(二) 

 さて。温泉に着いたのは午前だった。
 幾らなんでも真昼間から二本差しがぶらぶらと酒を飲むわけにもいくまい、と斎藤は思ったが、あにはからんや。尾形は『松風荘』に着くや、奥の座敷へ入り、昼餉を食べながら飲み始めた。
「意外ですね、尾形さんが」
「昼間から飲むというのがですか?まァ、こんな事が出来るからこその骨休めですよ」
 と、少し頬を赤くして微笑んだ。この男が無口なのは照れ臭いからなのだろうか。平生は職務以外に余計な事は滅多と喋らない。
 斎藤のように、或る程度気心の知れた永倉新八や原田左之助らと喋ることもない。仕事一途である。
「尾形さんと飲むなんて、初めてのような気がします」
「私はそう飲める口ではありませんからね。斎藤さんと相対して盃の遣り取りをすると、小半刻もしたらぶっ倒れてしまいますよ」
「おれより強いのは、隊内に幾らもいますよ」
「そうそう。そういえば、村井もうわばみでした。一升など軽いものです」
 ただ、奇麗な酒とは言い切れない。あと引き上戸で、その上泥酔するとくだをまく。本人は翌日酔いが醒めると前日のことを殆ど覚えていない。酒毒に冒される程の飲兵衛ではないにしても、兎に角酒は好きだった。
「非番の日など、微醺を帯びたまま湯屋へ行っていました。酒に酔って熱い湯に浸かるのはよくない、と戒めたのですがね」
 効き目はなかったらしい。
「"葷酒(くんしゅ)湯屋に入るを許さず"、か」
 と、斎藤が笑うと、尾形は返盃を受けつつ、
「それを言うなら"山門に入るを許さず"でしょう」
「そうでした。ハハハ」
 二人ともほろ酔い加減になってきた。それにしても、流石に尾形は山崎と並び監察方を取り仕切るだけあって、同輩のことを良く観察し、記憶している。斎藤は、村井の事細かな記憶はない。
 酒に強いということは聞き知っていたが、副長助勤と監察方ではそうそういつも顔を合わせるわけでもないし、知らなくて当然ではあるが。
「そういえば浅野君は」
 斎藤が、ふと顔を上げた。
「先に湯に入ると言って出て行きましたよ。もうじき戻って来るのではありませんか」
 しかし、小半刻経っても浅野は奥の部屋へは戻って来なかった。
 斎藤が厠に立った。
 奥の間は廊下の突き当たりにあるので、些か遠い。途中、湯殿へ通じる通路の階段がある。其処からは、うっすら湯気が漂っていた。
 通り過ぎようとすると、女の声がした。
「いややわ先生、お久しぶりやのに」
 ここの女中とは思えぬ、鼻に掛かった甘ったるい声である。
「人違いだろう。おれはお前のことは知らんぞ」
 男の声は、浅野のものであった。
「いやですよ、ひな菊ですよ。忘れはったん?」
「覚えが無いんだよ。あるとしても祇園だか三本木だか」
「んもう。うちを丹波の田舎芸妓や思うて、笑い者にしやはんのかいな」
 というような遣り取りが聞こえてきた。
 やがて段を上る足音がしたので、斎藤は慌てて後退りし、今しも通り掛ったような素振りで袖を捲り、浅野の姿を見止めた。
「や。どうです、お湯加減は?」
 ああ、と浅野は一寸吃驚したような目付きで斎藤を見た。
「丁度良いですよ。此処の湯は神経痛や皮膚病にも効能があるようですし」
「お詳しいですな――あ、そういや浅野さんは医術の心得もお持ちでしたね」
「昔のことですけどね」
 浅野は力なく笑った。ひな菊という芸妓は、二人に会釈して廊下を歩いて行った。やはり芸妓らしく、黒繻子の着物の裾がしゅるしゅると心地良い音を立てて遠退いていった。
「芸妓も此処の湯を使いに来るのですかね」
「さあ。お座敷があるのでしょう」
 浅野はそう言って、浴衣の襟を寛げつつ、奥の間へ戻って行った。
 斎藤は、先程のひな菊との遣り取りのことは敢えて問わなかった。ひな菊が通り過ぎた時の胡乱な視線は多少気になったが、それとて大事無い。
 本当に浅野の言うよう、人違いであるかもしれない。芸妓がそうやって客の気を引くことは、得てしてよくあることである。斎藤にも、身に覚えはあった。
 何にせよ、新選組は羽振りが良い。名乗らなくとも鴨られるのである。

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