(五)
夜も更けて、客達の大方が帰って行った頃、尾形は三味をやめさせ、ひな菊を近くに呼んだ。
酒を飲みながら尾形はひな菊にこう訊ねた。
「村井君は、どうやらひな菊さんに首っ丈のようだったらしいがね……」
「あら、そないなことおまへんえ。一寸ご贔屓にして貰うただけ」
と、ひな菊は軽く受け流した。
「しかし、村井君が亡くなる直前まで会っていたのだろう?」
するとひな菊は手首を返して振った。
「いいえ、とんでもない。あの晩はね、村井先生は後でお見えになるお言いんなって、せやしうちはお酒の用意もしとったんですけど、ものの見事にお茶を挽かされてしもうたんですよ」
「というと、村井君はひな菊さんのところへは行かず終いですか?」
そうです、とひな菊は真顔で答えた。
「では、村井君が亡くなったのは八日の朝ではなくて、七日の晩かもしれませんねえ」
尾形は言った。その何気無い言葉に、ひな菊もどきりとしたらしい。
「けど、お杉さんはその晩は脱衣場にも浴衣は無いし、誰もおらなんだって聞いたって」
「ひな菊さん、あなた見たわけでもないでしょう?」
「ええ、まあ」
ひな菊は言葉を濁した。
「尾形さん、引合みたいですよ」
浅野が横槍を入れた。尾形は軽く苦笑いした。
「すまんすまん。つい職務のようになってしまう。折角の酒が台無しになっちまいますね。これは失礼をした」
だが、浅野は不愉快を隠し切れず、盃を干すと、黙
(もだ)したまま座敷を出て行ってしまった。
この場はそれで終わった。
次の朝、尾形はひな菊の館まで出張って行き、本当にひな菊が村井を待ち続けた揚げ句すっぽかされたのを置屋の親爺に確かめたという。
「いや、あの芸妓が嘘を吐くとも思えませんがね。万が一ということもあるでしょう。浅知恵で動くほど莫迦な女ではない筈です」
「尾形さん、女の目利きもするんですか?」
と、斎藤が問うと、
「目利きではないですよ。深い意味もないんですが、折角の非番です。村井の死をとことん究明してみたいと思いましてね」
「折角の非番だからこそ、くつろいだら如何ですかね」
呆れたように、斎藤は頭を掻いた。
「貧乏性とでも言うのかな。じっとしているのが妙に落ち着かんのですよ」
午を過ぎては、今度は宿の中を探り出す。村井が死んだ湯殿の辺りを見て歩くというので、斎藤も暇にあかせて付き合った。
湯殿は昨年と一向変わりない。奥の間と母屋の間の階段を抜けて別個に設けられているので、客室から中を覗くことは出来ない。江戸や京の湯屋では男女の区別があるが、こうした温泉場は混浴であるし、外からは見えない造作になっている。
庭下駄をつっかけて外へ回ると、湯殿から低い庇が出ているのが判った。
京に較べて此処らは山を隔てた盆地の中、雪も積もれば解けにくい。窓下まで積もらぬように工夫がしてあった。
昨年はとりわけ冬が早かった。今時分も雪花が散っていたという。今年はどういうわけか、まだ紅葉が残っている程である。
母屋の方へと廊下を戻って行くと、掘立小屋のような粗末な小屋が立っている。
丁度、風呂掃除の下男が小屋から出て来たので、尾形は声を掛けた。
「この部屋は何の為にあるんですか?」
下男は、人のよさそうな面つきだった。
「ああ、これは湯溜めです。湯元から流れよるんをそのままかけ流したら、火傷するもんで地下水を引いて混ぜとるんです。その為の小屋です」
小屋の中には確かに岩風呂にも似た湯桶があり、其処に木樋が引かれていた。
「そいが悪い奴がありますのんや、時々」
「悪い奴?」
「樋を勝手に動かして熱い湯を流し込んだりする悪戯もんや。そうかと思うたら、地下水のほうだけ湯殿に引き入れたりする奴が。こないな寒い時には弱ってしまいます」
下男はしょっぱいような困った顔付きになった。小屋に錠を下ろしておいても、幾度か壊されて悪戯をされたという覚えがあるのらしい。
「何かええ方法はありませんやろか?」
訊かれたところで、流石の尾形もこれにはううむ、と唸って首を傾けたきりだった。
小屋の裏手には母屋から突き出た女中部屋が存在した。玄関のほうと湯殿付近のこの二箇所、どうやらその方が客に気配りが行き届くだろうとの女将の提案らしかった。
あの晩、村井の部屋番だったお杉も此処には寝泊りしているという。
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