(七)
「動機?」
と、尾形は監察部屋を覗きに来た斎藤に向かって訊き返した。
「浅野さんが何故村井を憎んでいたのか」
「三条制札のことですよ」
以前、三条橋詰の制札が尊攘派浪士らによって引き抜かれ、打ち棄てられるという事件があった。
犯人を捕縛せんが為に原田左之助を筆頭とし、隊士が出動した。その布陣において橋を挟んで東と西二つの場所に待機したのだが、犯人らが現れたのは西詰の方であった。
酒盛りをしていた原田隊に急報すべく潜行していた密偵が走らねばならない。この任に当たっていたのが、浅野である。
しかし、浅野はどうしたものか臆してしまった。原田に報せたのが遅れてしまった。
それを見ていたのは村井だったのである。
「村井君はこっそり土方さんに告げたそうですが、浅野さんは特にお咎めもありませんでした」
「『士道不覚悟』と処断されそうですがね」
「監察方も手が足りませんからね」
そうそう厳罰を与えるわけにもいかないのが現状である。
しかし、このことで浅野は村井に引け目を感じるようになった。事ある毎に村井が己の行動を監視しているような気がして、また密告されないとも限らないと怯えるようになった。
「実際、村井君が浅野さんを脅したかどうかは、当人同士にしか判りません。何しろ、村井君に訊こうと思っても、それはもう出来ませんからね」
尾形は力なく笑んだ。
温泉に着いてからのくだりは、尾形が湯殿で暴いた通りであった。
浅野は八軒屋にいると思わせ、大急ぎで池田から山越えをして丹波へやって来た。村井が独りで行動しているこの機会しかないと考えたのだろう。
そうして『松風荘』に湯治客の浪人を真似て入り込んだ。
その時、ひな菊と顔を合わせていたのである。ゆえに、ひな菊は浅野が泊り客だったことを記憶していて、湯殿へ向かう廊下でぱったり顔を合わせた時、呼び掛けたのだ。
昨年、此処には泊まっていないことになっている筈の浅野は慌てた。
「芸妓というのは、目端が効くものですからね。番頭や女将は服装を変えれば然程覚えていないにしても、ああいう女は鋭いものです」
尾形は言った。
上客を掴まえねば、田舎ではやり難いのである。
「お杉は何でひな菊を悪し様に言っていたんでしょうね」
斎藤は、ふと疑問に思った。
「あらかた客の取り合いでしょう。『松風荘』は清潔な宿ですが、全ての女中がそうとは限りませんよ。お杉も昔は何処かで茶汲女をしていたとも、番頭から聞きましたし」
いつの間に尾形は、こういう様々な情報を仕入れたのだろう。やはり監察方は侮り難い。
「世の中やはり金と色か」
斎藤は独りごちた。
「そればかりでもありませんがね」
と、尾形は帳面を繰りながら答えた。
「しかし尾形さんが村井君の仇を取ろうなんて」
「見掛けによりませんかね。私はそんなに冷たい男に見えますか?」
「いや……」
斎藤は言い澱んだ。他人の為にどうこうという風に見えないのが、尾形の長所でもあり、冷徹さを要求される裏方の職務には打ってつけなのだと斎藤は思う。かといって、情が無いとも思わなかった。
「正直な方ですね、斎藤さんは」
はは、と尾形は型に填まったような笑い方をした。
「実はこれも土方さんの命令でしてね。何でも村井君の実家の方から依頼を受けたんだそうですよ。息子を殺した奴をどうしても突き止めたいとね」
泉州の商家である村井の実家からは、相当な金が積まれたらしい、と尾形は言った。
「やはり金」
「土方さんは金ばかりで引き受けたのではない、と仰ってましたがね」
そうとも言える。尾形のような腕利きの監察を使うまでもなく、金だけ頂戴して犯人を別にでっち上げることも出来た筈だ。
「実家から預かった金の半分は、村井君の永代供養として光縁寺に渡ったようですし」
「我々はのんびり温泉に浸かれたというだけで、役得ですかねえ」
斎藤は苦笑した。
浅野薫はその後、新選組を脱退した。
処罰は免れたが、食う金に困窮したらしく、隊士であると身分を偽って商家に押し込み、正体が露見してしまった。お縄になったか、誰ぞに斬られたか、それは判らない。
噂を聞いた時、斎藤は「やはり先立つものは金か」と呟いたそうである。
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