『DIO・FIRE!』

 第一話
 蝕日者のジルバ 〜 Eclissi ballare il jitterbug 
(前編)


 ひたすら、荒野を行く二人の男がいる。
 一人は己の生きる場所を求め、一人は己の死に場所をもとめて。
 第一章 THE NOTORIUS GUNS   悪名高きヤツら
 リンゴン、リンゴン。
 町に一つしかない教会の鐘が鳴り響いた。空は茜色に黄昏て、やがて黒ずんでいくだろう。表通りに流れる臙脂色の灯りは、礼拝堂から齎されるステンドグラスの反射光だった。
 髭の神父が助祭を従えて、裏手の墓地に向かう。
 今日もまた新しい屍が教会に運び込まれつつあるところだった。
 鴉(コルヴォ)の群れが低い蒼穹を飛んでいる。午後からの曇天は一向に去る気配も無く、やがて太陽は傾き始めた。
「ここはァ、所謂エスト(極東)ですよ。空ですか?曇ってます。ええ、何て暗さだ。皆既日蝕まであと十日はあるってのに」
 アーチレリー・ブールヴァルドは、大声で喋った後、胸に大きく息を吸い込んだ。そして、カルタ・テレフォニカ(カード式電話)に向かって溜息を吐く。
「そうか、我が教皇庁の朝は快晴だとも」
「結構なことです。で、ヤツの噂があった町は、ここから近いんですかね?」
「近い筈だ。高速道路沿いの小さな町だと・・・キミ、何だね、溜息なんか」
 生き生きと軽やかでいて、厳かな壮年の声が言った。
 グレナデン・サフィール枢機卿。アーチは、声の主である無髭のスペイン系紳士の顔を思い浮かべていた。
「いえ、モンシニョール・サフィール」
 アーチは、高位聖職者に対する敬称を言い、誰も見ていないのに頭を掻いた。
 トランス・エスト・オリエンティコ・アウトストラーダ(東アジア大洋横断高速道路)は、この時間、砂漠用ジープすら走っていない。
 五月の風は乾季の風。アーチの柔らかい金髪を南風の女神が撫でていく。長く伸ばした前髪から首筋に掛かる癖の無い毛まで。ディープパープル地にゼブラ模様のネクタイが棚引いた。
「こんなところで相棒とはぐれたなんて言ったら、始末書モンだぜ」
 と、アーチはカルタ・テレフォニカを遠ざけて呟いた。
「ところで、ドットーレ・ブールヴァルド。姪にはもう会ったかね?」
「え?ああ。噂の姪御ドノですか?何処におられるのか、さっぱり見当も付きませんが」
「ロザリオを目印にしたまえ。姪は、サフィール家の紋章を象ったロザリオを身に着けている筈だ」
「なるほど。しかし、もっと判りやすい目印ってないですか?例えば、パンクな赤毛だとか、ちょー巨乳系だとか、イケイケ風とか」
 サフィール枢機卿は、電波状態が悪いのをいい事に、その問いを無視した。
「・・・しかし、あの男おんな。鉄砲玉みたいに一向、帰ってこぬわ」
 アーチは苦笑を禁じえなかった。これは、期待外れかも知れない。
「今のお言葉は、性差別用語としてヴァティカンの罰則に触れませんか?盗聴装置にご注意を」
「うむむ。姪に会ったら、必ず一度教皇庁に戻るよう伝えてくれ。ところで、皆既日食といえば・・・」
「いえば、何です?」
 電波が途切れた。中継なしで超長距離電話に耐えうる筈の機械が不調を訴えたのだ。
 後は、砂嵐のような雑音すら聞こえない。
「おいおい、まいったな。バイクはガス欠になるわ、電話は壊れるわ・・・あッ!」
 後ろから伸びた白い腕が、カルタ・テレフォニカを取り上げた。
「いーつまで放っぽって置くのよ!」
 柳眉を吊り上げた女の顔が、アーチを見据えた。女の手指は、既に電源スイッチを押していた。
「さっきから何よう。巨乳だとか、イケイケとか」
 アーチは、すぐに答えなかった。夕べ離島の酒場で一緒に飲んだ女だ。職業はエンターティナーと名乗った。一晩、ご厄介になる代わりに、バイクの後ろに乗せてやることになってしまった。ほろ酔いの時はいい女だが、素面になってみると、結構うんざりする口数の多さだ。名前もはっきり覚えていない。
「返してくれ、話の途中なんだ」
「きゃ」
 アーチは、慌てて女の手を掴んだ。思わぬ強い力に、女は一瞬悲鳴を上げた。
 バキッ、とカルタ・テレフォニカの電源もろとも本体が割れた。アーチの掌から、強化プラスティックの欠片が零れた。文字通り、電話は壊れてしまった。
「・・・あーあ」
「ダサいのよ。こんな所でガス欠だなんて。どうするつもり?」
 女は長い髪を手櫛で掻き揚げながら、やや媚の入った眼差しで、アーチを振り返った。その瞬間、いつもアーチは己の失策を恥じてしまう。一晩寝た位の女に、こういう顔をされるのは遣り難い。
「どうもこうも、車が来るか、歩いていくしかないだろうな」
 女は黙って、顔を背けた。色男なんとやら、と思ったらしい。自分の荷物だけ担ぎ上げると、何も告げずに歩き出した。
「おいおい、本気で歩いて行くのか」
 アーチは、声を掛けたが、追い掛けなかった。体のいい厄介払いってとこだ。女は、途中で車に拾って貰えるくらいの腹づもりだろう。
「・・・テンション下がるぜ、まったく」
 と、一人悪態を吐いても虚しく、バイクを見遣る。
 その名も《デアデヴィルXIX(イクサークス)》。黒馬を思わせる厳ついオンロードバイクは、燃料を涸らし切ったまま、路肩に佇んでいる。
「ガススタンドのオヤジめ、混ぜモンの多い動物性アブラを入れやがったな」
 この曇り空では、ガスタンクの下の太陽熱補助バッテリーも唯の不細工な箱でしかない。旧ルソンから砂漠地帯、環礁地帯を走ってきたが、この結果だ。
 世の中、上手くいくこともある。アーチの目の前を、輸送用トレーラーが通って行った。女はあれを掴まえるだろう。万一、手を挙げなくとも、若い女が一人、こんなところを歩いていたら、運転手が見逃す筈もない。
 アアオ。ギャ、アアオウ。アアアアオオオウ。ギャ、ギャッ。
 それにしても、ここは鴉が多い。
「お」
 高速道路の遥か北方にぽつねんと見える町。町の端を黒装束の列とピンクの装束の列が交互に動いていた。度肝を抜くショッキングピンク色の墓石を屈強な男達が担いでいる。
「何の式典だか。式主は子供か?」
 墓石の後ろを、車椅子に乗っている小さな男の子が進んでいた。
 先頭のパロッコ(司祭)までもがピンクのピレタ(角帽)とカズラ(上衣)を身に着けている。手にしているのは十字架を刺繍した三角の旗だ。ぱっと見に、ディアスポラ地域の典型的な葬儀風景ではない。ショッキングピンクの洪水だ。
「ド派手なフューネラーレ(式典)だな。しっかし」
 列がやにわに乱れた。街路いっぱいに広がった列を横切って、誰か飛び出したようだった。みるみるピンクの頭の連中が蟻みたいに動き出す。墓石を担いだ連中は足止めを食らった。
 横切った影は黒いインバネスの、動きと背丈から見て少女のようだった。
 ピンクの兜を被った男達は、街路を横断した少女を追って、進行方向を逆に駆け出した。
 ヅドン、という鈍い音と共に赤い光が地面に反射する。大型ブラスター(熱線銃)の反射光だ。少女は足を縺れさせながら、急いで商店街の一角に飛び込んだ。
「物騒なトコロだよなァ。期待も膨らむってもんだぜ」
 アーチは《デアデヴィルXIX》から荷物を下ろすと、揚々と歩き出した。
 ジオルナーレ(新聞)の片隅に書かれた妙な記事に総て目を通すほど、世の中暇な人間は多くない。
 再生に再生を繰り返した質の悪い髪の束は、トイレットペーパー代わりにもならないで、バール(酒場)の隅に山と積まれる運命なのだ。
『モジト。ライ麦の収穫は好調。このところ雲は無し。光至らず。空腹亭』
 この怪文が掲載されたのは5月22日付の《イル・ジオルナーレ・ナッツィオナーレ(世界新聞)》21面下段だった。
「トラットリア・スファマルシ―《空腹亭》といえば、ここじゃないか」
 ジン・スティンガーは、ジャンのポケットに新聞の切抜きを押し込んだ。そして、店の宣伝文句《ラペティト・エ・ラ・サルサ・ピュ・ブオナ・ケ・スィ・シーア(空腹に不味い物無し)》の看板を見遣り、木戸を潜った。
 刺すような警戒と威嚇の視線が十数本、ジンの全身に突き刺さる。だが、流れ者ジンにとって、余所者に対する地元民の視線など日常茶飯事にすらならない。
 ジンは店内に一瞥をくれると、カウンターの空席に座った。
「とりあえず、バーボン。ロックで」
 陰気な顔のマスターは、ジンの顔をじろりと上目遣いに見た。
 ジンは無言で右手指を二本立てたまま、横目で店の非常口を探す。見知らぬ土地の、見知らぬ店に入った時にまず、これをやるのが賞金稼ぎの鉄則だ。
 その間も、客たちの視線は付いて回る。
 カーキブラウンが褪せつつあるテンガロン・ハット。濃いセピア色のサングラス。無造作に束ねた肩までの長髪、左頬の三条痕擦り切れたブルージーンズにローハイド。
 そして、腰のガンベルトには、モデルガンと思しき銃がぶらさがっている。
 どう見積もっても時代錯誤なウエスターナー・スタイルのジン・スティンガーは、浮いた存在だった。
「今日は領主家の二十回忌で、早仕舞いですぜ。あんた、見ない顔だが、何処から来なすった?」
 マスターが、ジンに囁き掛けるように言う。訛りの多いトランス(公用語)だった。
「チエーロ(上層都市)かい?」
「・・・さぁな。御想像に任せるよ」
 ジンは一服点けた。今や貴重品ともいえるマルボロの火口から、紫煙がほんわりと立ち昇る。
「ところで、ここ一両日で余所者が来たって噂は?」
「さぁ。聞いてないな。あんた以外はな」
 マスターは、皮肉に薄い唇を歪めた。ジンは、小首を傾げた。
「オレの相棒もここに来る事になってんだが」
「あんた、知らないだろうが、一旦この町に入ったら、今の時期はなかなか出られんよ」
 マスターの狭い額に三本の縦皺が寄る。
「・・・ふん。見たとこ僅かだが緑も水もある。まともな店もある。ネエチャンもいる。この町の何処にそんな物騒な風が吹いてるん・・・」
 全部言い終わらないうちに、ジンの言葉は途切れた。
 ダダダッダダダアアン。
 轟音を背負って、子供が店内に飛び込んできた。黒いインバネスを羽織った少女は、ふわりと舞うようにしてジンの傍らに転がった。
「なっ・・・」
「ひえええええ。撃たんといてえ!」
 少女の金切り声が響いた。続いて店に飛び込んできたのは、厳つい男集団だった。大男一人と中肉中背の男三人、極めて背の低い男が一人の計五人。共通してショッキングピンクのド派手なヘルメットを被っている。
「何だ何だ!」
「《ピンクレモネード》!」
 客たちは一斉に、一塊になって、店の隅に寄り添った。男たちの手にしたエモノを見たからだ。
「《ピンクレモネード》ぉ?何だ、そりゃ」
「泣く子も黙る町のアウトディフェンデルッシ(自警団)。領主様クロウ家の私兵ですぜ」
 マスターは、ジンにそう言うと、自分はカウンターの下にひっこんでしまった。
 大男が抱えているのは大型散弾銃タイプのブラスター。それも特別製だ。銃身を限りなく悪趣味なピンク色に染めている。大男は黄色い乱杭歯を剥き出しにして、勝利の確信に満ちた笑みを見せる。その足元に、斜視の小柄な男が歩み出た。
「ひいい!」
 少女は、ジンの腰掛けた丸椅子の後ろにしがみ付いた。
「列を乱しやがって!フューネラーレを台無しにしてくれたクソガキを出さんかい!」
「ほい」
 ジンは、少女の首根っこを引っ掴んで椅子の下から引き摺り出した。
「話の分かるヤツじゃないか。そのガキは新入りのメイドでな。まだ躾がなっとらんのだ」
「それはそれは」
「すまんな若いの。見ない顔だが、礼を言うぞ」
 斜視の男は、にやけた笑みをジンに向けた。大男は、その子男に指図されるまま、暴れる少女を軽々と持ち上げた。
 ドズゴーン。
 腹の底から震撼させられる重低音が、店内に響いた。しん、と一瞬静まり返った店内に流れる奇妙な空気。火薬の焦げる臭気と共に、大男が唸り声を発した。
「うううおおおおお!」
 大男の筋肉ダルマのような上半身から、青白い煙が上がった。
 ジンは丸椅子腰掛けたまま、左に半身を捻っただけだ。だが、その右手に握られているエモノを見た誰もが目を剥いた。
 パウダーガン(火薬銃)。
 銃器の九十九パーセントが、ブラスターを中心とする熱線銃に取って代わられた今、博物館以外では滅多とお目に掛かる事の出来ない貴重な銃器。しかも44口径リヴォルヴァー(回転式拳銃)。
 抜き撃つまでの動作を、確認出来ないほどのファスト・ドロウだった。
 ニヤ。
 ジンのやや厚めの唇から、ふてぶてしいともいえる笑いが零れた。
「大の男がよってたかって、たかがガキ一人にみっともねえな」
 ジンは吸いかけのマルボロを惜しげもなく吐き捨てると、ブーツの底で踏み躙った。
 大男は漸く痛みに耐えかねて、少女を投げ出すと脇腹を抱えて苦しみ出した。傷口から鮮血が流れ出す。弾は貫通していた。
「き、貴様・・・」
 小男が口を開きかけたところえお、ジンはいきなり発砲した。リノリウムの床目掛けて連続発射。
 ズダン、ヅドン。
 低い天井の所為で、着弾音がより響く。44マグナム弾は、勢い撥ね上がって、天井にから落ちてくる。エンプティ・カートリッジ(空薬莢)はチン、と軽やかな音を立てて床に躍る。
「当たりゃしないよ。ほれ踊れ、踊れ」
 《ピンクレモネード》団の男達は、交互に足を踏み変えながら、必死の形相で弾を避ける。ジンは、滑稽なダンスを踊る男達を見ながら、大欠伸した。
 最後の一発を残してフロントサイト(照星)を小男の額に向けた。小男は戦慄した。ズボンの真ん中に大きな染みが出来ている。
「とっとと失せな!おピンク野郎ども」
 ジンは左手の中指を高く突き上げた。その視界に入ってきたものは、ブラスターの照準器の赤い光。大男の反撃の狼煙だった。
 《空腹亭》は、最早商売あがったりの状態になっていた。
「クロウ家の私兵に喧嘩を売るなんて、トンでもない!」
「あたしゃ、血を見るのは嫌だよ」
「これだから余所者は・・・!」
 ジンの耳に否応無く聞こえてくる、客達の異口同音の言い分は、《ピンクレモネード》の連中を増長させるに充分だった。
 最大出力まで絞り上げられたブラスターの、発射孔は赤みを帯びてジンを睨み付けていた。
 一波乱ありそうな緊張の雰囲気を突き破ったのは、他でもない、開け放たれた扉から舞い込む外気だった。
 不意に風向きが変わって、生暖かい空気が《空腹亭》に侵入した。
「生臭せぇ。何だこの臭い・・・」
 ジンはパウダーガンを構えたまま、小鼻をヒクヒクさせた。《ピンクレモネード》の連中も、異変に気付いたようだった。剥いだばかりの獣の皮みたいな腐臭が、何処からともなく漂ってきた。
「やべえ。ヤツ等が来る!」
 小男が小さく叫んだ。
 それをきっかけにして、客達の顔色が蒼白を呈した。マスターはのろのろとカウンターから這い出すと、店をほっぽり出して、いの一番に出て行った。
「早く!早く!」
 客達も我先に、と出入り口に詰め寄った。
「《ディアボロ・デル・デゼルト》か?予報じゃ、まだ南半球の筈だが・・・」
 ジンは気勢を削がれたまま、ぽつんと呟いた。
 ディアボロ・デル・デゼルト―《砂漠の黒嵐》は、何時の頃からか、ちょうど海の潮流のように地球の表面を巡っている。
 ディアスポラと呼ばれる広範な荒廃地域は、数ヶ月に一度は確実にこの悪魔の脅威に晒されている。住民は悪魔になす術も無い。唯じっとしている他に何も無い。
 しかし、悪魔の到来にしては奇妙だ。誰もが慌てふためいて出て行くが、その現象について一言も発しない。
「おいおい、何なんだよ!」
 ジンは呆気に取られた頭を振るって、店を出た。最後の客は振り返りもせずに、一目散に大通りを駆けて行った。インバネスの少女の忽然と姿を消している。
「何処のどいつがやって来んだよ!みんな何処行くんだよっ!」
(若いノ)
 嗄れた声が、ジンの耳に届いた。唯の老人の声とも思えない、人間離れした音声だった。所々、キィキィと金属的な雑音が混じっている。
 ジンは気配を消して、壁伝いにゆっくりと歩いて行き、カウンター裏のドアを開けた。非常口に誰か潜んでいるのではないかと思ったが、その予想は外れた。
(あんタも早く逃げるとイイ)
 ジンは振り返った。人っ子一人いない《空腹亭》の床面には、自分の影しか残っていない。
「誰だ?」
 ジンは出入り口まで早足で歩き、立ち止まった。
 眼下に子供が一人佇んでいた。車椅子に乗った少年は、栗色の真っ直ぐな髪をおかっぱに切り揃えていた。抜けるように皮膚の色が白く、痩せこけていた。黒い喪服に白いリボンを結んでいるところを見れば、列の真ん中にいた式主ではないか。
「お前か?」
 咄嗟に、ジンの左腕が少年に伸びた。無表情な少年は、身動ぎもしなかった。
 バサァ、と黒い影がジンの手を横切って、少年の頭に覆い被さった。銀色の羽根を持った大型の鴉が、少年の頭に爪を食い込ませていた。
 鴉はカア、と鳴く代わりにククク、と喉を膨らませて笑った。
(忠告は一度キリダ。若いノ)
「カカカカ、鴉が喋った!」
(流レ者がここへ何をシに来タ?)
「聞きたいのはオレのほうだ。これから何が起こるってんだ?」
 ジンは粘つく唾を飲み込みながら、訊いた。鴉は赤く光る目を瞬いた。仕草までが人間じみて不気味だ。
(いいカ、今から半時ノ間にこノ町から出タ方がイイ。今なラ出られる。大変ナことが起こル前に)
「何だ大変なことって?」
(聞いテどうすル?)
「悪いが、何も判らず尻尾巻いて逃げるってえのはオレの性分に合わなくてな。仕事も済んじゃいねえしな」
 ジンはそう言って、ふん、と鼻を鳴らした。
「確かにこの様子は尋常じゃないが、危険だっていう割には何でお前こそ残っている?」
(事情説明ノ必要は無い。ともかく逃げルことダ)
「黒嵐よりもえげつないものか?」
 少年と鴉は、黙ったまま後退った。ごほごほ、と嫌な咳が少年の喉を震わせた。ジンが呼び止める間もなく、少年は早足で走り去った。
 その後姿を、低い空から降りてきた漆黒の鴉が追う。ややあって、少年の頭上の鴉は飛び立ち、二羽は並んで上空へ舞い上がった。
「どう見ても鴉だよな。腹話術かぁ・・・?」
 《空腹亭》を出ると、ジンは急いで繁華街へ向かった。繁華街といっても、人口一万にも満たない田舎町のこと、メインストリートはあっと言う間に過ぎてしまうほどだった。
 町は夕焼けに焦がされつつある。やはり、何者かの襲来に備えてか、街灯すら点いていない。裏筋には娼館もあるが、やはり猫の子一匹姿を見せない。
「どうなってやがるんだ?」
 ジンは胸ポケットからマルボロを取り出し、一服した。煙を吐き出しながら、きょろきょろと辺りを見回す。
 ドラッグストアの壁に『聖水売ります』の張り紙があった。
「アクアサンタ?聖水って教会にあるもんじゃねえのか?」
 ふと思ったものの、今はそれどころではなかった。
「住民が消えた?って、あのガキはこんな短時間で何処まで逃げられたってんだよ」
 ジンは、微かに漂って来る獣の生臭い臭いを吸い込んだ。
「おえ!」
 覚えず嘔気を催す悪臭に、腰を屈める。ディアスポラの乾いた空気ですら、霧散させられないそれは、次第に近付いて来る。
 ジンは急いでドラッグストアのトタン屋根に攀じ登ると、風上の方向を凝視した。
 何かが来る。
 俄かに、砂埃が波のように舞い立つ。星の無い暗い夕空に、煙のような雲が流れていく。
 ジンはパウダーガンを抜いた。
 《ブラックホーク・ディオ・ファイア》。黒い10.5インチバレルの流麗なフォルム。そのハンマーを起こす。
 カチリリリリ。ドライな音と共にトリガーに指を伸ばす。
 やがて、幻のように現れた怪物共の数は、暗闇では知れぬ程の数に見えた。長蛇のごとく、怪物共は町に侵入した。
「ギガント(巨人体)!」
 ジンは後退した。臭いの元は紛れも無く巨体の群れから発せられている。
「ガキ、いや鴉の言っていたのはこれか!」
 怪物共は次々にメインストリートを行進する。彼らの赤い虚ろな目玉が探しているものは、生きた人間の姿だ。
 ジンは身を屈めた。
 ギガントは、三メートルを越す巨体の怪物。体毛が無く、のっぺりとした硬い皮膚は、乾燥を防ぐために粘液のようなものに覆われている。その腕力は言うに及ばず。しかも、この数。
 まともに相手出来る筈が無い。
 リヴォルヴァー拳銃は、こんな大勢の怪物退治にはお誂えではない。ジンは歯噛みしながら、トリガーに掛けた指の力を抜いた。
 その時、一体のギガントがドラッグストアの屋根を見上げた。
「やば」
 風向きが変わったのだ。ギガント共は、人間の臭いに敏感だ。敏捷なギガントが一体屋根に駆け上がって来た。
 チン、とトリガーが跳ねた。44マグナム弾が一発、ギガントの右目をピンポイントで、ブチ抜いた。鮮血がとびちる、続々と這い上がって来る後続者に浴びせられる。
 二発目までに、僅かな躊躇いがあった。
「ひ!」
 容赦ないギガントの鋭い爪が左肩に食い込んではじめて、ジンは我に返った。
「こいつら・・・やはり、人間じゃないのか?」
 《ブラックホーク・ディオ・ファイア》のシリンダーが右に回転し、エンプティ・カートリッジの煌きが風に舞った。

 街路は凄惨を極めた。
 町外れに堆積するギガントの屍は折り重なって、はや強烈な腐敗臭を放ち始めている。その傍らに、数台のトレーラーが止まっていた。マスク姿の作業員達は、せわしなく屍の山を崩して冷凍庫に放り込んでいる。
「こんな状況でもメシが食えるんだな」
 アーチレリー・ブールヴァルドは、一人の老作業員の前で立ち止まった。
 老作業員は折りしも昼休憩中だ、地べたにしゃがみこんで手弁当に噛り付こうというところだった。直射日光避けのフェルト帽を目深に被っているのは、皮膚病を患っていることを意味していた。休憩場所は、死体の山々から数メートルと離れていない。
「そりゃ、こんな状況でもメシは食うさね。ヤツらの死臭なんざ、わしらにゃ慣れっこさ」
「ギガント達が、本来はあんたらと同じ人間だったのを知っててかい?」
 アーチは、皮肉を込めて言った。
 老作業員は、漸くアーチを横目で見た。長身なので、白衣の裾と大きなジュラルミンケースしか見えない。そこで、首を伸ばして見上げると、白衣の左腕に腕章を認めた。銀十字を象ったものだった。
「そういうあんたこそ、死体は慣れっこって連中の一人だろう?」
「まあな。で、あの死体はこの後どうするんだい?」
「決まってるさ。ギガントの脂は良質の燃料になるし、肉はダチョウの餌になるんでね。ハラワタは使い物にならんがな」
「さぞ、いい金になるんだろうなぁ」
 アーチは弾んだ調子で訊いた。
「おうよ。何ならわしの下働きでもするかい?日当は4000ダッシュってところで・・・あれ?」
「わあああああ!」
 若い作業員が騒ぎ出した。
「ギガントが、ギガントが生きてるぅっ!」
 どす黒い血溜りの中から、ギガントがのそりと起き出した。青白いのっぺりとした体が、ゆらりと若い作業員に向かって、傾いた。
 次の瞬間、老作業員は食いかけの弁当を落としそうになった。信じられない光景が目の前にあったのだ。
「うおっしゃあ!」
 アーチはジュラルミンケースを放り出すと、ギガントに向かって猛進した。
 そして、延髄蹴りを食らわせる。
「ああー!なんちゅうことを。アーメン!」
 老作業員の叫びは絶望に等しかった。いかに屈強の猛者と雖も、野牛の首を指先で一捻りするギガントに太刀打ち出来ない。
 まして、お世辞にもマッチョとは言えない、ひょろ高いだけの若い医者に何が出来ようか。老作業員は、目を閉じた。
 が、倒れたのはギガントのほうだった。
「うぐがああぁぁ!」
 ギガントは地鳴りに似た断末魔の声を上げると、前のめりに崩れ落ちた。
 アーチは、投げ出したジュラルミンケースを拾い上げると、涼しい顔で歩き出した。
「あ、あ、あんた・・・」
「なに、死にぞこないに引導くれてやるのも医者の仕事だ」
「あんた、いったい・・・!」
 しかし、老作業員が振り向いた時には、その姿は既に通りにはなかった。
 そして、町でいちばん流行らないリストランテで、第二の椿事は起こった。
 アーチレリー・ブールヴァルドが店に入って来た時、客は勿論のこと従業員までもが、一斉に息を止めて視線をドアの方向に注いだ。
 たった一人、カウンターの隅のテンガロン・ハットの客を除いては。
 アーチの姿は、まるで、天使が福音を携えて舞い降りてきたかのように、彼等には映ったらしい。見惚れたバルマンが、手からグラスを落とした。
 そして、漸く全員が息を吐いた。ウエイトレスは顔を湯気の出るほど紅潮させながら、アーチに歩み寄った。
「あ、あの、お一人様ですか?」
「へ?」
 アーチは、振り返ってぎょっとなった。背後に行列が出来ていたからだ。それも、若いのから古いのまで女ばかり。大通りを歩いている間に、ハーメルンの笛吹きよろしく、町中の女性という女性を引き寄せてしまったようだ。
「一人にしてくれ」
 と、アーチはおもむろにカウンターに座った。どっ、と女達が店内に押し寄せてきた。やれどこに座ったらあのお方の顔が見えるだのと、大騒ぎ。面白くないのは、いつも不味い飯ばかり食っている常連客である。忽ち、不穏な空気が犇めき始めた。
「マスター、おすすめは何だい?」
「パンパス黒サソリのヨーグルトソース掛けタリアッテーレですかね。でっかいサソリが手に入りましてねえ。ダチョウ胸肉のから揚げも当店自慢ですわ」
「じゃ、それと野うさぎのフライ。ダチョウは勘弁してくれ。この間アタってえらい目に遭った。食後にアールグレイ・ティーのジェラート大盛りで」
 アーチは一息吐いて、足元にジュラルミンケースを置いた。黒いショートブーツの埃を丁寧に払い、同じく黒いスムースレザーのローハイドに包まれた細長い脚を組む。ガンベルトは無い。
 女達から、ホーッと嘆息が洩れた。
「ところで、あんたメディコ(医者)かい?」
「見ての通りだ。流しの医者は今時珍しくもないだろうに」
 アーチは、視線を店内に泳がせた。女達は鵜の目鷹の目で、一斉にカウンターを注視する。太り肉の愛想良いマスターは、満客でほくほく顔だ。
「無理もないぜ、先生。この町は若い男が貴重でね。あんたみたいに、若いだけでなくどえらい男前を見たことがない連中ばっかりだから」
「ハハハ」
 アーチのオリーヴグリーンの瞳が、カウンターの隅を眺めた。右目は普段から長い金髪に隠れそうになっている。その前髪を払う仕草が、また店内の女達の競争心を刺激した。
「そう、言われてみれば確かにこの町には若い男の姿より、女のほうが多い。しかし、それにしても余所者のオレにこの関心ぶりは・・・」
 カウンターの奥では、黒いテンガロン・ハットを被った長髪男が、黙々とチープな黄新聞を読んでいる。顔は見えない。
「男・・・?少なくとも、あいつはこの町の人間らしくないが」
 アーチは、呟いた。
「はい、お待ち!」
 マスターの声と共に、大盛りパスタがカウンターにどん、と乗せられた。アーチは、待ってましたとばかりにフォークを皿に突き立てた。
 そのフォークの柄を、別のフォークが押さえつけた。
「オアズケだよ。医者の先生さんよ」
 赤髭の男が黄ばんだ歯を見せて笑っていた。屈強な二の腕から赤いサソリの刺青が、アーチを睨み付けている。その後ろで他の客がざわつきはじめた。
「フォークをどけてくれ。指にあんたの食いかけのパスタのケチャップが付いちまう」
 アーチは、うっすらと余裕の笑みを浮かべながら言った。決して、赤髭とは目を合わせない。
「けっ、スカシやがって。上層都市(うえ)の人間はよ。色男、手前ぇ、ジャン・カルロ・クロウのカーカッツォ(くそ野郎)に呼ばれたってぇ医者なんだろうが?」
 店内がどよめいた。
「ジャン・カルロ・クロウですって!」
「あのろくでもない領主のところへか?」
 忽ち、只事ではない空気がアーチを包んだ。ウエイトレスも、先刻までキャアキャア騒いでいた女達も、何か忌まわしいものでも見るような目付きに早変わりした。
 ジャン・カルロ・クロウ。赤髭の放ったその一言が、どうやら形勢の不利を招いたらしい。
「それが?くそ野郎だろうが、何だろうが、医者は患者を選ぶことは出来ないぜ」
 アーチは沈着な面持ちでかわした。すると、赤髭は憑かれたような不敵な笑みを満面に浮かべた。
「どうもこうも、クロウ家のような悪党に加担するヤツはなァ、このバルバロッサ(赤髭)のカルロス様が生かしちゃおかねえってことよっっ!」
 台詞が終わらないうちに、カルロスの右手から炎が迸っていた。轟音と共に、カウンターの向こうの酒瓶が粉々に砕け散った。壁に蜂の巣状の穴が開いた。女達は、皿も料理もひっくり返し、悲鳴を上げて店の外へ逃げ出す始末だ。
 バルマンは、衝撃と恐怖で失禁していた。ウエイトレスは、仰天の叫びをギャアギャアと上げながら、脱兎のごとく厨房に逃げ込む。
 赤髭のカルロスは、ライアット・ブラスター(暴走鎮圧用熱線銃)を手に、肩で大きく息をしていた。たとえリコイルの少ない熱線銃とはいえ、この至近距離で連続発砲するのは楽ではない。カルロスの腕は、それに耐えうる筋力を持っていた。
 カルロスは背後に向かって叫んだ。
「手前ぇら、でれでれと見惚れてんじゃねえよ!ヤサ男ぶっ殺すんだよっ!」
 再び、銃口が跳ね上がった。
「死にやがれっ!」
 火線は、店のドアとレジスターに二十数個の黒点を穿った。凄まじい爆音だけが、カラリと晴れ渡った空に吸い込まれていった。
「・・・穏やかじゃあないね、ライアット・ブラスターみたいな危ないオモチャを振り回して。昼飯が台無しじゃあないか」
 アーチは、崩れたカウンターの強化プラスチック片やガラス片を払いのけながら、立ち上がった。その平然とした姿を見るや否や、カルロスの髭はさらに赤みを増して、憤怒に燃え上がらんばかりになった。
「まだ生きてやがったか!ちょろちょろと・・・」
 しかし、ブラスターは苛烈な連続発射に耐えかねてバッテリーが切れ掛かっていた。すぐさま、簡易原子力電池を装填して、応急処置をしなければならなかった。カルロスは、ジーンズの尻ポケットを探った。
 カルロスの腰巾着共が放った熱線が、テーブルの脚を折った。アーチは素早く半壊したカウンターの奥へと転がった。
「畜生、当たらねえ!」
 子分の一人が、電池切れの大型ブラスターを、カウンターの奥目掛けて投げ付ける。そのアルミニウムの大きな塊を、カウンターにいたテンガロン・ハットの男が投げ身で受け止めた。
「助かった」
 見上げた瞬間、アーチは思わずはっ、となった。
 ぼん、と盛り上がったグレープフルーツ大の双丘が、挑発的にアーチを見下ろしていた。ピークドラベルの白いシャツからこぼれんばかりに、誇らしく張り詰めた胸の深い谷間が、目の前に迫っているではないか。
「わお」
 テンガロン・ハットの下からアーチを見詰めているのは、強かな微笑を含んだラテン系美女の顔だった。
 黒味がかった青の瞳に、きりりと形の良い黒い眉。小麦色に焼けた肌。長い豊かなブルネットでなれば、美少年といってもおかしくない凛々しさだ。
 こういう状況でなかなか神様イキなことを、とアーチは極上の笑みを返した。美女は、ボタンの二つ弾け飛んだ胸元を押さえながら、無愛想に答える。
「いつまで受身のフリをするの?ギガントを蹴り一発で倒したくせに」
「何だ、見てたのか。だてに、自信たっぷりのノーブラではないな」
 アーチは軽口を叩きながら、テーブルを蹴り上げた。勢い飛んだ強化プラスチック製の塊は、カルロスの子分共を直撃した。
「女、手前ぇは確か・・・」
 カルロスの鉾先は、美女にも向けられた。
 美女はその台詞をみなまで言わせることなく、拳銃を抜いた。
 誰もが目を剥いたのは、速射もさることながら、美女のエモノがパウダーガンだったからだ。
 6インチバレルのダブルアクション・リヴォルヴァーが、357マグナム弾を吐いた。
 弾丸は、カルロスの右肩を掠めた。狙っていたのだったら、かなりの上級者。モーメントでブレただけなら、素人だ。勿論、美女が前者であるのは誰の目にも明らかだ。
「畜生、許さねぇ!」
 カルロスの抱えたライアット・ブラスターが再び火を噴いた。出力最大で撃ちまくる。最早、リストランテ内に留まっている客は、アーチ、カルロスと美女の三人しかいない。
 ガガガガガ。
 ライアット・ブラスターの轟音が、空間を貫いたかと思うと、天井が壁が崩れ出した。アーチは、慌ててテーブルを頭上に担ぎ上げた。
「おいおい、何やってんだか!」
 美女は、今度はわざとはずさず、カルロスの右手を狙う。カルロスの手から弾き飛ばされたブラスターは、空を切りながら、店のガラスを突き破っていった。
「なめんなぁ!!」
 カルロスは傷を負いながら、果敢に右の拳を振り上げた。アーチの胸倉に掴み掛かる。ネクタイごと青いシルクシャツの襟元をぐい、と引き寄せた。しかし、アーチの方が上背があった。絵にはならない。
「手前ぇ、クロウ家を助けるつもりか!?」
「当然」
 アーチは、漸くカルロスの目を直視した。怒りと悲しみが二重写しになっていた。
「幾ら金を積まれたか知らねえが、そうはさせねえ。・・・オレの息子は、マッシモはヤツらのおかげで・・・」
 バスッ、という鈍い音と共に、カルロスの巨体が後ろへと倒れた。早変わりのごとく、左手にパウダーガンを構えた美女の姿がアーチの目の前に現れた。
「ただのドライファイアよ。ショックで半日は起きないでしょうけど」
 事務的な口調で、美女は言った。
「重ね重ね助かった」
 アーチはネクタイの歪みを直しながら、美女に向かって左目をつむって見せた。美女は侮蔑の表情を見せて、アーチに近付いた。エジプト産ミモザの甘く刺激的な香りが、漂う。香水はかなり高価で、しかも趣味がいい、とアーチは見た。
「連中は何も知らないバカよ。元軍医さん」
 意外な言葉で呼び掛けられて、アーチは目を瞬いた。
「アナタを殺したって何の得にもならないのに。いえ、その腕章の銀十字を知らないなんて。泣く子も黙るヴァティカン・ミニステッサ(国防省)、クローチェ・アルジェントの紋章を」
「しぶいねー。銀十字軍を知ってるなんて。けど、軍はとうの昔に解散した。オレは唯の退役軍医さ」
 アーチは肩をすくめた。
「しかし、こんなトコでパウダーガン使いにお目に掛かれるとはな・・・」
 アーチは、許可無く美女の左腕を掴み上げた。引き締まった筋肉の感触が、銃の腕の切れ具合を物語っている。
 羊革の手袋に包まれたしなやかな手には、コルト・パイソン357マグナムが握られていた。ベンチレーター・リブが特徴的なフォルムを醸し出している。
「《パイソン・シスタームーン》か。キミはティットーロ(称号)持ちかい?」
「《称号》ね・・・それよりアナタ。その左脇にぶら下げてるモノはハッタリなの?」
 美女は不愉快な表情を露わにして、左手を振り下ろすように下げた。指摘されて、アーチはあらためて白衣の脇の下に手を突っ込んだ。
「唯の護身用モデルガンさ。弾丸は入っていない。世知辛い世の中、無駄弾は出来るだけ使いたくないんでね」
「腕はいいけど超どケチの医者、アーチレリー・ブールヴァルド。噂通りだわね」
「そう。腕っぷしのいい美女に目が無い、ということも付け加えておいてくれ」
 アーチは斜交いを気取って、美女の挑戦的な瞳を見詰めた。美女は冷静にアーチの視線を交わして、カルロスとその子分共が倒れている店内の無残な状況を見回した。
「それにしても、ギガントを倒したのもともかく、ライアット・ブラスター相手に素手で対抗しようなんて・・・アナタ、サイボーグ(改造人間)?それともフォーティファイド(強化人間)?」
「とんでもない!オレは人間だって。見てよ、このスレンダー・ボディ」
「そう、唯のバカ力?嘘おっしゃいな。サイボーグなら、私もお役も御免だったのにね」
「どういう意味だい、そりゃ」
「アナタを護るように言われているの」
 美女の青い瞳が、輝いた。アーチは、美女が耳に心地よいハスキー・ヴォイスを発音するのに聞き入りつつ、白衣のポケットから、くしゃくしゃになった紙切れを取り出すと、読み上げた。
『モジト。ライ麦の収穫は好調。このところ雲は無し。光至らず。空腹亭』
 美女は、ディアスポラの俗語で書かれた短い文章を、ざっと眺めただけで、さっさとアーチに突き返した。
「私はクロウ家の用心棒。ミスティ・サファイア」
「なるほど。キミもプレミオーロ(賞金稼ぎ)か。レフトハンドの美女・・・聞いたことないが、なかなかいい名前だ」
 アーチは嘯くように言った。
「で、邸まで案内してくれるというわけかい?」
 その言葉が終わらないうちから、ミスティは、リストランテの外に向かって歩き出していた。アーチはジュラルミンケースを拾い上げて、ミスティの後を追った。
「趣味が悪いぜ、キミ。最初ッから助けてくれりゃいいのに」
「趣味が悪いのはアナタのネクタイだわ」
 ミスティは、アーチのほうをチラリ、と振り返って言った。青いシルクシャツにディープパープルのゼブラ柄ネクタイは、さすがにどぎつい組み合わせだ。
「何を言うか。これはヴァティカン御用達のデザイナーの、オートクチュールだぞ。キミは、失礼な女だな。初対面の人間に向かって趣味悪い、なんて」
「アナタこそ失礼なヤツだわ。取り敢えず、黙ってついて来て」
 アーチは、自分がいつ失礼な事をしたのか思い当たらないまま、ミスティについて行こうとした。
「その前に腹を膨らませたいんだけど、どう?」
 ミスティは、たった今出てきたばかりのリストランテを振り返って見た。今にも倒壊せんばかりの建物の惨状が、目に飛び込んできた。折りしも、《空腹亭》の看板が倒れるところだった。
 空が白みかけていた。遥か東の果ての水平線から、間もなく陽が昇るだろう。
 ジン・スティンガーは、ぞっとしない心地になった。
 何故ならもうじき、足の踏み場も無いほどにこの辺りに倒れている無残な屍が、白日に晒されるからだ。賞金稼ぎを生業としているジンにとって、夥しい血も屍も見慣れた代物ではあったものの、それにしても、ついぞさっきまでの出来事は、まるで現実のものとは思われなかった。
 次から次へと押し寄せる、不気味なギガントの群れ。最早、怪物とはいえ、脳漿がぶちまけられ、手足が吹っ飛ぶ様ばかり見せられていたのでは、さしものジンも嫌気がさしてきた。
「ううおおええ。こいつら、臭すぎる!」
 鼻が曲がる腐臭。
 ストックが尽きかけるほど、鉛弾をギガント共にブチ込み続けて数時間。弾が無くなると、屋根の電波受信用アンテナを引き抜いて、棍棒代わりに使った。
 疲労に取り憑かれて棒立ちになるまで、ジンは闘った。
 やがて、いつしかギガントの群れは鎮まっていた。眠気に襲われたかのように、次々と倒れていき、巨体を路上に横たえていく。ジンは、それが自分以外の第三者の仕業であることをすぐに知った。
「誰なんだ?誰がギガントを?」
 銃声も無ければ、臭気も無い。バイオロジカル・ウェポンか、エアロ・ゾルか。何か得体の知れない特殊な武器でもって、ギガントは倒されている。
「まさか!」
 住民は予め、このことを知っていたのか。
 だから、避難したのだろう。誰かがギガントを無血で倒す方法を知っていたのだ。
 ジンは急に膝の力が抜けるのを感じた。
「けったくそ悪いぜ、まったくよ」
 ジンは独りごちた。屋根の上に膝と両腕をついて、大きく息を吐いた。そして、そのまま冷たい屋根に突っ伏してしまった。
 正気を取り戻した時、ジンは血と腐臭を再び嗅いだ。同時に消毒液のつん、と鼻をつく刺激臭も。それで、一瞬、旧ルソンを出てからはぐれた相棒の姿が、ここにあるのではないかという気がした。
 が、その当ては外れた。
 チョコレート色した肌の少女が、インバネスを脱いだ。
 少女は、お定まりのメイド姿だった。超ミニのエプロン・ドレスに、レースのカチューシャ。スカートの下から伸びた脚は、すんなりと少年のように細長い。
 しかし、少女はしずしずとではなく、どっかとジンの前に胡座を掻いて座った。消毒液の臭いは、少女の持つ救急箱から発せられていた。血の臭いは、言うまでも無くギガントのものだ。無造作に束ねた自分の黒髪に染み付いている。
 我ながら臭い。臭さで目覚めたといっても過言では無い。
「目ェ覚めたみたいやん、気分はどない?」
 いきなり《海の民》訛りで話し掛けられ、ジンは面食らった。慌てて周囲を見回すが、青空の下、自分を見つめているのはお天道様と、目の前の少女だけだった。
「ど、どないってオレはだなぁ。あー、お前《空腹亭》の・・・」
 言い掛けて、ジンは頭を抱えた。空腹のあまり、くらくらする。
「めちゃすごかったで、あんたさァ。ギガント相手にバンバン撃ちまくって。それもバッタバッタ倒れていくやんか。いやー、黙って見てんのも悪いさかいに思うて、危険を顧みず戻ってきたんやで、ウチは」
 少女は一気にまくしててる。猫目石のように輝く大きなハシバミ色の瞳が、興味津々とばかりに、ジンに向けられていた。少女の髪はショートカットだが、鬢の部分だけを胸の辺りまで長く伸ばしている。
「それにしても・・・」
 ジンは額に手を当てた。
「お前、パンツ丸見えだぞ」
「何言うてん、アホ!」
 バシン、と少女はジンの肩を力任せに叩いた。色気というものは全く感じられないが、さすがに羞恥心はあるようだ、とジンは苦笑した。
「ガキのパンツなんざ見たって嬉しかねえ」
「ふん!」
「しかし、お前何やったんだ?ピンク何とかいう連中が、列を乱したとか言ってたが」
「え?ああ、むっちゃトイレに行きとうなって、こそっと抜けよう思っただけや。せやのに、あの趣味悪いピンクオヤジどもときたら・・・」
 少女は赤らめていた顔を真顔に引き戻したかと思うと、今度は膨れっ面になった。
「この歳でおもらしなんか恥ずかしいやんか!レディに恥を掻かせるなんか、アカン!」
「レディ、ねえ」
 ジンは再び額に手をやった。これで領主家のメイドなのかと思うと、クロウ家とやらも大した家ではなさそうだな、とジンは感想を持った。
「けど、運のいい男やね。アンタも」
少女は照れ隠しか、優位に立った口調で言った。
「にゃにが、運のいい、だぁ?オレを置き去りにして逃げたやつの言う台詞かぁ?」
「何言うてんの!アンタこそウチをピンクオヤジに突き出したやないのー!あいつら大ッ嫌いやねん」
「うっ」
 そう言われて、ジンは言葉に詰まった。結果的には何も引け目を感じることなどないのだが、ジンの持てるある種の民族性が、こういう場面ではマイナスに働いてしまう。
「ウチがいち早く見つけんかったら、アンタいま頃ギガントの腹の中やったんやからね」
「ウチがって・・・じゃ、お前がギガントを倒したのか?」
 ジンは少女の肩を引っ掴んで、詰問した。
「企業秘密や。悪いけど、それは簡単に教えられへんわ」
「・・・どうせハッタリか」
「何とでも言いや」
 実際、この少女がギガントを倒した場面を見たわけじゃなし、いい加減なことを言って恩を着せるつもりかもしれない。子供だからといって、商売上手な《海の民》は油断出来ない。
「それ、パウダーガンやろ?」
 少女は目敏くジンの右腰にあるエモノに視線を送る。
「ああ」
「きゃあ、やっぱり?ちょっと見してーな。お願い!」
 少女は両手を胸の前で擦り合わせた。ジンは、渋々パドルタイプ・サムブレイク・ホルスターから銃を引き抜くと、セフティがオンになっているのを確認して、少女に手渡した。
「言っておくが、トリガーには絶対指をかけるな。ハンマーにも触れるな。いざという時の為の実弾が一発残ってる」
 はいはい、と少女は両手を差し出した。じろり、とジンの顔を見上げてから、にんまりと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ウチにカマかけよう思うてんやったら、無駄やで。企業秘密いうたら秘密やねん」
 ちっ、とジンは舌打ちした。一々、人の心を先読みしやがって。
「見かけより重いんやなあ」
 少女の関心は既に《ブラックホーク・ディオ・ファイア》に移っていた。
「本物のルガー・ニューモデル・スーパー・ブラックホークやわぁ。全長340ミリ。44マグナム口径のシングルアクション・リヴォルヴァー」
 少女は、ためつすがめつ《ブラックホーク》を引っくり返している。今にも頬擦りせんばかりに。
 ダブルアクション・リヴォルヴァーにはない、ましてブラスターには欠片もない長い美しい曲線のハンマー。大柄な銃真に比べて、申し訳程度に小さいトリガー。引けば簡単に、ズコンと弾は抜ける。サンドバッグを潰す時のような重厚な音と、強烈な反動が射撃手を襲うのだ。
 《ブラックホーク》の使い込まれた白檀製グリップは、鹿角のように黒味を帯びて光っている。
「うわ、シリンダーがスッコ抜けや」
「当ったり前だ。モノが詰まってたら、弾が出て来ないだろ。暴発しちまう」
 ジンは思った。この少女は、モデルガンを知っているのだ。モデルガンなら、火薬を発火させるのにシリンダーに突起がある。
「しかし、お前何でそんなに知ってるんだ?」
「ハンゴーバーって町にムゼオ(博物館)があるんや。個人で昔の武器を集めたらしいけど。その中に、パウダーガンのコーナーがあるんや。これとよう似たやつ見たで。ウチ、そういうの見るの好きやねん」
「銃器フェチのメイドなんか初めて聞いた」
「ほっといてんか!」
 十九世紀中頃に完成されたリヴォルヴァー式パウダーガンは、二十世紀初頭生まれのセミ・オートマチックガンに殆ど取って代わられた。しかし、機構のシンプルさと故障の少なさとが評価され、綿々と愛好者が受け継いできた。
 二十三世紀の今、パウダーガンそのものがブラスターに取って代わられるまで、銃器の歴史にさまざまな変遷があったのは言うまでも無い。
 尤も、ジン・スティンガーにとって、そんなことはどうでも良い。
 今やパウダーガンの存在さえ希薄だというのに、目の前の少女は、まるで待ち人にでも会ったかのような顔をして、《ブラックホーク》を見詰めている。これは奇妙だった。
「パウダーガンを持ってる。あんたプレミオーロか?」
「そうだ」
 答えたジンのサングラスの奥を覗き込むようにして、少女は顔を綻ばせた。
「実はその腕を見込んでのことやけどな。頼みたいことがあんねん」
 そらきた。少女の関心は、そこにあったわけだ。
「頼みたいこと?まず、名を名乗れよ。人にお願いしようってんだからな」
 ジンは、《ブラックホーク》を少女の手から取り戻した。それを素早く、ホルスターに仕舞う。そして、マルボロを取り出そうとして革ジャンのポケットを探った時、思いついたかのように声を上げた。紙切れが指先に引っ掛かった。
「まさか、この広告を出したのはお前か?」
「せや」
 少女は、短く答えた。
「ウチ、ピーチィ言うねん。アンタは?」
「ジン・スティンガー」
「ほー?」
 ピーチィは訝しげな表情で、ジンの顔に自分の小さな顔を寄せた。思わずサングラスを取られてしまうのではないかと、ジンは焦って後退りしたのだった。
 モジトはかつて、日本本島の最西端だったという町。大昔は港町だったということだ。
 石油資源が掘り尽され、人類が過去に蓄積された貴重なエネルギーを失ってから、はや一世紀が過ぎていた。今は、モジトも他の町同様、太陽熱や地熱、風力を動力源として、細々と自活している。
 遠く北に山脈が聳え立つのみで、並び続く山脈と荒野には緑が無い。サボテンに似た植物が、所々にょきにょきと生えている乾燥地帯。年間降水量もせいぜい五百ミリもあればいいほうだ。
「ほんとに何も無い町なんだな。観光出来るようなところもないのかい?」
 アーチは、バールの外の乾いた景色を指差しつつ、パニーニを頬張った。パン地からはみ出したマスタードマヨネーズが、唇の端にべっとりとついた。
「男前が何て顔だい」
 バールの女主人が、呆れたように言った。
 アーチは、笑いながら長い指先でたどたどしく唇の周りを拭う。ミスティは、黙ってその姿を眺め、優雅な仕草でカッフェ・マッキアートを飲み干した。
 アリスのバール。でっぷりとした女主人とこの二人以外、店には客もいない。シンプルな店内には、観葉植物が数鉢と、無地に等しいカレンダーが掛けられているだけだった。
 6月5日。その数字に、赤い大きな丸印が付いている。
「あの赤丸は何?おばさんの誕生日か結婚記念日かい?」
 アリスは笑い転げた。
「全然違うよう。亭主はとうに死んじまった。二十一年に一度の皆既日蝕の日さ」
「大層だな」
「町中仕事も何もかもが休みになるんでね」
 アーチはその答えに納得しなかったものの、敢えて深く突っ込むことはしなかった。単なる話のきっかけだ。
「ところで、あんた達ジャンニのリストランテでえらい目に遭ったんだって?」
 アリスは洗い物をしながら、向かい合っている二人に話し掛けた。もう、先刻の騒ぎが町中に伝播しているらしい。
「えらい目にあったのは、このひとだけよ、アリス」
 ミスティはカップを上げておかわりを要求した。アリスは、タイミング良くカウンターに真新しいカップを置き、ミスティは空のカップを交換しに立った。
「ジャン・カルロ・クロウの名前が出ただけで、店一つぶっ壊れるなんて、この町は何てトコだよ、ったく」
 アーチはがぶがぶとカッフェ・エ・ラッテを胃袋に流し込んだ。昨晩から、酒の一滴も口にしていない。この際、味わいなどどうでも良かった。
「余所者のあんたには悪いが、そういう所なんだよ。夕べは殊に、式典があったしさ」
 アリスは、淡々と言った。
「あのピンク色の趣味悪いパレード?」
 すかさず、あんたに言われたくないでしょうよ、という視線をミスティはすかさずアーチの横顔に送った。
「《ピンクレモネード》ってクロウ家の自警団の正装よ」
「ジャン・カルロの葬式か?子供が喪主だったぜ」
「先代の当主ボナンザ・クロウの二十回忌よ」
 ミスティは、腕組みした。魅惑的を通り越して、悪魔の造形物といえる豊かな双丘が、腕の上に押し上げられる。見る者によっては誘惑しているとしか思えないだろう。が、ミスティの目付きは澄んで冷ややかだった。
「ニジュッカイキ、二十回忌?何だ、それ?」
「毎年、命日に縁者が集まってくる、この地方の大昔からの風習らしいわ。要するに、死者を悼む気持ちを忘れない為の儀式みたいなものね。でしょ?」
 ミスティは、アリスに同意を求めた。
「ああ。それにしたって、カルロスに遭ったのは不幸だねえ。カルロスは一人息子を亡くしたばっかりでさ」
 アリスは、同情の表情をアーチに向けた。
「ジャン・カルロ・クロウの所為だとか言ってたが」
「さあ、あたしも詳しいことは知らないけど、そう言ってる連中は少なくないよ。何もカルロスだけに限ったことじゃないがね」
 それであの大騒ぎか。クロウという領主家、余程人気が無いらしい。しかし、赤髭のカルロスやリストランテにいた連中と違って、この女主人はいたって冷静だ。
「いやに冷めてるね、おばさん。ここに入った時は、一瞬冷やっとしたぜ。カウンターの下からブラスターが出てきて、今度こそ心臓でもブチ抜かれるかな、って思ったぜ。それとも、カウンターだけに、パンチ食らわされるとかさ」
 くだらない冗談に誰も反応を示さないと判って、アーチは二つ目のパニーニをやっつけに掛かった。
「テンション下がるぜ、まったく」
「口数の多い男でしょ。気にしないで」
 すかさず、ミスティが茶々を入れる。
「ああ、あんた黙ってりゃ天使をも欺くいい男なんだけどねぇ。・・・とにかくあたしゃ、クロウ家にも《聖水》にも興味はない、それだけのことさ」
「聖水がどうかしたって?」
 アーチは、素早くアリスの言葉に食らいついた。手を動かしているアリスの代わりに、ミスティが答えた。
「クロウ家が扱っているミネラル・ウォーターのことよ。別名、アクア・ヴィータともいうけど。アナタもここへ来るまでの間に貼り紙を見たでしょ?」
「貼り紙?そう言えばそんなのあったな」
 《聖水》。
 ドラッグストアや食料品店の脇に、それらしいものが貼られていたようだ。一ガロン二百ダッシュ。決して安くはない。何か付加価値があるとすれば、考えられなくもない値段だが、バーボン一杯の方が遥かに安い。
 モジトを含めて、この辺り数百キロ四方は水資源の乏しい地域である。地下水は勿論だ。荒野に住む人間の飲料水は、雨水を濾過して利用するか、他所の地域との公益で賄っている。
「しかし、こんな所で飲料水が出るとはね。そいつがこの町の唯一の産業にして収入源か。宣伝して、今更町興しでもあるまい」
 アーチは、にべもなく言った。
「アナタの言う通りではあるけどね。《聖水》には何だかとてつもない御利益があるらしいわよ」
 ミスティは、半ば嘲りを含んだ言い方をした。その頬に、何処か酷薄な笑みが浮かんだ。
 ちょうどその時、バールに漸く今日三人目の客が入ってきた。

「まさか、アンタ、ウチが依頼人かどうか疑うてんの?」
 ピーチィは、腰に手を当てて言った。
「ガキのくせにいっちょまえだな。しかし、本当に教皇庁かプレミオーロ協会を通しているんだろうな」
「・・・うん」
「・・・・・・」
 ジンは、無言で立ち上がった。すたすたと歩いて、ドラッグストアの屋根から飛び降りる。軽やかに、ギガントの死体を踏まないように。慌てて、ピーチィもそれに続いた。
「何でーな!何でウチの依頼が受けられへんの」
 ジンは、ピーチィの訴えも無視して、街路を元来たように戻って行く。決して長いとはいえないがに股気味の脚だが、大きなストライドだった。ピーチィは、負けじと早足で追う。
「怪しい。怪しすぎる。協会の手続きなしの仕事なんざ、ごめん蒙る」
「何でやの!」
「オレらプレミオーロは、本職以外のアルバイト禁止なんだつーの。教皇庁の公務員に準ずる扱いなの!めっかったら、こわーいお目玉食らうんだよ!」
 ジンは身悶えして言った。異端審問所所長にして、プレミオーロ協会理事長グレナデン・サフィール枢機卿の顔を思い出してしまう。ヴァティカンに不利益を齎すアルバイトをすれば、お仕置きは必至だ。
「何やのー!ウチはアンタの命の恩人とちゃうの?」
 その言葉を聞くや否や、ジンは半身を捻って振り返った。サングラスのチタンフレームが、キラリと光った。
「何も助けてくれって頼んだわけじゃないだろ。汚いぞ、お前。最初ッから、恩を着せるつもりでオレを助けたんじゃねーのか?」
「何言うてんの!サイテー!」
 返す言葉に、ピーチィはむかっ、とした。そして、すぐに二カッと白い歯を見せた。
「ええねんで、別に。ウチは他の人材探すから。けど、アンタIDカード無くしてもかまへんの?」
「なにぃ!」
 ジンは革ジャンの内ポケットを探った。即座にそれが無いと判ると、踵を返してピーチィに掴みかかった。
「てっ、手前なあ・・・!」
 頬をぷくっ、と膨らませているピーチィの顔を見て、ジンはげんなりした。怒る気も失せる。七歳も八歳も年下の子供に、一瞬でもムキになった自分が恥ずかしい。
 ピーチィが上げた右手の中には、薄いプラスチック板のカードがあった。
「ふふん」
「お前とことん図々しいよなあ」
 ジンは、IDカードを奪い返した。
「IDカード持ってるところみたら、アンタ上の人間やの?」
「お前に関係ないだろ。お前こそ《海の民》訛りじゃないか。こんな荒野の真ん中でメイドなんざ似合わな・・・」
「それこそ、ほっといてーな!ご先祖様は大事にせなあかんねんて、いっつも親父様に言われてたからや。ウチら一家はみな代々この喋り方やねん。誇り持って何が悪いんや!」
 ピーチィは、ジンの顔面に唾を飛ばしながら、一気に喋った。
 鈴を割ったような目が興奮に潤んでいる。
 《海の民》といえば、元々はインド洋で最も東北の辺りに活躍した、海洋関係の仕事に携わっていた民族だ。東南アジア系人種の混血である。
 それこそ、海運で富を成した者もいれば、海賊もあった。しかし、世界が二つに分断されてしまった今は、《海の民》も離散して久しい。
 ジンの口元が緩んだ。
「・・・いいよ。で、お前の頼みってのは?」
 ピーチィの瞳が輝いた。何だかよく判らないが、ジンの気が変わるような事を自分は言ったらしい、と悟った。
「単刀直入に言うで。・・・と思うたけど、ここでは話せんわ。もうじき清掃作業員来よるからな」
 ピーチィは、きょろきょろと辺りを見回した。
「清掃作業員?」
「ギガントの死体を回収に来るんやけどね。聞かれたらマズイから」
 ピーチィは、ジンのジャケットの袖口を引っ張った。
 ドーム型テントの中、ピーチィはゆったりと歩を進めて、ジンを招き入れた。
 テントといっても、骨組みはセラミック素材で、周りを断熱布が覆っている本格的な移動式住居だった。二十フィート四方の奥行き、高さは八フィートの空間。中はエンジニアリング・ルームよろしく、機械の塊が所狭しと転がっている。
「じゃーん!どや、これがウチのアジトや」
「家出娘のねぐらにしちゃ、上出来だ」
「デリカシーの無い言い方するやっちゃね」
「デリバリーもデリカシーもあるか。どうせ、オヤジ様とやらの溺愛に飽き飽きして飛び出して来たんだろ」
「・・・・・・」
 ピーチィは、一瞬二の句を継げなくなった。大きな猫目石の瞳が潤んでいる。当然、手痛い減らず口のお返しが返ってくるとばかり思っていたジンは、きょとんとなった。
「・・・オヤジ様は五年前に死んでしもうたんや。おかーちゃんもな。そういう話はやめてんか?」
 ピーチィは静かな声で言った。大粒の涙が二つ、少女の睫毛の下から零れ掛ける。
「わ、悪かった。泣くなよ」
 ピーチィは、こくん、と頷いた。だが、反撃は辞さなかった。
「何がテリトリーや。しょーもない駄洒落は耳が腐るわっちゅうねん」
「て、手前ぇなあ!」
 ジンは肩を怒らせた。ピーチィは、ふん、と鼻を鳴らす。
「ほんでもって、他人様の家の中では帽子ぐらいとってーな。ついでに、そのサングラスも」
 ピーチィはジンの頭を指差した。汚れたカーキブラウンのテンガロン・ハットが、その先にある。
「帽子はいいが、サングラスは勘弁してくれ」
 ジンは、最初から観念していたかのように、素直にテンガロン・ハットを取った。ピーチィはそれには見向きもしないで湯を沸かす準備に取り掛かっていた。
「で、仕事のことやねんけど」
 ピーチィはむすっとしたまま、切り出した。
「広告の意味は判ったやろ?」
「《用心棒求む》。モジトの空腹亭へ来られたし」
 ジンは言った。
『モジト。ライ麦の収穫は好調。このところ雲は無し。光至らず。空腹亭』
 文章どおりに読めば、何のことか判らない怪文。しかし、文章には綴りの一部を消して読む、あるいは子音となる文字を入れ替える、などの符号が印されている。これは、新聞広告の版下に特殊な加工をして、解読方法を知る者にしか読めなくなっている暗号文の一種だ。
 ジンは、ヴァティカンに於いてその訓練を受けていた。
「早い話がウチをガードして欲しいねん。ボディガードというわけやけど」
「クロウ家の用心棒じゃなかったのか?」
「それは間に合うてんの。クロウ家には、凄腕の女用心棒がいてるわ。ウチは苦手やねんけど・・・」
「何だ」
 ジンは、がっかりした。どうせ男みたいな女用心棒に違いない。
「契約は今日から、作戦終了時までや。一日一万ダッシュ払うわ。OK?」
 一日一万ダッシュというと、今日びディアスポラの日雇い労働者の一日の給金の五倍に相当する。子供の分際で、そんな金が出せるというのは、親の遺産か保険金が資本なのだろう。
 ジンは無言で親指を立てた。
「商談成立やな」
 ピーチィは白い歯を見せた。
「で、作戦ってのは何だ?」
 ジンは改めてテントの中を眺めつつ、訊いた。

第二章へ続く

「前回までのSTORY」へ戻る