第四話
 〜不帰の砂漠のスクエア Il recluso deserto danza in quattro coppie
(後編)


終章 つきのさばく 


 素晴らしい満月の下で、渇いた骨がカタカタと鳴り響いていた。
 ジンの体重は、失血と水分不足で確実に三キロは落ちていた。憔悴し切った体に痛い程鞭打って引き返すと、ジンは愕然となった。
 国境警備の男達は、揃いも揃ってむっつりとした表情のまま、ジンを出迎えた。列の最後尾には、リンダ・アルバータインがいた。
 そのむっつり顔の代表がキール・ロイヤル・スタンレーだった。凄みのあるとさえ言える人品は、健全だった。
「ホリーを仕留めたのはキミか?」
 ジンにとっては、予想通りの質問だった。スタンレーは、一足先に戻ったアーチが抱えていた女医の屍を確認したのだ。どういう顔をしてこいつは出迎えたんだろう。
「オレじゃない。オレの相棒でもない」
 ジンは無愛想に応えた。
「無論、オレ達を解放してくれるんだろうな」
「止むを得ないからな」
 スタンレーは短く答えた。頬が微かに緩んでいる。ジンは、滅法不機嫌だった。通常なら大抵の事には反応しないくらいに疲労困憊して、すぐにベッドの潜り込みたいところだが、スタンレーの余裕たっぷりな表情を見ていると、闇雲に腹が立ってきた。
「何が可笑しい?」
「笑ってなんかいない。キミ達が無事で一安心しているくらいのものだね」
「黙れ!」
 言うが早いか、ジンはスタンレーの胸倉を掴んだ。咄嗟にリンダが構えた。今にもジンに突っ掛かりそうになるのを、スタンレーは眼差しで制止した。
「手前ェの頭には、最初っからオレ達を利用する事だけしか無かっただったんだろうよ!」
「それはキミの勘違いだ」
「いいや!」
 ジンは強く言い放った。ブラスターを構えるリンダと男達を一顧する。気迫に押された隊員達は、竦んだまま、誰一人として息を呑まない者はいなかった。
「《不帰の砂漠》に何があるのか、あんたも全く知らなかったワケじゃあるまい。ホリーの正体も知っててわざと泳がせて置いたんだ。そして、動き出したところをお縄にしようってだな」
 スタンレーはジンが何を言おうと、感情を覆い隠して《鉄仮面》を決して外さない。
「だから追っ手を出さなかった、そうだろ?」
「アドリブに弱いという割にはよく喋るじゃないか」
 スタンレーは冷ややかに応酬した。
「私も《不帰の砂漠》の事は、噂でなく真実が知りたかったんでね。只、キミの考えているような、権力臭と汚穢の漂う金満国家の上層部と同じにしては困るよ」
「ケッ、大した違いは無いじゃねえか」
「それはどうかな」
 スタンレーは意味ありげに語尾を上げた。
「キミの祖国はみみっちい個人レベルの経済闘争を永年に渡って仕掛けられ、果ては潰れたんだ。裏で手薬煉引いていた連中は、皆利益を貪るだけ貪って、後は蜘蛛の子を散らす様にヘヴンへ逃げ込んだ。御人好しも度が過ぎる。いや、世間知らずもいいところだ。かつてのユダヤ人を見習って、そのうち再建国の意志でも持つようになる事だな」
「何の話だよ」
 ジンの頭は混乱していた。
「総ては、繋がっているという事だ。キミの国が消されたのも、《不帰の砂漠》も地下水脈のように一つの根幹を持っている」
 スタンレーは苦々しく、言った。
 ジンは右手を離した。背筋が寒気を覚えた。スタンレーの言っている言葉の意味が総て理解出来た訳ではない。しかし、何処かうそ寒いものを感じずにはいられなかった。
 ジンはゆっくりと、身体を引いた。
 そしてスタンレーの脇をすり抜けようとしたところ、ジンの腕は即座に掴まれて、半身分引き戻された。
「ホリーが持っていたものは総て曝し出せ」
「終わってるよ」
 ジンはスタンレーの右手を振り払った。リンダの目付きが再び豹変した。
「あんたにゃ、オレ達は只の薄汚い賞金稼ぎに見えるかも知れないがな。ぬくぬくした楽園で生きてる飼い猫連中と違って、牙も爪もあるんだ。それを覚えとけよな」
 ジンは振り返らずに、言った。
 スタンレーの両目が一つ瞬きをした。その微妙な所作が、この若い指揮官をもって決して穏やかな心地では無い事を物語っていた。

 《不帰の砂漠》の警護は解かれる事となった。というよりも、国連で、次のような決議が下されたからだ。
「旧中華人民共和国、広東地方の地域開発を、二二百四十三年から行う。現在居住区を、上層副都心として住宅地域に選出した。実際、立ち退きおよび工事に当っては、順次通達する」
 一気に読み終えた国連の伝令は冷や汗を掻いていた。
 町で唯一の法務局は、この恐ろしく即急かつ無謀な通達にどよめいた。
 バカーディ局長の解任はちょっとした事件となっていた。不法越境者の申告漏ればかりか、賄賂を貰っていたという事実が露見するや否や、しょっ引かれてしまったのだ。
 しかし、今やバカーディの事件など何処へやらの騒ぎだった。
「どういう事なんですか?要するに我々をここから追い出したいという事なんでしょう?」
 若い課員は、伝令に噛み付いた。普段なら局長に一言を発するのももどかしいこの青年も、さすがに憤ったようである。
「何で今更開発なんですか?旧リオを解体して上層都市を建設する時も、もめたというじゃないですか。国連は何を考えているんだ!」
「と申されましても、私はただ通達を発表しに来ただけですので、何とも…」
 伝令はあたふたとして答えた。
「何にも知らないで済まないわ」
「ヴァティカンはそんな勝手を赦したんですか?」
 課員達を始め、野次馬に来ていた町の住人も参戦した。町が興って以来の騒動を予感させるざわめきが、法務局内に広がった。
 その混乱の空気に割って入ったのは、ハスキーな若い女の声だった。
「どいつもこいつも、滅法シャレてないヤツ等ね」
 一目見て、町の人間では無いと判る容貌に、伝令は一瞬虚を突かれてきょとん、となった。
「通達ゥ?何様のつもりか知らないけど、お偉い事ね。《不帰の砂漠》を先に押さえようったってそうはいかないわよ」
 ミスティ・サファイアは、如何にも剣の篭った言い方をした。美貌だけに一層凄みがある。
 伝令は目を丸くした。ミスティの襟に光っているバッヂが目に付いたからだ。
「《不帰の砂漠》を押さえようって、何の事ですか?」
 若い課員は目を輝かせて、ミスティに近付いた。ミスティは横目で課員を見据えた。
「アナタには関係の無い事よ」
 若い課員は、蛇に睨まれた蛙の如く、ビクリと肩を竦めた。
「判りました。私も命は惜しいです」
 今、何より驚き間誤付いていたのは、住民達よりもむしろ伝令の方だった。特務巡検使がまさか、こんな所にいるとは思いも寄らなかったのだ。
「何―んにも知らない人間を通達によこすんなら、せめてもっと見栄えのする男でもよこす事ね」
 ミスティはそう言って、伝令の顎を小突いた。伝令は、恥ずかしさの余り失神しそうな顔付きになった。
 そうしてミスティは、法務局を出た。
「くだらない」
 ミスティは唇の端を歪めた。あんな草臥れだけで益の無い事は、二度と思い出したくも無いといった表情で。
「あのう…」
 と、恐る恐るミスティに声を掛けたのは、若い法務局員だった。
「一つお尋ねしていいですか?」
「…いいけど、何?」
 面度臭そうに、ミスティは法務局員の顔をじろりと見据えた。
「結局、《不帰の砂漠》には何があったんですか?」
「何がって…」
 海と見紛うダイヤモンドの粒の数々。その稀少にして貴重な資源を確保すべく仕込まれた対人兵器ガーディアン・ワーム・アーツ。前世紀に仕掛けられた罠に嵌った冒険者達の屍。
 しかし、国連軍はむしろダイヤモンドよりも、ガーディアンの存在を隠していたのだ。ガーディアンの為に死んだ人間の死体を屠った墓場と共に。
 つまり、現在、セヴンス・ジェノサイド条約で廃棄されていなければならない筈の殺戮用兵器を擁しているという事実をだ。
 それをホリー・ディプシーは捜査していたのだ。
「何にも無かったわよ。何にも」
 ミスティは長い髪を一撫ですると、まるで嘯くように、そう答えただけだった。

「つーきのー、さばーくをー、はーるーばるとー。たーびのー、らくーだがー、ゆーきーましたー」
 闇雲に大きなジンの歌声が、宵闇に響いていた。
「何やのあれ?ヘンテコな歌」
 ピーチィは、ジンの背中を見遣りながらあからさまに顔を顰めた。
「日本の古い歌らしいな。駱駝に乗った王子様とお姫様を歌った歌だって。駆け落ちの歌か何だかよく判らないな。尤も、あれじゃメロディも節もあったもんじゃないがな」
 そう言って、アーチは下ろしたての白衣の襟元を直した。埃と汗と血塗れになった白衣は既に捨てた。
 人一倍耳が敏く、しかもよく通る美声を持つアーチにとって、ジンの歌声は子供並みに無茶苦茶に聞こえた。
「初めて聞くわ。あんな歌」
 ピーチィはむっつりとして、背中に荷物を担ぎ上げた。ピーチィの小さな背中を覆い隠す程大きなリュックには、当座の食糧と着替えと少女の商売道具が詰め込まれていた。
「で、《キングコブラ》に何入れてたん?」
「え?アレか?アレはな…」
 アーチは得意げに顎を撫でた。
「免疫活性剤を仕込んだんだ。火薬半分にして」
「?」
 一度死んだ人間を蘇らせる方法は一つ。
 脳以外の他人の臓器や四肢を繋ぐしかない。
 二十四時間以内に総ての作業を終えなければ蘇生は不可能であり、三十六時間以内に拒絶反応が起っても同様だ。幸運にして、施術者の腕がべらぼうに精確なら生還できる。確か、これは一世紀前に試みられた筈だ、とアーチは記憶していた。
 その後は、名ばかりの蘇生法となっていた。臓器を含んだ身体提供者が極端に少ない事も影響していた。それに、集める個体の数が多ければ多いほど、拒絶反応は起りやすい。
 免疫活性剤は、免疫抑制剤の逆の効果を齎す薬である。
 細胞の増殖と分化、生存維持とアポトーシスなどの細胞応答を引き起こす蛋白質性因子をサイトカインと呼ぶ。その中には抗ウイルス作用を示すインターフェロン等が含まれる。
「この免疫活性剤は、インターロイキン・シグマp94」
 アーチは、残った357マグナム弾を指先で弄んだ。
「ごっつ効きそうな名前」
「人体の細胞になら何処にでも存在する蛋白質カルパインp94を不活化させる、人工合成蛋白質で出来たものだ。本来は、筋組織を破壊してしまうもので、筋硬化症などの特殊な病気にしか使わない」
 ピーチィは、ううう、と頭を抱えた。理解不能だ。
 アーチは、白衣のポケットに手を突っ込み、診療所からくすねてきた免疫抑制剤の小瓶に触れた。使い掛けの薬。こんな辺境の診療所で免疫抑制剤を必要とする手術が行われたとは思えない。但し、術後すぐの人間なら、少なくとも三日に一度は使わなければならなかった。
 ロブ・ロイは、確かにホリーの診療所に立ち寄ったのだ。何故、ホリーがそのことを黙っていたのかは、今となっては知る術もないが。
「ロブ・ロイの身体は、自分の首以外、都合四人の身体を借りて作ったものだったんだ」
「フランケンシュタインみたいやな」
「お前も古い事言うなぁ」
 アーチは苦笑した。
「それにしても、勿体無いわ。これ」
 ピーチィは足元をしげしげと見詰めた。
 月光に映えて輝きを放つ砂漠の砂。クリスタルの床を歩いているかのように見えた。
「これ、全部ダイヤモンドやろ!?」
「全部じゃないだろ。砂まで拾うなよ」
 アーチは屈み込んだピーチィの背中を軽く叩いた。
「持って行こうなんて考えるなよ。お前、どんだけ重いか判ってるんだろうな?」
「アーチやったら持てるやろ、サンドバッグ三個分くらい!」
「そんなモンで左団扇になるか」
「うー…」
 ピーチィは顔をちんくしゃにして、無言の抗議をしていた。
 ダイヤモンドは、砂金のように砂粒と入り混じり、篩にでもかけなければ到底選り分けられない。名残惜しいが見捨てていくしか方法は無いのだ。
「爺の事でも考えてるのか?」
「うん。これ全部あったら、爺もみんなもアジトに戻って来るやろうなと思うて」
 ポツリと呟いて、ピーチィはさらさらとした砂地を弄った。
 ピーチィは何度も何度も両の掌に輝く砂を掬い上げては、溜め息を吐いた。
「何やってんだ、あのバカ…」
 ジンはふと立ち止まり、振り返った。ピーチィはこんもりと小山のような荷物を背負い、白ダチョウを引き連れたまましゃがみ込んでいた。
 ロブ・ロイが末期に残した言葉。黒いマントの男。
 黒いマントの男がシルバー・ブレットだという証拠は何も無い。だが仮に宿敵だとしたら、ロブ・ロイの言った事は別の意味をも含んでくるだろう。
「ヤツはオレの存在に気付いている。あまつさえ、死んだ筈のロブ・ロイを甦らせて、オレを殺そうとした?…どういう事なんだ?死んだ者を生き返らせる、ヤツはマグス魔術師か?」
 ジンは自分のブーツの先を見た。埃が金具と革の間に入り込んでいる。革ジャンはずたぼろだった。どちらも新品に交換した方が良いに決まっている。
 ジンは顔を上げ、再び声を張り上げた。
「きーんとー、ぎんとのー、くーらーおいてー。ふーたつー、ならんでー、ゆーきーましたー」
 ピーチィは反射的に耳を塞いだ。歌はまだ続く。
「きーんのー、くらーにはー、ぎんのーかーめー。ぎんのー、くらーにはー、きんのーかーめー。ふーたつー、のかーめはー、そーれーぞーれにー、ひーもでー、むすんでー、あーりー、まーしたー」
「うるさい、うるさいーッ!」
 疲労は去って、ジンは足を速めた。右も左も見渡す限りの砂漠だった。心は萎えていない。ジーンズの前ポケットに手を突っ込み、ジンはフィルム・チップを強く握り締めた。
 腰にぶら下がった《ブラックホーク》は殺意を秘して、沈黙を守っているだけだった。
                              
       

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POSTFAZIONE 第3〜4話 あとがき

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