(一) 四条高瀬川・浮蓮亭
白片霏霏
(ひひ)の雪模様だった。ただし、雲間から薄日は差し、まだ路上に積もるほどではない。
引き戸が開いて台所の土間へと冷たい空気が流れた。ひっそりと音も無く入ってきた男は、背を屈めて閉じた番傘を置く。にわかに中庭の方から小走りの足音が近付いた。
平隊士の梅戸勝之進である。
「斎藤先生でしたか」
三和土から上がり框に腰を下ろした斎藤一は、振り向かずにうむ、と低く唸り、防寒用の頭巾を脱いだ。梅戸のほうも、大名屋敷みたいな広い屯所の勝手口から出入りするような幹部が斎藤くらいであることを心得ていた。
斎藤一。もっとも、今は山口二郎と名乗っているが。
「今日は非番ではありませんか。てっきり祇園にでもおられるかと」
斎藤はにこりともせずに顔を上げた。鼻緒の白い高足駄を脱ぎながら、黒足袋が濡れているのが気になった。梅戸の若く青白い剃り跡をしげしげと見る。
その炯炯
(けいけい)と四角い二皮眼
(ふたかわめ)に見据えられることに、まだ梅戸は不慣れであった。己と然程年も変わらないだろう若い組頭であり、撃剣師範の斎藤には一種ただれた風格を感じていた。
「そのつもりだったがよしにした。土方さんはいるかい」
「はぁ」
と、梅戸は答えたが、声色は冴えなかった。幹部から直々に鬼副長・土方歳三の名を聞くと大概は物騒が待ち受けている。市中見回りに出るや必ず刀を不逞浪士の血脂で曇らせて帰ってくる斎藤のことだ、いったい如何なる難事を持ち帰ったのか。
梅戸は苦虫を噛み潰したような面を見られないように、斎藤からやや離れて案内した。上背のある斎藤がちょいと頭を下げ、欄間の下をくぐると、首筋を隠す長い束髪から雪花の一片がこぼれた。否、それは山茶花の花弁だった。
京焼の紅は鈍い血の色のようである。かじかむ細い手を幾度か炉の傍であぶり、紀与は山茶花の小枝を生けた。紅葉くずしの粉雪は、やがてぼたん雪に変わりつつあった。
つい四半刻前、この四条高瀬川下る浮蓮亭の裏口から出て行った男は、まだ不動堂村
(ふどんどむら)には着いていないだろう。
「あんたに頼みがある」
と男が言ったのは二度目だった。
「厄介事どすか」
「さぁ、どうだろう」
掴み所の無い言い方だった。もともとそういう男なのだ。
男が最初に図々しく「頼みがある」と言ったあの日から、八月
(やつき)ばかり経っていた。
睦月も晦日の月の冴え冴えとした晩だった。最初に暖簾をくぐった客の様相でその日の客の入りが知れる。とすると、今晩は手燭をともすのも勿体無いのではないかと紀与は思った。
「久しぶりだな、お紀与どの」
中井庄五郎であった。顎の丸い、額の秀でた若い男の顔が微妙にほころんでいた。右脇からのそりと姿を現したもう一人は、色の浅黒い膂力のありそうな浪士だった。
紀与はほんの暫く茫然としたが、やおら手招いて二人の男を浮蓮亭へ迎え入れた。
十津川郷士・中井庄五郎は、この時まだ京ではまったく無名の浪士の一人に過ぎなかった。いずれ「人斬り庄五郎」と尊攘志士のあいだに名を轟かせるには、今後数ヶ月を要しない凄腕であったという。そして、いま一人の浪士は片岡源馬といった。
素麺と椎茸の入ったつみれ汁を、紀与が運んできた。
「これはかたじけない。ぬくもるのう」
片岡の言葉遣いからして、土州訛りがあると知れた。紀与は、また何で二人が見廻組だの新選組だのが躍起になって不逞浪士を追い払っている京の街なかに今頃出てきたのか、不審でならなかった。
紀与は天領・十津川に育ったが、もともとは大和・高取藩の下級藩士松村某の娘である。十津川郷は野尻の郷士であった母方の叔父のもとへ預けられたのは、十ばかりの頃で、それも両親が相次いで病で死んだ已む無しの理由であった。
中井庄五郎はその隣家である。郷士の家同士農繁期に手伝いに出ることもあって、四つ下の庄五郎とは幼馴染だった。しかし、紀与が十九歳で大坂のさる道場主に嫁してからは庄五郎の消息は知らなかった。
それで、と紀与ははたと思い至った。
おととし慶応元年、正月八日の夜、大坂・松屋町
(まっちゃまち)でひと騒動あった。ぜんざい屋に新選組大坂屯所の手錬が押し込んだのである。ぜんざい屋といっても表向き。主人は元・武者小路卿の家来、本多大内蔵
(おおくら)という。この家に潜居していたのが土佐浪人・那須盛馬、大橋慎二、大利鼎吉、浜田辰弥の四人の若者であった。浜田辰弥はのちの伯爵・田中光顕である。そして、那須盛馬は片岡源馬の変名であった。
彼等はときに大坂城に焼討をかけんと荒事を相談していたのだが、うっかり同藩の谷川辰吉という男に漏れてしまった。その話が新選組大坂在留の谷万太郎の耳に入ったのだ。
谷万太郎は同じ松屋町に道場を構えており、いざと門弟を従えて夜中斬り込んだ。
たまたま居合わせたのは大利鼎吉のみ。多勢を相手に奮闘するも、奥座敷でついに息の根を止められた。他の三人はこれを知り、已む無く計画を中止して十津川郷に落ち延びたという。
去年までは紀与は大坂にいた。それで事件の顛末を知っていた。
十津川に土佐の人間が匿われていたとなると、自ずと中井庄五郎と連れの者の関係も剣呑なものかも知れぬ、と紀与は思った。
庄五郎は郷里では勤皇派の学問を学び、居合いの達人として知られていた。
「申し訳ないが熱燗のおかわりを」
庄五郎は中腰になって言った。紀与は黙って空徳利を下げた。そっとその後を庄五郎が追う。
「何でうっとこわかっておいでやしたん」
紀与は冷たく京言葉で問うた。
「叔父貴どのにお聞きしたのです。離縁された紀与どのが十津川に戻らず京の四条界隈で暮らしている、と」
庄五郎は無骨のきらいがある。臆面も無く、再会した嬉しさからか、紀与のあまり触れて欲しくない過去をずけずけと言い、まったく悪びれたところが無かった。だが、昔からこういう男なので、紀与は文句を言う気にならなかった。
「あの男は何者どすか?土佐訛りがあるように聞こえますけんど」
「確かに土佐もんだ。片岡源馬というんですが」
「あんはん新選組が血眼になってますのに、ようこないなところに出てきましたなァ」
紀与は呆れたように庄五郎の童顔を見た。庄五郎はいたたまれず、視線を逸らせた。数年ぶりに見る紀与の容色は、一段と臈たけて艶めいていた。
「おれもそう思う」
と、庄五郎はさりげなく片岡を見遣った。
「松屋町の斬り込みで懲りてるだろうに、大胆な男です」
実際、十津川郷でも幕吏の詮索が烈しいので、片岡らは紀州・日高郡の上山路
(かみさんじ)村に潜んでいたのだが、じっとした生活に耐え切れず度々十津川まで出てきては片岡は村の若い衆に剣術を教えたりしていた。自然、郷士中でも一の剣客といわれた庄五郎と意気投合し、庄五郎の上京に乗じて片岡も出てきたのだった。
「紀与どの」
庄五郎の言い掛けた言葉を無視して、紀与は台所へ戻った。出来ればあまり昔の縁がある人間とかかわりを持ちたくないと思っていた紀与にとって、突然の幼馴染の訪問は気の滅入る出来事だった。
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