第一話
 蝕日者のジルバ 〜 Eclissi ballare il jitterbug 
(前編)


 第二章 GET-RICH-QUICK SinQ  聖水略奪作戦
「水を盗むだってェ?」
 ジンは思わず、頓狂な声を上げた。谺が青空に突き抜ける。
「ピーチィ・フィズ。クロウ家のメイドとは世をしのぶ仮の姿。ウチはこれでもれっきとした義賊や」
「ぎ、義賊・・・」
 ぷぷぷっ、と噴き出しそうになったジンの頭を、ピーチィは思い切り拳で叩いた。
「おいでででで!」
「ふん、笑うな。それも唯の水とちゃうわ。《聖水》やで、《聖水》」
「はぁ?」
 したり顔のピーチィが、ベッドに腰を下ろした。軽く弾んで、テントが小さな軋みを上げた。その傍らでは、携帯用ポットがコトコト音を立てて沸騰のサインを出していた。
「アンタは他所モンやから、知らへんのも無理はないか」
 ピーチィはジンの胡乱げな顔を見て、静かに話を始めた。
「モジトの飲料水は、今は領主クロウ家が水源を持ってんねん。水源は邸内にあってな。住民はおろか、使用人の誰も水源には近付けへんらしいけど」
 この辺りにある他の町に比べて、モジトは水資源が豊かだ。西北に山脈を控えている地形の関係かどうかは判らないが。
 とにかく、クロウ家は水源を所有しているというだけで、その特権を意のままに振り回していた。
「税金は年二回、各二十万ダッシュ。隣町の約三倍や。十五万ダッシュでも、普通に働いてたら払うのがやっとこさの額やのに。どう思う?」
 覚えずジンは、困った時の癖で、顎を撫でた。
「どうって、酷いんじゃないの?そういや、オレ税金って払ってたっけ?」
「何やの、その無関心な言い草は。っても、ウチも偉そうなことは言えんからな。で、税金のがれには幾つか方法があってな」
 と、ピーチィは続けた。
 一つは労役で不足分を補う方法。これは、百ダッシュに付き半日で、領主邸の畑や果樹園を手伝う、園丁をするなどだ。
 もう一つは、《聖水》を売ること。《聖水》を他の町まで売りに行く労働だ。
「アンタさ、高い代償を払うてまで何で領民がこの町におってんのか・・・考えてみてよ」
 ピーチィは、膝を抱えながら目を伏せた。
 貴重な水資源。まさしく命の水を得る為に、住民はモジトの町に縋っている。
 伏流水が出たとしても、そうおいそれと、かつてのようには利用出来ない。大地は長年の間に汚染されていて、作物すら限られた土地にしか育たないのだ。雨水や海水を濾過して利用するのが、何処の地域でも当然のことになっている。
 だが、安全で美味な飲料水が加工なしに入手出来るとなれば、話は別だ。誰もが金や労働力に代えても、水を欲しがるだろう。この世の中では。
「だが、まさか水源自体を盗もうってんじゃないだろうな」
「いずれな。今はまず、小手調べからや・・・」
 ピーチィは、天井を見上げた。
「一つ訊いていいか?」
「何やの」
「何でお前が水源を盗む必要があんの?」
 ピーチィは、ジンの問い掛けにすぐには答えなかった。
「知ってどうすんの?」
 ジンは鼻白んだ。じろりとピーチィが睨むと、目千両だけあって、迫力がある。無理矢理聞き出そうもんなら、顔に蚯蚓腫れの三つや四つは出来そうだった。
「あー、しかし《聖水》って、何がどう普通の水と違うってんだ?」
 ジンは話題を逸らした。
「《聖水》って言われ出したのは、十年くらい前らしいわ。ジャン・カルロ・クロウが、水を他所の町に売り出す時に銘打ったのが始まりやって」
 ピーチィは、ベッドから立ち上がった。
「汚れた水を飲んだら、天罰が下るっていうわ」
「天罰?」
「うん。アンタの相手にしてたギガント。あれが、汚れた水を飲み続けた者のなれの果てやって」
 ジンは首を傾げた。
「ギガントはヒトゲノムの異常じゃなかったのか?」
「さぁ。飽くまで噂は噂やで。天罰とか何とか言うて、水を売る為の口上やと思うけど。何せ、クロウ家の当主は代々妙な呪術を使って支配しとる、ともいうし」
「呪術?」
 ジンは、冴えない顔色をした車椅子の少年を思い浮かべた。人語を解する二羽の鴉も、奇妙だった。そう言われれば、怪しくも思えるではないか。
「皆、死んでも化け物になりたないから、《聖水》を飲む。こういう世の中やから、噂でも何でも構へんねんて。縋るモンが欲しいんや。《聖水》が売れるんもな」
 ピーチィは、そう言いながら、黒いインバネスを被った。
「さぁて、またお仕事に戻らなあかん、っと。今日はまたお館様の新しい主治医が来るんやって」
「お館様って、あの子供か?」
「せや。ウチより三つも年下のな。アンタも見たやろ?普段は外出も出来へん重病人なんや。さーて、一晩フケてたん、どう言い訳しようかいな・・・」
 ピーチィは、やれやれと頭を掻きながら溜息を吐き、ジンは安堵の表情に戻った。
「あ。何でも使うてええけど、タバコは吸わんといてや。爆発物もあるしな」
 ジンは、慌ててポケットに突っ込んだ手を引っ込めた。ピーチィは含み笑いを残して、テントを去った。
「畜生め」
 ジンは、まんじりともしない心地のまま、夜を待たされる羽目になってしまった。
 リズミカルな蹄の音が八つ。代わる代わるに、小さな渓谷に響いていく。黒馬と葦毛の馬が二頭。やがて、折からの西風で、音は不協和音になった。
 先導の黒馬はリズムを一向崩すことなく、進んでいる。
「・・・たまらん」
 アーチは呟いた。黒馬に跨ったミスティ・サファイアの勇ましい後姿が、目の前にあった。
 滝のように流れる美しいブルネット。キャメル革のぴっちりしたパンツに包まれた、形良く色っぽい尻が黒馬の歩みに合わせて小気味よく動く。下着の線は、まるで見えない。否でも判る。どんな唐変木でも気付く。
「ううむ。用心棒のクセに、けしからん女だ。ノーブラの上にノーパンときては、つまりこれは・・・」
 馬上のアーチは、腰を屈めて苦しげに唸った。
「もう、たまらん。我慢出来ん」
「どうかした?アーチ」
 ミスティが、何気なく振り返った。アーチは手綱を握り締めたまま、葦毛の馬から、飛び降りた。思わず、よろめく。
「・・・い、痛くて。ケツが痛くてさ」
 ミスティは、これにはさすがに失笑せざるを得なかった。山道に入るまでは饒舌だった男が、急に静かになったと思えばだ。
 無理もない。アリスのバールで馬を借りて以来、一時間以上凸凹道を乗馬したままなのだ。乗り慣れていない人間なら、尻の皮が剥けてもおかしくはなかった。
「笑い事かよ!」
「あら、怒ったの?」
 ミスティは、意外だわね、という顔をした。如何にも寡黙なこの女らしくない。アーチは、腰をさすりながら、額の汗を拭った。
「恥を忍んで告白したんだぜ。馬に乗るのは二十歳の退役以来、・・・かれこれ六年ぶりだっての」
「お気の毒。だけど、銀十字軍も乗馬の訓練は義務付けられていた筈なのに」
「オレは唯の軍医だ」
 ミスティは、華麗な動作で馬を下りると、葦毛の馬に歩み寄った。馬は、頬擦りするみたいにミスティに鼻面を寄せた。
「あと少しで門に辿り着くわ」
 アーチは、ミスティの言葉で、邸の方向を眺めた。ミスティの後姿を見て気を紛らわせていても、尻の痛みは耐え難かった。まして、乾涸びた渓谷の様子など、具に見る余裕も無かったものだ。
 細い山道の崖下には、僅かに緑が生いている。それは、水の通り道を示していた。崖の中央から、幾筋かに分かれて細々と流れている水に従って、潅木が茂っているのだ。
 緑の周囲で蠢いているのは、リャマでも鹿でもなく、人間の姿だった。
「町の人達が水を汲みに来ているのよ」
 ミスティは崖っぷちに立って、下を見下ろした。
「《聖水》をか?」
「《聖水》であることには違いないけど、ここを流れているのは、お邸の生活排水よ」
「じゃあ、彼等は・・・」
 アーチは、ミスティの横顔を見詰めた。ついさっき、噴き出した時とは別人のような厳しい表情だった。
「勘違いしてたんでしょ、アナタ。《聖水》は金さえあれば手に入るものだけど、普通の人間はそれじゃ生きていけないのよ」
 生活用水そのものは、雨水で賄っている。《聖水》は高くて日常の飲料水には使えない。しかし、例え汚水であっても、少しでも《聖水》の霊験にあやかろうという、藁をも縋る思いなのだ。
「ああして汚水を持ち帰って、濾過して飲むのよ。《聖水》の効果は、薄れるでしょうけどね」
「・・・うえ」
「安心して。飲食店の水はアレじゃないから」
 ミスティは、こともなげに言った。
「しかし、水源を持つ者はこうまでして水を守り、持たざるものは汚水まで濾して飲むとはな」
「誰もギガントみたいな怪物になりたい人なんか、いないわよ」
「得体の知れない《聖水》の奇跡に頼ってまでもか」
「アナタが住民なら、どうするの?」
 ミスティは焦慮を込めて、アーチに質した。
「仮定の話はよしてくれ。たら、れば、の話はオレは苦手でね」
 アーチは、両腕を上げて大きく伸びをした。そのまま、腕を下ろすと、ガンアクションの構えをしてみせる。
「ついでに、奇跡を待つくらいなら、撃たれて死んだ方がマシだ」
「随分と自信家でいらっしゃること」
 ミスティは、揶揄を込めて言った。
「でも、彼等は上層都市でお気楽に生きている人間とはワケが違うのよ」
 ミスティは、抑揚の無い声で、誰にというわけでもなく呟いた。 
 贅を凝らした門は、花崗岩で出来ていた。古の凱旋門に似た造りだ。かつて凱旋門は旧ヨーロッパ世界に幾らでもあった。現存するのは、パリの半壊した凱旋門だけだ。
 門を潜ると、いよいよ屋敷が見えてくるが、これも大聖堂に似せた趣の尖塔だらけだった。
「どういう趣味なんだ、ここの主は?ゴシック調だの、ルネサンス風だのごちゃ混ぜだ」
「クロウ家は成り上がりなのよ」
「いいのか、そんな事でっかい声で言って」
「門に入るまではいいのよ」
 ミスティは、あっさりと言い捨てた。黒と葦毛の馬が並んで進んでいくと、屋敷の門扉が開いた。さらに、その奥に住居に続く両開きの壮麗な扉が見える。前庭の茂みには、警備員らしい屈強な男達が数名、佇んでいる。いずれもピンク色の兜を被っていた。
 そして、無言の門番が一人。鋼糸で唇が縫い合わされている門番は、ミスティの姿を見て錠前を外した。門番は、作業が終わると拍手で馬丁を呼び、アーチとミスティに馬を預けるように促した。
(これはこれは、また凄い色男だな)
(イケてるじゃない。今までの医者では、イットウ品があるわ)
 せむしの馬丁は、嫌らしい笑いを浮かべてアーチの顔を見た。声の主はこの男ではない。
 馬丁の両肩に止まった銀色と黒色の大鴉が二羽、カカカ、と嘴を鳴らした。
(ベッドの中まで用心棒してあげる?ミスティお姐さん)
 黒い鴉が、言った。
「黙れ。下世話鴉」
 ミスティは憤然として、馬丁の前に立ちはだかった。アーチは、その言動から、一瞬この女《パイソン・シスタームーン》を抜くのかと思った。そう思わせる雰囲気は、充分すぎるくらいにあった。だが、ミスティは静かに背を向けた。
「フギンとムニン。お館様の鴉よ」
「オーディンの知能(フギン)と記憶(ムニン)。さぞかし、お館様は凄いんだろうな」
 アーチは、鴉に聞こえるようにわざと大きな声で訊いた。
「さぁ、どうかしらね」
 ミスティは、鴉も馬丁も無視して、ブーツの踵を高く鳴らしながら、門の中に入っていった。
「ようこそ、ドットーレ・ブールヴァルド。お待ちしておりました」
 皺だらけの上品な執事が出てきて、アーチを迎え入れた。ミスティは、黙ったまま一歩下がって、その後ろを歩いた。
「屋敷に入ってしまえば、キミとオレの立場は逆転してしまうんだな」
 アーチは、ニヤと皮肉めいた笑みを浮かべてミスティの顔を見た。ミスティは無言で、オリーヴ色の瞳を上目遣いに睨付けただけだった。
 緋毛氈の敷かれた長い廊下を、三人の影が流れていく。途中すれ違ったのは、若いメイド達のグループだった。
 廊下の曲がり鼻、アーチの脇に色黒の小柄なメイドが一人ぶつかった。
「ご、ごめんなさいー」
 洗濯物を廊下中にばら撒いたメイドは、アーチの顔を見上げるなり、頬を薔薇色に染めた。
「仕事中だったかな?」
 アーチは微笑を浮かべたまま、洗濯物を拾い上げようとした。
「なああにやってんのよっ!デイジー!ぼけぼけしてんじゃないわよ」
 先輩メイドが少女を叱咤した。デイジーと呼ばれたメイドは、慌てて籠の中に洗濯物を詰め込んだ。ミスティの方をチラ、と盗み見るが、当の本人である女用心棒は少女に見向きもしない。
 ややあって、少女はいそいそと廊下を走って行った。
「あの娘だれ?えらく訛ってたな」
「新入りのメイドでしてね」
 執事はアーチの質問に、淡々と説明の言葉を返しただけだった。
「この間の式典の時も粗相を・・・。いや、先生のお世話はベテランに任せますので、ご心配なく」
「え・・・」
 アーチは何か言い掛けて、止めた。余計なお喋りはするな、と言わんばかりのミスティの目付きが、余りにも冷酷に突き刺さった。
「こえぇなあ。用心棒にうってつけの人材だよな」
 単に広いというよりは、漠としている程に、余りある空間を使った邸内は、人が少な過ぎる。二十人もいるのだろうか。
 不意に寝室から出てきた男が、アーチに視線を送った。男は、黒い僧服に身を包んでいた。
「・・・・・・」
 コールマン髭を生やした中年の男は、無言のまま、歩み去った。
「神父の出番はまだ早いんじゃないのか?」
 アーチは、誰に言うでもなく皮肉を呟いた。
「お館様は今しがた午睡からお目覚めになりました。何卒、お静かにお願い致します」
 寝室の扉が開かれた。執事は深く一礼をして、扉を支えた。
 アーチは中に入り、ミスティもそれに続いた。飽くまで、新参者を監視する為であって、普段の用心棒は主の寝室に入ることはない。
 だだ広い寝室は、廊下や前庭に比べて、意外なほどに調度品が少なかった。アラバスターで出来た台に載っている、古い置時計。印象派らしい古い油絵。部屋に入っていちばん目に付くのが、その二つだった。
 雲のような天蓋付きのベッドに半身を起こしていたのは、邸の主トリルビー・クロウだった。
「アーチレリー・ブールヴァルドです。遅くなりまして」
 如才ない口調で自己紹介し、アーチはトリルビーの側まで歩み寄った。ミスティは、一瞬たりともその動きを見逃さない。寝室の南隅、窓際に立っていた。
「理由は訊かないよ」
 トリルビーは、無表情に言った。まだ、あどけない少年の姿を見て、アーチは一瞬戸惑った。
 切り揃えられたおかっぱの栗色の髪と、赤いくらいに茶色い瞳。太陽光に当たったことが無いかのように白い肌膚。それも、透明感は無く、栄養不良の為に乾いた肌。
 リストランテにいた連中が異口同音に言うほど、この少年は悪いヤツなのだろうか、と思える繊細な容貌だった。少なくとも、見るからに脂ぎった悪党、という感じには見えない。
 少年の小柄な身体の、寝間着の胸には、細い管が何本も入り込んでいた。管の先には、旧式の大型ペースメーカーが繋がっている。液晶ディスプレイは、トリルビーの心拍数を正確に数字化していた。
 ワゴンの上には、《聖水》と思しき液体が満たされた水差しとタンブラーが置かれていた。
「診察をよろしいでしょうか?」
 アーチは紳士然とした顔付きで言い、腰を曲げた。トリルビーは頷き、その痩せこけた頬に深いえくぼが刻まれた。
 寝室を出たアーチは、やや疲れた顔をして執事の後を歩いていた。
 アーチは、先刻の事を具に思い返した。
 十五分ほどの触診と問診だったが、二時間もの長さに感じられるほど疲労感を覚えた。少年は、年齢の割りに成長が遅く、心疾患に特徴的な栄養失調が見られた。あんな時代錯誤の巨大なペースメーカーを繋いでいること自体が、馬鹿げている。下界のヤブ医者共に、弄り回させて、何を考えているんだ。
 まず、機械を外して、食事をまともに摂取させることが先決だと、アーチは感じた。
 人間は、いや、動物は自ら捕食するという本能こそが生命を維持する第一の手段だ。
「そう言えば、ここの住民は混血か?お館様は、まだモンゴロイド斑があった」
「漢民族ではないわ。コリア系は上に行ってしまった。南下したモンゴル系と、ラテンアメリカ移民の混血が大半よ」
 執事の代わりに、ミスティが答えた。ミスティは、静かにアーチの後ろを歩いていた。
「日本人の血が入っているってことは?」
「さあ、どうかしら。純血民族など、今時いるのかしらね」
 一世紀も前に滅んだ国の民族の行方など、誰も知りはしない。ミスティは、冷ややかに答えた。人種という意味では、明らかに、この女用心棒も、アーチも外部の人間だった。そして、町の人間とはお互い深入りしないのが、外部の者の暗黙のルールだ。
「でも、トリルビー様はアナタをお気に入りのようだわ」
 ミスティは、アーチの後ろ髪に囁いた。
「そうかな」
「今までお館様が呼んだ医者は、総て若くて男前で聡明な人材ばかりよ」
「どういう意味だい?」
 アーチは、振り返った。
「他意はないわ。前の医者のビオンディ(金髪)だったわよ。二週間でクビになったけど」
「何でまた」
「詳しいことは、さぁ。私もここに来て二ヶ月だから」
 ミスティは、適当に茶を濁した。執事の視線を感じたからである。アーチは、憮然と白衣のポケットに両手を突っ込んだ。
 回廊を渡って、離れがある。二階建て、地下室付きの建物は、かつては武器庫として使用されていた。ミスティは既に持ち場へ帰っていたのだ、アーチは執事と二人きりで部屋の中を一周するところだった。
「二十数年前まで、坊ちゃまの家庭教師の部屋として使われておりました。先日、掃除したのですが、まだ埃っぽいところもあるようで。何か足りないものがありましたら、お申しつけください」
「足りないものねぇ。・・・関係ないんだけど、あの女用心棒は、誰の肝煎りでここへ来たんだい?」
 執事は、その質問に一瞬考え込んだ。
「特にはお聞きしておりません。優れた腕前の用心棒が欲しい、と人材派遣協会に問い合わせたら、翌日にはもうお見えになりました」
「へえ」
 そんな馬鹿な。プレミオーロが人材派遣協会に登録するなんて。上前をはねられるようなことを自ら進んでするわけが無い。何か訳ありでなければ、そんなまどろっこしい事はなしだ。ただでさえ、賞金はプレミオーロ協会の手数料を引かれてしまうというのに。
「で、彼女の部屋は何処なんだい?」
 アーチは、荷物を床に投げ出し、窓を開けた。西日がすっかり傾いていた。空は薄紫色に溶けている。
「それはお答えできません。規則でして。客人には、御婦人の個室をお教えすることは出来ません」
 執事は困ったような、それでいて、立派に任務を全うしているという誇りに裏付けられている口調で答えた。白く長い睫毛が八の字に垂れ下がった。
「規則というなら仕方ないな。尤も、規則破りはオレのお得意なんだけどな」
 アーチは平然として言った。執事はややうろたえた目付きをして、アーチから視線を逸らせた。これで、前任者が追い出された理由は判然としたものだ。女用心棒にちょっかいを出すな、ということだ。何故だろう。用心棒など、所詮は金だけの雇われ人だ。職務以外に何をしようと、当人の自由の筈だ。
「ところで、坊ちゃまって誰?」
「ジャン・カルロ様のことです。お館様の実の父君・・・」
 その時、窓の外からざわざわと風が部屋に侵入した。砂混じりの黄色い風だった。
 アアオオオオオウ。
 風の音に混じって、微かな呻き声がアーチの耳に飛び込んできた。
 夕暮れに吹く寂し風とは違う。決して聞き間違いではなかった。
「何か聞こえない?」
「いえ。ただ、この邸は町よりもずっと高台にありますので、渓谷を抜ける風がきつく当たります。窓を開けると、御覧の通り、砂も入って参りますので」
 執事は、全開だった窓を閉めた。
「気のせいかな。人間の声のように聞こえたが」
「御夕食の時分には、またメイドが呼びに参りますので」
 執事は、アーチの呟きには全く取り合わず、部屋を下がった。
「・・・どいつもこいつも朴念仁め」
 アーチは、ぶうつきながら、埃塗れの白衣を脱いだ。深青のシルクシャツに包まれた細身の上半身を呪縛していたものを外す。
 ぴちっと整えられたベッドの表面が少し窪みを作るほどの重みだった。
 ショルダー・ホルスター。そして、その中身は《キングコブラ・バニッシュメント》という名の、今では市井でお目に掛かれない稀少なリヴォルヴァー。
 人類は長い長い夢を見ていたのかも知れない。
 地球環境は、常に変化している。それを、恰も我が事だけのように勘違いしてしまったのは、科学万能時代に突入してしまってからだろうか。
 二十一世紀には、手狭になった居住空間を広げるという目的の為に、スペースコロニー(宇宙植民地)を開発する計画がグローバルに行われた。
「スペースコロニーのなれの果てがチエーロなんだ」
 チエーロと呼ばれる上層都市以外の荒廃地域であるディアスポラは、世界救済に余念が無かったヴァティカンの天下だ。先の大戦の後、五大陸全土にいち早く平和活動維持軍を送り込んだのも、ヴァティカン国防省だった。
 だが、高度文明を捨て去るに決断が早かったのも、ヴァティカンだった。
『分不相応な野望は身を滅ばす。人に与えられた才分を超えて、人の規をまっとうする事は出来ない』
 教皇は、こう言った。旧教徒でないジンも、この言葉には納得した。後々、この言葉を痛い程噛み締めねばならない事を含めて。
「人間は所詮、地べたを這いずり回るように出来ているってことだ」
 そう言ったジンと、ピーチィの頭上に満天の星が輝いていた。
 ピーチィは、何処をどうやったものか、ジンとの約束通り、クロウ家を抜け出して、午後十時きっかりにこの場所へ来た。この少女のことだ、こそ泥顔負けの手業でも持っているのだろう。
 乾いた断崖の上は、本当に星を見るには絶好のスポットだった。これから行う仕事のことさえ考えなければ。
「二十三世紀までに、チエーロと呼ばれる上層都市が、約五十出来た。全人類の五分の一が住んでいるというぜ」
「アンタ何で、上から出てきたんよ?居心地悪かったんか?」
「退屈だからな」
「贅沢言うな。水もおちおち飲まれへんところやで、ここらは。お遊び気分でフラフラしとるヤツなんかおらへん」
 ピーチィは、やや軽蔑したかのように、ジンに応えた。
「プレミオーロがお遊びだって言いたいのか?」
「別にぃ」
 ピーチィは、そっぽを向いて作業に専念する振りをした。膝の上には、モバイル・パソコンが載っている。ジンは暇を持て余していた。カッフェも三杯目に突入した。
 この少女と行動を共にしていると、どうも調子が狂う。いつもの相棒ならば、適当につかず離れずなのだが。
「何か間違ってねェかなあ、オレ」
 ジンは自問自答した。本当に協会を通したかどうかも分からない仕事を引き受けるなんて。
 懐がさみしかったのがいけなかった。一日一万ダッシュの誘惑には勝てなかった。
「お遊びとちゃうかったら、何やの?アンタらヴァティカン政府に保護されて、仕事も斡旋して貰ってるんちゃうの?」
 ピーチィは、ジンの方を見ないで、淡々と言った。
 やや躊躇った後、ジンはカッフェを一気に呷った。
「オレはパーパ(教皇)の命で、ある人間を追っている」
「そいつもプレミオーロ?」
「シルヴァー・ブレットというヤツだ」
「どっかで聞いたことある名前やな」
 ピーチィは、目を丸くしたまま、ジンの顔を上目遣いに見た。
 シルヴァー・ブレット。
 年齢不詳。性別不詳の賞金稼ぎ。関わった事件は三千件を下らないという。現在も、その数は進行中だ。
「見たこともねえ相手なんだがなぁ」
 と、ジンは咳払いした。
 ポートレートも何も残っていない。というのも、事件当事者のシルヴァー・ブレットに関する目撃証言がことごとく違っているからである。
 二メートル近い大男だった、という証言を聞いた次の町で、ほっそりした絶世の美女だったという噂を聞いた事もあった。
 むしろ、唯シルヴァー・ブレットの名を語って悪事を働く連中が多いのではないか、とジンが気付いたのは、かなり経ってからの事であったが。
「ただ、シルヴァー・ブレットは、こいつと同じ、銀色のマグナム弾を装填する銃を持つ。しかも、パウダーガン使いにとって最高の称号《神鎗》(ディーオ)を持ってるんだ」
 ジンは、ホルスターから抜いた《ブラックホーク》の銃身を撫でた。ラッチを押し、シリンダーをスウィングアウトさせると、左掌にバラバラと六発の44マグナム弾が落ちた。
「《神鎗》って何やの?」
「パウダーガン使いに《称号》があるのは知らねえか?」
 ピーチィは頷いた。
「ヴァティカン法務省公認の称号は五階。下から《銃星》(マエストロ)、《銃将》(カピターノ)、《銃王》(プリンキパス)、《銃聖》(サンテ)、《神鎗》。《員外》(アウトティットーレ)ってのもあったな」
「ふーん。何でも階級付けたがる連中やな。司祭とか司教とか」
「ま、要するに選ばれし銃使いってワケだ。《神鎗》は一人のみ。あとの四階は十一人の筈だ」
 《称号》の叙階も、神の秘蹟と同等に扱われる。
 方法は、自分の望む《称号》を有する者に試合をのぞむだけだ。試合は聖職者立会いのもと、公開で行われる。世襲制は禁止されている。譲渡の場合は、厳重な審査が行われる。
 無論、《称号》を持つことは、パウダーガン使いにおける名誉であり、目標でもある。
「アンタもその《称号》を持っとんの?」
 いや、とジンは首を大きく横に振った。
「いや、つまりオレの場合は《称号》保持者が五年前から行方知れずでな、・・・」
「え?」
 ピーチィは、少し考えた後で、瞳に星を輝かせた。
「もしかして、アンタ最高位を狙うてんの?」
「・・・悪いか」
 ぷぷぷ、と噴き出したピーチィを、ジンはサングラスの下から横目で睨む。
「ごめん。せやけど、正直言わせて貰うたらアンタ、そこまで強う見えへんのやもん」
「悪かったな、強うなくて」
「ま、ギガント倒す腕は見込めるけどな・・・」
 ピーチィは、申し訳程度にフォローを入れたが、無駄だった。ジンは、むっつりしたまま《ブラックホーク》を軽々とグリップすると、シリンダーを押し込んだ。
「で、この町で妙な流れ者を見掛けたとか、そういう噂を聞いたんだが」
「ウチ、そんなん知らんわ。ヴァティカンの査察官が来るとかいう話は、お屋敷でちらっと聞いたけどな」
 パソコンが、ピピッとアラームを鳴らした。仕込んでおいた発信機が、反応を示したらしかった。
「あっ。来たで来たで」
 ピーチィは、大声を上げて立ち上がった。パソコンのディスプレイに映っている地図上の渓谷を、赤い点が動き出した。画面の右から左へと移動中だ。
「呑気な事してられへん。お仕事や!行くで」
 ピーチィは、急に顔を輝かせて、ナイトゴーグル片手にいそいそとテントを出た。ジンは、その後をのそのそと這い出して追った。
「はいはい、判りましたよ、やんちゃ姫」
 ジンはぼやきつつ、再び分厚いシリンダーにマグナム弾を装填した。
「お前さんが、トリルの新しい主治医か。これで六人目だったな」
 アーチの頭上で、太い声がした。アーチは、パソコンの画面から目を逸らさなかった。
「人と話をするときは、顔を合わせるもんだ。特に、依頼人の前ではな」
 アーチの顎が無理矢理、画面とはあさっての方向に向けられた。目の前に否応無く中年男の顔が映った。黒髪をオールバックに撫で付けた、所謂男っぷりのいいタイプの顔だった。
 白いスーツに日焼けした肌。絵に描いた様なプレイボーイぶりが板についている。
 一目で癖のある人物とわかる態度も然り。この男がジャン・カルロ・クロウであることは、瞭然だった。
 ジャン・カルロは、アーチの顔を一通り品定めしてから、手を離した。
 香料入りタバコの匂いが、ぷん、と微かにアーチの鼻先に残る。
「元軍医だって?若いな。幾つだ、坊や?」
「医師の腕に年齢は関係無いでしょう」
 アーチはそう言って、椅子の背凭れに左肘を掛けた。ジャン・カルロは、アーチの言葉を無視して、テーブルの前に回った。そして、大理石で出来たテーブルに両手をついた。
 早朝の中庭に園丁の姿はない。
「で、ガキはくたばりそうなのかい?」
「いきなり剣呑ですね。それにはお答え出来ませんよ。患者のプライバシーを守るのも医師の務めですから」
 アーチはジャン・カルロの顔を見上げた。男でもドキリとするような意味ありげな表情で。
「実の父親にもか?」
「当然。あなたがそう仰るのは、故あってでしょう?例えば、お館様亡き後は、あなたにそっくり《聖水》の権利が渡るとか。この家の莫大な財産が自由になるとか」
 アーチは冷然と言い放った。
 重病の当主の後見人として、ジャン・カルロが《聖水》の仕事を一手に引き受けており、実権を握っているのも同然なのは事実だ。無論、十歳やそこらの子供に何が出来るというのだ。また、水の権利という名目がトリルビーの元にある以上、ジャン・カルロがまだ当主でないのも事実だった。
 やにわに、ジャン・カルロの瞳に怒気が篭る。一触即発になりかねない緊張感が、朝の爽やかな空気に漲った。
「トリルがああなってから、約一年。オヤジと同じ病状だ。助かりっこない」
 ふふ、とアーチは笑いを洩らした。
「何が可笑しい」
 ジャン・カルロは、不愉快を露わにして唸った。しかし、さすがにお館様主治医の美貌を血で汚すのは、気が咎めたらしかった。
「あなたは、お館様がいつまで生きられるとお考えですか?」
「ふん。せいぜい次の日蝕までだな」
「あと七日ってとこですか」
 アーチは、可笑しいのを堪えて言った。
「与太話だと思って笑うがいい。オレの予言は確実だ」
「あなたがマクンベーロ(呪術師)とは知らなかった。祈祷で治せなかったんですか?それとも・・・」
 言い掛けて、アーチは襟を正した。気に食わないヤツの前では、口が勝手に動いてしまう。
「兎に角、私は私の遣り方でお館様に最高の治療をさせて頂きますよ。こう見えても、教皇の主治医の愛弟子でね」
「えらい自信じゃあないか!大言壮語して三日で逃げ出したヤツもいたが」
 ジャン・カルロは呵呵大笑した。アーチはこの手の挑発には、決して乗らない。
「具体的には、どういう治療を施すつもりだ?ご参考にさせて頂こうじゃないか」
「所謂、悪性腫瘍にはポジショナル・クローニング(遺伝子治療)です。明らかなDNA損傷認知の不備と、異常細胞を抑制するサプレッサージンの極端な低下が見られます」
「ほう。ふははは、今更!あんた、診たんだろう?トリルのあの無残な姿を!」
「・・・・・・」
「お話中、申し訳ありません」
 若い女の声が、二人の間に割って入った。
「なんだ、新入りか」
 ジャン・カルロはあからさまに揶揄を込めて言った。デイジーは、銀の盆にティー・カップを載せて立っていた。
「先生、今朝ほどお館様がお召上がりになったお食事のリストです」
 デイジーは、紙切れをアーチに差し出した。アーチは、苦笑を浮かべて素早く裏返しにした。慣れない手付きのデイジーは、ティー・カップをテーブルに置く。
「プライバシー厳守か」
 ジャン・カルロは、面白くなさそうに言った。
 アーチは、初診の時のトリルビー・クロウの姿を思い出していた。
 少年の痩せた身体の中で唯一、奇妙に膨れ上がっていた瘤は、胸の中心にあった。患部を取り巻く皮膚は、幾度もの手術に醜く引き攣れ、赤黒い痣に染まっていた。
 ちょうど、胸に石榴の果実が押し込まれたみたいに、奇怪な様相だった。鼓動の度に、鎖骨の上の皮膚が引き攣る。その上の繊細な少年の顔付きとのギャップが、哀れ過ぎて見えた。
 心臓は唯一、人間の臓器の中でガンが発生しない部分である。心細胞は生まれた時のまま成長し、一生変わることがない。ところが、細胞が絶えず死生を繰り返している部分なら何処でも、ガン細胞は侵食する。
 トリルビー・クロウの場合は、その心細胞が勝手に分裂し出した。ある日突然、心臓が痛み出した時には、既にガン細胞は心筋までも取り巻いていたのだった。
「心細胞に皮膚細胞などと同じ自己淘汰能力、つまりアポトーシスというのですが、その細胞自殺が起こったのが、初期段階。心細胞のアポトーシス自体が異常なのですが、更に奇形した遺伝子が置き換わったのでしょう。原因は兎も角、置き換わった塩基を見付けるのが一苦労でして・・・」
 ふと、アーチは口篭った。デイジーは、すぐにその場を離れなかった。大きな黒い瞳を、アーチに向けたままだった。
「あれがガンか?オレにはまるで別の生き物のように見えるぜ」
 ジャン・カルロは、あからさまな嘲笑を含んで、ずけずけと喋った。医者の言など端から当てにしていない、といった風情がありありだ。
「普通はあそこまで細胞が増殖仕切ってしまうまでに、人間の身体は衰弱してしまいますから。極めて珍しいケースとは、言えるでしょう」
 あの不恰好な旧時代的ペースメーカーを付けていても、トリルビーの命があと三ヶ月ももたないのは、明白だった。いつ、腫瘍が心房と動脈を押し潰してしまうかは、今までの医者が言ったように、最早時間の問題だ。
「要するに、別の生き物さ。ガンは人間を巣食う悪魔だ。ガキに取り憑いているのもな」
「やはり、祈祷でもなさったほうがいい」
 アーチは苦笑した。遺伝子工学の確立した世の中で、いまだにガンは悪魔だのという言葉を聞いたのが、意外だ。アーチは、再びパソコンを動かし始めた。今、標準遺伝子地図を参考に用いて、トリルビーの遺伝子地図をコンピュータ上で作成中だった。
「ふん」
 ジャン・カルロは関心を無くしたようで、軽く溜息を吐いた。
 口から泡を飛ばした執事が、中庭に入り込んで来た。
「ぼぼぼぼ、坊ちゃま!」
「その呼び方はよせ。何度言ったら判るんだ」
 ジャン・カルロはむっつり、とした。一瞬、アーチの方を盗み見る。
「ですが、坊ちゃま。私は昔からこの呼び方で、坊ちゃまは坊ちゃまに変わりありませんことですし・・・あわわ。そんな事を伝えに来たのではございませんでした」
 執事は額の汗をハンカチで拭い、襟を正した。長い眉毛が、動転の余りカールしている。
「大変でございます!ウォーター・トレーラーが賊の襲撃に遭いまして・・・」
「賊だと?《ベイビー・フィンガーズ》か?」
 ジャン・カルロは、憤然と叫んだ。デイジーの大きな瞳が、びくんと震えた。
「また、可愛い子ちゃんの集団みたいな名前だな」
 アーチはククッと笑って、紅茶を一口飲んだ。
「ご冗談を。《ベイビー・フィンガーズ》と言えば、ここらでは大変恐れられている盗賊です。頭領はピーチィ・フィズと言いまして・・・」
「余計なお喋りはいい、早く現場に案内しろ!」
 ジャン・カルロは、執事の襟首を乱暴に引っ掴んだ。執事は抵抗せず、まるで嬉々として、ジャン・カルロに引っ張られて行く痩せ犬のようだった。
 アーチは、その二人に一瞥をくれただけで、またパソコンに向かった。
「きな臭い所だぜ。しかも、変人ばかり住んでるときたもんだ」
 と、歌うように独りごち、キーボードを叩く。
「キミもそう思うだろ?」
「はぁ・・・」
 デイジーは返事に困った。銀の盆を抱えて、目をぱちくりさせるだけだ。
 その頭上を二羽の大鴉が舞っていた。
「さっきから、人の話を立ち聞きとは頂けないぜ。いや、鴉は立ち聞きとは言わないか」
 デイジーの肩がぴくり、と動いた。カァ、とわざとらしい鴉の作り声が中庭に響いた。
 会議室はわんわんと人で唸っていた。扉の前にはショッキング・ピンクの連中が三人うろついている。一昨晩の、ウォーター・トレーラー襲撃事件のお蔭である。邸内にこれだけ人が居たのか、という程の集まりだった。
 アーチはたまたま、廊下からその様子を垣間見た。
「関係者以外は立ち入り禁止です」
「昨日からずっと通れないってのは、どういうことなんだ?」
「規則ですから」
 警備の《ピンク・レモネード》団員達は、ここぞとばかりに仏頂面でアーチを廊下から追い遣ろうとした。
「中にいるのは、邸の人間ばかりじゃないわよ」
 ミスティ・サファイアのハスキー・ヴォイスが囁いた。まるで、女豹のように静かに素早く、アーチの背後に回っている。香水の甘い香りに混じって、微かにグローブの刺激臭がした。
「驚いたね、キミ。解説ありがとう」
 アーチは首の後ろを擦った。襟足に掛かった吐息がこそばゆい。ミスティの低い声には、殺気すら感じた。
 しかし、相変わらずの美女ぶりだ。《ピンク・レモネード》団の目付きも違う。この女には、一目置いているのだ。
「興味があるなら、ついて来てもいいわよ」
 居丈高な口調の割りに、ミスティは親切にアーチを案内して、二階に上がった。階段を上がって西の、突き当たりの部屋に入る。客間として使用されている、小さいが豪奢な装飾の多い部屋だった。
 ミスティは、裏庭が見えるバルコニーに出た。
 バルコニーから、斜め下方に視線を落としてみると、自然な形で会議室の窓が覗けた。警備と言っても、この程度だ。
「《ピンク・レモネード》団の団長、ベリーニという男もいるわ。コールマン髭の男」
 ミスティが指差した先に、黒服を着た、壮年の大柄な男がいた。
 トリルビーの寝室から出てきた、あの神父だった。
 会議室の面々は、五十数名はいるだろう。皆が皆、愉しそうな顔付きではなかったが、殊にジャン・カルロとベリーニは険しい表情を露わにしていた。
「町の人間全部がクロウ家をクソミソに言ってるワケじゃあないんだな」
 アーチは手擦りに凭れた。
「当たり前でしょ、むしろ反対派の方が少ないわ。生活が掛かってるからでしょうけどね」
「・・・あの黒服さ。ベリーニってヤツは神父じゃないのか?」
 ミスティは、アーチの質問の意味を直ぐに悟った。聖職者が武装するのは、別段、物騒なディアスポラでは珍しいことではない。政治的な事に関与しているかどうかだ。
「利権の問題よ。ベリーニは、ジャン・カルロが実務を始めた頃からの、十年来の付き合いらしいわ」
「へえ。何の利権なんだか」
 どいつもこいつも腹に一物ありそうだぜ、とアーチはミスティの横顔を盗み見た。
「町外れの渓谷で、トレーラーが罠に掛かったのよ」
 ミスティは事件の仔細を話し出した。
「エモノは網。モリブデン鋼を縒り合わせた、今時珍しいカジキ漁用の丈夫な網でね。崖の上から投げられたらしいわ」
「古い手だなぁ」
「罠に古いも流行りもあるもんですか。とにかく、まんまとしてやられたってワケよ」
「《ベイビー・フィンガーズ》にか?」
 アーチはさもありなん、という風に笑い、ミスティは小さく溜息を吐いた。
「・・・それが「《ベイビー・フィンガーズ》とは限らないらしいから、ちょっとした騒ぎになってるのよね」
 ウォーター・トレーラーが襲撃された時、クロウ家の護衛車は前後に一台ずつ走っていた。深夜の交易道路は、盗賊の巣窟を通り抜けるがごとくハイリスクをはらんでいる。しかし、クロウ家の用心棒《ピンク・レモネード》団は、猛者を誇っていた。
「その猛者共とやらが、あっという間に一蹴されてしまったというのよ。たった二人の賊に」
「キミはその場にいなかったのか?」
「私はお館様を守るのが仕事だから」
 ミスティは、バルコニーを離れた。鴉の羽音が、微かに聞こえたからだ。
「十数人からいた連中を殺してしまったってのが、何処のどいつかって会議かよ。アホくさい」
「アナタ、相当ジャン・カルロがお気に召さないようね」
「誰があの安っぽい伊達男を気に入るってんだか。四十がらみで坊ちゃまだぜ。ケッ。当主が十歳のガキで、四十男が坊ちゃま・・・この家はどっかおかしいぜ」
 さも汚らわしい言葉でも口にしてしまったかのように、アーチは唇を拭った。
「同属嫌悪という言葉があるわよ」
 ミスティは薄ら笑いを浮かべながら、神託を下すかのように言った。
「チッ、冗談はよしてくれ」
 そのうちヒイヒイ言わせてやるこの女、と思いながら、アーチはミスティの残り香を追って部屋に引っ込んだ。
「でも、殺しではないわ。賊は意図的に怪我をさせたに留めている」
 ミスティは、窓辺に寄り、後ろ手でカーテンを閉めた。青い瞳が不穏な炎を点して、アーチの瞳をまともに見詰めた。不意に小暗くなった部屋で、アーチはきょとんとした顔のまま、唾を呑んだ。
 ミスティの右手が伸びた。指先に摘んでいた何かを、アーチに手渡す。
「これは・・・」
 乾いた血が赤黒くこびり付いた44マグナム弾丸が、アーチの掌に転がった。ジャケット・ホロ―・ポイント形状のものだ。
「負傷した《ピンク・レモネード》団員の傷口から取り出したものよ」
 ミスティは、それだけ言って、アーチの反応を探るように押し黙った。
 アーチはろくに弾を見もしないで、ミスティに近付いた。そして、何処か冷めた胡乱な目付きで、ミスティを見定めた。いや、見たのはミスティの背後の窓だった。
 カーテンを引き開けると同時に、羽ばたきの音が聞こえた。
「出歯鴉ね。ここの家の、誰よりも油断ならないヤツだわ」
「ああ。しかし、オレを疑ってるんなら、お門違いだぜ。執事に聞けばアリバイが確定する。そもそも、水泥棒なんかしたところで、何の得にもなりっこないじゃないか」
「水を扱うのは、莫大な利益に関わるビジネスだわ」
「冗談!オレは医療業務以外、アルバイト禁止の身でな。薄給だが、ヴァティカンからは月々のお手当てを頂いてるってことで」
「成る程」
 ミスティは、まるで軍隊口調で応じた。
「実弾を撃ったこともない?」
「ない」
 アーチは、きっぱりと言い、汚れた弾丸をミスティの手に押し返した。
「ちなみに、自前の実弾は、ダブルライフル並みに凄いぞ」
「はいはい。疑って悪かったわ」
 意外なことに、ミスティはあっさりと負けを認めた。少なくとも、口上だけは。
「・・・じゃ、早速詫びを入れて貰うとするか」
「え?」
 アーチの言葉に、ミスティは一瞬怯んだ。目の前の涼しげな美貌の中に、とてつもなく凶悪な冗談を見たような気がしたからだ。 
 三月に一度だけ、モジトの町の繁華街が否応無く賑わうのが、この日だった。上層都市からの物資が交易団から運ばれて来るのだ。
 繁華街の隅に三日間ほど、大きなサーカステントみたいなものが設営される。そこで、町の人々は文明の利器や流行の衣服、高級食料品を買い求める。交易団は、いわば移動メルカート(市場)の役割を果たしているのだった。
「人ごみは疲れるわ・・・」
 ミスティは、小さくぼやいた。右手に提げた荷物をじっと見て、再び面を上げた。
 視線の先には、電動車椅子に乗ったトリルビー・クロウの姿があった。
「買い物なんか、いつもメイドにやらせてる。何でボクが付き合わなきゃならないんだ」
 トリルビーは、頬を膨らませた。
「天気のいい日は、太陽光に当たらなきゃいけませんね。ビタミンDの生成は、今もって日光浴が効率抜群なんです」
 アーチは、トリルビーの顔を覗き込んだ。
「そんなの、庭に出てれば充分だと、今までの医者は言ったよ」
「人間、身体を動かさなければ、体力が落ちるだけでしょう。町の様子を見て回るのも、領主の仕事ですよ」
「そりゃ、そうだけど・・・」
「ご気分いいでしょう、いいでしょう?」
 そう訊かれても、トリルビーは直ぐに返答しなかった。
「ボクのしたいようにさせる医者を連れて来るんじゃなかったのかい?ミスティ」
「え」
 ミスティは、返事に困った。アーチは、一歩下がって仏頂面のミスティに並んだ。代わって、デイジーがスカートをひらひらさせながら、車椅子の後を付いて行く。
「いいじゃないか。邸の中にいる時のあの子の物憂げな顔を知らないとは言わせないぜ」
 ミスティは、少し考え込んだ。
 一昨日、西日の当たる小部屋でアーチが言った。何を言われるのか、ミスティは内心恐れていた。相手は、誰の前でも軽口を言うものの、実際何を考えているのか判らない男だ。政治的画策をするようなタイプにも見えるが、直感だけで動いているようにも見える。
「この町に交易団が来るのはいつだっけ?」
「明後日よ。それがどうかした?」
「オレを護衛してくれるかい?トリルビーを連れて行く」
「お館様を?何言ってるの」
 外出など滅多に出来ない重病人を連れ出すつもりなのだ。幾ら、ここのところお館様の体調が良いとはいえ、外出は無理の元だ。医者の癖に、非常識な考えともいえる。
「メルカートの時も《聖水》を売るんだろ。賊は必ずもう一度現れる。へぼだが、《ピンク・レモネード》のヤツらも準備させとくといい」
「何故、そんなことが判るのよ」
「・・・それは、行ってからのお楽しみさ。髭のおっさんやピンク野郎よりも、キミに手柄を立てて貰う方がオレ的に気持ちイイ」
「私はお館様の用心棒よ。《ピンク・レモネード》の連中みたいに、利権のお零れに興味は無いわ」
 ミスティは、侮蔑を込めて言った。アーチはオリーヴグリーンの瞳を細めて、微笑した。
「ジャン・カルロにも、そう言ってやるといい」
 意味ありげな口調だった。何を考えているのだろう。ミスティは、首を傾げる振りをした。
「はん。何処まで口八丁なのかしら。・・・でも、子供のお守りは私の仕事じゃない」
「キミ、子供苦手そうだからな」
「バカ言わないで」
 ミスティは、眉を吊り上げた。アーチは、一本取ったというニヤついた笑みを気取られないように、慌ててそっぽを向いた。
 外は、陽が沈みかけていた。
 テントを出る時には、ミスティもデイジーもすっかり両手が塞がっている状態だった。トリルビーは疲れ切って、車椅子の上で微かに寝息を立てている。
「こんなにお疲れになって、大丈夫でしょうか?」
 デイジーが、トリルビーの額の小汗を拭いながら、アーチに訊ねた。
「ペースメーカーのバッテリーだけで動けるのは四時間。そろそろ戻った方がいいかな」
 トリルビーには、死んだ母親の記憶が無いという。母親こそが先代ボナンザ・クロウの娘で、ジャン・カルロは婿養子として、少年時代からクロウ家の籍に入った。素性はよく判らない。誰の薦めで、ジャン・カルロのような小悪党を身内に入れたのか、疑問の残るところだ。
 兎に角、それで、何故幼少のトリルビーが当主の跡目を継いでいるのか、説明がつく。
 とはいうものの、病気とわかっている孫をわざわざ当主にする必要が、何故あったのか。
 ジャン・カルロには大口を叩いたものの、どう考えても、トリルビーを完治させる方法があるとは思えない。アーチは、内心首を捻っていた。最後は、嬉しくないが、ヴァティカン科学省の力を借りねばならないだろう。
「外出は負担になったろうか?」
「トリルビー様は、きっとお喜びですわ。無愛想な言い方をなさいますけど」
 デイジーは、鼻の頭をハンカチーフで押さえた。
「若旦那様はトリルビー様にまったくお構いにならないんです。あの通りのルックスでしょう?愛人が絶えたことはないし、手を出されたメイドも少なくないんですぅ」
「キミもそのクチかい?」
 アーチの明け透けな質問に、デイジーは戸惑ったが、直ぐに鶴のような細い首を横に振った。
「と、とんでもない!私は子供だし、色気もない・・・」
 デイジーは、チラリとミスティの横顔を盗み見た。ミスティ自身は、話に全く関心が無いといった様子で、無口に通りを眺めているだけだった。
「ちょ、ちょっとお手洗いに」
 デイジーはぺこりと頭を下げると、慌てた様子で駆け出した。
 繁華街は、普段にない活気に溢れていた。そして、さらに活気に溢れた少女の声がジンの耳に届いた。
「アンタやっぱ凄腕やん!ウチが見込んだだけのことはあるわあ」
 ピーチィはうきうきとして、超小型通信機に話し掛けた。
 マイクはメイド服のボタンに仕込んであった。
 うっとりと、閉じた瞼の下のその大きなハシバミ色の瞳には、四日前の夜の光景が再上映されているのに違いなかった。
 渓谷で待ち伏せ、まずピーチィが護衛の車に発煙筒を叩き込んだ。前の車が騒いでいる隙に、特製のトロール用魚網を放つ。祖父の時代にカジキ漁で使っていた魚網だ。べらぼうに大きくて、丈夫である。仕掛け通りに掛かってくれたトレーラーの上に、ジンが飛び降り、運転手を足止めした。そこからすかさず、後方の護衛車を狙って・・・ジ・エンド。
 強奪したトレーラーに乗って、はい、さよなら、という筋書き通りの展開だった。
「ったって、お前殆どオレにやらせてんじゃないか」
 ジンはサングラスの下から、親指を立てたピーチィをじろりと睨んだ。商店街の裏道から遠めに見えるのは、メイドの後姿だけである。
「かたいこと言いっこなし!ウチがリーダーなんやからそれより、引き続きお仕事やで。ああ、標準語は疲れるわ、ホンマ」
 ピーチィは、急に目の色変えて腰に両手を当てた。
 今度は、交易団のテントで仕事だと、ジンは聞かされていた。普段、《聖水》はモジト以外のディアスポラの町で売られているだけだ。
 ジャン・カルロ・クロウは、三月に一回のこの機会に上層都市と《聖水》を取引するのである。仲買連中を襲って、根こそぎ水を奪おうというのが、ピーチィの計画だった。
 しかし、奪った水をどうするつもりだろう、とジンは疑問に思う。金じゃないのだから、貴重な《聖水》をそこら中撒き散らすというわけにはいかない。配って歩けばお足がつく、というものだ。考えなしめ。こんな計画に踊らされているオレもオレだが、とジンは肩を竦める。
「なぁ、今度は真夜中でもなけりゃ、人だかりの中だ。覚悟しといた方がいいぜ」
 ジンは、冗談でなく言った。
「何を怖気付いてんねん。今更うだうだ言うてもアカンで」
「誰が怖気付くだぁ。オレはだな・・・」
「はよ、やってーな!ウチそろそろお館様のところに戻らなアカンよってな」
 ジンは仕方なく、民家の屋根に攀じ登った。右手に催涙弾を装填したモデルガンを掲げ、メインストリートの様子を伺った。
 五分も経たないうちに、クロウ家のトレーラーは来た。土埃を巻き上げながらトレーラーが止まり、運転手が降りてきた。
 トレーラーの前に、人が集まり始める。テントの中からも、通りからも。
 ピーチィが、合図を送る。
「今や!」
 催涙弾が発射された。
 白い煙がぱっ、と一瞬上がり、街路を包んだ。次いで、人々の間に混乱が湧き上がった。ジンはバンダナでマスクをし、屋根から飛び降りた。黒いサングラスにバンダナの覆面とくれば、最早、怪しい賊以外の何者でもない。
 もうもうとガスが立ち込める中へ、踏み出しながら、右手でヒップ・ホルスターから《ブラックホーク》を抜く。トレーラー脇の仲買人達に、狙いを付けた。
「ぞ、賊だ!」
 仲買人の声で、周囲の買い物客が逃げ出した。突然の催涙弾に、銃声とあっては、もう上を下への大騒ぎである。メルカートの中から、野次馬が慌てて出てくる。
「野郎。たった一人じゃねえか・・・あっ」
「こないだの《空腹亭》のパウダーガン野郎!」
「良い機会じゃねえか、やっちまえ!」
 商人達の間から、屈強な男達が踊り出して来た。趣味の悪いショッキングピンクの鉄兜。《ピンク・レモネード》団だ。手には、それぞれブラスターを構えている。
「生憎だが、一昨日も会ってるんだよな。手前らには」
 ジンの右手が、素早くアクションを繰り出す。
 腰を溜めたファニング(扇撃ち)。払い除けるような動作が弧を描いて、光が迸った。銃声は、まともに腹に響いてくる。
 続けざまに六発。
 そして、高熱で膨張した空薬莢は容易くイジェクトされ、ロッドを戻すと、シリンダーが回転する。ロッドが作動し、金属音が連続する。
 チン、シュコ、シャチッ。
 下手の作業では目も当てられないが、名手の手に掛かると、一連の作業はまるで音楽のようにリズミカルだ。紛れも無く、ジンの《ブラックホーク》は心地良い音楽を奏でながら、弾を吐き出していた。
 《ピンク・レモネード》の猛者共は、無論ブラスターを抜く暇も与えられなかった。
「うぎゃぎゃ!」
 如何なる頑強な肉体でも、44マグナム弾をまともに食らうのは、御免被りたい。勢い良く出てきたはいいが、皆、轟音を聞くや否や、尻尾巻いてテントの中へ逃げ込んでしまった。
「な、何やっとるんだ!腰抜け共」
 テントの中から、罵声と共にコールマン髭の男が歩み出てきた。
 自警団長のベリーニ神父。
「うわ」
 両手に抱かれている鉄の塊に、ジンは仰け反った。
 分厚いラウンディング・マガジン(円筒弾倉)を装置したライフル型ブラスター。
 ブラスターの癖に弾層を持つ、奇妙な銃だ。熱圧でショットシェル(散弾)を炸裂させる。散弾は発射されると同時に、ブレットコア(弾身)が高熱で爆発し、極太の熱線を噴出する役割を担っている。少ないエネルギーで、最大の破壊力を生み出す為に開発された軍用銃である。
「何で、ディアスポラの人間が、あんなもん持ってんだ・・・。しかも、聖職者が」
 ジンの顎はあんぐりと開いたままだった。
 早速のお見舞いがやって来た。
 ドゴゴゴゴゴ。
 派手な爆音が唸り、街路を劈いた。まるで、巨大怪獣が炎を吐き掛けたかのように、火の手が上がる。
 ジンは、トレーラーの後ろに回り込んだ。筋向いには、炎の蟠りが見える。横目でベリーニの位置を確認しながら、ジンは空薬莢を落とし、マグナム弾をリロードした。
 幸い、無防備で催涙ガスの中へ出てしまったベリーニは、無意味な涙を流して噎せ返っている最中だった。
 フルチャージの《ブラックホーク》が、ベリーニの肩を狙う。
「何ぃッ・・・?」
 ジンはハンマーを落とす前に、自前のテンガロン・ハットを落としてしまった。いや、何者かが、帽子を撃ち落したのだ。
 ベリーニの攻撃も考えず、咄嗟にジンはトレーラーの陰から飛び出した。命の次に大事な落し物を拾い上げる為だった。
「手前ェ、この。誰だ!オレの帽子に穴開けたヤツは!」
 ジンの怒声が響いた。薄汚れたテンガロン・ハットの上部にある、焼け焦げた黒点を掲げる。
「私だ」
 いとも簡単に女のハスキー・ヴォイスが応じた。
 ジンの、サングラスの下の両目が見開かれた。バンダナが解けて落ちる。危うく《ブラックホーク》まで落とすところだった。
 硝煙とガスが立ち込めるとおりに現れたのは、長身のラテン系美女だった。ジンより背が高いかもしれない。しかも完璧に男物のウエスタン・スタイルが決まっている。脱いだら、さぞかし見事なプロポーションだろう。キャメルのパンツに包まれた、ぴちぴちした長い太腿を見るだけで、誰もが思う。
 きつい表情の中でたった一点、赤いぷっくりとした唇だけが蠱惑的だ。
「あんたがクロウ家の用心棒か」
 ジンは、テンガロン・ハットを被り直した。怒りを忘れて、口元に思わずだらしない笑みが浮かぶ。
 クロウ家の用心棒ミスティ・サファイアは、左手の《パイソン・シスタームーン》の狙いをジンの右肩に定めたまま、近付いた。ジンはニヤついた表情を変えず、《ブラックホーク》の銃口すら上げなかった。
「ちょーイカス、ネエちゃんだな。いや・・・?」
 予想を裏切って、美しすぎる用心棒。パウダーガン使いにしておくには、勿体無い。さて、腕前の方はどうだろう。
 ジンの中で、ある疑念が湧いた。
 《神鎗》シルヴァー・ブレット。
 まさか、この女がそうではあるまいか。確かな腕前だろうが、銃が違う。いや、同じ銃を使っているとは限らないが。
 確かめる方法は、一つだ。
「どうしたの?勝負を投げる気?」
 ミスティはせせら笑うように言った。
「もう試合に入ってたのか?だが、オレは生憎か弱い美人に風穴開ける趣味はない」
 ジンは、ハードボイルドを気取って唸った。しかし、ミスティはそんなおちゃらけた台詞に耳を貸すような女ではない。
 《パイソン》のフロント・サイトは、確実にジンの右腕の付け根をピン・ポイントで狙っている。毒蛇の命中精度の高さは、周知のこと。だが、射撃手は握力があるといっても女性。しかも、ダブルアクションだ。
「か弱いかどうか、試してみましょうか?」
 ミスティは、焦慮の篭った声で言った。
「ベッドの上でか?」
 台詞の余韻を残さず、《パイソン》が火を放った。ジンは、素早く横転した。
「冗談は通じない・・・か?」
 ジンの表情には、まだ余裕があった。腹ばいになりながらも、《ブラックホーク》の銃口をミスティに向ける。
「何、それ。まるで殺気が感じられないわ。お遊びじゃないのよ」
 ミスティはトリガーを弾く。
 ジンは、軽く銃口をホップさせた。あさっての方向に発射された弾は、空に消えた。
 確かに女用心棒の腕は上手い。確実な射撃だ。躊躇いというものが、まるで無い。容赦無く撃ち込んで来る。同じ銃、同じ条件でファスト・ドロウをやれといわれたら、勝てる自信があるかどうか。相棒よりはずっと上手いと、ジンは見た。
 これは、間違いなく《称号》持ちの腕前だ。《神鎗》かどうか、それはジンにも判らない。腕前だけで《神鎗》になれるものではないのだ。
 しかし、左撃ちの美女なんていたっけ。
「何でれでれしてんねん!アホ―ッ!やられっぱなしやないの!」
「うわ」
 ピーチィの罵声が、耳の中でガンガン響いた。ジンは、思わずイヤホンを毟り取った。
 ミスティの発した弾丸は、態勢を崩したジンの革ジャンを掠めて、後方で噎せていたベリーニの、コールマン髭を毟り取った。
「あちちい!」
 衝撃と高温に、皮膚を掠められたベリーニは、口元を押さえて走り回った。ライフル型ブラスターのセフティが外れ、弾みで発砲される。
 ドガガガガガガガ。
 辺り一面、テントはおろか商店までもが、火の海に包まれた。テントの中から、交易団の商人やら、《ピンク・レモネード》団員やらが、わらわらと逃げ出した。
 《ブラックホーク》が放った弾は、トレーラーのハッチに命中した。
 キン、という金属音と共に錠が飛ばされ、山と積まれたポリタンクに次々と穿孔が刻まれる。
 溢れ出た《聖水》は、炎へ浸潤していった。
「あーっ!ウチの水が!」
 ピーチィが、思わず悲痛な叫びを上げた。その瞬間、一同が白々しい面持ちで少女を見据えた。
「バレてもうたか・・・」
「ウチの水とちゃうっつーの!この際仕方なかろーが!」
 ジンは、トレーラーに駆け寄るピーチィの首根っこを引っ掴んだ。既にメイドのデイジーではなく、義賊ピーチィ・フィズに戻ってしまっている。
 ピーチィは、どつき回さんばかりに抵抗しようとした。
「はなから失敗なんだよ!今回は!バレバレ!」
「離してェな。もう!ウチの・・・」
 暴れるピーチィの顔面に、ブラスターの銃口が向けられた。
「おイタもほどほどにしな!お嬢ちゃん達」
 全身に赫怒を纏ったベリーニが、散弾を十二発フルチャージして言った。怒気にくぐもった声は、紛れも無く強者のそれだったが、半分以上焼け焦げて無くなった自慢のコールマン髭と、腫れ上がった上唇が、笑いを誘った。
「ぷ・・・」
 ピーチィは、思わず噴出しそうになった。ベリーニの顔面が、真っ赤に茹で上がる。
「笑うな、クソガキ!こうなったのも、あの女の所為だぞ」
 ベリーニの舌鋒は、ミスティに向けられていた。ミスティは、左手を一度上げ、そして、直ぐに下げた。
 その意味するところは、ジンが解するに難くなかった。
 ベリーニのライフル・ブラスターが火を噴くのと、ミスティの《パイソン》が発射されるのと、どちらが早いか。早さは問題ではない。狙いも問題ではないい。
 ミスティが、クロウ家の用心棒である以上、ベリーニを撃つ特別の理由を探す時間が必要だ。もとい、撃つ理由がない。
「成る程、オレに下駄を預けるというのか」
 ミスティの青い瞳が、穴の開くほどジンの顔を見詰めていた。
 ベリーニの視線を逸らさずにアクションするのは、超至難の技だ。片手はピーチィの襟首を掴んだままだ。ピーチィは、状況を判っていない。判っていれば、ベリーニを挑発するような態度は取るまい。今も、現にアカンベーをしている。
「イーだ」
 何がイーだ、だとジンは思ったが、おくびにも出さず、ベリーニに向かって引き攣った笑みを送った。
 ライフル・ブラスターを撃ち落すのは、危険過ぎる。さっきみたいに、また火の海になったら、今度こそ手の付けようがない。既に、《聖水》は流れ切ってしまったばかりだ。
 かといって、ベリーニ自身を撃ってもいけない。倒れでもされたひにゃ、ブラスターの暴発は必至だ。マグナム弾を被弾して、無事なことはまず無い。
「どうするよ?どうすりゃいい・・・?」
 ジンは、トリガーに指を掛けたまま、迷ってしまった。

 第三章へ続く

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