬼でも撃つんですかい?」
「さァ。オレにもよく判らんが、依頼人の意向でね」
 マスターの表情が微妙に変化しているのを、アーチは観察していた。
「どうしても入り用なら、下の鍛冶屋にでも行って貰わんと」
「仕方ない。他に何か出物はあるかい?」
 マスターが出して来たのは、大型のライフル銃だった。カウンターの上に置かれた、大人の片腕より長い銃身は、手入れも行き届いて黒光りしている。
「ダブル・ライフルだな」
「へえ。グリップは最近仕換えた物だが、銃身は十九世紀製のまんまですぜ。弾が入っているんで、気を付けてくだせえよ」
 かつて熊撃ち用に使用された化物銃だ。一見、二連の散弾銃のような形状をしているので、ダブル・ライフルと呼ばれる。アーチは、持ち重りのする銃身を抱えた。
「幾らなんだ?これ」
「一千万ダッシュってとこですな」
 値段を聞いて、アーチはすぐさまダブル・ライフルをカウンターに戻した。
「大型ライフルとしちゃ、安い方ですぜ。旦那なら、あと五十はまけますよ」
「五十まけられてもキャッシュじゃ払えんな」
 アーチは肩を竦めた。マスターの愛想笑いが、どす黒い隈取を作った。
「旦那の腋の下にあるスゲエお宝品と交換ってのはどうですかい?」
「それは、御免被るぜ」
 アーチはにっこり、と悪意の篭った笑みを満面に浮かべた。マスターがカウンターの下から右手を出す前に、《キングコブラ》はアーチの右手の中から牙を剥いて飛び出した。
 グアン。
 低い轟音が反響した。至近距離被弾のショックで、マスターはセミ・オートマチック銃を片手に後ろへ吹っ飛んだ。トリガーに指を掛けたところだった。
 胸の真中に一輪の赤い花、酒瓶が雨のように禿げ頭に降り注ぐ。派手な音を立てて、安っぽいアルコール臭が一気に立ち昇った。
「少なく見積もっても、この銃はダブル・ライフル五丁分の値打ちがあるんでね」
 ガチッ。優雅な手付きで、アーチはシリンダーを回した。ジンの愛用する《ブラックホーク》に比して、男性的な厳つい形状のダブル・アクション・リヴォルヴァー。通常モデルはステンレス製だが、アーチが使用しているのはスティール製の特別仕様。重量千七百グラムは下らない。
「オレにアイスクリームを食わせろ、って言ってるのにどいつもこいつもフザケやがるからだ」
 アーチは振り返った。
 無口な客三人は、既に銃を抜き放っていた。
 しかし、一発もアーチの衣服すら掠らなかった。
 《キングコブラ》は容赦無く客達を襲った。
 第二弾は一人の耳の後ろ側に。これで一生、耳障りな音を聞くこともあるまい。第三弾は、もう一人の右手の甲に。二度と銃もスプーンも握れまい。第四弾は、最後の一人の股間に。間違い無く女房の欲求不満を解消出来なくなるだろう。
 客達は一様に無様な血飛沫を撒き散らしながら、椅子を倒し、グラスを倒して店を汚した。
 折角、最小限のアクションで済ませているのに、不細工なヤツ等め、とアーチは小さく毒づいた。
「もう一人、いや、もう二人のネズミ。出て来たらどうなんだ?」
 アーチは観客もいないのに、白い歯を見せて爽やかに笑った。
 演技が無駄と判ると、垂直に腕を上げたまま、腰だけを捻り、アーチは店内を見回した。
 一歩踏み出す。
 普通の男なら、それでどてっぱらに鉛弾を食らっていただろう。
 だが、アーチの一歩は普通の男の一・五倍はあった。それが射撃手の誤算だった。
 アーチはやすやすと銃弾をかわして、トイレットの前に踊り出ると、腰を沈めてドアの真中に一発357マグナムをブチ込んだ。
 ぎぃ。
 死体の重みでドアが開く。ドアの外に傾れた男は、苦し紛れに残り少ないトイレット・ペーパーを掴んでいた。カラカラ、と音を立てて空芯が回った。
 血糊が貼り付いた扉は、二度と使い物になるまい。
「ルンゴ・カーッカ(長グソ)は命取りだぜ」
 と、アーチは銃とトイレット・ペーパーを諸手に握り締めた死体に向かって手向けの言葉を放った。死体の腕を跨いで、カウンターの奥に戻る。
 最早、《キングコブラ》の残弾は一発。潜んでいる相手もその数を数えている事だろう。一発、無駄撃ちすれば、チェック・メイト、御仕舞いだ。
 アーチは、小鼻をひくひくさせて、残り一匹のネズミの匂いを嗅いだ。しかし、硝煙の臭いがそこらじゅう立ち込めているばかりか、甘い香水の残り香で頭が一瞬くらくらした。
 非常用扉が、カタンと鳴った。
 アーチは後退して、カウンターを背に、《キングコブラ》のトリガーを引いた。
 ヅギャ。
 吹き抜けの天井に射撃音が吸い込まれた。そして、扉の掛金が外れる。
 と、同時にサアッと冷たい空気が流れ込んだ。
 ドン。ドォン。
 青白い硝煙がドアの隙間から、風に乗って流れた。静寂を待たず、男は音も無くそっと、店内に忍び込んだ。
「お生憎サマ。まだ、生きてるんだなこれが」
 男があんぐりと口を開いた瞬間に、その口腔にダブル・ライフルの銃口が差し込まれた。
「…ぐ!」
「やはり、あんたか」
 カウンターの上に立膝をついたアーチは、静かに訊いた。アーチの瞳は、乱れた前髪の下から、男を睨み付けていた。
 服装はラフになっているが、間違い無く機内で会った商人風の男だ。彫りの深い男の顔は、驚愕に彩られていた。
 男はアーチに言われるまでもなく、銃を床に落とした。ルガー・モデルKMK五一二。別名ルガー・マークUブル・バレルと呼ばれる小口径射撃用オートマチック銃だ。
 男は両手を挙げ、首を振る。
 アーチはゆっくりと、銃口を男の口から引き抜いた。ごほごほ、と男は何度か咳き込んだ後、床に倒れ込んだ。
 ダブル・ライフルの大口径が無理矢理捻じ込まれた唇は、端が切れて血だらけになっていた。
「…お見事だ、あんた。初めから六人と読んでいたのか」
「ガキでも判るぜ。グラスの氷はまだ少しも溶けていなかった。トイレは音もしないのに、ドアの隙間から灯りが洩れていた」
 アーチは、まだダブル・ライフルを構えたまま、何の感慨も無く答えた。
「信じられん。あんたずっとそれを抱えてたのか?」
 いいや、とアーチは首を捻った。射撃音と同時にカウンターに飛び乗り、尻滑りになってライフルを抱えるまで、一秒と掛からなかった。それを今、この男に説明しても仕方無い。
「だが、オレを狙っても仕方無いぜ。ヴァティカンのカテゴリーに違反する団体なんぞに所属しているというのなら、オレの為に一肌脱いで貰おうじゃないか」
「とんでもない。…喋るよ」
 と、男は頭を強く振った。短い巻毛の頭髪が、汗の中で泳ぎ始めていた。
「…フィルム・チップを持っている男を捜していた」
「ポテト・チップの間違いじゃないのかい」
 アーチは揶揄混じりに下らない冗談を言った。男は無反応で脂汗を手の甲で拭った。いい加減、バカなお喋りはやめよう、とアーチは猛烈に反省した。
「《不帰の砂漠》で女が死んだと聞いて、チップの回収を試みたが、既に遺体は処分された後だった。…国境警備隊の話を聞いて、砂漠を渡った三人連れを捜した」
「悪くない読みだぜ」
 アーチは腰を落とした。ダブル・ライフルの銃口を男の脇腹に食い込ませる。
「だが、持ってるのは、オレじゃない」
 男はアーチのオリーヴ・グリーンの瞳を見詰め返した。ペリドット橄欖石のように透明で美しい輝きに、男は覚えず見惚れた。
 アーチはズボンの尻ポケットに手を突っ込むと、黒い染みの着いた長い弾丸を取り出した。
「ところで、四十五口径マグナム弾。これに見覚えは?」
 男は無言で首を振った。アーチは反応を見ると、直ぐにそれを引っ込めた。天使のような美貌に、悪魔じみた笑みが浮かび上がる。
「…フィルム・チップならオレが用意しようじゃないか」
 男はアーチの表情から、瞬時に真意を汲み取った。
「値段はあんたの好きなようにしてくれ」
「二百億ダッシュってのは、どう?ヴァティカンがオレに掛けた保険金と同額だよ」
「それは勘弁してくれ。我々の退職金が全部飛んでしまう」
 チ、とアーチは舌打ちした。
 一つだけ、ジンに謝らねばならない。前言撤回だ。金になる話だった、と。

 西アジア系の男は、パルメット・ソノーラと名乗った。
 女みたいな名前だな、とアーチは思った。勿論、本名ではないかも知れない。職業も定かでは無いし、相変わらず年齢不詳だった。
「店のオヤジはあんたの仲間だったのか?」
「死んだ人間は、もう仲間とは呼ばない」
 ソノーラは浅黒い顔に皮肉を浮かべて、歩き出した。第一印象の時に比して、口調は些か昔の軍人風に聞こえる。仲間でないにしても、仲間であるにしても、アーチが店の人間全員を撃ち倒したことに関して何も言わないのは、プロフェッショナルの証拠だ。
「ハード・ボイルドだねぇ」
 と、アーチは高く口笛を吹く。
 アーチは《アクィ・アイ・アリ》のドアを後ろ手に閉ざした。ソノーラは先に裏口に回り、車の用意をする。手筈は整っていたのだ。
「最初っからオレを生かして帰さないつもりだったってワケか」
「秘密は厳守だ」
「オレの口はそんなに軽そうかな?」
「ああ」
 ソノーラは生真面目に頷いた。後部トランクには、店から物色した武器がめい一杯詰め込まれた。
「だが、腕は確かだ。筋書きが反転してしまうくらいにな」
 フォローではなく、嫌味でもなく、単なる事実をソノーラは口にした。
「あんた、サイボーグか?」
 ソノーラはだしぬけに、質問した。
 アーチは瞬きした。整った横顔だけを、ガラス越しの月の光が舐めていた。
 午後九時半過ぎ。
 アーチは両手をポケットに突っ込んだまま、偽装タクシーの後部座席に埋もれていた。長過ぎる脚がナヴィゲーターズ・シートにまで突っかえていた。
「パウダーガンのライセンスは、ヴァティカンに帰属するプレミオーロ協会が認める殺しの免罪符。人造人間は武器の携帯を許されないから、当然プレミオーロにはなれない」
 ソノーラが暗誦でもするみたいに喋るのを無視して、アーチは窓の外を眺めた。
「第一、改造人間には保険金は掛からないぜ」
「しかし、あんたの運動神経は常人を遥かに凌いでいるとみた」
 ソノーラは呟くように言った。唇の端の乾いた血糊をしきりに舐めている。ダブル・ライフルを突き付けられたのが、余程堪えているらしい。
「お疑いの向きなら、IDカードをお見せしようか?」
 アーチが差し出した薄いカードを、ソノーラは首を後ろに捻って覗き込んだ。運転を違える心配は無い。カー・ナヴィにインプットした自動操縦モードは、十五分後には、確実に二人を目的地まで運んでくれるだろう。
 口元からヴァニラ・エッセンスみたいな甘い香りが漂ってくるのを、アーチは嗅いだ。何となくだが、このアジア系の男には中性的な香りが似合っている。
「本名アーチレリー・ヴェルナルダン・ブールヴァルド。医学博士。22XX年2月8日生まれ。本籍地パリ。出生地はヴェネツィア。…確かに」
「当然だ」
 アーチは素早くシャツの胸ポケットに、カードを仕舞った。ソノーラの胸に、砂粒ほどの疑問が残った。
「ブールヴァルド家といえば、高名な哲学者、天才的生物工学者ときて・・・」
「オレがじいさんを知っているのは、かつてIQ210と言われた脳味噌のフリージングとホログラフィだけ。天才のほうは、研究所を出ると、いい年こいて毎晩女と踊り狂っていた」
 アーチは、何の感慨も無く言った。
「オレはごく普通の医者だよ」
「信じられん。何でまたパウダーガン使いなんかに」
「オレもよく判らない。何となくだ。…得心がいかないか?だが、オレの側から言わせりゃ、あんた達こそ何なんだ」
 アーチは長い脚を大きく開いて投げ出した。
「一応、ヴァティカン職員であるオレを殺しても大丈夫だなんて、余程の後ろ盾があるんだな。国連じゃなきゃ、何処の国だ?」
 ソノーラは、黙ってオート・ドライヴ・システムのパネルを弄った。アーチは、オリーヴ・グリーンの瞳を曇らせた。
「やーめた」
 アーチは両腕を大きく伸ばして、欠伸をした。
「帰る。下ろしてくれ」
「何だって?」
 ソノーラの声が裏返った。
「別件を思い出したんでね」
 アーチは後部座席から身を乗り出した。囁くようにソノーラの右の耳元に話し掛ける。
「漸く頭が起き出したってトコで気付いたよ。この仕事、ワリに合わないぜ。オレが死んでも、あんた達は余りある報酬を頂くんだ。つまり、フィルム・チップは、ヴァティカンが提示するだろうオレの命の値段以上の価値があるんだな」
「……」
 無口になった男の項に、アーチは視線をやった。アウト・ストラーダ(高速道路)を流れるように走るのは、皆一様に時速七十キロに設定されたエアロ・カーばかりだ。
 スピード違反は皆無に等しいが、駐車違反だけは何処も頭の痛い交通問題らしい。高速道路にすら、路肩に車が放置されている。
「止まれないってのなら、ここで放り出してくれても構わんぜ」
 アーチはドア・ロックを外そうとした。
「え…?」
 サイド・ウインドウに何かぺたりと貼り付いている。
 男の首だ。逆さ首だ。青白い唇は捲れ上がって、端から赤い液体を迸らせている。まるで、絞首刑に遭ったばかりの人間のようにも見えたが、開いた瞼の下の瞳は、爛々と光って、アーチの顔を覗き込んでいた。
「な、なななな…」
「下ろせと言われても、下ろす訳にはいかん。我々の命が懸かっているんでな」
「…待て。ソ、ソノーラ」
「どうしても、というのならあんたの命と引き換えだ」
 ソノーラは懐に忍ばせていたルガー・マークUブル・バレルを抜いた。右手を後部座席に回す。その銃身をアーチの左手が掴んだ。
 アーチの視線で、ソノーラも車外の異変に気付いた。男とソノーラの視線が合う。
「何ッ?」
「これって、新手のパトロールかな」
 アーチは《キングコブラ》を抜いた。ソノーラは自動運転システムを解除した。高速道路の時速制限は最高でも九十キロとされている。手動モードに切り替えると、アクセルを全開にする。
 行儀良く一列に並んでいるエアロ・カーの間を、偽装タクシーは縫うように加速していく。
 スピード違反も何も無いからオービスも無い。監視カメラのみがこのスピード違反を撮影している事になるだろう。
 だが、時速百二十キロを出しても、屋根の上の男は落ちない。
「振り落とせないのかよ」
「無茶な!」
 アーチは答えを聞くや否や、シートに身体を預け、トリガーを引いた。
 グワコン。
 強化ガラスに穴が開き、車は一瞬ハンドルを取られた。血塗れの男の顔は、瞬時に吹き飛んだ。つめたい風が車内に躍り込んだ。
「…驚かないんだな、あんた」
「吸血鬼なら、我々も追っている」
 ソノーラからその単語を聞くとは意外だった。やはり、屋根の上の男は吸血鬼だったのだ。
 アーチは硝煙の臭いを鼻先から引き離した。膝を折って背中をシートにくっ付ける。
 今度は反対側の窓から、にゅっと顔半分が見えた。右半分の頭蓋を撃ち抜かれ、脳漿を撒き散らしながら、にたりと笑う男の顔がウインドウを見詰めていた。
「しつこい男は嫌われるぜ」
 アーチは右足を天井の際で突っ張り、《キングコブラ》のトリガーを弾きながら、腕を頭上に倒した。
 今度は更に派手な音を上げて、強化ガラスをブチ抜き、357マグナム弾は男の顎を砕いた。赤黒い血と黄色い体液がウインドウに広がる。
 ギャウン、ギャウン。
「まだ落ちないかっ!ええい、うっとうしい!」
 アーチは握り拳でサイド・ウインドウを殴り付けた。砕け散ったガラス片がシートを汚す。アーチは窓の外にしがみ付いている首無し男の身体を引き剥がしに掛かった。
 男は吸盤でも備え付けているかのように、ルーフに下半身を密着させていた。
「こなくそーッ!」
 勢い放り投げると、後方を走っていたエアロ・カーのボンネットに男の身体は跳ね上がった。車内のアベックが絶叫を上げる。
「…お疲れさん。だが、もう一匹お出ましだ」
 ソノーラは低い声で言い、アクセルを更に踏み込んだ。成る程、フロント・ガラスにとびきりの美女の笑みが映っている。
「久しぶりだな、アストリア」
 アーチは器用にドライヴァーズ・シートとナヴィゲーターズ・シートの間から上半身を出した。
 黒髪美女の陰惨な笑みは、彼女の右胸と鳩尾の弾痕を引き立たせていた。ドレスの上から撃つなんて無粋な真似を、とアーチは苦笑した。
「処女じゃなくなったんだってな。漸くオレの好みになったってワケか」
「知り合いか?」
 と、聞き様によってはかなり間抜けな質問を、ソノーラは投げ掛けた。
「死んだ人間はもう知り合いとは呼ばないぜ」
 アーチは《キングコブラ》のサイトをフロント・ガラスに向けた。
「我々はジェノサイド条約違反を暴く密命を以って動いている」
 吸血鬼の説明はするまでもない。中世ヨーロッパ時代から伝承されていた怪物の存在は、今更解説しても始まらないだろう、とばかりにソノーラは本題を切り出した。
 時速百三十八キロの中でだ。目的地も何もあったものではない。全手動システムで偽装タクシーは動いていた。
 パルメット・ソノーラは、オートでしか車を転がした事の無い人間とは違う。
「あれは生粋の吸血鬼とは違う。人類が作り出した悪夢の一つだ」
 アーチは、リロードに取り掛かっていた。既にホルスターには予備が無く、《アクィ・アイ・アリ》からくすねてきた弾を急いでシリンダーに落としていた。
「あんたも、フィルム・チップの事を知っているなら、《不帰の砂漠》に何があったか見ただろう?」
 ソノーラは、目の前で糸切り歯を剥き出しにしている女を無表情で見詰めた。既にフロント・ガラスには三つの穴が穿たれていた。アストリアは、振り落とされまいと、ワイパーに両手の爪を掛けてしがみ付いている。
「ラードーン(竜蛇)みたいな殺戮兵器の事かい?」
「フィルムに映っているのはそれか。やはり…」
 アーチはリロードを終えた。
 後方から警察車が追って来た。赤い点滅機を光らせながら、けたたましいサイレンと共に、パトロール・カーは偽装タクシーにピタリとつける。
「止まりなさい!七十キロオーバーよ」
 スピーカーから婦人警官の大声が飛び出した。
「やだね」
 アーチはガラスの無い窓から身を乗り出し、後方を見た。パトロール・カーは一瞬怯んだ。
「すんごい男前ッ!」
「男前でもスピード違反はスピード違反でしょーが!」
「運転手は違います!」
「何を言ってるの!あの男、銃を持って運転手を脅してるじゃないの!」
 スピーカーの電源をオンにしたままなので、会話が高速道路中に丸聞こえである。婦人警官二人は、それに気付かずにまだタクシーを追う。
 アーチは腹を抱えて笑った。
「オレ、強盗犯と思われてんのかよ」
 ソノーラは、苦笑に顔を顰めた。飽く迄も話を早急に進めたいらしい。
「吸血鬼はバイオロジカル・ウェポン(生物兵器)の一種だよ。大量殺戮の為のな」
 ドオン。
 《キングコブラ》が発砲した。アストリアは牙を血で濡らしたまま、顔を仰け反らせただけに過ぎなかった。肩を穿った弾丸は、遥か前方へと掻き消えてしまっただろう。
「かつて猛威を振るった(N.A)核兵器よりも安上がりで絶大な威力を求めて各国が秘密裏に研究しているのは、言わずもがなだ。表向きは人類の未来の為にとでも?」
 アーチは喋りながら、空薬莢を弾き出した。ソノーラは問い掛けには答えなかった。
「非効率だとは思わないか、しかし。吸血鬼なんて昼間は活動出来ないし、エアロ・ゾルや細菌兵器と違って一瞬で何百万人と殺す事は出来ない。どんどん殖えていったら、啜るモノも無くなって諸共飢え死にじゃないか」
「それは、我々が既製概念にとらわれているから、そう思うだけだ。人工の吸血鬼は昼も歩く」
 そう言われちゃなあ、とアーチは頭を掻いた。
「で、ヤツ等の弱点は?」
「我々にも判らん」
 《キングコブラ》は再び熱い弾丸をフロント・ガラスに浴びせた。立続けに四発。
 マグナム弾は虚しく女の上半身に穴を穿っただけだ。大型散弾銃でもなければ、ボンネットいっぱいに臓物や体液をブチ撒くスプラッタ・シーンにはならない。
 アストリアの腕は麻痺したみたいにボンネットにしがみ付いていて、幽鬼と見紛う蒼白な面は少し歪んだだけだった。
「ニンニクか十字架か?」
 アーチは残弾一発だけを残して《キングコブラ》を素早くホルスターに戻し、胸のラテン・クロスのペンダントをアストリアに付き付けた。
「…っても、効き目ないか。もと修道女だもんな」
 ソノーラの肩先を、手刀のような物が飛んだ。瞬きほどの短い時間で、フロント・ガラスは粉微塵になった。手刀を放ったアーチの右手には、掠り傷一つついていない。
「何だ、東洋の格闘技か?」
「只のバカ力」
 アーチはアストリアのぐったりした身体を後部座席まで引き摺り込んだ。アストリアは痙攣している四肢を少し動かしただけで、抵抗もしなかった。
 飢餓状態が長時間続いた所為で、身体の自由が効かなくなってきたようだ。
「うう…」
 唐突に、アストリアは震える腕を伸ばし、アーチの前髪を掴んだ。アーチは動じなかった。まるで子供でもあやすみたいに、静かにその腕を引き離し、アストリアの汚れた顔を拭った。
「キミはもうこの世に生きていてはいけないんだ」
 アーチは呟くように言うと、アストリアの首を後ろから摘み上げた。ソノーラには、何をどうしたのか見えなかったが、アーチの小さな吐息で、アストリアの本当の死を知った。
「おやすみ」
 アーチの膝の上で事切れたアストリアは、修道女だった時の美しい安らかな顔に戻っていた。
「死んでからオレに抱かれるなんて、遅すぎるぜ」
 黒髪を手で梳いてやりながら、アーチは少し後悔した。
 ソノーラは、苦虫を噛み潰したような渋面で運転席から振り返る。
「もうそろそろ、速度を落としてもいいんじゃないのか?」
「悪いがこのまま全速力でケネス通りまで走ってくれ」
 と、アーチは後方を気にしつつ叫んだ。
「女でも待たせてあるのか?」
「ご明察」
「なるほどな」
 ソノーラは、言うが早いかハンドルを切った。高速でスピン・ターンした拍子にタクシーは車体ごと半回転する。危険運転防止の為、どの車も車体は概ね軽く作ってある。
「きゃああああ」
「横滑りに走ってったわよ!しかも逆走!」
 婦警の甲高い叫びを後ろに聞きながら、偽装タクシーは危険極まりない逆走を始めたのだった。

 ケネス通りは歓楽街の最南端にあって、高級ホテルやバールの多い場所である。
 《ヴァン・ヴェール》のネオンサインが、文字通り緑に光っている。濡れた石畳に黒い影が落ちた。影の中から現れた赤い色彩が、素早く階段を駆け下りる。入り口は地下二階にあった。
「会員証を御提示頂けますか?」
 緑色の制服を着た少年が、ドアの前でミスティに声を掛けた。
 《ヴァン・ヴェール》は非会員制のダンス・クラブで、オーナーはフランス人である。
「連れが先に来ている筈よ。ドットーレ・ブールヴァルド」
「では、手荷物等の検査をさせて頂きます」
「IDカードを見せるだけではダメなの?」
「え?」
 ミスティの艶めいた表情と出で立ちは、少年をどぎまぎさせた。禍々しい血の色で染め上げたような深い赤のスリップドレスが、ボディラインにぴったりと貼り付いている。裸でいるよりも、かえって艶めかしい流線。豊かなブルネットの下に息づく、妖しい双丘。贅肉の欠片もなく鍛え上げられた脚線美。
 ミスティはスリップドレスの裾を直す仕草で、さりげなくしなを作った。ガーターストッキングの端から腿の内側が覗く。思わず少年は視線を逸らせた。
 その隙に、ミスティは熱気溢れるダンス・フロアに躍り込んだ。トレス・ギターの奏でるソンの主旋律。腕の動かし様も無いほど込み合ったホールを泳ぐようにして、ミスティは進んだ。店内は、酒を飲ませるカウンターと長いソファが置いてあるだけで、後はウエーター達もずっと立ち動いている。
 不意に、カフェオレ色のスーツの男がミスティの背に手を掛けた。振り返ったミスティは、声を裏返らせた。
「アナタ、ここの会員だったの?」
「オレじゃなくて、死んだ親父がな」
 ミスティはウエイトレスの差し出したテキーラのグラスを受け取った。
 アーチはミスティのグラスに、自分のグラスの縁を合わせた。飽くまで洗練された仕草だった。
 別人かと思える男の出で立ちを、ミスティは品定めする。ノーネクタイに、チョコレート色のサテンシャツの開いた胸元から、銀の十字架が覗いていた。悪くはない。一歩間違えば、品の悪いジゴロにしか見えない格好を、嫌味無く着こなしている。いつもの趣味悪いネクタイは、何のまじないだろうと思わせるくらいの代物だが。
「いい趣味だわ」
「親父は、オレに女性と踊る楽しさしか教えてくれなかったがな」
 ミスティは、アーチが意味を取り違えているのを敢えて訂正しなかった。
「ところで、何の用?」
「野暮な聞き方はよせよ」
 アーチはグラスの中の液体を一気に干すと、ウエイターに投げた。やにわにミスティのくびれたウエストを引き寄せる。
「用が無ければアナタに会う気なんかないわ」
 ミスティは、ごく自然にアーチの両肩に、日焼けしたしなやかな腕を乗せた。暗黙の了解でサルサの輪に解け込む二人。こんな所で険しい顔を付き合せている方が不自然だからだ。
 お互い初めてのパートナーにしては、傍目に随分と息が合って見える。
 ミスティのピンヒールは、二人の身長を殆ど同じに見せた。
 気が付いたら、犇めき合っていた他のダンサー達も遠慮がちに、嵩高いこの即席カップルを取り巻いていた。
「オレはキミに会いたかったから」
「私はどうだってよかったわ。アナタの事なんて」
「だが、キミはここに来た。それも、伯父サマの言い付けかい?」
アーチのオリーヴグリーンの瞳が、ミスティの深青の瞳を真っ直ぐに見詰めた。
「伯父貴の言いなりで悪かったわね」
 ミスティは、緩いウエーヴ掛かった長いブルネットを振るった。小汗を弾いているデコルテの上を滑り落ちる髪の動きは、見ている者に性的妄想を掻き立てるに充分だった。エジプシャン・ミモザの香りが広がる。
「おじさまが何を考えているか、よく知ってるのはアナタの方じゃなくて?」
「こんなトコで、腹の探り合いはルール違反だぜ」
 腕の中の女は、美少年の凛々しさを思わせる女巡検使の姿とは違う。少なくとも今は違う。体は心の鏡になって、溢れる感情を隠しはしない。甘い体香が、強く漂う。
 七色のスパンコールを光り輝かせて、弾け踊る褐色の女達。ジャングルから一気に渡りをする蝶の群れのように鮮やかな彩り。若い体臭。アルコールが醸し出す甘い空気。
 それらの奔流中にあっても、アーチの目には赤いドレスは際だって凶暴に、そして官能的に映った。たとえ、このフロアの人間総てが絶世の美女であっても、月の女神の光暈を纏った彼女に敵う者はいないだろう。
 だが、本当に美しいと思える時に限って、褒め言葉は無礼に思える。敢えてそこに触れないのが、最上の礼だ。
「上手いじゃないか」
「母親仕込みよ」
 ミスティは、白い歯を見せた。両腕を開いて、回る。その右腿を抱えて、アーチはターンした。そのままぐいぐいと回り続ける。
「へえ、カタブツの伯父サマとはえらい違いだな。紹介してくれよ」
「こんな時こそ、伯父貴の話はルール違反だわ」
 そう言って、ミスティはアーチの腕の中を離れた。左手を軸に回り、半身を捻る。左へ右へと半回転しながら、ミスティはアーチをフロアの奥へと連れて行く。
「もっと、愉しい話をしなきゃ踊れないわ」
 ミスティの背中がアーチの胸元に合わさる。アーチは、飽く迄サルサの鉄則を守りつつ、ミスティの両腕を抱いて踊った。
 ミスティは声を立てて笑った。そして、より大胆に腰を押し付けながら、くねらせて踊り続ける。それこそ、伯父貴が見たら卒倒しかねない熱血ぶりだった。まるで、憑き物が憑いているみたいに。
 バンドの曲調はアップテンポに変わった。
 アーチは、ミスティのウエストを強く引き寄せたまま、一歩ずつフロアの出口に近付いた。化粧室へ向かう廊下の隣の、スタッフ・ルームへ続く扉。
 ミスティは、唇の端を微妙に開いて笑う。
 アーチの右手の中指が、ミスティの背中を上へとなぞった。鍛え上げた中にうっすらと女らしい丸みを帯びた優雅な背中は、しっとり汗ばんでいた。
 ミスティは、鼻先を舐め上げるようにして、アーチを見詰めた。
「だが、愉しいか愉しくないかで判断するのはオレの流儀じゃない」
「じゃ、好きか嫌い。もしくは直感で決める?」
「オレの場合は、希望」
「希望」
 ミスティは繰り返した。
「そう。そして人生に失望を感じたら、取り敢えず踊ってみる。気に食わないことがあったら、飲んでみるか食ってみる。人間の身体なんて、自分の意志でどうにでもなるものとは違う」
 アーチは、右手を上下させながら、巧みにミスティの太腿に這わせた。
「総ては利己的遺伝子の成せる業。食いたい時に食って、眠い時に寝て、したい時にファックする。そうすりゃ、自然と愉しくなるもんだ」
「医者のクセに随分と精神論的ね。希望だなんて、人生には後にも先にも何も無いわよ」
 ミスティはアーチの首に両腕を回し、硬く隆起した乳房を下から押し上げるように、胸を合わせた。これ以上何も考えさせない、と宣告されているかのように強引な遣り方だった。男としては悪くない気分だ。
「キミの言う事は正しい。だけど、夢を見るだけならタダ。希望は何よりの特効薬さ。オレは、健康な肉体への希望を切り売りしているだけの医者だ」
 アーチは、鼻孔を広げて言った。
「今のアナタ自身は、どうなの?失望を感じたの?」
「今のオレは希望に酔ってる、ありふれた男」
「パンドラの箱を開けた男みたいに?」
 ミスティは、濡れた唇を開いた。熟れ切った石榴の実のように赤いルージュが、女吸血鬼を思わせる。
 ほんの瞬間的だが、この女になら喉笛に噛み付かれてもいいかな、とアーチは気を巡らす。
「希望を語れば、希望は失われるともいう」
 アーチは、誰に言うでもなく、謎めいた言い回しをした。そして、ミスティの右腿をやや乱暴に押し開いた。ガーターストッキングの靴下留めを探り、張りのある尻の肉を鷲掴んだ。爪を立てれば甘い蜜が滲み出て来そうな肌だ。申し訳程度の面積しか持たない、薄い下着が指先に掛かる。
 ミスティは小さく喘いだ。両腕が、アーチの細い腰に固く回された。密着した下腹部を軟体動物みたいに微妙に動かす。
 ここまでせずとも、男は若さがあれば、他愛もなく勃然と生理的反応を示すというものだ。海千山千のアーチレリー・ブールヴァルドとて、例外ではない。
「…ここもルール違反ね」
 だが、ミスティの手に触れたのは、紛れも無いパウダーガンの重く冷たいスティールの感触だった。
「身体検査を受けなかったの?」
「キミにして貰おうと思ってたんだ」
「ここで、するの?」
 挑戦的な赤い唇が笑う。その唇の間を割って出た舌先が、誘う。今にも触れそうに、アーチの唇が赤い唇に引き寄せられる。目の前の美女が吐く、熱い息を吸い込むところだった。
 ガタン。非常口が開いた。
 咄嗟にアーチは腰に手を遣った。が、《キングコブラ・バニッシュメント》を抜く当ては外れた。
「御苦労さん」
 アーチは凄まじい仏頂面で、近付いてきた男に労いの言葉を掛けた。
 アーチが《ヴァン・ヴェール》でしこたま飲んで踊っている間、パルメット・ソノーラは駐車場でトランクに死体を詰め込んでいた。シスター・アストリアの無残な屍だ。それをどうやってアンダー・ホンコンまで持ち出すか、総てこの男が手配していたのだ。
「…これは失礼」
 ソノーラは、紳士然と赤いドレスの美女にお辞儀をした。半ば緊張したミスティの顔が、苦笑を宿した。ミスティは、アーチの胸元を無理矢理押し退けると、スリップドレスの乱れた裾とストラップを直した。
 その左手に握られた《キングコブラ》に、ソノーラは瞠目した。トリガーに指が掛かっている。
「オレも手が早いが、カノジョはそれ以上に手の早い女でね」
 アーチはおどけた風に言った。ミスティは黙ってぶっきらぼうに、アーチに《キングコブラ》を差し戻した。
「取り込み中すまんが、ここを出ねばならん」
「そういうことだろうと思ったぜ」
 その言葉に、ソノーラは頷いた。
「防腐剤と搬送手続きの為に、サンタ・ルフェーブル病院に行ったんだが・・・」
「結論から言えよ」
 アーチは、焦慮をあからさまにして言った。
「病院にヤツらが出た」
 ソノーラは淡々と、言った。
「そういう訳でシニョリーナ」
 言い掛けたソノーラの鼻先に、《パイソン・シスタームーン》の銃口が突き付けられた。
「どういう訳かは道々説明して貰いましょうか?」
 先刻とはうって変わって、自信に満ちた冷徹な女巡検使の顔がミスティに戻っていた。
「だとさ」
 アーチは肩を竦めた。身体検査は、やはり事前にしておくべきだった。

 ジンはふと、目覚めた。点滴の所為で尿意を催したからだった。
 マルドはいなかった。仕事に行ってその足で自宅に帰ると聞いたのは、夕刻だった。
 時計は深夜一時を指していた。
 点滴を無理矢理引き抜いて、ジンは歩き出した。尿意の元凶は絶たねばならない。こういう時でも、サングラスを外さない。
 誰もいない廊下に、ぺたぺたとスリッパの音だけが響いた。
「相も変わらず、病院てぇのは気持ちのイイもんじゃねえな。夜は特に」
 ジンはぼやきながら、廊下を歩いた。T字に交差する角を左に曲がれば、トイレットがある。腹の傷は痛むが看護婦を呼ぶのは御免だ。尿道にカテーテルを差し込まれて処置されるだけだ。そんなお姿は、誰にも見られたくない。殊に、相棒には。ぶつぶつ言いながら、ジンはトイレに入る。有人探査モードが働いて、足下と頭上に灯りが点った。
「フンフフフ、フフン」
 と、鼻歌まじりにジンは放尿を始める。開放感のひととき。
 その頭上に、ふと黒い影が落ちた。
 ジンはサングラスの下から、上目遣いに目前の壁を見た。左手で、自分のナニを掴んだまま、ジンは静かに右手を腰に滑らせた。
 ガッ。
 その瞬間、硬い物がジンの後頭部に押し当てられた。
「・・・終わるまで待てよ」
「長すぎる。いつまで続くんだ?」
 声は低い男のものだった。聞き取りにくい。わざと声色を使っているような気がしないでもない。
 だが、この感じ。頭を圧迫するのは、パウダーガンのフロント・サイトに相違無い。銃口をぴたりとつけてしまうのは、素人考えだ。プロなら、事後の処理を考えて、銃口を下に傾ける。無論、脳漿や血液の飛散を最小限に留める故に。スプラッタが好きなら自分も血のシャワーを浴びたいだろうが。
 路地裏の男か、とジンは訝った。
「終わるまで」
 言うが早いか、ジンはパジャマの下から《ブラックホーク》を抜き放った。うかうか落とすと暴発しかねないくらい、いつでも、ファイア・オン出来る状態だったのだ。見知らぬ土地での鉄則だ。0コンマ6秒の早撃ちを舐めて貰っちゃ困る。
 轟く銃声。黒ずくめの男は、腹の中央にまともに44マグナム弾を食らった。激しい音と共に、廊下の壁まで吹っ飛んだ。全身、ばねのように撓って強化プラスチック壁面にぶつかる。
「ざまぁ」
 ジンは、硝煙棚引く銃口を見詰めながら、項垂れて痙攣している男に近付いた。
「その面拝ませて貰うぜ・・・」
 帽子のつばに指を掛けた。ジンは気を呑んだ。
「何・・・!!」
 男は、ジンの腕を掴み、即座に捻じ上げたのだ。
「あいでででで」
 男は生きていた。しかも、万力並みにもの凄い力だ。痛みは、右肩に集中する。銃創も生々しい肩の傷が開いた。生ぬるい血が流れ出す。ジンは途端に焦った。このままでは利き手が使い物にならなくなってしまう。
「あううう!!」
 ジンは、スリッパを脱いで、男の腹部を蹴り付けた。男は、声すら立てなかったが、流石に一瞬退いた。
 その隙を狙って、ジンは脱兎のごとく駆け出した。廊下は血の足跡だらけである。男は、のそりと立ち上がったが、勢いジンを追う。発砲はしない。
「ったく、どうなってんだよ!何でオレが狙われなきゃならねえ!?」
 だが、何故こうも病院は静まり返っているのだろう。ジンは、一片の疑問を抱きながらも、必死に階段を駆け下りた。
「いま、銃声がしなかったか?」
 パルメット・ソノーラが低く呟いた。
「したわ」
 と、即答したのはミスティ・サファイアだった。紛れも無いパウダーガンの発砲音だった。
 病院には似つかわしくない、大胆な赤いドレスのまま、ミスティは受付の前に立った。小窓は閉まっている。インタフォンを押したが、反応は無い。窓を力任せに叩く。
「何よ、24時間受付じゃあないの?しかも、こんな非常時に」
「ここは、さっき来たときから閉まっていた」
 ソノーラの言も無視して、ミスティは暫く窓を叩き続けた。
「開けなさい。法務省の派遣員よ」
 怒鳴るミスティの肩を押し退けたのは、スーツの上に白衣を着込んだアーチだった。
「無愛想な手合いは、オレに任せろ」
 アーチは、言うや《キングコブラ》を胸元から抜いた。小窓の錠を、的確に撃ち抜く。
「何て事するのよ。人がいるかもしれないのに」
 開けた小窓の奥には、受付嬢がぐったりとした様子で椅子に凭れているのが、見えた。喉元が食い千切られ、夥しい血糊をのエプロンを垂らしている。ソノーラとミスティは、思わず顔を見合わせた。
 アーチは、受付通用口を蹴破って、中に踏み込んだ。
 受付嬢の頤を掴み、ぐいと持ち上げると、徐に口を開かせ、指を突っ込んで見せる。
 そして、《キングコブラ》の銃口を受付嬢の頭蓋に向け、トリガーを引いた。
 鈍い音と共に、血飛沫が飛び散った。
「生き返るだけ、お互いに不幸ってもんだ」
 アーチは、ただ茫然とその行為を見ていたソノーラとミスティに向かって言うと、そそくさと受付を出た。ミスティは、早足で追い、白衣の裾を掴んだ。
「何だっていうのよ、吸血鬼が」
「車の中で話したろ。キミも知ってる筈だ。聖職者の永遠の敵、ヴァティカンにとっては異端者」
「さっきの女は、本当にそうだったのかしら?」
「多分」
 アーチは、廊下を進みながら残弾を数える。
「疑わしきは罰せず」
「法律はそうでも、迷っていたらいずれ自分が御陀仏だ」
「違うわ。何の為の吸血鬼だというの?」
 ミスティは、アーチの左腕を強く掴んだ。漸く、アーチは立ち止まった。ソノーラと交わした会話が、脳裏に蘇った。
『吸血鬼はバイオロジカル・ウェポン(生物兵器)の一種だよ。大量殺戮の為のな』
『かつて猛威を振るったN.Aよりも安上がりで絶大な威力を求めて各国が秘密裏に研究しているのは、言わずもがなだ。表向きは人類の未来の為にとでも?』
『非効率だとは思わないか、しかし。吸血鬼なんて昼間は活動出来ないし、エアロ・ゾルや細菌兵器と違って一瞬で何百万人と殺す事は出来ない。どんどん殖えていったら、啜るモノも無くなって諸共飢え死にじゃないか』
『それは、我々が既製概念にとらわれているから、そう思うだけだ。人工の吸血鬼は昼も歩く』
 アーチは、見るともなしにミスティの喉元を見詰めた。こんな時に考える事ではないが、唾を嚥下する喉の動きが奇妙にエロティックに見えた。
「人間を生物兵器に仕立て上げる為に、何らかの細菌かウイルスをばら撒いた、と考えるのが自然だろうな」
「死んで生き返ったというのではなくて、ギガントと同じだということ?だとしたら、彼らは、まだ死んでいないのに・・・」
「問題はそこだ、シニョリーナ」
 アーチは嘯くように言った。ミスティの大きく青く光る瞳を見詰める。まさしく神秘的な濃青の宝石サファイアの瞳だ。
「オレには、やや読めてきた感じでな。都市コード0053を・・・」
「しゃあしゃあと、よく言うわね!」
 ミスティは、アーチの左腕を掴んでいた手を離し、あからさまな軽蔑の眼差しを向けた。死んでないかも知れない人間に、平気で引導渡すような医者だ。だが、腹が立つというよりは、困惑する。
 アーチは、ほんの一瞬だけ、視線を逸らせた。
「キミも怖気付くのか。後にも先にも何も無い人生なら、どうってことはない」
「失敬な」
 その言葉と表情の中には、サルサを踊っていた女の艶やかさは無い。完全に二重人格と思われるくらいの、クールな変貌ぶりだった。
「オレは動いてる連中を見た。彼も見たぜ」
 と、アーチはソノーラの方を見遣った。ソノーラは、エレヴェーターの操作盤に手をかざしていた。
「で、オレは怪物に成り果てた旧知を自分の手で葬った」
 オリーヴグリーンの瞳が曇った。
「吸血鬼を感染症とするなら、現実に解決する方法は、これ以上の蔓延を防ぐ事のみ。下手をすると、空気感染ならキミもオレも、もう手遅れかも知れんしな」
 静かな口調ではあったが、それは半ば恫喝に近い言葉だった。だが、アーチは知っている。この女は動揺などしていないし、恐怖も感じていない。むしろ、危機的状況に晒されれば晒される程、冴える。昂揚感を覚えるだろう。名にし負う、戦好きのアルテミス。
「キミになら、最後の一滴まで血を吸い尽くされても構わない」
 アーチは、最上の作り笑顔で言った。神をも欺く嘘臭さだ、とミスティは思った。
「・・・どうせ再生するんでしょう?」
 ミスティは、きっ、とアーチを見据えたまま、《パイソン・シスタームーン》のセフティを外した。そして、ソノーラに促されるまま、優雅な足取りでエレヴェーターに乗った。

 第二病棟を突っ切ったところで、ジンは行き止まりに突き当たった。
 壁の左手は、病室。空の筈の病室だ。窓があれば、そこから出られる。ジンは慌てて、廊下に出されたままの搬送台を動かし、ドアに突進した。三度当たっただけで、ドアは難なく開いた。
 普通、オートセキュリティシステムのお蔭で、使用されていない部屋はすべてロックが掛かっている。無理に侵入すれば、アラームの嵐だ。
 だが、音沙汰無い。つまりは、誰かが前もって、警備を解除しているという事だ。無論、ジンは夢中になっているので、不思議に思いながらも、深くは考えない。
 ガランとした病室は、闇の中よりも暗い。
 ジンは大息吐きながら、両開きのドアをがっちりと閉め、搬送台をバリケードにした。
 男は追って来ない。
「何故だ?」
 ジンは、瞳を凝らした。暗闇に目が慣れるまで、数秒掛かる。その間に呼吸を整える。
「ヤツは何故オレを狙う?ヤツこそシルヴァー・ブレットか?」
 ジンは、まだばくばく鳴る心臓の上を押さえながら、汗を拭った。
 本能のまま、逃げてしまったが、これではいかん。
「逃げ出してどうするよ、くそ」
 ジンは搬送台に左腕をついた。右肩は、先程の格闘で痛みが完全にぶり返していた。ゆっくりと、トリガーに指を掛け直した。滲み出る汗でグリップが不具合この上ない。
 ガッシャアアアン。
 背後でガラスが砕け散った。カーテンを巻き上げる風と共に入り込んで来たのは、黒いコートの男だった。
 ドギュアン。
 《ブラックホーク》が火を吹く。ジンは、体の力を抜き、リコイルを受けながら搬送台に飛び乗った。思い切り後ろに押した。
 勢い扉を開けて飛び出した搬送台は、廊下へと滑り出した。ジンの眼に狂いがなければ、男はまともに左腿に食らった筈だ。
 だが、足を引き摺りながらも、男は歩み寄って来た。
 ジンは残弾四発の使い途を考えながら、病室を後にした。
「ちくしょ、しつこいヤローめ!」
 裸足で走るジンの踵に、血がぬめった。腹の傷が開き掛けていた。だが、これは自分の血ではない。
「何ィ!?」
 ジンの視線の先には、黒い人だかりがあった。顔面蒼白の人間が数十名。病院の職員らしき服装の者から、患者、医師までもが、死人のような蝋色の顔をして立っていた。死人独特の異臭が漂う。
 人がこれだけ集まれば、幾ら小寒い深夜でも、気温は上がりそうなものだが、逆だ。ひんやりとさえ感じる。勿論、彼等が生きていないという証拠だ。
 彼等はジンを見て、カッと目を見開いた。
「こいつら、酒場の女と同じだ!」
 ジンは後退った。のろのろと歩み寄る人の山は、血に飢えた唸りを上げていた。
 まるで、地獄から這い出た餓鬼共だ。
「うう」
 ジンは搬送台の後ろに回って、背後を見た。黒い男の姿は無い。幸いといっていいだろうが、二十人を下らない飢えた怪物共を相手にするには、マグナム弾四発では心許ない。
「くっそー」
 こういう時にアドリブが利かない自分が悩ましい。図らずも、相棒がいてくれたら、と思ってしまう。ジンは、搬送台を引っぱった。助走を付けて、走り出す。
「おっしゃあああ!」
 強行突破だ。搬送台を逆方向、つまり吸血鬼達のいる方向へと勢い押し出した。加速がついたところで、飛び乗り、吸血鬼共を蹴散らす。あわよくば、無駄弾を撃たずに助かる算段だ。
 ズダンズダンズダン。ドギュン、ギュンギュン。
 立て続けに銃声が六発。三発ずつだ。
 吸血鬼の体が浮き上がり、走り出した搬送台に乗り上がる。
「おわーっつ!!」
 ジンは大声出して台上に腹ばいになった。弾を避けるだけで精一杯だ。その上に何かが乗っかった。
「きゃん」
「およ」
 目を開けたジンの顔の上に女のむっちりした太腿が。シーム入りのガーターストッキングに包まれている。吸血鬼ではない。さらに、サングラスをずらすと、殆ど申し訳程度の黒い布を張り付けただけの女の尻が目の前にあった。《ブラックホーク》が、乳房の下敷きになっている。
「おいー!」
「黙ってらっしゃい、へなちょこプレミオーロ」
 振り返ったのは、ミスティ・サファイアだった。背中が見えるほど捲れ上がったドレスの裾も気に掛けず、ミスティは《パイソン》を発砲した。比類ない正確さで、吸血鬼の頭蓋だけを撃ち抜いていく。
 壁面はどす黒い血の滝を流し、リノリウムの床も血の海に溢れ返った。
 あっという間に全滅、搬送台は速度を落としていった。
 ミスティは、リロードに掛かる。無論、ジンは茫然と鼻の下を伸ばしたまま、廊下の惨状を見遣るだけだ。
「あッ」
 ジンの両目が黒い服の男を捉えた時、ミスティはまだリロードを終えていなかった。
 弾丸が搬送台の上数十センチを掠めていった。態勢を立て直す暇もなく、二発目が来る。
 ドン。
 迎え撃ったのは、《キングコブラ・バニッシュメント》の357マグナム弾だった。アーチは搬送台を踏み越えて、棒高跳びのアスリートのようにしなやかに跳躍した。
 黒い男は、その姿を見た途端、コートを翻して走り出した。追うアーチは、秒速五十メートルで走る。357マグナム弾を放ちながら。何としても、撃つ必要があった。
 男は窓に体当たりした。
「そんな!」
 強化ガラスに一当たりで、男の体は宙に舞った。砕け散った分厚いガラスの破片が、アーチの正面に降り注いだ。下を見ても、男の姿は無い。暗闇にぽっかりと街頭が浮かんでいるだけだ。
 アーチは、空薬莢を落としながら、黒い穴を見詰めた。背筋を冷たいものが伝った。
「そんなバカな・・・」

第三章へ続く

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