忘八はワンパターン

 遊郭の主人のことを「忘八」(ぼうはち)という。
 御存知の向きも多いだろうが、「八つの徳を忘れた大馬鹿者」という意味で、廓とはそういうものらしい。これはもとは中国から来た言葉だ。
 八つの徳とは、
「仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌」
 であって、かの有名な滝沢(曲亭)馬琴の『南総里見八犬伝』における重要なキーワードである。しかし、これは本来本場中国だと、
「礼・義・廉・恥・孝・悌・忠・信」
 となる。
 使用例は、既に『新五代史』(注1)・前蜀世家に記述があって(人名に使用されている)、その頃からであるので、そう旧くもなく新たな語であるともいえない。
 また『紅楼夢』(注2)・第46回においても見られ、この「忘八」の八つの徳の概念は同じであるので、少なくとも18世紀までは、この順は変化しなかったということになる。
 
 さて。この日中で微妙に違う八字の配列と組み合わせはどうであろう?
 大事とされる順位付けであろうが、それはつまり「人として」という意味であることに違いはないのだが、大前提にそれが「武士として」(中国では士・大夫として)であったのではないかと予測出来る。
 無論、『里見八犬伝』が成立した年代は江戸後期・文化年間〜天保時期である。文化11年(1814)に始まり、天保13 年(1842)まで28年がかりで書き続けられ、全180回、98巻106冊の大長編小説であった。
 馬琴の出自はもともと江戸深川の旗本・松平鍋五郎に仕える下級武士(用人)で、家督を継いだものの何かが気に食わなかったか、主家を飛び出して放蕩生活に入り、山東京伝に弟子入りして戯作者になった経歴を持つ。
 しかしながら、出自としては一応「武士」の類に入るだろう。
 つまり、徳川幕府体制下における武士の重んずべき「八徳」が「仁・義……」なのだろう。物語そのものは、足利時代なのだが。
 一方、『新五代史』の頃の中国では、やはり「礼」がトップにくる。尤も、書かれたのは北宋時代である。面白いのは、孔子が重きを置く「仁」が此方には一切入って来ないということだ。飽く迄、戦国時代からの士・大夫の社会規範としての基本である「礼」が重要視されているのである。
 ちなみに、
「仁」の意義は、『説文解字』(注3)に「したしむなり」とあって「人、二に従う」と人が二人相親しむ姿をあらわす。本来は、金文などでは「人が敷物(衽)を敷いている形」である。要するに「臥席」であって、くつろぐことから和親、和睦などの意味が生じて「仁愛」の意に転じたものといえる。「心やさしい」「思いやり」などが徳とされた。
「礼」は、禮の略字であって、「醴」(れい=あまざけ)と同義である。あまざけを用いて行う儀式から由来する。『説文』には「神に事へて福を致す所以なる」とある。
 すべて、徳行を示す漢字は、人間の思想や心よりも「行為」を重視したものであるので、「仁」も「礼」も同じ分類が出来るが、おそらく時代が下るにつれて、「仁」は孔子や孟子の説いた「仁愛」などによってより一層概念的な語となった。しかし、中国人(漢民族)はどうやら心よりも形を重んじる傾向があるようで、「礼」が最も重く考えられたといえるのではないか。
「義」は、分解するとわかるが、「羊」と「我」になる。「我」は鋸の象形文字で、羊に鋸をくわえて切り、「犠牲」とする。その生贄に何の欠陥もなくて神の意にかなうことを「義(ただしい)というのである。これも、元は儀式に関係する語だ。日中同列になっていることが興味深いが、やはり「正義」は大事なのだろう。
「廉」は中国にしかない徳だが、ひとくちにいえば「いさぎよい」という意味である。『説文』では、「仄(かたむく)なり」とあって、傾仄の意である。一方に傾き守ることから廉直あるいはつつまやか。
「恥」も中国にしかない。『説文』には会意文字で、「耳」と「心」で辱じるなり、とある。ものに恥じる心を持つことが肝要なのか。
「智」は、日本にしかない徳。字の初形は「矢」+「干」+「口」で、「矢と干(盾)」とは誓約の時に使う聖器。「口」は、その誓約を収める器。曰という字は、その器の中に誓約が存在するという意味。太陽の日ではなく「つえ」と読む。誓約を明らかにし、それに従うという。ゆえに、「知」は根本が同じでも「曰」がつくとより名詞的になる。訓読で「知る」があっても、「智る」はないのでおわかりだろう。「ちえ」「ちしき」「かしこさ」が日本人には好まれたのか。
 面白いのは、後半四字の順列の違い。
 中国では日本に較べて「孝」「悌」の地位が高いことだ。
「孝」は、『説文』に「善く父母に事ふる者なり。老の省に従い、子に従う。子、老を承くるなり」とある。親思い、孝行、父母や先祖をよく祀る、年輩者もよくつかえる、という意味があります。
「悌」は、兄弟に善きなりという意味。訓として「すなお」「やすらか」と読む。もともとは「よく兄に仕える」という事。旧くは「悌」と「弟」は同義に使った。
「忠」は、『説文』に「敬(つつしむ)なり」とあって、心を尽くすことをいう。まごころ、誠を尽くす、或いはただしい、つつしむ、などの意味がある。後世になってさらに「君に仕える」という意味が発生。
「信」は「人」+「言」で、神に誓う語である。『説文』には「誠なり」とあって、誓約の言。信誠ともいう。
 日本では「信・忠・孝・悌」、中国では「孝・悌・忠・信」
 というのも、中国では「孝」すなわち父母や祖先の祭祀、墓守を大事にし、その為に子孫を絶やしてはならないという教えが浸透していたので、上位にあっておかしくない。「悌」がその下に来るのも、兄弟の順を大事にせよという発想からである。肉親間での下克上はありえない。
 ところが「忠」「信」はというと、これはこんにちの中華人民共和国を見てもおわかりかと思うが、主君や上司、組織に対する忠誠というのは日本ほど篤くはない。王朝交代が激しく、内乱も絶えず、周辺民族の侵攻による政権交代など、常に情勢は揺れ動いていて、民衆も勿論、士・大夫も一々終生の忠誠を誓っていては身が持たないというのが実情。常にポリシーやイデオロギーは変化するもの、とみなされている。
 日本はそうではない。
 「信」=「誠」と考えると、新選組の隊旗の意義の強さも知れるだろう。「忠」など直参が幕府に持ってしかるべき徳なのである。だからわざわざ上位には持ってこなかったのか。それはよく判らない。「悌」の位置が最下位であるのも、どうやらこれは武家社会において兄弟は必ずしも常に立場を同じくするとは限らないからではないのか。或いは嫡子を除いて養子に行ったりすれば、おのおの立場が異なるゆえに、対立することもあるだろう。出来れば兄弟仲がいいには越した事はないが、いずれかの血統が残ればいいという発想ではないのか。
 とまれ、本場の「八徳」は、日本に導入されて変化したのは間違いない。

 ところで。漢語では「忘八」または「王八」ともいう。音が「WANG BA」で同じだからである。ちなみに「忘八」は「亀あるいはスッポン」を指すこともある。「愚か者」という意味がある。
 「王八蛋」(忘八蛋)というと、現代漢語では「バカ」という意味になってしまう。発音が「ワンパターン」に似ているので、気を付けないといけない。

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【注1】 『新五代史』:唐代の後の五代十国時代・10世紀初〜北宋のはじまる960年までの歴史を記した史書。北宋・欧陽脩撰。

【注2】 『紅楼夢』:清代の長編小説(章回小説)。1709年頃の成立。曹雪芹(1724?‐1763)の作。貴族社会を舞台に貴公子と美女の恋愛を描いた物語。

【注3】 『説文解字』(せつもんかいじ):『説文』と略す。後漢の許慎(30‐124)のあらわした字書。漢字の形・音・義について9353字を説明した最古の漢字字典。

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