(八) 

 結局、そういうわけで定敬は笛を取り戻す機会を失ったまま、津川を離れる日を迎えた。
 半蔵は既に本軍に合流していた。桑名本隊は、同盟の庄内藩ともども長陣のゆえに疲弊していた。炎暑に炙られ、体力を消耗し、士気も下がる苦しい野陣の中、敵の補給路を断ち、木ノ芽峠を攻略することが出来た。
 ところが西軍の攻勢は執拗で、連日悩まされ、予断を許さない状況にあった。七月初めのことである。
 平沢家の家人は、揃って定敬を見送りに出た。
「間に合いました」
 只楽翁は、袱紗に包んだ定敬の笛を差し出した。武田信良公の持ち物だったという、此方も名笛を修繕に出していたことを、定敬はすっかり失念していた。
「そうか、そうだった」
 定敬は、それを懐に仕舞った。そして、深く頭を下げた。
「藤吉郎の笛は気の毒なことをした。済まぬ」
 言ってしまおうかとも思ったが、佐保との成り行きもあって、何となく真実は言い難いのであった。
 すると、老人は滅相もございませんと首を振った。
「それより御前様、孫娘もご挨拶申し上げたいと」
 老人が退いて、現れた娘の姿を見るや、定敬は「あっ」と声にならない驚嘆の声を上げてしまった。
「佐保と申します」
 すまし顔でしゃなりと立っている。髪も豊かに結い直し、化粧をした娘が丁寧にお辞儀をした。定敬は言葉も無かった。
 道理で藤吉郎の笛は戻って来なかった筈である。しかし、腹は立たなかった。むしろ、己の暢気さに呆れながら、街道口まで見送られ、東へと向かった。
 馬上の定敬はつと振り返ってみたが、そこに佐保の姿はなかった。
「狐につままれたような」
 と思ったが、それ以上振り返るのはよしにした。
 途中、坂下
(ばんげ)で一泊した時、定敬は修繕された己の笛を取り出してみた。だが、錦の袋に入っていたのは、武田信良公の笛ではなかった。
「藤吉郎の笛」
 手違いで渡されたかと思ったが、添えられていた手紙によって、それが故意であることを知った。
 只楽翁の筆跡で書かれている。

 「まことに僭越ながら、御笛を取替えいたし候。然らば真実申しあげます。御前様には御存知にあらせられるか、藤吉郎の笛を偸盗いたしましたのは我が孫娘の佐保にございます。
 佐保は当年二十歳。一度他家に嫁して、如何なる不縁にか離別申し渡されました。その事を気に病んでか、これまで半年余臥したり起きたりの所謂ぶらぶら病に罹り、当方ども如何せんと悩んでおりました次第にございます。
 ところが、昨月末御前様御一行様が当家に御逗留なされ、俄に佐保の顔色が良好になりました。外出などせなんだものが、不意に外へ出たいと申し、夜に徘徊するのです。よくよく理由を質しますと、どうやら御前様に想いをお懸けいたした由、白状いたしました。鄙の女子のことにて、御前様のすぐれた御振舞、きらきらしいお姿に有頂天になったのやもしれませぬ。一時の迷い或いはそもそも身分違いも甚だしい、と叱責いたしましたが、老いの身の口説など聞きませぬ。
 浅はかにも御前様のお気を引こうと、笛を盗んでみせたと申すのです。その後の事は、御前様御承知の通りにございます。
 お蔭様にて、佐保もすっかり以前のように戻りました。御前様には甚だ御無礼を致しましたこと、何とぞ御容赦下さいますようお願い申し上げ奉ります。
 せめて、此が藤吉郎笛をお持ち頂けますよう。御前様のご立派な振舞、御志をもってして、怪異なさしむことは有り得まいと存じます。
 書面にて御無礼仕ります
桑名中将朝臣様                            平沢伝右衛門祐徳」


 定敬は読み終えて茫然となった。
 そして、宿陣の障子を開けると、藤吉郎の笛を麒麟山の方角に向かって吹いてみた。届く筈もなかろうが、只楽翁と佐保が耳を澄ましているかもしれないと、そう思ったのであった。
 やがて定敬は会津若松に入城し八月も半ばになった頃、服部半蔵ら北越を転戦していた藩士らも城下に集結しつつあった。
 鶴ヶ城に登城した半蔵は、藩主兄弟に謁見した。定敬が藤吉郎の笛を携えているのを見ると、
「不吉の笛にございますよ。結局お持ちだったのですか」
 と、少し嫌な顔をした。
「老人はおれが持っていても支障ない、と申した。構わぬ」
 定敬がそう言い張ると、半蔵は渋々頷いて下城した。翌日から高熱を出して寝込んだという。
 その後、鶴ヶ城滞在中、定敬は興がのると幾度か藤吉郎の笛を奏でてみた。時には兄の鼓に合わせてもみた。
 だが、蚕養口の戦より定敬は籠城には加わらず、米沢へと援軍を求めに向かい、気付いてみると笛は既に何処へ行ったものか、手元にはなかった。
「鶴ヶ城に置いてきてしまったか。或いは道中失くしたか」
 考えてみたが、結局判らず終いだった。本土を逃れて箱館まで転戦し、江戸へ引き戻されて謹慎生活を余儀なくされることとなり、笛どころではなかったのである。
 迷信や妄言の類など一切信じない定敬ではあったが、ふと折に触れて過ぎる思いがあった。
「笛が手元を離れたことで、おれは生き延びたのかもしれん。おれは只楽翁の言うよう立派でもなく、あたら大勢の家臣や領民を死なせてしまった」
 そして、藤吉郎の笛は鶴ヶ城にもなかったのではないか。辛うじて城の形を留め、兄やその家臣らの多くが死から逃れられた運命を思えば、そうであるに違いない。
 誰かが笛を拾うたとすれば、その者に不吉が訪れているのやもしれないが、結局、定敬は藤吉郎の笛についての風聞も、その行方も知らない。
 いつか、平沢家と佐保の消息を聞こうともしたが、既に一家は維新後離散しており、津川に残っているのは遠い親戚のみであった。
 定敬はその後、生涯自ら笛を吹くことをしなかった。

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