(四) 伏見・寺田屋
 
 新選組と刃をかわしたということで、中井庄五郎の株は一気に上がった。
 長州藩士の品川という男から呼び出しが掛かった。高倉蛸薬師の料亭で、庄五郎は品川に会った。面いちめんに髭をたくわえてはいるが、面長のいわゆる長州顔といえる顔立ちの男が、奥座敷に待っていた。
 品川弥二郎。のちに維新後、松方内閣のとき内務大臣となる男である。松下村塾で久坂玄瑞らとともに学び、寺田屋事件にかかわった。この頃桂小五郎らと行動をともにし、萩と京洛を往復しては国事に奔走していた。
「いまは横田端左と名乗っている。府内浪人という名目でな」
 粗末ななりをしているのは、遊説中に幕吏の目を逃れるためであった。一見すると、本当に只の浪人者に見えた。
 品川は、自分よりは三四年少と思われる庄五郎の顔をまじまじと眺め、ぽんと膝を打った。
「きみ、新選組を倒したそうだな」
「いえ、それは噂違いです。やりあったのは確かですが」
「どちらでも構わん、うってつけの仕事だよ」
 品川は濃い髭を擦りつつ、目を光らせた。
 品川が庄五郎に依頼した用というのは、長州から新選組の密偵に遣った村岡某という男を斬れということだった。昨年末から出自を偽って潜伏させたものの、一向に連絡が無い。いずれ正体が露見して此方に飛び火を残さないとも限らないし、また寝返ったのならばそれはそれで斬らねばならない。
 創設初期の新選組ならともかく、幕府瓦解も目前と噂される今となっては間者としてもぐりこんでも何の功利があるのか、もう一つ庄五郎には解せない。しかし、迂闊に市中を堂々歩けない尊攘派にとってみればなにがしか得るところはあるのだろう。
「お頼み申す」
 という、品川の一言で庄五郎はじつにあっさりと引き受けた。
 伏見の船着場に、大坂出張から帰京する新選組の一団がいると聞いて、庄五郎はその日の夕刻から待っていた。最後の便が着く頃には、まだ春の浅い日ゆえとっぷりと暗くなっていた。
 初めに渡し板を降りたのは、押し出しの強そうな男で、これが七番組組頭、谷三十郎であった。
 続いて三人の平隊士が降りる。しんがりは、三十郎の次弟、万太郎である。この男が例の松屋町のぜんざい屋で大利鼎吉を討ち取った槍の使い手だ。目が細く、痩せているので人々は万太郎狐と呼ぶ。庄五郎は、万太郎の前を行く村岡を見出していた。
 果たして、隊列の中に斬り込んで村岡ひとりを討ち取るには、船宿の並んだ街道筋に入りばなしかないだろう。庄五郎は走った。鯉口をくつろげ、柄を握り、呼息を図って踏み出す。驚いた村岡が提灯を放り出し、長物の柄に手を掛けたが、すでに遅かった。噴き上げる血飛沫が庄五郎の顔面を濡らした。
 ううぬ、という低い唸り声と同時に、庄五郎の脇から槍が繰り出された。谷万太郎である。
 庄五郎は血刀を提げたまま、隊列を横切って駆け出した。敏捷な万太郎なら追い掛けてくるやも知れぬ、と危うんだが、三町ほど掛けたところで振り返ると、追手の気配は無かった。
 恐らく新選組のほうでも村岡の素性を怪しんでおり、庄五郎の暗殺をもっけの幸いと思ったのかも知れない。とにかく、村岡をみぞおちまで一太刀で斬り下げた成功は、すぐに品川に知れるだろう。
 庄五郎は荒息を抑えながら、懐紙で刀身を拭い、顔も拭って寺田屋の玄関をくぐった。
 どのみちこの風体では、十津川屋敷へは戻れない。寺田屋は尊攘派浪士をうまく匿ってくれるときいているし、もし仮に万太郎らの詮索が及んでも、一晩くらいは遣りおおせる手立てはあると踏んだ。
 案の定、寺田屋の手代は返り血を浴びた異様の庄五郎を見ても腰を抜かす事は無かった。
 ただ、
「生憎、部屋が埋まっとりやす。お召し物の取替えと風呂でしたら都合できますよって、少々お待っとうくれやす」
 といい、女将のところへ戻ろうとした。
 ところが、二階から豪快な足音が降りてきた。
「酒がのうなったき、すまんが買うてきちょくれんかのう」
 土佐訛り丸出しの、体格のいい陽に焼けた男が手代を招いた。が、ひょいと腰を屈め、庄五郎の茫然と突っ立った姿を見止めると、にやりと皓歯を剥き出した。
「おんし、部屋がないんか?」
 男の問いかけに、庄五郎は黙って頷いた。男は呵々大笑する。
「水臭ぇわ、若い衆(し)。まずぱぁーと一風呂浴びてわしん部屋へ来い。景気の悪い面しちゅうんも飲みゃあなおるき」 
 男は捲くし立てて、手代の肩を叩き、再び上がって行った。
「どなたですか」
 庄五郎はおそるおそる訊いた。
「へぇ、坂本はんいう御方ですわ。坂本竜馬はんいうて長年のうちのご贔屓はんどす」
 庄五郎は目を丸くした。あれが海援隊を組織する有名な男だというのか。
 当時、坂本は幕府にとって危険な人物でもあった。数年前から長崎を拠点に諸藩の脱藩浪人を集め、海援隊という組織を結成していた。海援隊は、常は回漕問屋をやる会社組織のようなものであったが、いざ倒幕の流れとなったら棹さす危険を孕んでいるということで、幕府にとっては目の上のたんこぶとも言えた。ただ、今現在は京に上ってはいるものの、格別の動きはない。
 風呂を貰ってさっぱりとした庄五郎は、二階へ上がった。坂本が胡坐をかいたまま手招きする。その隣に凛と正座したまま盃を傾けていたのが、中岡慎太郎だった。陸援隊長をつとめ、こちらも浪士団を取りまとめる坂本の盟友だが、如何にも豪放磊落な風体の坂本とは対照的な、一見もの静かな秀才風に見えた。
「はよ飲もうぜ。えーと、おんしの名前はまだ聞いちょらんかったのう」
「十津川郷士、中井庄五郎と申します」
 坂本と中岡は一瞬顔を見合わせた。
「どっかで聞いたことのある名前じゃのう」
「おう。新選組とやりおうたいう男だろう」
 と、中岡が腕組みしながら言った。中岡は目を細めて庄五郎の顔を凝視した。
「顕助が言うちょった。片岡が十津川に戻ってきて、真っ先に自慢しよったらしい。これが新選組の永倉、沖田に斬られた傷じゃちゅうて」
「ほんまがか?」
 坂本は畳の上に寝転がった。着流しの裾から、逞しい脛が現れる。
「そん時一緒に居ったんが、中井庄五郎と言うちょった」
 庄五郎は、気恥ずかしさで首を竦めた。己の事が話題に上るとは思ってもみなかったのである。
 折りしも、田中顕助は片岡源馬と入れ替わるようにして、ひっそりと十津川を出て入京、旧知の中岡を頼ってきたのであった。
「居合いの達人じゃ言うとったが」
 中岡は、庄五郎の差料をちらりと見る。居合を業とする剣士の刀は刀身が短く反りが強い。庄五郎の業物も例外ではなかった。どうやら中岡は、先程庄五郎がしこたま返り血を浴びていたというのが気になったらしい。
「少し不自然じゃのう。失礼」
 坂本が庄五郎の刀を掴む。鞘から抜き身を出す時に、妙に力が要った。刀が少し曲がっている。
 庄五郎は、はたと思い到った。村岡を斬り下げた時、抜きかけた村岡の刀鍔に当ったのだ。渾身の力で振り下ろしたゆえに、反りが変わってしまった。庄五郎のやや蒼褪めた顔を察してか、坂本は「まぁ、まず一献」と、盃を押し付けると、膝這いに這って、自分の佩刀を掴んできた。
 庄五郎の膝先ににじり寄ると、人懐こい笑みを浮かべて佩刀を差し出す。
「ちいと長いかもしれんが、こいつを使うちょくれ」
「でも、坂本さん」
「わしにはこれがあるき」
 坂本は懐から拳銃を取り出した。
「ぴすとる、言うんじゃ。知っとるか?」
 坂本は陽気に言う。
「しかし、申し訳ないので」
 という庄五郎の肩を抱き、
「片岡が世話になったきのう。それに袖摺りあうも他生の縁じゃき」
 笑う。庄五郎はいたく感激した。坂本という天下の名士が自分ごとき若輩に酒を馳走してくれたばかりか、刀まで譲ってくれようとは。
 たった一杯の酒、一晩の友だとしても、この男になら命を預けてもいい、という気持ちに似たものを庄五郎は抱いた。事実、坂本にはそうした思想や主張を抜きにした魅力があり、そのことをのちのち庄五郎は改めて認識させられることになる。そして、この一夜の出来事が庄五郎にとってかけがえの無いものとなったばかりか、運命を決めたのである。

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