(九) 花屋町
 
 暮七つの頃、雪中をひたひたと進んできた男ばかりの十数名一行が、天満屋に到着した。宿の主人は引率者の顔を笠の下から覗くなり、血相変えて中へ案内した。
 斎藤一を迎えたのは、三宅精一という紀州藩士だった。
 斎藤にとって初見の人物である。というのは、三宅はいろは丸事件のことで長崎に三浦とともに出向いたのだが、事後処理で長らく逗留し、南紀に戻ってからつい数日前に入京したばかりだ。すでに三浦の警護を解かれていた斎藤を知るよしもない。
「海援隊くずれの郎党が三浦様を襲う、という企てを聞きつけました。急なことですが、我々に護衛せよ、と会津侯の命で参じました」
 斎藤は丁重に話した。殆どはったりである。
 四条高瀬川から急いで屯所に駆け戻り、土方に面会をとると、斎藤はしかじかの考えを言い、天満屋に出張らせてくれ、と申し出た。
「確信はあるのか」
 と、土方は眉尻を上げた。失敗したらお前どうする、というやや皮肉めいた目付きだった。斎藤には絶対の自信があるようだ、と土方は思っていたが、成る程諾々というのも副長としてきまりがよくないのでわざとつれなく言う。
「おれの言葉なら、三浦は信じる」
 斎藤は言い添えた。これが土方の気に入ったようだ。
「ならいい。今三浦についている者達が宿まで送り届けたら交代だ。先に行ってろよ」
 斎藤は黙って深く頭を下げた。副長室を出る斎藤に、土方はこう言って送り出した。
「鎖を着込んで行けよ。奴ら恐らくおれたちも手前らも生きていようとは思っちゃいねえ。お前えらく三浦に気に入られてるようだから、首尾よくやれよ」
 だが、この時点、まだ三浦は天満屋に到着していない。
「そうですか。では三浦殿のお顔はまだ御存知ない。今時分駕籠にのっている頃でしょう。暫しお待ちを」
 三宅はそう言って、天満屋の二階に斎藤らを上げた。監察方の大石鍬次郎、宮川信吉、中村小二郎、中条常八郎、梅戸勝之進ら、屯所にいた隊士が至急集められ、斎藤を指揮官に此処までやって来た。
 一刻ほどのち、賑やかな声がして三浦休太郎が戻ってきた。ちょうど、西本願寺の鐘がすぐ間近に響いた。雪はかなり降って来たらしい。
 三浦は斎藤を見るなり、あっと顔を綻ばせた。しかし、斎藤の目配せに気付くと、両者はいかにも初対面のように挨拶を交わした。斎藤を匿っていたことは、秘密裡のことだ。
 労をねぎらっての宴会が始まった。
「自分が狙われているっていうのに三浦様という方は豪胆ですね」
 梅戸が斎藤に耳打ちした。
「なに、びくびくして布団被って隠れていようが、大酒かっ食らってようが、死ぬときゃ死ぬんだ」
 斎藤は、唇の端に不敵な笑みを浮かべた。
「それともお前は腹が減ったとき、小便してるとき、いちいち死ぬこと考えるのか」
「はァ」
 梅戸はしょんぼりとなった。
「今夜は冷える。いざという時手足がかじかんじゃ話にならん。飲め」
 斎藤は、梅戸の盃にこぼれんばかりに酒を注いだ。人を斬る時の酷薄過ぎる斎藤は好きになれないが、不器用ながら心根はいい男だとわかっている。三浦に対する律儀さもまた、梅戸には頼もしく思えた。
 紀州藩士・関甚之助らも加わって、さらに宴は酣になっていた。
 実のところ、こんなに派手に飲んでいるのは斎藤の本意ではない。しかし、そう思うほど躍起になって飲まずにいられなかった。路地を行く者がはたと足を止めるくらいに、外へ大騒ぎを知らしめる。したたかに酔って、警固を与し易しと油断させておくのだ。
 そして、今ひとつは夜襲に来る男達の中に急度あの男がいる。四条橋畔の居合の剣士。紀与の幼馴染の男。
 この五年弱というもの、京洛で幾度幕敵と斬り結ぼうが、惧れを抱いたことはない。むしろ剣を振るう悦びの方が強い。しかし、今夜ばかりは斎藤も、少しも血の沸き立つ気分にはならなかった。
 その所為か、酒が進む。酔いはしないが、頭の芯だけはいやに冷え冷えとしている。首から下は熱くなってきた。
 ちらり、と三浦の方を見遣る。視線に気付いたか、三浦も斎藤を見返した。存外、今の思いは似ているのかも知れない。
 いつになく、こんな時に女のことを考えてしまった所為か、斎藤は息苦しさを覚えた。鎖の手甲が邪魔になってきた。きつくし過ぎたかもしれない。暑いので何とか抜き取ろうと試してみたが外れない。ふと、三浦の姿が見えなくなった。
「三浦様は」
 と、斎藤は関甚之助に問うた。
「来客があります」
「何者だ」
「土州の某という」
「いかん」
 斎藤は席を立った。

 密偵からの報告を受け、陸奥が西洞院御前通の料亭を出たのが六つを過ぎた頃だった。天満屋までは半丁もない。民家のわだかまった箇所である。降りしきる雪の為か、殆ど人影もない。
「うむ。確かにえらい騒ぎようだ」
 陸奥は言い、総勢十六名はそれを合図に分かれた。斬り込み方、表路を固める数名、裏口に回る数名、幸いと雪の照り返しが提灯代わりになってくれる。陸奥は、味方を得たような気がしていた。懐には拳銃があった。先鋒斬り込みが失敗した時、これが虎の子となる。
 岩村精一郎が、先頭に立った。
「土州の遠山霞と申す。三浦先生にお目通り願いたいのだが」
 応対したのは、十四五の丁稚だった。少年は、へい、と頭を下げて名刺を貰い、二階の大広間へと向かった。岩村は手招きした。少年の後をつけて、数名が上がり込んだ。少年は、三宅に名刺を差し出す。襖の陰で岩村らは足を止める。最後尾に陸奥がいた。
 三浦は、三宅から受け取った名刺をいぶかしんだが、対面を決めた。念のため短刀だけ提げて、階段のところまで歩いた。
「三浦か」
 という声とともに、刺客が乱入した。
 三浦があっと言った瞬間、庄五郎が躍り出た。息を吐く同時に庄五郎は、そこにあった卓袱台に足を掛け、抜き打ちに斬り下げた。
 陸奥もこれは、と眼を見張るような鮮やかな弧を描いた居合であった。
 だが、三浦は初太刀で額を浅く裂かれたにとどまった。居合にはもう一つしっくりしない、坂本の佩刀が皮肉にも三浦の命を救ったのだ。
 三浦の背後から飛び出してきた男が、抜いた。庄五郎の居合にも劣らぬ早業で、烈しい初太刀が庄五郎の左首筋に打ち込まれた。
 斎藤の唇に残酷な微笑が浮かんだ。庄五郎はこの瞬間、思い出した。
「お前、四条……」
 声が出なくなった。そうか、あの時の男が、と庄五郎はそのまま前のめりに突っ伏した。どす黒い血が止め処なく流れた。すでに斎藤の姿は其処にない。
 岩村らが一気に踏み込んだようだった。不意に広間が暗くなる。蝋燭が消されたらしい。ほぼ真っ暗闇の中で乱闘が展開された。
「三浦を討ち取ったぞ」
 割れ鐘のような雄叫びが、何処からともなく響いた。庄五郎はだんだん聞こえなくなりつつある耳で、そう聞いた。
「そうか。坂本さん、仇はとったそ。おれはやれなんだが」
 惨めに斬られて死ぬのだけは御免被りたい。腹を斬らねば、と庄五郎は手探りしたが、刀に届かなかった。それどころか指先も動かない。
「あの男、何という名前だったのだろう」
 と、今更ながら自分を斬った男の正体が気に掛かった。寒い。
「ああ、紀与どの。おれは京になんて上ってくるんじゃなかったんかのう。十津川に帰るか。一緒に帰ってくれるやろうか……」
 中井庄五郎義高は、そこでこと切れた。

 三浦を討ち取った、というのは新選組側の計略であった。斬り込み方は欺かれ、一瞬退去しようとした。しかし、陸奥は見抜いており、一気に追い討ちをかけようとした大石らを逆手にとってくれようと、拳銃を放った。
 真っ暗な中で、斎藤は誰とわからぬが、脇から突かれた。しかし鎖を着込んでいたために受傷せず、四方の敵に得意の突きを食らわせる。背後から斎藤の頭上目掛けて仕太刀が振り下ろされる。
「斎藤先生」
 敵を抱き止めたのは、梅戸勝之進であった。捨て身の梅戸の内股に、刃先が入った。わあ、という悲痛な叫び声で梅戸が転倒した。斎藤は、梅戸を庇いつつ窓を開け、二階から野外へと飛び出した。大石らも外へ出る。
 待ち構えていた数名と斬り結ぶが、不意打ちを食らって宮川信吉が斃れた。額を割られて即死だった。
 四半刻の死闘ののち、陸奥らは已む無く引き揚げた。肝心の三浦は何処へ逃げおおせたのか、姿が見えない。そのうち紀州藩士ら、新選組の応援が駆けつけるに違いなかった。
「中井を連れて帰る」
 岩村が慌てて宿にとって返したが、雪道を死体を背負っては戻れない。せめて首だけは、と掴んで走ったが、大石鍬次郎が追って斬り付けてきた。
 仕方なく井戸に庄五郎の首を放り込み、岩村は退却する陸奥らを追った。
 斎藤が再び大広間に戻ったとき、仄かに闇に浮かぶ首の無い屍を見た。夥しい血溜まりに浮くようにして転がる、中井庄五郎の遺骸だった。
「首が落ちる、か」
 今朝己が言った言葉を繰り返してみた。死んだ後に斬られようが、何も感じるまい。さっぱりもあっさりも本人は感じない。
 斎藤は、何故か生まれて初めてともいえる、痛切な敗北感に苛まれた。
 脳裡に谷三十郎、伊東甲子太郎、藤堂平助らの残像が結ばれては消える。
 傍らの血刀を拾い、力任せに畳を刺し貫いた。
「おれは、死んでくれるなと言われて其処に踏みとどまってしまった。だが、この男はあっさりとしがらみを捨てて死にやがった」
 近藤局長の縁者である宮川を死なせた痛恨、紀州藩士数名を無駄死にさせた失態よりも何よりも、そのことが斎藤の心を打ち砕いた。雪はこの日、明け方まで止まなかった。
 
 後日、天満屋での検分が行われた時、首の無い死体が誰のものともわからず、引き取り手もなく奉行所は困っていたのだが、井戸を浚えて出てきた首から中井庄五郎であると判明した。証言をしたのは、中井が出入りしていたという居酒屋の若い女将だった。
 女将は青膨れになった庄五郎の首を少しも怖れず、元結を切って髷を持ち帰った。
 役人が訊くと、「この人は同郷です。私も郷里に帰って、中井さんの実家にこれを届けようと思うとります」と、気丈に答えたそうである。
 j屯所に引き揚げるとき、花屋町に降り積もる真っ白な雪を見ていると、「雪は無垢に白い。犬も白いからシロという名前でいいだろう」と斎藤はふと思った。だが、結局そう告げる機会は今後一度たりとも訪れることはなかった。
 事件の二日後、十二月九日に維新の大号令が下った。

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