(八) 聖護院森
四十絡みの三浦休太郎という男は、人当たりのいいてきぱきとした人物だった。一見、非常に好人物である。しかし、何処かその奥に人を人と思わない生来の情の薄さがあるように、斎藤には思えた。大藩の上士全般にそういう部分があることは、斎藤も知っている。
三浦は周旋方として実に有能な、佐幕派の要人といわれるだけの事はある。
初対面の時も、
「きみが山口二郎君かね」
と、変えたばかりの斎藤の名をしっかりと記憶していた。
「きみのような一騎当千の剣客に背後を任せられるなら、安心だ」
屈託なく笑う。実際、見くびられているのではないかと、斎藤はにこりともしなかった。所詮は成り上がり者の人斬り集団の一人、いざという時の防護壁くらいに見ているのだろう。そういう眼差しに、斎藤は馴れていた。
しかし、聖護院森の紀州藩邸に潜伏している分には、不自由は無かった。市中からは適度に遠い。尊攘派浪士を見掛けることも、また御陵衛士の残党に出くわすこともなかった。
三浦は公用や宴会で遅くなると、藩邸まで戻るのは物騒かつ面倒が多いので、よく天満屋という宿を利用した。西本願寺にほど近い、油小路花屋町にある。そんな時は、斉藤も三浦について行った。
程無くして、斎藤は火急の用件で不動堂村の新選組屯所へ呼び戻された。
沖田総司の体調が思わしくないので、代理任務が与えられたのだ。とるものもとりあえず、斎藤はそのまま三浦警護の任を解かれ、代わりの隊士が交替で当たることになった。
「山口君でないと頼りないな」
という言葉が三浦の口から毎日のように出る、と隊士が戻ってきては零す。斎藤のいったい何処が気に入られたのだろうか、と近藤は三浦宛の礼状を書きながら笑った。斎藤本人にもまったく思い当たる節がない。しかし、三浦のこの発言がのちに三浦自身を救う事になる。
庄五郎はその日、十津川藩邸から外出した。浮蓮亭へ行くのはほぼ三月ぶりであった。
公用で大坂へ出掛けていた三浦休太郎が明日帰京するという密偵の知らせを、陸奥陽之助が受け取ったのは、午刻だった。船で伏見へ着くのは恐らく翌日の八つ頃、それから休憩などとって藩邸には直帰せず、恐らく天満屋に一泊すると推測された。
かねてよりの計画通り、天満屋襲撃の手筈が整えられた。十六人の選士が三々五々、白川屋敷あるいは逗留している宿から洛中へと向かった。
一瞬の躊躇いはあったが、庄五郎は臆せず門掃きをする紀与の前に顔を出した。
「庄さん、どないしましてん」
紀与は清々しい声で言った。容色が一段と艶めきたっているようにも見える。
「明晩」
と、擦れる声で庄五郎は言った。
「恩義を頂戴した方の復仇
(かたきうち)に行かねばならんのです」
物騒な用向きを言われて、思わず紀与は周囲を見回してしまった。だが、さもありなん、という心地はしていた。
庄五郎の顔色はつやつやと若さに溢れていた。義理の為に死を覚悟で出向く、というよりは生甲斐を求める執念のようなものを感じる。
天領である十津川の郷士には、千年という勤皇の志が横たわっている。崩壊した天誅組といい、すでに血山屍河、無数の志士の一に過ぎない庄五郎ふぜいが、終焉を迎えつつあるとはいえ、大いなる幕権に大波乱を起こそうというのは、快事の一言に尽きるだろう。
だが、それよりもただ坂本という一人の男の為の弔い合戦であるということに、庄五郎は意義を見出していた。どうやら紀与にも、庄五郎の覚悟はひしひしと伝わったようだった。
「どちらへ」
「天満屋という花屋町の宿だ」
庄五郎は言った。言った途端に、何だか気分が沈みがちになった。折からの西風に、鼻の頭が赤く凍えている。つと、紀与は竹箒を置くと、庄五郎に近寄った。
「こじゃんとなさいな」
紀与はそう言って、庄五郎の冷たい頬を軽くぴしゃりと両手で挟んだ。どうして、こう朴訥さの抜け切らない男が真剣を抜いた時だけ別人のように鋭気を発するのか、この期に及んでも紀与には不可解だった。
「紀与どの」
庄五郎は、おずおずと紀与の手を握ると、自分の頬から引き剥がした。
紀与はふと斎藤のことを思った。庄五郎には、斎藤のような図々しさがない。斎藤という男は、紀与のような人一倍気の強い女こそ、男の身勝手を預けやすく、手を煩わされることに歓びを見出す性質だと本能的に知っている。かけ引きを知らぬ庄五郎に、万の一つも勝ち目などなかった。
「さらば」
庄五郎は、深々と頭を下げた。
けして紀与の顔を見ないように、小走りに去った。
十二月七日。斎藤は非番だったので、いつもより半刻遅く起きた。
「古参の隊士、それも幹部連中が屯所内をうろついているのは皆嫌だそうだぜ」と、最近昼間でも床に就くことが多い沖田が言っていたのを思い出した。そこで、他人の言に従うのは性ではないが、外へ出ることにした。
ちらほらと、雪が降り始めていた。
高足駄を鳴らして歩く斎藤は、より大男に見えるので、擦れ違う者が傘のうちをちらりと覗く。知っているものはぎょっとするが、ダンダラを着ていないので安心するらしい。
そうして、久々に紀与のところへ行った。勝手口が開きっ放しで、中は薄暗い。もっとも、空はどんよりしているので陽光が射さない暗さだ。
「おい」
と、斎藤は声を掛けてはじめて気付いた。白犬が千切れんばかりに尾を振っている。無愛想でとっつきにくい斎藤が犬にすり寄られているのは、いつ見ても奇妙な光景だった。
「山茶花か」
斎藤は紀与の手元を見て言った。庭に咲いた赤白斑の山茶花を生けてみようと、鋏を入れたところだった。
「おれは椿も嫌いじゃない」
花のことなど知っているような男には思えなかったのだが、紀与は枝を手に取り、
「縁起悪うおす。せやからここには植えてまへん」
「首が落ちるというのも、案外あっさりしていていいかも知れん」
斎藤の頬に、深い笑窪が刻まれた。笑顔を見ると、紀与の胸中にえずくような可愛らしさが込み上げてくる。
「いやなこと言うお人やわ」
斎藤は、そっぽを向く紀与の背中から抱いた。うなじから立ち上る香りをかぐと、かれこれ十四五日肌を合わせていないだけだが、欲望が募った。襟元から入り込んだ力強い長い手指に胸乳を揉みしだかれて、紀与は微かに媚声を漏らした。体は斎藤に預けたまま、かろうじて言う。
「すんまへん、帰っとおくれやす」
思い詰めたような声だった。
「今晩ちょっと行かなあかんところがあります。堪忍して」
そうか、と斎藤はあっさり答えた。だが、どうも紀与の様子がおかしいとわかると、普段はついぞ訊いた事もない詮索をかけてみた。危ない橋を渡ってきた男の勘というものであろうか。
「何処へどういう用向きだ」
束髪に掛かる粉雪を払いながら、斎藤は静かに言った。
「花屋町油小路まで」
ついうっかりと、紀与はその地名を口にした。斎藤の二皮眼がやにわに鋭いものになった。小鼻が膨らむ。
「その辺りに旅籠があったな」
ええ、と小さく呟いてから、紀与は愕然となった。斎藤はじっと何かに集中するように白犬の姿を見据えていた。
「行くな」
紀与は、はっと息を呑んだ。
「何があっても、そこだけは行くんじゃない」
低く押し殺した声の響きは、殆ど恫喝に似ていた。気の弱い者なら斬られる、と危うんだかもしれない。何より、斎藤の昏い目が本気を物語っていた。
「それから」
斎藤は勝手口から急ぎ出る間際に、言った。
「あんたに頼みがある」
「厄介事どすか」
「さァ、どうだろう」
斎藤は少し羞含
(はにか)んだように、口許を引き締める。精一杯の作り顔らしい。
「犬の名前つけておいてくれないか」
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