第二話
蝕日者のジルバ 〜 Eclissi ballare il jitterbug 〜
(後編)
第四章 DOWN THESE MEAN STREETS A MAN MUST GO! 男は独り卑しい街を行かねばならない
ひたひたひた。
「よっ、寄るなああ!」
ベリーニの嗄れた声が、墳墓の壁面に反響した。ジンは、右腕に構えた《ブラックホーク》を水平のまま保っていた。一歩一歩とベリーニに近付く。
石畳の音だけが、ベリーニの鼓動に重なる。ベリーニは、短白衣の上から胸に大きく十字を切った。
「よせ・・・近付くな」
ジンは、嘆願にも似たベリーニの呟きを無視した。
「今更命乞いかよ?で、一体、オレの相棒をどうしたって?」
「・・・・・・」
ベリーニの表情は、引き攣っている。銃口を突き付けられたにしては、異様なまでのびびりよう。
まるで怪物に食われるんじゃあるまいか、という恐怖に慄いている。命が惜しいのは誰しも当然だが、ジンには毛頭、ベリーニを撃ち殺す気などない。
ジンが神父の顔色に、明らかな不審を認めた瞬間、何かが頭上を越えて行った。
「え?」
風圧で飛ばされかけたテンガロン・ハットを押さえつつ、ジンは顔を上げた。
(・・・ウううおう)
腹の底から震撼させられる低い声。
見えざる手が、ベリーニの短白衣を掴み上げていた。手形は徐に喉元まで這い上り、ベリーニの首筋に圧力を加えた。
「お、お許し・・・を・・・・」
息も絶え絶えに、神父が藻掻く。右手だけが別物のように素早く動き、膝掛けの下から《キングコブラ》を掴み出した。
トリガーに指を掛け、こめかみに銃口を当てる。
ベリーニの全身は、小刻みに震えていた。だが、車椅子から転げるでもなく、右手だけが、沈着に静止していた。
(るく・・・ク、おの役立たズが)
ゆっくりと、ベリーニの右手人差し指に力が掛かる。
「なッ・・・!」
銃声。
そして、神父ベリーニの運命は地下墳墓の出口に辿り着いた所で尽きた。ベリーニは、右手に硝煙を吐き出し続ける《キングコブラ》を握ったまま、あんぐりと口を開いていた。その口腔は、裂けた石榴のように真っ赤に染まっている。
ジンは《ブラックホーク》を構えたまま、茫然としていた。
末期のベリーニは、不気味な歓喜とも悲哀ともつかぬ表情を浮かべていた。文字通りの昇天だ。
車椅子の後ろの黒い壁面は、地下水に濡れていた。ジンの足元に、脳漿と血の混じった液体が流れてきた。
「ちくしょ」
こみ上げて来た嘔気と闘いながら、ジンはベリーニの右手から《キングコブラ》を奪い返した。
「びびりやがって、アホたれが・・・」
よく通る甘い声が、ジンの背中をどやした。疲労を隠し切れない声でもあった。
ジンは振り返って、まるで嫌なものでも見るかのように、アーチとミスティの姿を認めた。
皮肉めいたアーチの顔には、うっすらと笑みが浮かんでいる。しかし、脇腹を押さえた左手指には、夥しい血の痕があった。今もって、糸のような赤い流れが指の間を微かに伝っている。
「アホたれは手前ェのほうだ。どじを踏みやがって」
ジンは、《キングコブラ》を放り投げた。
アーチは右手で銃を受け取ると、にこりともしないで、ジンに歩み寄った。
「う!くせえぞ手前ェ!」
ジンは思わず、鼻を摘んだ。涙が滲みそうに強烈な腐臭が、鼻粘膜を刺激した。
「何だ、この腐ったような臭いはぁ!」
「死臭だ」
アーチは、しれっとした声で答えた。
「色男も台無しってトコね」
呆れ顔のミスティが嬉々とした口調で言った。
「く、臭すぎる。し、死臭ったって、何日経ったって感じだよ。おい!」
「臭い臭いって、失礼な。先ず相棒の無事を労うとか、そういう心遣いはないのか?」
アーチは苦笑を禁じ得ずに、言った。ジンは、大きく首を横に振った。
「お前が死ぬわきゃねえ」
「それもそうだな」
「おえ」
ジンは酸っぱいものが込み上げて来るのを堪えつつ、瞠目した。
「・・・この臭い」
何処かで嗅いだことのある臭い。いや、忘れもしないあの臭い。
「お前、まさか・・・」
ジンの問い掛けに、アーチは自信に満ちた微笑を崩さなかった。
「聞いたろ?お前もあの声を」
ジンの言葉に、アーチは頷いた。地下墳墓を出ると、洞窟に続く細い地下道が続いている。六フィート四インチあるアーチが腰を屈めなくては通れない程の高さ、標準幅の人間が一人通れる穴だった。
昔、この辺りがカルスト台地だったことを思わせる。鍾乳洞に似たぬめりのある岩肌。
「おどろおどろしいっつうか・・・奇怪な、単調な音とイントネーションの」
ジンは、ベリーニの死に顔を思い浮かべていた。
あの時、ベリーニに纏わり付いていたものは何だったのか。微かに靄のような黒い影が、音も無く高速並みに、自分の頭を掠めて行った。
そして、影がベリーニの右腕を操り、自殺に追い遣った。
「パローレ・ソプラ・アンティコ。超古代語だ」
出し抜けに、アーチは言った。
「エスタ・アジア(極東)で使われていたという、書き言葉に近い口語。千五百年以上も前を最後に消えた、リングァ・コロクィアーレ(文語体会話)のことよ」
あんぐりと口を開けたままのジンに、ミスティがすかさず解説を加えた。
「お前、何で超古代語だって判るんだ?」
「オレ様の言語能力をみくびってるだろ。エコール・ド・パリの教養部で習った」
アーチは、ジンの鼻先に顔を近付けた。
「ジィヤポネーゼ(日本語)じゃねえのか?」
「ジィヤポネーゼ?アナタ、知ってるの?もしかして日本人なの?」
ミスティは、青い瞳を見開いた。アーチは、その視線を流して、ネクタイを解き、自分で腹部の上に巻き付けた。
「本名は駒嵐仁之丞。ジンは純粋日本人だ。百年前にUN(国連)が絶滅宣言をしたという」
「日本人?本当に、今時日本人がいるの?」
ミスティは驚いて、ジンの顔をまじまじと見詰めた。恥ずかしいので、逸らそうとするが、ミスティはジンの顔を思い切り両手で挟んで掴まえた。
「サングラスだけは外すな、とさ」
アーチは言った。ミスティは、ジンから離れる。
「やだ。コマアラ・・・ジン?・・・何それ。凄い名前ね」
「本名を言うなっつーの」
ジンは顔を耳まで真っ赤にして、アーチを睨み付けた。失笑するアーチは、腹を抱えてジンの拳を避けた。
「本名を言われるほど恥ずかしい事はねえ!思わねえか?」
「そうね」
ミスティは、素っ気無く答えた。アーチは、くすくす笑いを堪えるのに必死だった。
「で、古代日本語じゃねえかって気がしたんだ。尤も、オレは生まれた時から日本語なんざ大っぴらに習った事も無きゃ、喋りもしねえ」
ジンは、テンガロン・ハットの中に指を突っ込んで、ぼりぼりと頭を掻いた。
「だが、どっか懐かしい響きがある。ジイサンに教わったカタコトの日本語に似た・・・」
ジンは、目を細めた。
「ノスタルジィに浸ってる場合じゃないぜ。オレはそいつのお蔭でハラワタ引き摺り出され掛けたんだ」
アーチは苦々しく、言葉を吐き捨てた。
「超古代語を喋る何者かがいることは、間違いない」
「あの影は、実体化していない怨霊のようなもの?」
ミスティは、アーチの背中にぶつかった。急に足取りが鈍ったからだ。
「さぁ。あの喋る鴉どもと同じような物の言い方だぜ」
「ケッ。忌々しい鴉な」
ジンは鼻を鳴らした。
地下道は開けた。三人が立った場所は、奇怪な洞窟の中だった。
「こんな所に続いているなんて」
「ジッポ」
ジンは言われた通りに、ジッポ・ライターを差し出した。
シボッ。
青白い炎が映し出した光景に、思わずジンもミスティも息を呑んだ。
「ギ、ギガント・・・!」
眼前に折り重なっている物体は、全部が三メートルの巨体を有する屍だった。累々たる屍の様相と夥しい腐臭に、思わずミスティは屈み込んだ。嗚咽が洩れる。
「街路で見るより迫力があるだろ?」
アーチは淡々と言った。
「じゃ、お前まさかその傷は・・・」
「お察しの通りさ。ジャン・カルロと《ピンク・レモネード》にフクロにされた後でな」
アーチはジッポ・ライターで死体の山を照らした。
「この奥が水源だ」
「地下墳墓っていうのは、もしかするとこいつらの墓?」
「恐らく」
ジンの疑問に、アーチは躊躇い無く即座に答えた。
「教会にある墓は偽物だろうな。何しろ、ギガントの弱点は日光と乾燥だ。地表に近い埋葬では乾涸びちまう」
「何の為に・・・」
「日蝕だわ」
漸く顔を上げたミスティが、意外な言葉を喋った。
日蝕が近付くとギガントが大発生するという統計がある、とミスティは言った。好水性のギガントは、普段は地表に残る太陽の熱や光線の影響で、夜間も発生しにくい。それが発生するのは、平生から湿度の高い場所か、日蝕の前後だという。
「太陽が関係するというのか?」
「判らないわ。こんなに大量のギガントがいるのは見たこと無い。むしろ水源の所為かも」
ミスティは、両腕を抱えた。
「オレは化学の事は判らないが、一つの可能性が挙げられる」
アーチは言った。
「可能性・・・?」
ジンは、鸚鵡返しに呟いた。実際のところ、何が何だか判らない。
「遺伝病因子を含んだ水」
従来、死後人間が巨大化するギガントは、人体内で遺伝子配列が交代する異常だとされてきた。
「細胞の自殺・・・アポトーシスは発生過程で尾っぽがとれるとか、だけじゃなくて成熟した固体においても起こっている。ま、新鮮な細胞を保つための生理現象としてだな。皮膚の表皮細胞とか血液細胞とか」
「それが、どう関係あるんだ?」
ジンはちんぷんかんぷんで、頭を抱えた。
「その複製過程で傷がついたりして、遺伝子が入れ替わると、悪性腫瘍になったりする。それほどデリケートなモノでな、遺伝子は」
アーチは、ギガントの山から視線を逸らせた。
「だが、生体でなければ細胞分裂は起こらない。遺伝子の複製はあり得ない。つまり、死んでから巨大化し、ギガントになる、というのは間違い。生きている時から、彼等はギガント遺伝子に置き換わっているんだ」
「生きながらモンスターに・・・」
「遺伝子異常を誘発する物質、或いはウイルスを含んだ食物を摂取している可能性がある」
「それが《聖水》に入ってるっていうこと?」
ミスティは額に両手を当てた。
「可能性の話だ」
「ってことは、オレらはどうなんだ?《聖水》飲んじまったじゃねえか!」
ジンは、アーチに詰め寄った。
「案ずるな。《聖水》を飲んだ人間が百パーセント発症しているわけじゃないだろ?」
何処までも冷静な判断をする男め、とジンは我が相棒ながら思った。
「案外、《聖水》の目的はギガント製造かもな。食っていく為には、むしろ毒をも利用する。ギガントの死体は高値で取り引きされるらしいからな」
アーチは、抑揚の無い声で言った。ジンの顔色は、次第に蒼褪めていった。
「人間だった者の死体までも、利用するってのか?」
「胸糞悪いが、それも已む無しだろうな。こんな僻地でそれなりの生活を送る為にはだな」
「住民を抱きこんでいるっていうのか?」
「反対派以外はな。生きて行く為には仕方ない」
ジンは、アーチの鼻先に《ブラックホーク》を押し当てた。
「手前ェ、どっちの味方なんだよ!」
「つまらん感傷はよせよ。お前だって、ギガント撃ったんだろ?一度は死んだ人間だ。死体は何度殺しても、死体に変わりはないぜ」
「死体死体って、手前ェなァ・・・」
ジンはこめかみに血管を浮き立たせて、左手の拳を握り締めた。
つくづく人を苛立たせるな、とジンは歯軋りした。高慢なのでは無く、只の無神経でこういう言い方しか出来ない男なのだ、この相棒は。判ってはいるが、手が出そうになる。
「・・・そうカッカするなよ、ジン。それとも、ダンシング(ひと暴れ)するか?」
ジンは振り返った。
アーチのにやけた視線の先には、総勢十名の男達がいた。
赤髭のカルロスと、その手下が九名。
カルロスは無言でブラスターを構え、満面の笑みを浮かべた。そこからは、殺戮への前奏曲に似て純粋な感情の本流が、溢れ出していた。
ジンは、革ジャンの内ポケットに手を突っ込んだ。
男達が息を呑む。
ジッポが掌から飛び出し、乾いた笑いの口唇にタバコが跳ね上がった。仄青い炎が点る。
ファイトの前に、先ず、一服だ。
紫煙と硝煙が棚引く。
ジンは咥えタバコのまま、《ブラックホーク》を両手保持で六発連続、ズコンズコンと速射した。
足下三発。腋下三発。男たちの靴をブチ抜いて、マグナム弾は弾き飛ばされる。きちんと貫通させてやる。カルロスがブラスターのトリガーを引く前に、六人が倒れた。
「なろぉ!」
背のひょろ高い男が、ハンド・ブラスターを放った。ジンはテンガロン・ハットを押さえつつ、腰を落とした。
ワン・トゥー・スリー・フォーシリンダーが回転、空薬莢が音も無く飛び出し、イジェクターロッドが作動後、戻る。
ファイヴ・シックス・セヴン・エイト・ナイン。銃身を傾け、44マグナムの長いカートをシリンダーに落とす。弾丸の装填完了。
十数える迄に、リロードを終える。ジンは鉄則通りの作業を終えて、満タンの《ブラックホーク》を唸らせた。
ズコン、ズコン、ズコン。
三人の男は、それぞれ仲良く太腿に鉛弾を受け取った。
「残り三発。脚に二発、腹に一発か?それとも、全部脳味噌にくれてやるか?」
ジンはカルロスに銃口を向けた。火傷する程高熱を帯びた銃口からは、青い硝煙がうねりを上げていた。カルロスは身動ぎ一つ出来ずにいた。
如何など素人でも、目の前のテンガロン・ハットの男の腕前は、目を剥くものがあった。それこそ、後ろにいる色男や女用心棒の比ではない。こいつは正真正銘のパウダーガン使いになる為に生まれてきたようなものだ。そう思った瞬間に、カルロスの戦意は喪失しかけていた。
「手前ェらは・・・」
カルロスは、言い掛けた台詞を呑み込んだ。アーチが無防備のまま両手を挙げ、カルロスに歩み寄った。
「あんた、息子を殺されたって、誰に?」
アーチは静かに、カルロスの強張った顔を見下ろした。
カルロスは、ブラスターを構えた。アーチの鳩尾に銃口を押し付ける。
「オレを撃っても構わないが、一つ教えてやるよ。あんた達は、自分の肉親を食わされて生きているんだ。その事だけは、覚えておくといいぜ」
「アーチ!」
死にたいのか馬鹿、という前にジンは《ブラックホーク》のトリガーに指を掛けた。
「何のことだ!」
カルロスの怒号が、洞窟に響いた。ブラスターが火を放った瞬間、マグナム弾が、カルロスの右腕を掠めた。
アーチは片膝を着いた。脇腹を貫通した火線は、黒い壁面に弾かれて、冷たい空気に吸収されていった。
ウウアアアアアアア。
やおらギガントの山が崩れ出した。そして、その中から一頭のギガントが立ち上がった。
「何ッ・・・?」
ジンは咥えタバコを落とした。
粘液の皮膚に覆われつつある、青白い巨人の身体が揺れ、目がカッと開いた。赤い目は死んだ魚のように濁っていた。
カルロスは瞠目した。ギガントを間近に目撃したのは、生まれ初めてではない。驚愕の意味は、そうではないのだ。
ギガントが膝や腕に纏い付けている襤褸布は、忘れもしない一人息子の衣服だったのだ。
「マッシモ!」
カルロスの動揺は、悲痛な叫びとなって、理性を吹き飛ばした。
赤髭を燃え立たせるように波立たせながら、カルロスは息子の巨体ににじり寄った。
「馬鹿ヤロウ!そいつは・・・!」
ジンは、反射的に《ブラックホーク》のハンマーを落とした。だが、トリガーに掛けた人差指は、金縛りに遭ったみたいに動かなかった。
「こん畜生!」
ジンは、ギガントの額にサイトを合わせたまま、ブーツの底を踏み躙った。グリップした右掌に脂汗が滲み出して来た。
撃てない。
完全に血に飢えたモンスターと化したギガントですら、銃殺するのに躊躇った。しかもカルロスの前では、この完全変態したばかりのギガントは、亡き一人息子でしかないのだ。
オオオウウウアアアア。
ギガントが、声にならない叫びを上げた。血に塗れた大きな手が、カルロスの頭蓋を掴もうとした。
ドグゥアン。ドギュアン、ドギュン
コマ落しのように、ギガントの巨躯が揺らぎ、頭部が炸裂した。赤い脳漿が辺り一面、降り注いだ。カルロスは、天を仰ぐ格好のまま、血のシャワーを浴びた。
発砲したのは、ジンではなかった。
アーチの右手に、硝煙を吐き出したばかりの《キングコブラ》が、握られていた。
「おおおおお・・・神よおおおお!」
カルロスは両腕を突き上げ、叫喚した。
次の瞬間、ジンの拳は電光石火で、アーチは岩の上尻餅を付いた。
「手前ェってヤツは!」
ジンは、拳を突き出したまま、唇をわなわなと震わせた。アーチは、素早く立ち上がると、赤く腫れ上がった頬を擦りもしないで、ジンのシャツの襟元をぐい、と掴み上げた。
「うろたえてんじゃないぜ!何故、撃たなかった」
アーチは、痰が絡んだ喉を鳴らした。冷たい光を宿した左の碧眼が、ジンを睨付けた。
「黙れ!ヤツはまだ、人間としての記憶が残っていたんだ」
ジンは、アーチの右手首を押さえ付けた。
カルロスは、うつ伏せたギガントの屍に取り付いていた。厳つい顔面に、滝のごとく涙の雨が流れていた。最早、息子の名前なのか、祈りなのか判らない叫びに変わっていた。
只の薄汚れた親父だ。赤髭のカルロスは、既にいなかった。
「だから、カルロスに手を差し出した・・・」
「死ね、どアホ!」
ジンの言葉を叩き斬るように、アーチはぶん、と右腕を振り払った。
テンガロン・ハットが、落ちた。ジンはよろめきながら、数歩後退した。まともに突き放されていたら、おそらく吹っ飛んで壁に激突、運が悪ければ即死だっただろう。
「お前みたいな脳天気ヤロウ、殴る気もしないぜ」
アーチは、《キングコブラ》を拾い上げた。こんな時でも、いつものスタイルでガンベルトに直す。ギガントの無残な屍とカルロスには一瞥もくれないで、アーチは歩き出した。
傷口は再び開いていた。腹壁から、新たな血液が流れ出してきた。
「死体も撃てないで、パウダーガン使いを名乗るな。それで《神鎗》シルヴァー・ブレットを撃てるのか?」
アーチはそう言い捨てて、ジンに背中を向けた。ミスティは、声を掛けそびれたまま、その背中を見送った。
「・・・・・・!」
ジンは、言い知れない怒りと自責の念に、捕らわれ始めていた。ジンの心は独り、洞窟に取り残されていた。
混沌の黒い海から、アーチは目覚めた。
素っ裸に、シーツを一枚引っ掛けただけの状態だった。
昨晩は何処をどうやって町中に戻って来たのか、悪臭をどうやって落としたのか、記憶が定かでない。腹の痛みは殆ど感じないものの、失血で無くした体力の回復のみが、些か心配だった。
宿酔い独特の頭痛がする。アルコールをしこたま引っ掛けて、歩いたのだ。それだけは、覚えている。
部屋の向こうから、話し声が聞こえてきた。
「・・・れで、あの男、助祭を撃ち殺したんだね。只じゃ済まないよ」
「でしょうね」
アーチは、咄嗟にドアから顔を背けた。
真新しい男物の衣服を抱え、ミスティ・サファイアが入って来た。ドアが閉まる寸前、心配顔のアリスの姿がチラリ、と見えた。ここは、アリスのバールの二階だった。
カーテンが開けられた。早朝の清々しい明るさと、空気が部屋を満たしていった。
ミスティは無言のまま、回転椅子を引き寄せ、腰を下ろすとアーチの額に手を当てた。
アーチは静かに、その指を握った。
「・・・起きていたのね、人が悪いわ」
「ああ」
アーチは瞼を閉じたまま、自問自答するように小さく頷いた。やや憔悴気味の頬の片方に、笑みが浮かぶ。
「キミの忠告を守っておけば良かったかな、と思ってね」
「たられば、は嫌いじゃなかったの?」
ミスティは、きつい揶揄を込めて言った。
「やられたな、オレとした事が」
軽く開いたミスティの指の間に、アーチは重ねた左手の長い指を滑り込ませた。物騒な銃器を持つ手には似つかわしくない、思いの外柔らかい感触を、ミスティは感じた。
「で、オレをフロに入れてくれたのはキミか?」
「そうよ」
ミスティは、平然と答えた。
「ベッドが臭くなると困るから。大変だったわよ。と、だけ言っておくわ」
アーチは、一頻り笑った後で、長々と息を吐いた。ミスティは、顔色を変えなかった。
「お館様の命令よ。アナタを連れ戻すようにって」
「オレの事が心配でキミは介抱してくれたんだと思った」
「甚だ大きな勘違いよ」
ミスティは、小気味良いくらいに言い切った。
「どうして、黙って撲られていたのよ。ジャン・カルロは、初めからアナタを殺すつもりだったのに」
ミスティは、片方の眉を上げて、アーチの顔を覗き込んだ。赤く濡れた唇からは、甘やかなルージュの香りがする。
「ヤツは、キミにそう言ったのか。だが、少なくとも、ジャン・カルロを殺すのは、オレの仕事じゃない」
ミスティは窓の方を向いて、長い睫毛を瞬いた。長い嘆息の後で、ミスティは、アーチの指を煩そうに解いた。
「・・・アナタ、普通人でも只の強化人間でもないわ」
掠れた声が、アーチに問い掛けた。
「何だ、色気の無い話だなァ」
アーチは、ゆっくりと上半身を起こし、ミスティの表情を盗み見た。不意に、可笑しさが込み上げて来る。
「成る程、ご明察ってトコだ。オレは再生促進型生体強化人間、通称《レミンカイネン》だ」
ミスティの視線の先は、アーチの贅肉の欠片も無い脇腹に向けられた。ギガントの爪に抉られた深手と、ブラスターの穿孔が、はや癒着している。
「ウソでしょう?《レミンカイネン》は只の噂でしか聞いたことがないわ」
強化人間の中でも、殊に自己再生能力に長じる《レミンカイネン》。生まれながらに再生能力遺伝子を持った者。
「何の為にオレが今の聖堂騎士団・・・前の銀十字軍の軍医を任ぜられていたと思う?」
「つまり、その傷の恐るべき再生能力が答えってワケね」
ミスティは、ぞっとしないという風に、顔を壁の方へ背けた。
「高度過ぎる科学文明を捨てた筈のヴァティカンが、遺伝子工学の最先端をいく再生促進型生体強化人間などに関わっている、というのが不思議だわ」
「外面とは違ってな。科学もまた奇蹟なり、ってヤツさ。世界を救済する為に必要な悪もゴミもある。人間は何だってやる。キミは信じないだろうが」
アーチは、たっぷりと皮肉を込めて言った。先程のミスティの言は気に食わなかった。《レミンカイネン》だろうが、何だろうが、オレは生身の血の通った人間だ、とアーチは暗黙裡に語っていた。
「アナタは、医者でありながら、人殺しの道具だというの?」
「強化人間を殺人機械と決め付けるなよ」
アーチは、微笑を浮かべた。ミスティは、激しく首を振る。
「・・・悪かったわ」
「キミが言ってる事のほうが、常識的だがな。今のオレは、ヴァティカンの遣いっ走りみたいなもんさ」
「ジンから聞いたわ。・・・でも、医者或いはパウダーガン使いとしてはともかく、お目付け役としては無能ね、アナタ」
ミスティの手厳しい審査眼は、そう下したらしい。
アーチは、シーツの下で胡座を掻いた。オリーヴ・グリーンの瞳が、鈍い輝きを見せた。
「流石に舌鋒の鋭さは伯父上譲りだな。《銃王》アルテミス・サフィール」
ミスティは、ぎょっとなった。青い瞳が大きく見開かれた。
「キミの伯父上は、姪御は男おんなだ、と言っていたが」
「・・・相変わらずな。叔父貴の毒舌ぶりを知っているとはね。いつから気付いていたの?」
「さてね」
アーチは、ミスティの首からぶら下がっているロザリオを見た。
「左撃ちのパウダーガン使いは、数える程しかいないからな。ミスティ・サファイアは通り名なんだろう?」
「騙されたフリなんて、趣味が悪いわ」
ミスティは自分の膝に両肘をついた。頬に手を当てる。
「こんないい男を素っ裸にひん剥いといて、何もしないなんて、そっちの方が趣味悪いぜ」
いきなりアーチは、シーツを剥ぎ捨てた。ミスティは、とりわけ視線を外さなかった。とりつく島もない呆れた表情で、アーチの下半身を見上げる。
「・・・抜き身の銃がそんなんじゃ、何もする必要無いわ」
「なら、今すぐキミの大好きな、ごついリヴォルヴァーにしてやるさ。オレは必死で、戻って来るつもりだったんだぜ。キミが離れで待ってるかも知れないから」
「救い難い、バカ!」
ミスティは、新品の衣服一式を、アーチの股間に向かって投げ付けた。
十発のドライ・ファイアの後、ジンは《ブラックホーク》を分解した。
腹立ち紛れではない。いつもの手入れの為だった。乾いた布で隅々の余分な湿気を払い、ガン・オイルを注入して、一通りのアクションを試す。
シリンダーの回転も、ロッドの動きも申し分無い。
しかし、ジンの胸中は、ジンのシンプルなリヴォルヴァーの分解作業のようには、ほぐれてくれなかった。
風は台地の上に、黄色い砂を運んで来た。
移動テントには、小さな主の姿は無かった。宿に戻る気力は毛頭無い。勝手だが、ここで夜露をしのがせて貰おう。
ジンは、断熱布の上の黄砂を素手で払い、テンとのジッパーを開いた。冷たい風が内部に蟠って、それがジン自身の胸裏を象徴しているかに感じられた。
ジンは思わず、そこを出た。
断崖を望む小高い丘。そこで一服決め込むのが良策だ。
「何処行くのん?」
暗夕に染まった空気に、頼りなく微かに響いた少女の声が、ジンの足を止めた。
「さっきからここにおったで、ウチ。アンタ全然気付いてへんかったやろうけど」
ピーチィは、血色の良い顔を綻ばせた。ジンは、テンガロン・ハットのつばをなぞりながら、ピーチィに向き直った。少女はいやに晴れ晴れとした表情をしていた。
「また家出したのか」
「ちゃうで。今度はちゃんと許可とったあるねん」
ピーチィは、誇らしげに言った。
ジンは、岩場に腰を下ろした。残り少ないマルボロを取り出し、ジッポで火を点ける。その慣れた動作を、ピーチィは感心しながら見ていた。
「オレは日本人でな」
「え。やっぱ、そうなんや。爺は、今時日本人なんかおらん、中国系やと言うとったけど」
ジンは、一頻りタバコをふかした後、ピーチィの好奇心に満ちた瞳を見上げた。
「ここは大昔に日本の果てだったとか。モジト・・・そういう港の名前があった気がすうr。郷愁ってヤツかね?けど、昔の日本はこんな乾燥地帯じゃない、緑の多い土地だったっていうからな」
と、ジンは膝を伸ばした。
「何や、アンタ、元気ないやん」
「・・・男には、時にはいろいろと事情ってモンがあってな」
ふー、とジンは勢い良く紫煙を吐き出した。ハードボイルドを気取ってみたが、ピーチィはけらけら、と腹を抱えて笑った。
「事情って何やの?どーせ、またケンカでもしたんやる?相棒と」
ジンは図星を突かれて、灰をポロリ、とブルージーンズの上に落とした。慌てて、払い除ける。
「ほーら、当たったやん。説明は要らんで。アンタが全面的に悪いんや」
「知りもしないで、抜かすな」
「あの人、男前やもん。男前に悪いヤツはおらへん。顔に滲み出るんやで、性格は。ま、アンタも悪くはない線やけどな」
無茶苦茶な論理だな、とジンは呟いた。
「あいつを殴ってな。ま、いつもの事なんだが、言われちまった。ギガントの死体も撃てずに、《神鎗》シルヴァー・ブレットを撃てるのかってな」
「え?アンタ、あの時ギガント倒してたやん」
「違うんだ」
ジンはテンガロン・ハットを撥ね上げ、頭を掻いた。
「あいつが撃った死体はまだ、人間の表情を残していた。少なくとも、オレにはそう見えたんだ。そう言ったら、ヤツはオレをアホ扱いしてどっか行っちまった」
「ふーん」
ピーチィは、ジンの隣に座った。
「ほんで、落ち込んでんのやな。考え過ぎや。考えたらアカンで」
「そんなんじゃない。とにかく、腹立ってんだよ・・・」
ジンは短くなったタバコの火口を、思い切り岩に押し付けた。
「確かに、あいつの言う事の方が、オレのやっている事に比べて、遥かに正しいんだろうよ。だが、世の中そんなに割り切れねえよ、オレには」
「だから、考え過ぎやって、言うてるやん」
ピーチィはジンのむっつり顔を下から覗いた。
「アンタ、真面目なんやって。せやからイラつくねん。もっと単純に生きたらどうやの」
「・・・何言ってんだ」
ジンは苦々しく、咽喉を鳴らした。タバコの吸い過ぎで唇が乾き、気道の入り口がいがらっぽい感じが抜けない。
年端もいかない子供に人生の指針を決めて貰ってどうするよ。
「考えたって、しゃあない事の方が多いと思わへん?考えた事と気持ちは別なんやって。切ないけど、気持ちに従わな」
「切ない、か。お前ガキのクセに粋な言い方するじゃねえか」
へへへ、とピーチィは舌を出した。
「おとーちゃんの受け売りもあんねんけどな」
「どーりで」
「ウチな、アンタに謝らなアカンと思うて、出て来たんや。嘘ついとったし」
「嘘ォ?」
「《空腹亭》の新聞広告は嘘や。元々、ウチが出したんと違う。クロウ家が女用心棒を呼んだ時に使った版下と同じもんや」
「呆れたヤツだな」
「・・・実はそれだけとちゃうねんけど」
ピーチィは、肩を竦めた。猫みたいな両眼が、黒く輝いていた。
太陽が、赤く昇った。
朝まだきの名残を留めた涼しい空気が、七色に輝いている。
アーチは門前で馬を飛び降り、馬丁が出て来るのを待った。馬丁は、いつものようにひょこひょこ、と歩きながら手綱を引いた。
「ここを出て行って戻って来た医者は、あんたが初めてだの」
馬丁は黄色い歯を見せて、にかっと笑った。
「何度だって、戻って来るさ。オレを地獄に叩き落せるヤツがいたら、紹介してくれよ」
アーチは、言った。
後にも先にも、この日来訪者に口をきいた使用人は、馬丁只一人だった。後の者は、皆一様に押し黙って、横目でアーチの行く先を追っただけだった。
(何故戻って来た)
(あの男も、あんたも悪運が強いのね)
二羽の鴉が、アーチの前を飛び交った。
(ぎゃ)
アーチは、素早く黒い鴉の首を掴んだ。
フギンは、前庭の彫像の上に降り立った。赤い二つの無機質な目が、アーチの瞳を睨付けた。アーチは、右手にムニンの首を掴んだまま、白衣の襟を正した。
ムニンは大きな嘴を開いたまま、赤い舌を震わせている。
「悪運が強いのは当たり前だ。オレは《神鎗》を守る男として選ばれたんだ」
(貴様・・・)
アーチは、ぱっと右手を開いた。酸欠になりかけた黒い鴉は、ふらつきながら、フギンの元へ飛んだ。
(生かしておくものか・・・)
「さて、それはどっちの台詞になるかな」
アーチは邸内に入り、寝室の扉を徐に開いた。天蓋付きのベッドに、トリルビー・クロウが伏している姿が、真っ先に目に入った。
「トリル・・・」
アーチが一歩踏み入った途端、ジャン・カルロの皮肉めいた笑顔が現れた。ジャン・カルロは、通せんぼするかのように、扉の端に両手をついた。
「一人で戻って来たとは、いい度胸じゃあないか」
「お館様の診察をする。どいて貰えないか?」
アーチは、毅然と言った。
「ヤツはもう助からねえ。今日が何の日か知っているのか?」
「皆既日蝕の予定日だ」
言葉が終わらないうちから、ジャン・カルロはけたけた、と大声を上げて笑った。
「トリルは一昨日からあの調子だ。メシも食えなきゃ、クソも出ねえ状態だ。今更何やっても無駄だぜ」
ジャン・カルロの勝利に満ちた笑みを見た瞬間、アーチは、この男が自分の不在中に、息子にした事を容易に想像出来た。
「あの女用心棒を始末するのには、しくじったがな・・・」
ジャン・カルロは、葉巻を咥えた。後ろに控えていた小男が、歩み寄り、カットして火を点ける。ベリーニの死には、何の感慨も無いらしい。
「女を殺すのも生かすのも、飛び道具なんか要らない。あんた、よーくお分かりじゃなかったのか?」
アーチは声色を変えなかった。ジャン・カルロは、腹を抱える振りをした。
「ハハハ。成る程食えねえ男だぜ、お前は」
ジャン・カルロは牙を剥いた。舐めるようにして、アーチの顔を下から眺め回す。
「フザケやがって・・・!」
ジャン・カルロの握り拳が飛んだ、と同時にアーチの左手が上がった。血管が浮き出たどす黒い拳は、アーチの左掌にやすやすと収まっていた。
渾身の力を込めたが、ジャン・カルロの拳はビクともしなかった。若い頃は、アマ・ボクサーとしてならした右腕が、震える。
「人殺しめ。助祭とベリーニの死体の傍には、お前のパウダーガンの弾が転がっていた。医者がきいて呆れるぜ!」
ジャン・カルロは、低く唸って、右腕を下ろした。どう足掻いても太刀打ち出来る力では無かった。
「判ったら、どいて貰えますね」
アーチは血色の悪い頬お、皮肉に歪めた。ジャン・カルロは対照的に赤い顔に、敗北の黒い影を作ると、右手の力を抜いた。
突っ伏したままのトリルビー・クロウを仰向けにしようと、アーチは手を掛けた。その肩の軽さ、それとは対照的に膨れ上がった胸のしこりに、息を呑む。
「・・・戻って来て・・・くれたんだね」
トリルビーの唇から、小さな息が洩れた。風の鳴るような、声だった。
「主治医が患者を放り出して逃げたりはしない」
「う、うう・・・」
トリルビーの右手が僅かに上がり、戸口のジャン・カルロを指した。
アーチはほんの一瞬だけ、ジャン・カルロを見遣って、トリルビーの脈を取った。そして、グレープフルーツ大に膨れ上がった胸のしこりに触れようとした瞬間、トリルビーは絶叫を上げた。
「あああああああ!」
赤黒い球状のそれは、一瞬目を剥いたかに見えた。トリルビーの意志に反して、完全に別の生き物のように脈打っていた。少年の痩せこけた小さな体が、ベッドの上で踊った。
「ふはははは!」
ジャン・カルロがけたたましい笑声を立てた。アーチは、容赦無く《キングコブラ》を抜き、ジャン・カルロの喉元に銃口を押し付けた。
その表情は、無感慨に見えて、実際は腸が捩れる程、アーチの怒りは煮え滾ってとぐろを巻いていた。
「ぐ・・・」
「笑いたきゃ、あの世でたっぷり笑うか?」
「ほざけ、強化人間風情が!」
ジャン・カルロは、恫喝には屈しないといった顔で、白い歯を剥き出しにした。アーチは、《キングコブラ》をホルスターに戻す。
窓から飛び込んだ風が、騒ぎ出した。灰色の雲が、低い空を移動し始める。《砂漠の黒嵐》が、近いのかも知れない。
「お、お館様・・・!」
執事が寝室に飛び込んで来た。満面に冷や汗を滴らせている。
「に、日蝕が・・・」
普段なら黄色い砂を運んで来る筈の風が、黒っぽい砂をまじえている。この砂が何処から来るのか、ピーチィは知りもしないし、知りたいと思ったことは今までに無かった。
だが、何とは無しに風が世界の半分を巡っていることを思うと、不思議な感じがした。
「ウチ、見てん。あの夜。暗がりに大男がおってさ。教会の助祭がギガントが来るってのを知らせとんのや、て判ったわ」
町人は、各家に避難小屋のような防空壕を持っている。無論、黒嵐避けの為にである。町人達は、ギガントが現れるという晩、前もってそこに逃げる按配になる。
夜中に町を徘徊するギガントは、人肉を食って腹が膨れる迄、立ち去ろうとしない。
ピーチィは、教会の前で立ち止まった。
「唯一、人間が残っとるんは、町でたった一つの、この教会だけ。ギガントの群れはそこに行くしかないんや。で、行ったら皆退治されるんや」
ジンは首を傾げ、礼拝堂を見上げた。教会は、神父ベリーニと助祭の死後、閉鎖されている。
「ぬけぬけと言ってくれるぜ。なーにが、企業秘密だって?」
ジンはピーチィの少し汗ばんだ鼻の頭を小突いた。
「う、嘘も方便言うやろ。謝ってるやん!せやから、確かめに来たんやないの。いったい何を使って、ギガントを倒したんか、ウチも知りたいんや」
「教会に何の用かね、お嬢ちゃん達」
ふと、老婆の声がピーチィに呼び掛けた。
「こないだのばーさん」
ジンは老婆を指差した。
「ばーさん、ばーさんと失礼な。まだ八十二じゃ」
「立派なばーさんじゃねえか。それより、何だってんだ?この町中の静まりようは?」
老婆はジンを見上げると、首を傾げた。
「お前さん方、日蝕を知らないのかね」
「太陽が月の影に隠れるって現象の事なら知ってる」
「これからその日蝕じゃ」
「まさかそんで、みーんな家に閉じこもってるってんじゃ、ねえよな?」
訝ったジンを、老婆はギロリと睨んだ。
「日蝕の時に外へ出てはならんという言い伝えを知らんのか?」
「知るもんか」
「何何なに。何か出るん・」
ピーチィは好奇心に胸躍らせて、老婆に詰め寄った。老婆は乾いた薄い唇をむにゃむにゃと動かした後、こう答えた。
「・・・わしの口からは言えん」
「どケチ!」
ピーチィは、立ち去る老婆の背中に向かって叫んだ。ジンはその首根っこを掴み、引き寄せた。
「お前、敬老精神てものが足りんな」
「ほっといてんか!」
ピーチィは、礼拝堂の扉を揺すった。さっきから押しているのだが、びくともしない。ジンも加わったが、それでも両開きの扉は閉じられたままだ。
「お前、盗賊の娘なら、ナントカなるだろ?」
「義賊というてーな。この手の扉は開けたことないねん。ウチも自信ないで」
ピーチィは、鍵穴を探した。どうやら、内部から閂を差している様子だ。教会自身、避難所としての機能も持ち合わせている分、頑丈な構造になっていて、力ずくでもブチ破らないと、侵入は難しい。
「こんくっそー!」
ピーチィが拳を振り上げ、右足を高く上げると、その時、不意に中から扉が開いた。
「およ」
ジンとピーチィの目の前に立っていたのは、ミスティ・サファイアだった。
相変わらずの美貌で冷然と二人を見詰める。
「アンタ・・・!もがっ」
ピーチィの口を素早く塞いだのは、ジンの右手だった。
「クロウ家に戻ったんじゃなかったのか?」
「殺される為に戻るバカがいるの?ジャン・カルロは神父と助祭を使って、私達を消そうとしたのよ」
ミスティは、そう言ってブルネットを掻き上げた。
「尤も、一人くらいはバカも必要でしょうけど」
「バカってまさか・・・」
ジンはピーチィの顔から、漸く手を離した。ミスティは謎めいた表情のまま、黙っていた。
「あいつ、何しに戻ったってんだ?」
「お館様の治療に決まってるわ」
ジンはミスティの両肩を鷲掴みにすると、唾が飛ぶほどに顔を近付けた。
「あんた、黙って行かせたのか!」
「不死身の体なんでしょ。アナタの相棒」
ジンは、ミスティの肩を弾くように突き放した。テンガロン・ハットを被り直す。
「・・・女じゃなきゃ、あんたを殴ってるとこだ」
ピーチィは、やにわにジンの腕を掴んだ。
「あ、あれ見てーな」
ピーチィの指差したのは、中天に掛かった太陽だった。白黄色の光が黒い影に浸食されつつあった。弧を描く影は、みるみるうちに円を塗りつぶしつつあった。
「皆既日蝕・・・」
光は奪われて行く。教会にも小暗い影が落ちて来た。
「日蝕が始まれば、クロウ家の正門から入ることが出来ないわ。地下墳墓を通るしかない」
ミスティは、二人を礼拝堂の中に追い込んで、扉を閉めた。
「ついでに言うと、この扉は内開きよ」
ミスティは冷めた口調で一言だけ言うと、礼拝堂の奥へと歩いて行った。
「や、やな女ー!」
ピーチィは、髪の毛を掻き毟った。
太陽は、完全に黒く塗り潰されていた。
灰色の世界が一面に広がる中、さながら人間圧搾機で人の身体を締め上げた結果のように、壁に飛び散った血飛沫。ベッドの上の、黒い血溜り。
アーチは、自分を見下ろす巨大な影を、半ば茫然と見据えた。一種、ある夢の中で味わうような異様な戦慄が、アーチの脊椎を走った。
(ぐくくく)
苦しげに、咽喉を鳴らした怪物は、長く尖った嘴と黒く大きな羽を有している。開いた瞼には、まだ薄い膜が張っていた。
それは、身の丈二メートル余り、羽を広げれば五、六メートルはゆうにありそうな巨大鴉の体だった。
その巨体を支える足は三本あり、各々蹴爪が生えていた。
(る・・・くくく)
鴉の爪の先には、トリルビーの小さく乾涸びた体がからみついていた。
胸を裂かれて大量出血した今、誰の目にも息は無いだろうと見えた。
巨大鴉は、トリルビーの身体を食い破って脱皮したのだ。文字通り、トリルビーの体内に巣食っていた者が、日蝕と同時に出現した。
「ふ、ふふふふ。ふはははは!」
ジャン・カルロが狂気のように笑った。自分から汚れた床に跪き、もんどり打って転げ回る。
「親父の時と同じだよ!全く同じだ!二十年前とな。あーはははは!」
鴉の眸から、膜が剥がれ落ちた。濡れた黒い翼が外気に触れ、見る見る青く光を帯びていく。
「・・・親父も胸を裂かれて一巻の終わりだった。この怪物にな。どんな気分だろうよ。得体の知れないヤツに中から食われる気分は!」
ジャン・カルロは、ベッドの上の巨大鴉を指差し、そら見たことかと言わんばかりに、アーチの前に躍り出た。アーチは、ジャン・カルロの胸倉を掴み上げた。
「最初からこうなる事を判ってたな」
「はん!オレの予言は当たったぞ!オレのな。遺伝子変異だの何だのと訳の判らん理屈をこねようが、化け物は化け物だ」
ジャン・カルロの瞳は虚ろになって、天を仰ぎ、ひくひくと痙攣した。
「果たしてそうかな、呪術師サマ」
「負け惜しみを抜かせ、ふははは!」
ジャン・カルロは、歯茎を剥きだして笑った。その顔が、一瞬引き攣った。破滅の彩りを残した眼球が飛び出した。
ぶしゃっ。
生々しい音と共に、ジャン・カルロの脳髄が砕けた。
ジャン・カルロの口腔から飛び出た巨大な嘴の先が、アーチの眼間で止まった。鉄に似た鈍い色の嘴の間から、黄色い液体や、灰色のどろりとした切片が零れた。
鴉の目は赤く濡れ光って、生まれたばかりの赤子のごとく無邪気だった。とてつもない凶悪な怨嗟を秘めているにも拘らず。
「ぼ、坊ちゃま・・・!」
執事が金切り声を上げると同時に、アーチはジャン・カルロの体を突き放した。トリルビーのぐんにゃりした身体を抱え、飛び退る。
(る・・・くく。我ハ・・・)
鴉は羽ばたいた。風圧で、寝室中の調度品が根こそぎ薙ぎ倒された。
その衝撃だ、アーチの左腕に乾物のように貼り付いていたトリルビーが口から泡を噴いた。音も無く、どす黒い血が止め処なく流れた。
執事が慌てて、駆け寄る。
「お館様!」
トリルビーは、微かに動いた。大きく見開かれた茶色い眼の瞳孔が開きかけている。
巨大鴉は、寝室の窓から飛び出して行った。今や、屋根の上だ。猫の子一匹出ていない町を見下ろしている。
町の人々は決して、日蝕に恐れをなしているのではないのだ。モジトの町に君臨する巨大鴉の姿を見てはならないのだ。
「あれは、何なんだ!あの鳥は!」
アーチが問い質そうとしても、執事は即座に答えなかった。答えようとして、唇が震えた。
「知っていたんだ。あんただけでなく、町の人間も!」
「三本足の鴉・・・」
執事はそう呟き、まるで観念したみたいに、消沈して項垂れる。
「《烏鴉王》と呼ばれるモジトの主です」
「ヤタガラスそっくりだ」
執事はアーチの言葉を解さなかった。太古の昔に日本にいた《八咫鴉》という神話上の鳥とは別物らしかった。物理的に言えば、巨大化して倍倍になった体重を支えるのに、足が増えるのは正しい。
「ああああ」
執事は喚いた。
「これ以上はご勘弁を!本当は、口にするのも憚られる・・・主の姿を見るのは恐れ多い事なのです」
「バカな!」
アーチは、トリルビーの身体を揺さぶった。何かを囁いた後、息が絶え絶えになった。腕の温もりが遠退いていく。少年の顔は、既に血の気も生気も無くしていた。
「あんたも、トリルビーがこうなる運命だと判っていた。判っていながら、何故オレを呼ぶ必要があった!?」
アーチは、直立不動した執事の顔を見上げた。執事はうっ、と言葉に詰まった。少年の命は絶えていた。
「只、オレには今これ以上打つ手は無い」
アーチはトリルビーの亡骸を執事に預けた。血に塗れた白衣を脱ぎ捨てる。ショルダー・ホルスターから抜いた《キングコブラ・バニッシュメント》が、黒い光を放った。
「ド、ドットーレ・ブールヴァルド。そ、そ、それは・・・」
執事は、血塗れの亡骸を抱えたまま、呼び止める。
「あんた達は自分の命を大事にしすぎだ。結果、このザマだ。せめて、オレを侮辱した償いくらいはして貰うぜ」
「ひ、ひいい。何て事を・・・」
言いかけた執事は、喉を詰まらせた。元軍医の言葉はハッタリではない。
灰色の光景の中で、血飛沫が赤く上がるだろう。執事は、考えただけで歯の根が合わなくなった。
空は煤けて暗く、小一時間経過したというのに、一向に太陽が現れない。その気配も無い。
「いつまで続くんだ?」
「日蝕?ウチに訊かれても困るわ。一日で済まへんことは確かや。前は一週間くらいあった、って爺は言うとったけど」
ピーチィは額を上げて、空を見た。草叢を抜けたと思ったら、左手にクロウ家の建物が見えた。右手の崖下は町だった。
「あれは何やの?・・・あれ?」
ピーチィが振り返った先には、女用心棒ミスティ・サファイアの姿は無かった。
「でけえ鴉だよ」
ジンは《ブラックホーク》のシリンダーを回転させつつ、言った。
「鴉の親玉や!」
ピーチィの呟きは、ジンには聞こえなかった。ジンは無性に胸騒ぎを覚えた。と、同時にある思いに駆られていた。何が何でも、あそこに辿り付かねばならない。
「あいつさ」
ジンは、勢い走り出した。考えるよりも、それは早かった。息を殺した太陽の微かなプロミネンスだけが、テンガロン・ハットのつばを縁取っていた。
ジンは身の丈に余る萱を掻い潜り、泥濘を蹴立てて突っ切った。邸の裏手に出ると、扉に向けて44マグナム弾を立て続けに撃ちこんだ。鉄扉が開くのを待てないかのごとく、ジンは肩先でこじ開け、屋敷の中を進んだ。
逃げ惑うメイド達が、廊下を交錯している。
屈強な男達が突然に、ジンの行く手を塞いだ。
「何処行くよ、カウボーイ野郎」
ピンクの鉄兜を被った大男が凄んだ。ジンは、男の言葉を歯牙にも掛けず、無視して歩き続けた。毛むくじゃらの腕が、ジンの首根っこを掴んだ。
「おい!」
その瞬間、ジンは右腕だけを後ろへ捻った。
「・・・お」
大男の股間を掠めたマグナム弾は、廊下の壁面に穴を穿った。大男は、へなへなと床に座り込んでしまった。
《ブラックホーク》が、続けざまに、弾丸を吐き出し始めた。弾は壁に掛かった鏡を粉々に砕き、抽象的な立体オブジェやら、奇形した観葉植物を散乱させた。廊下は穴だらけ。
「道を開けな!死に急ぐヤツだけ出て来い」
ジンはそう言うと、颯爽と踵を返した。
確かに、トリルビーは死んだ。しかし、その生命を吸い尽くして生まれた《烏鴉王》は、トリルビーの再生のようなものだ。
アーチは、《キングコブラ》に357マグナム弾をリロードした。己の血に汚れたシルクシャツの襟元で、唇を拭う。
(往生際ノ悪い男・・・若者ヨ、お前ら旧教徒の言う正義ハ、こういウモノか?)
《烏鴉王》の赤い瞳がぬめった。
「正義があるなどと、オレは信じていない。オレもお前も我欲に支配されて動いている。生きていく為の、それを正義と銘打っているだけだ」
アーチの胸は、《烏鴉王》の爪で傷付けられた鉤裂きが、大きく口を開いていた。
《烏鴉王》は屋根の上から、首を長く伸ばした。恰も、アーチの心臓を狙っているかのように。
(あノ子供だけでハ無い。我ハ気の遠くなルようナ昔から、そうしてきタ。何も目くじらヲ立てル必要など無いト思ハないか、若者ヨ)
「・・・・・・」
(生物ハ、なべて互いノ生命ヲ食らイ合って、生き延びていルのだ)
「判り切った事だ」
アーチは《キングコブラ》のフロントサイトを《烏鴉王》の胸に向けた。
「オレは貴様のしていることを否定している訳じゃない。誰が搾取されようが、ギガントにされて食われようが、関係無い。オレの仕事を侮辱したお返しをさせろ、と言ってるんだぜ」
アーチは捲くし立てた。《烏鴉王》の瞳は、鈍い灰色に曇った。
微動だにせず、首だけを伸ばしてアーチを見詰めている。
(くフフ)
《烏鴉王》は喉を鳴らした。灰色の瞳は、やがて青みを帯びた。
(大慶至極。若者ヨ。我ハぎがんとを食らい、その我ヲお前ガ食らうなら、それモ摂理)
「誰が貴様のような・・・」
言い掛けたアーチは、愕然となっ。自らの意志とは裏腹に、右手は《キングコブラ》を握り締めたまま、自分の顎に引き寄せられた。
トリガーに掛けられた指に、力が篭る。
アーチはどっ、と手指に冷や汗を掻いた。撃たれることには慣れている。だが、驚くべきは、《烏鴉王》が自分の弱点を見抜いた事だ。
幾ら自己再生能力に長けたレミンカイネンでも、延髄や脳幹をやられたら、即死だ。
「オレを食っても不味いだけだぜ」
アーチは、漸く片頬に苦笑を押し上げた。
(減らズ口ノ多い男)
《烏鴉王》は嘴をカタカタと鳴らして、羽を大きく広げた。トリルビーの身体を出た時よりも、一回りは大きくなっていた。
『劫罰への煩悶、呵責を振り払う時が来た』銃身にそう書かれた《キングコブラ》。357マグナムを吐き出した。弾は、アーチの鼻先を掠めていく。
意志の力で、アーチは二発目を押さえようとした。そして、倒れた。
銃声は確かに屋敷に響き渡った。追う様にして、空薬莢が舞った。
カアアア。
乾いた銃声の余韻をからかうかのごとく、《烏鴉王》は曇天を仰いだ。
土埃の上に突っ伏したアーチは、血痰を吐き出した。生きている。が、右太腿は被弾していた。
「・・・ジン!」
アーチは顔を上げないで、四肢を投げ出したまま叫んだ。
ジンは何も言わず、《ブラックホーク》を構え撃つ。
ドズゴーン。
44マグナム弾が、アーチの遥か頭上で炸裂した。《烏鴉王》は、激しく羽ばたいた。強烈な風圧で、ジンのテンガロン・ハットが吹き飛び掛けた。
「イキナリ登場の割には、穏やかじゃないぜ、兄弟!」
アーチは、やおら立ち上がった。体勢を戻しながら、《キングコブラ》のトリガーに指を掛ける。その腕を、ジンが押さえた。
「手前ェにヤツが撃てるか!」
「撃てるさ」
アーチはジンの腕を振り払った。両者は鼻先をくっつけんばかりに近付けて、睨みあう。
「じゃ、さっきのあのザマは何だってんだ?ヤツの催眠術に惑わされやがって」
「同じ手に引っ掛かるもんか」
「手前ェ、左脚の撃ち抜かれたいのか?」
「ふざけんな・・・」
不意によろめきかけたアーチの腕を、ジンは掴んだ。《ブラックホーク》のグリップで、強か鳩尾に突きを入れる。
「お守り役が先にやられちまったんじゃ、話にならねえよ」
ジンが手を離すと、アーチはゆるゆると地面に膝をついて倒れた。二人の遣り取りを見ていたピーチィが、呟いた。
「・・・あのアホ、素直に助けに来たって言うたらええのに」
視線を戻すと、そこに《烏鴉王》の尊大な双眸があった。ジンは臆すること無く、《ブラックホーク》を向ける。
(お前モ拳銃使いカ。忌々しイ、鉄ノ塊ヲ我に向けルか)
「じゃかあしい!化け物め」
ジンは唾をたっぷりと吐き捨てた。そして、ブーツの底でそれを蹴り上げた。泡粒混じりの液体が、土と共に舞い上がった。
(化け物・・・化け物だト?ふフフほハハハハは)
《烏鴉王》は、その悪態にも余裕で応じることが出来た。圧倒的に優位を掌握しているからであった。
「何がおかしい?」
(お前ガ狙っていルモノは、何ダ?我ノ命カ?それとモ《聖水》カ?)
「どちらも要らん、と言いたいところだがな。取り敢えず、目の前にいる標的は倒す。それがポリシーでな」
ジンは、トリガーを引いた。
《烏鴉王》の翼が、風を放った。黒い影が覆い被さろうとする瞬間、ジンは横様に飛び、片膝を着いて《ブラックホーク》を唸らせた。重々しい銃声が響く。
(お前達ハ何故、我ニ歯向かおうトすル?命の水ヲくれてやっていルというのニ・・・9
「なーにが命の水だぁ、《聖水》だぁ?ギガントみたく化け物になる為の水なんざ、誰が要るってんだ!」
切り口上のジンは、立て続けに44マグナム弾を放った。
(自分勝手ナ言い草ダ。・・・これだかラ人間ドモは。たっぷり生かしておいてやっテいルというのに。死んダ後、屍ヲどうしようガ構わなイだろうニ)
《烏鴉王》は血塗られた真っ赤な口腔を開き、威嚇の体制を取った。
「そろそろ本章を現しやがったか」
と、ジンはむかっ腹を押さえつつ、膝立ちのまま、再び《烏鴉王》を狙った。
チリチリチリ。空薬莢が飛び出した。
ジンは急ぎ、リロードに入った。
《烏鴉王》はきい、と一声鳴いて、屋根から舞い降りた。赤い眸がジンを見詰める。
(・・・若者ヨ。お前ハ捜し求めル答えヲ見境も無ク殺めル程、愚かカ?)
「捜し求めるものの答えが貴様だと?何のつもりだ」
(愚問ダ。それハお前ガいちばん知っていルこと・・・)
びゅ。
カマイタチがジンの頬を擦り、サングラスをふっ飛ばした。
「痛ッ!」
チタン・フレームのサングラスは地面に転げ、突っ伏したアーチの頭上に転がった。自分の肉が裂ける嫌な臭いに、ジンは顔を歪めた。両頬の皮がめくれた。
(・・・お前、そノ顔}
《烏鴉王》の声が震えた。瞳の色がみるみす黒ずんでいく。
(黒髪、黒イ瞳、黄色イ肌・・・まさか)
「まさかよ。オレは純粋日本人だ」
ジンは、怒号を腹底から搾り出した。リロードはまだ終わっていなかった。五発目の44マグナム弾が、右の人差指と親指の間に挟まっている。
(ニホンジン・・・!)
《烏鴉王》は、狂ったように叫んだ。
(おおおオウ!太古ハ我ヲ崇めタテマツリ、時ガ移ろへば禍ツ神として我ヲ屠っタモノドモ)
「よく判らねえが、誰がその手前を叩き起こした?迷惑な話だよな」
ジンは、マグナム弾を詰め込む時間を稼ぐのに、きりきりしていた。自分でも何を訊いているのか、意識していない。
(盗賊ドモ、ヤツらに感謝せねバならぬ。我ハ水源と共に蘇っタ)
「お喋りなヤツだな」
(・・・若者ヨ。何故捜し求めル答えヲ訊かヌ)
「オレは何も探しちゃいねえ」
(そんなハズはなイ。お前ノ魂ハあル場所を求めていル)
「るせい。オレは一世紀以上も前に消えた筈の亡国の徒。帰る故郷もなけりゃ、何処で死ぬとも本望ってな!」
ジンは、胸ポケットから取り出したジッポを、《烏鴉王》目掛けて投げた。
空洞を二つ残したまま、《ブラックホーク》のシリンダーを回転させる。
《ブラックホーク》の発した弾丸は、正確無比。ジッポにめり込み、《烏鴉王》の胸の中心に当てた。
弾は心臓にまで達しない。
無論、マグナム弾を食らって無事である事は無い。無残にひしゃげた白金の白金のライターが、羽毛の下に食い込んでいくのが、ジンには見えた。
弾の破片はライターのオイルに引火し、黒い羽根の間から、青白い炎が上がった。
(ウうああああ!)
金属は激しい衝撃と化学反応で、剥がれない。ジンは、無言で《烏鴉王》の胸に三発、44マグナム弾を叩き込んだ。
蛋白質の燃焼する悪臭を黙殺しながら、ジンは一歩踏み出した。
《烏鴉王》は地面に横たわり、虚ろな眼を動かした。燃え上がった青い炎は、羽毛全体に広がりつつあった。
「知ってるか?ライターのオイルはギガントから採れたもんだよ」
ジンは、言った。
「よく燃えるぜ」
(日本ジンに・・・鉛弾を食らウ・・・なんテ。ニホン、ジン・・・ニ)
《烏鴉王》の絶叫が、殷殷と辺りに谺した。屋敷中の木々を飲み込んだ青白い炎柱は、曇天を衝く勢いで、館に忍び寄っていた。
ジンは、アーチの身体を引き摺り起こした。そして、一服点けようとしてマルボロを咥え、胸元を探ったところで、はたと気付く。
「・・・しまった!」
ジンは、半ば燃え尽きた《烏鴉王》の屍を振り返った。
もう遅い。
終章へ続く
「前回までのSTORY」へ戻る