第二話
蝕日者のジルバ 〜 Eclissi ballare il jitterbug 〜
(後編)
終章 UROJI MUROJI
リンゴン。
太陽の出ない夕べ。教会の鐘が鳴った。主のいない筈の教会の鐘を鳴らしているのは、代理人だろう。
「幼くして儚くなりし領主に、深い深い海の底よりも深い慈悲と黙祷を捧げよ」
泣き男が声を上げた。葬列は蝸牛のように、のろのろと進む。
その先頭にはクロウ家の半期が掲げられていた。
旗を持つ斜視の小男は顔を顰め、その後ろの大男はただ、目頭を押さえたまま歩いた。彼等の衣装は、相変わらず派手なピンク色だった。
大通りの窓という窓が半開きになり、隙間から幾つもの目が瞬き、と啜り泣きが洩れだした。
古式ゆかしい葬式だった。
「まさかいっぺんに二人もの葬式を出すとは思いもしなかっただろうな」
ジンの唇から、薄い煙が立ち昇った。
灰色の空に微かな桜色が差していた。暈雲を被った太陽の黒い影が、間抜けなくらい軽く空に浮いている。
フギンとムニンの二羽の鴉が、ジンの前に降り立った。
「知ってるか?」
アーチが呼び掛けた。鴉は何かを啄ばむような仕草をして、跳ね回る。
「古代中国の神話では、太陽には三本脚の鴉が住むと言われた。太陽の守護者だ」
「何だそりゃ?じゃ、日蝕ってのはどういう意味なんだ?」
ジンはマルボロを咥えたまま、暗い空を仰いだ。相棒の灰色の脳細胞には、ジンの見聞きしたこともない知識が詰まっているらしい。それを何処でどう取得したかは、ジンも知らない。
「同じく中国では、天子を太陽に見立てて、その権力を侵す者を《蝕日者》と呼んだ。それ故に、日蝕は不吉なものだった訳だ。政事が正しきを得てない時は、天変地異が起こる、とな」
「うーむ」
アーチは、二羽の鴉を何とはなしに見詰めながら、続けた。
「太陽が月の影に隠れる。本来、日の当たる道を進む者が影の存在に脅かされる。・・・果たして、それが不吉であるのかどうかなんて、それは後世、歴史に名を留めた側からの視点であって、本当のところはどっちが正当な存在だなんて、言えるか?」
「・・・・・・」
ジンは、アーチのオリーヴグリーンの瞳を見詰めた。
「それは、何かの譬えか?」
その答えに、アーチはぷっ、と噴き出した。
「全部言ってやらんと判らんのか。好きに考えろよ」
そう言って、アーチは先に扉を押した。アリスのバールは、開店前。
「んん・・・」
ジンはまんじりとしない気分のまま、愛車《イケヅキCR‐X 》に荷物を載せ、アリスの店の中に入った。カウンターでは、アリスがパニーニをバスケットに山ほど作って待っていた。
「しかし、あんたサングラス外すと…童顔なんだね」
アリスは、ストールに座ったジンの顔をしげしげと見つめた。昔の日本民族に特徴的な面長の輪郭と、太く濃い眉、大きな黒い瞳。中国系や韓国系には無い、何処か野性的な雰囲気があった。
「言うなよ。気にしてんだぜ」
ジンは苦笑いして、隣で涼しい顔のアーチを見た。この男には極めて珍しい事だが、最前から無口だ。
窓の外を、葬列が行過ぎようとしていた。
二羽の大鴉が、棺を担いだ男達の上を舞っていた。
《烏鴉王》は、モジトに座ます古代神とされていた。
モジトの水源を司り、太陽をも覆い隠そうとする巨大鴉。
日本の滅亡後は姿を隠していたその《烏鴉王》が目覚めたのは、水源の発見に他ならなかった。無論、ボナンザ・クロウを含むオステンド・フィズら盗賊の手に拠る。
「水源の水はもう使えないのかね?」
アリスが、不安気にアーチを振り返った。
「…判らないな。水を飲んでも死後ギガントにならない者もいる。いずれ水質調査の結果を待つことだね」
アーチは、頬杖を付いたまま、黙ってシナモンスティックを摘み、カプチーノを掻き回していた。そして、時折オリーヴグリーンの瞳だけを店内に泳がせていた。
「…もう行くぜ。長居すれば、またその分別れが辛くなるからな」
ジンはカッフェを干して、立ち上がった。
「行くのかい?さみしいねえ」
「さよならだけが人生だ、ってやつよ」
ジンは決め台詞を言って、アリスに背を向けた。
アーチは、飲み残しを作ったまま、ジンの背中を追うようにして歩き出した。
「そこのお二人さん、悪いけど止まって頂戴」
ハスキー・ヴォイスが、ジンとアーチの背後から響いた。ちょうど、二人とも、バイクにイグニッション・キーを差し込んだところだった。
砂埃の中から現れたのは、分厚い黒のインバネスを纏い、黒衣に身を包んだ騎兵だった。口元をインバネスの端で覆っていたが、紛れも無く見覚えのある美女だった。
「ミスティ・サファイア!」
ジンは、叫んだ。だが、《ブラックホーク》を構える暇も与えられず、馬上から《パイソン・シスタームーン》の銃口を付きつけられた。
「おお!」
ジンは、ミスティの凛々しい制服姿に、覚えずうっとり、見惚れてしまった。黒いテンガロン・ハットの下に棚引くブルネット。誇らしげに張詰めた胸。長い脚の先の、馬をも蹴り倒しそうな尖ったブーツ。
しかし、黒馬に乗った黒衣の騎兵といえば、泣く子も黙るあの職業しかない。あの左胸に付けられた金のマスタングの襟章は。
「あ、あんたそのカッコ、まさか…」
「グレナデン・サフィール枢機卿といえば…」
アーチは、速やかに両手を上げながらジンの顔を横目で見た。
「えーと、インクィジション(異端審問所)のこえーえ鬼所長で、プレミオーロ協会の最高顧問だろ?」
ジンは、たどたどしく記憶を辿るようにして答えた。
「その枢機卿の姪御にして特務巡検使アルテミス・サフィール。プリンキペッサ(《銃王》)の称号を持つ左撃ちの美女、といえばお前も少しは聞いたことあるだろう?」
「と、と、特務巡検使…」
ジンは、肩の力が抜けるのを感じた。
「す、枢機卿のめい、ご?」
総ての謎が解けたような、気がした。
特務巡検使は、略して《特検》とも呼ばれる。ヴァティカンの有する独立機関、巡検法務省という教皇直属の捜査官である。
巡検使は普通、各司教区から派遣され、ディアスポラの各中級都市に設置されているので、別段珍しくもない。
特別巡検使は、勤務地を定めず各司教区を回り、法の陰に隠れた事件を告発する任務を負う。警察官でもあり、検察官でもあり、諜報員でもある。いわば隠密という任務で、危険も大きいがエリート中のエリートの就く仕事といわれる。
いわば荒廃地域ディアスポラにおける法の番人。
ミスティが身分を偽って、クロウ家に潜入していた理由は、言わずもがなだ。
「ディアスポラの法を守り、教皇を護るのが私のお役目」
ミスティは歯切れ良く言った。
「IDカードを照合するわ」
ミスティは氷のような表情を変えないで、言った。色っぽい唇から出る言葉の調子は、表情以上に厳しい。
アーチは白衣の奥からカードを出し、ジンもそれに従った。
「クロウ家の事件で証人を募っていてね。町を出入りする人間は総て調べさせて貰っているの」
「判り切ってんじゃんか!オレとこいつは…」
ジンの言葉を遮ったのは、ミスティの冷ややかな目付きだけだった。
「あら、アナタ達ほど胡散臭い者はこの町にはいなくてよ。もしかしたら、シルヴァー・ブレットとかいうお尋ね者が変装しているのかも知れないし」
「何ィ…」
ジンは、呆気に取られたまま、アーチの顔を穴が開くほど見つめた。アーチは頷き、両手を上げた状態で、黒馬に歩み寄った。緊迫した空気が、両者の間に流れる。
暫し、堅苦しい面持ちで見詰め合ったあと、アーチはミスティに向かって言った。
「オレ達は証言なんてしないぜ。不法な聖水の事も《烏鴉王》の事も、クロウ家の断絶も、一切関知しない」
アーチは自信に満ちた表情で、ミスティを見た。
「只の通りすがりの旅人、ね」
「そう。ただの通りすがり」
暗喩めいた二人の遣り取りに、ジンは何故か苛立ちを覚えた。
「返すわ。行って」
ミスティは、毅然と言った。アーチがニコリと笑みを見せると、微かにミスティの口元がほころ綻んだように見えた。
後方にいた、青い制服のミスティの部下が馬の鼻を返した。ミスティも、それに気付いて手綱を引いた。
ジンは、埃にやられた両目をごしごし、と擦った。涙が出て来た。
「…勿体ねえ。実に勿体ねえ。あんないい女が、特務巡検使だなんて」
「とんでもないはねっかえりだぜ、あれは」
「しかも、鬼所長の姪御だなんて」
「オレはそっくりだと思うぜ、あの性格」
アーチは、ガソリン満タンになった《デアデヴィルXIX》のエンジンをかけた。
西陽がサイド・ミラーに反射した。ホワイト・ゴールドの光が、支配的に荒野を照らし始めていた。それとは反比例して、風は東から強く吹き始めていた。
後三日もすれば、《砂漠の黒嵐》がこの地域を通過するのだろう。
「吸い過ぎだぜ」
タバコをふかしながら《イケヅキCR‐X》を走らせるジンに、アーチは忠告した。先刻から、既にマルボロ一箱は開けていた。
「るせぇよ。吸わずにやってられっか。タダ働きはさせられるし、可愛いネエチャンはいねえし。あのべっぴんは、金バッジ付けてたんだぞ。お前はいいじゃねえかよ。報酬はちゃっかり、クロウ家から頂いてるんだからな」
ジンは、ブーツをステップにどっかと乗せた。バイクは、時速四十キロ設定の安全自動運転モードに入れてある。
ジンは、一昨日から尻ポケットの違和感が気になっていた。漸く左手を突っ込み、小瓶を指先で摘み上げた。
アーチは、投げられた小瓶を受け取った。
「何が入ってんだ?これ」
「強力乾燥剤」
「乾燥剤なんて何に使うんだ?」
アーチは、小瓶を振った。
「教会でギガント退治に撒布していたモノらしい。ピーチィが見付けた。ヤツ等は乾燥に弱くて、夜間しか活動出来なかったくらいだからな。確かにこいつは、効くぜ」
ほう、とアーチは感心した。
「あ!」
ジンは、はっと大きな一重目を開いた。
「そういや手前ェ、何でミスティの正体を知ってたんだ?まさか…」
「本人に聞き出した」
「どうやって?」
「男が女を饒舌にさせる場所は一つしかないだろ、つまり…」
ジンはその言葉が終わらないうちから、《イケヅキCR‐X》を《デアデヴィルXIX》に体当たりさせた。
「何す…」
突然の事でバランスを崩したアーチは、必死でハンドルを握ったまま、体を捻った。
「抜け駆けは許さねえ!」
「アホ言え!世の中雁首並べて生きていけるか!」
「お前は汚えんだよ、いっつも。自分だけいい思いしやがって!」
「抜かせ!ジャン・カルロにフクロ叩きにされるわ、ギガントに襲われるわ、ついでにお前に殴られるわ撃たれるわ…ロクでもない目に遭ってんのはオレの方だぜ!」
「自業自得だザマミロ!」
二台のバイクは蛇行しながらも、交易路を北へと進んで行った。
北半球の初夏が始まる。風が、日に焼けた香ばしい砂の匂いを運んで来た。
「しかし、お前考えてみろ。幾らオレとて枢機卿の姪御に手を出すワケがない」
「むむ。確かに、後の事を考えるとなァ」
「さ、おっかないオネエチャンの事は忘れて、忘れて。案外、お前を追って来てる女がいるかも知れんしな」
アーチは、漸くシートに座り直すと、何処か運命を楽しんでいるような、愉しげ笑みを浮かべた。ジンはタンクの上に肘を付き、首を捻った。
「納得いかねえけどなぁ…」
カァ、と鴉が頭上で鳴いた。アーチは、空を見上げる。
「そういえば昔、一休禅師という禅宗の坊さんがカラスのカァ、と鳴くのを聞いて悟りを開いたとか」
「知らねえ、オレは知らねえ。お前、一体何処でそんな事覚えて来るんだ?」
ジンは、右手をだるそうに振った。訳のわからん故事を持ち出す相棒の相手をする気は無かった。
「有漏路、無漏路。一休には、カラスの声が、煩悩のある世界と無い世界をさ迷う自分を嘲笑っているかに聞こえた。お前はカラスの一声じゃ、どうにもならんだろ」
「人の事言えるのかよ、手前ェは」
「問題外だ。オレは敬虔な旧教徒だぜ」
風に混じって、何か動物の匂いがした。
ジンが意識的に減速すると、それは急接近してきた。
「おう、もう、来たのか。さすがに情熱的だね、ラテンの女はぁ!」
ジンはがば、と振り返った。
振り返った時、ジンの目に飛び込んで来たのは、白いダチョウに乗ったピーチィの姿だった。
「情熱的だぜ。さすが《ベイビー・フィンガーズ》のお嬢さんだ」
アーチはころころ、と高笑いした。
「何しに来たんだお前ェ!」
ジンは慌てて、テンガロン・ハットを被り直した。
「何しにッて。ウチを置いてきぼりにする気やったんか?イケズ!」
ピーチィのダチョウは、《イケヅキCR‐X》の横に並んだ。急いで出てきたのか、ピーチィの両頬は真っ赤になっていた。
「お前みたいなおへちゃは、用事無い!あと五年経って、ナイスバディにでもなってから来い!」
ジンは、右手の中指を立てた。ピーチィの頬が益々上気した。
「サイッテー!セクハラや。何がナイスバディやねん!アンタのお好きなナイスバディの所為でな、ウチらのお宝ぜーんぶ、没収されたんやで。ほんまムカツクわ!」
ピーチィは、素早くジンのテンガロン・ハットに手を伸ばした。
特務巡検使の命で、捜査官が《ベイビー・フィンガーズ》のアジトにガサ入れしたというのは、単なる町の噂ではなく事実だったらしい。
無論、ピーチィが隠れてクロウ邸からごっそり持ち帰った金品は、根こそぎ押収の対象となった。
「お前等が悪いんだろーが、それは」
「最悪や、あの女!今度会ったら、いてもーたる!」
ピーチィは二の腕をパンパン、と交差させて鳴らした。ミスティの事を思い浮かべて、自分で頭にきたらしい。
「いてこまされるのは、お前の方だっつーの」
ジンはテンガロン・ハットを奪われて、眩しそうに目を瞬いた。
「けど、何だかんだいうて、ウチ等すってんてんやねん、爺も出稼ぎに出てもーたし」
「って事は…」
「心配要らんで。旅支度、準備オッケーや。ウチ当分帰る必要無いねんで」
ピーチィは、白い歯を見せて笑った。ジンのテンガロン・ハットを被り、ニコニコ顔でダチョウを伴走させている。
ジンは焦慮の為に、しばし思考回路を停止させてしまった。ややあって、ジンはこっそりとアーチに話を振った。
「…どうよ?アーチ」
「どうよって?いいじゃないか、連れていけば。女の一人くらい食わせる甲斐性あるだろ、お前」
「お、オンナ?」
ジンは二の句も継げずに、ピーチィの横顔をチラ、と盗み見た。アーチは声に出さずに、ニヤニヤ笑いを浮かべていた。
「…冗談じゃねえ、くそったれ!」
ジンは革ジャンのポケットに、手を突っ込んだ。マルボロの包みを取り出す。だが、肝心のタバコは一本も入っていなかった。ストックも底をついていた。
「最ッ低だぜ、おい!」
ジンはマルボロの包みをぐしゃぐしゃに握り潰すと、思いっきり投げ捨てた。紙クズは、砂粒に混じって風に掻き消えて行った。
「ゴミ捨てたらアカンやないの、ボケーッ!」
ピーチィがダチョウの上から叫んだ。ジンは、ピーチィに向かってべえ、と舌を出した。
「飛ばせよ、アーチ。隣町までタバコ切らしたまま、二時間ももたねえ。着いたら、バールへ直行だ。浴びるほど飲んだる!」
「ああ。オレも何だか今日は、無性に飲みたい気分だ」
アーチはアクセルを吹かした。二台のバイクは風を巻き上げながら、加速していった。
「ああーん。待ってえな!」
ピーチィの叫び声が、後方からジープを追い掛けた。
「見ろよ」
アーチが顎を上げた。ジンは、西の方角を見上げた。
太陽の輪郭が、白く輝き出した。黒い影が痩せていく。
サングラス越しでない生の陽光に目が痛い。痛いが微笑ましい、複雑な気分だった。
再び日光が命を取り戻した時、モジトの町は遥か南に遠退いた。太陽は大きく、地平線にめり込んで溶けていった。
<DISMISSED!>・・・CONTINUED ON NEXT DUEL
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