(一) 

 湯の花温泉は丹波亀岡にある。京から五里足らず。丹波口から西へ西へと街道を行く。
「どうです。久方振りに公休になりました。温泉へ行って骨休めでも」
 その言葉が尾形俊太郎の口から出たことに、斎藤はやや驚いた。
 監察方という地味な仕事、さらに文学師範など担当している尾形はどちらかというと無口なほうで、これまた新選組の中では無口な類の斎藤と、このような会話を交わすなど滅多とない。
「尾形さん、それぁまたどういう風の吹き回しですか」
 斎藤は、年長の尾形に丁寧な言葉遣いをする。役職は斎藤の方が上だ。
「いや、単なる思い付きですよ。何度か使ったことがある定宿があるのです。もう暫く訪(おとな)っていないので、妙に懐かしくなりましてね」
 尾形にそんな風流があるとは思わなかったが、「コレですか」と小指を立てるのも行儀が悪い。まあ、湯に浸かってのんびりするのも悪くはない、と斎藤は思った。
「浅野さんも」
 部屋の一隅で何やら書き物をしていたのは、尾形と同じ監察の浅野薫だった。
「おれもですか」
 浅野はきょとんと目を瞬いた。障子の向こうでかさこそと音がした。庭の枯葉が風に吹かれでもしたのだろう。
「ええ、『松風荘』という宿です」
「『松風荘』って、そこは確か……」
 斎藤は、俄かに組んでいた胡坐を崩して正座し直した。
「村井君が殺された宿じゃないですか」
「そうです」
 と、尾形は頷いた。
 村井金吾郎は文久三年の冬に新選組に入隊し、諸士調監察方を勤めていた。尾形や浅野の同僚にあたる。泉州の織物問屋の番頭の倅で、主家に奉公していたが、流行の攘夷熱に浮かされて京へ出て来た。算盤勘定に強いのと、目端が利く。多少道場に通って目録もあるというので、新選組に入ることが出来た。
 人柄はというと、他人はどうか知らないが、斎藤とは余り馬が合わないという気がした。
 口は上手で悪い人間ではないが、その故に重厚さに欠ける。商人に化けるのはお手の物だが、万事剣技の立つ人間を主体とする組の内にあっては、異色といえた。
 その癖、出世欲はある。
「監察ちゅうのは裏方やし、なんぼ要職や言われたかて表舞台には立たれまへんな」
 と、ぼやいているのを斎藤も聞いたことがある。「ならば、泉州に残って主家におつとめしてれば、いずれ手代に番頭にと出世して一国の主になれたかもしれんのに」と思ったが、所詮他人の人生ゆえに関係ない、と斎藤は黙っていた。
 村井の、何となく「ヤットウばかりで算盤もはじけない。経済や詩文に疎い連中ばかり取り沙汰されるのは面白くない」という態度は、少し鼻に付いた。
 誰も好きこのんで物騒な役回りを引き受けているわけではない。尤も、斎藤自身はそれ以外に道の立て様がなかったのだが。
 その村井が客死したのは、丁度一年前のこの頃だった。
 加賀出身の過激派浪士らを追って丹波へ出向いた。一行は西へ遊説に向かうつもりなのか、折りしも湯の花温泉の『松風荘』で逗留することにしたらしい。其処へ湯治客を装って、村井も潜り込んだのである。
 翌日、村井の死体が湯殿で発見された。
 浪士一行は早暁に出発しており、足取りは掴めなかった。
 尾行していたのは村井只一人で、同行の者はいない。斎藤は当然、公務として市中見廻に出ていた。
 浅野も島田魁や山崎烝も他方へ出張していた。
「屯所に居たのは私だけでしたので。村井君の亡骸は私が引き取りに行きました。浅野さんは大坂へ行かれてましたよね」
「八軒屋にいましたが、報せを聞いたのは京へ戻ってからです」
 浅野は答えた。
 村井は湯殿の中で岩にもたれかかって死んでいた。
 胸に匕首が刺さっていたという。恐らく同泊した浪士の誰かを狙って忍び寄ったものの、返り討ちにされたのだろうという事だった。村には唯一年老いた医者がいて、検死をした結果、そう見立てたのである。
「私が『松風荘』についた時は、既に湯灌もされていましたからね。尤も、湯の中で死んでいるから湯灌も何もあったものじゃないですが」
 尾形は、冗談とも何とも言えない形に唇を歪めた。
「昨年のそのことを労って、女将が呼んでくれたのですよ。私一人で行っても仕方ありません。是非お二方も」
 というので、斎藤は休息所でごろ寝をするのを諦めた。女の膝枕と熱燗ぐらいの愉しみではあるが。

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