(一)
古物商・三河屋惣兵衛の番頭・茂七は語った。
「此処んところ御無沙汰しておりまして。ほんに申し訳ございません。晴山先生、実は或る商いのことで立て込んどりましたんどす」
上方言葉で断る。
「蔵前の乙訓屋はんは御存知かと思いますが、あそこで近頃不幸があったんは?」
「さて、知らんね」
松平定敬は答えた。火鉢に手をかざした。まだ底冷えのする春浅い昼下がりである。
乙訓屋というと、蔵前の薬種問屋で、主に清国や朝鮮からの漢方を扱っている老舗だ。定敬も旧幕時代に桑名藩主として世話になったことがあるが、直接は主人を知らない。
「朝鮮人参は本場のものがよく効くといって飲まされたが、御種人参よりはるかに土臭くて不味かった」
という記憶をもとに、乙訓屋の名は知っていた。御種人参とは、幕府が奨励して日本各地で栽培させた朝鮮人参のことだ。
「主人の忠兵衛の一人娘でときさんという方が亡くなったんだそうですよ」
「その娘は確か出戻りではなかったか?それにしても、まだ三十にはならなかった筈だ」
「然様で」
茂七は大きく頷いた。
ときは、家の通用門から入った玄関で、血塗れになって倒れていた。
腹を何者かに掻き切られ、腸を千切られるという惨たらしい様で、大きな血溜りが出来ていた。血はそのまま点々と式台の前の屏風にまで続いていた。
「屏風に描かれた虎の口から血が垂れとったそうで」
「虎が娘の腹を食い破ったというのだろう。そういえば、この間その話は友人から聞いた」
友人とは言ったが、実際は警視庁一等巡査の藤田五郎である。
乙訓屋には、忠兵衛の息子でときの弟・忠吾郎とその妻さい、跡取夫婦の子で五つになる男の子、忠兵衛の甥・寛治郎が身内として住まっていた。
ときはその中で、出戻りではあったが、忠兵衛の亡妻に代わる働きをしていた。
つまり店の用向きから、厨のことまでをてきぱきと仕切っていた女で、確かにその分厳しいこともあるが、こざっぱりした性質だったという。
弟の妻とも特に仲が悪かったわけでもない。誰からも恨まれるような憶えのある女ではなかった。
「まして、当日はさいがお産の為に実家に戻っていて、産気づいたというので忠吾郎も其方へ駆け付けた。忠兵衛と甥は揃って、木更津まで商談に出掛けていたというので、家にはときと女中しかいなかったのです。彼らには証人もおりますし、結局は外から強盗が入り、物盗りついでにときを殺し、屏風に血を擦りつけたのだという事になってます」
藤田はそう言った。
「――が、実のところ、盗られた物もなく、金もそのままだったというので、怨恨かさもなくばやはり屏風の虎の仕業じゃないかって噂になってますがね」
無論、定敬も「一休禅師の縛り虎や抜け雀じゃあるまいし」と、鼻で笑ったが、面妖な話だ。
「で。その屏風は如何した?」
すると、待ってましたとばかりに茂七は手を打った。
「忠兵衛旦那から、直にうちの大旦那に話がございまして。仔細はとまれ、乙訓屋さんとは長い付き合いがあるいうので、引き取らせて貰うたんですわ」
屏風を受け取ろうと、茂七が乙訓屋に赴くと、不思議なことに虎の口元を彩っていた夥しい血は忽然と消えていたという。それもまた奇妙な話で、忠兵衛が気付いたのも茂七が行ったその時はじめてだった。
ときを喰い殺したかもしれない、忌々しい虎の絵など見たくもないというので、事件後すぐ帖紙(たとうがみ)を貼り、縄を十文字にかけて蔵の隅に置いていたのだ。
「忠兵衛旦那のご様子も、実におっかな半分、辛いの半分でしたよ。処分するというのには、若旦那はんも反対はせなんだそうで」
「ただで引き取ったではあるまい?」
定敬は、茶を飲み干した。茂七はいいえ、と首を振った。
「おくやみ代わりとは言えませんが、幾らかお包しました。本来なら片手の指ほどでしたやろうけど」
五百円とは、莫迦に高い。
「然程に高名な絵師か。狩野派なら探幽か、それとも……」
「李朝のお人です。申景保という宮廷画家の作品ですわ」
「朝鮮虎なら、さぞ勇猛だろう」
「人喰い虎を描いた、それが屏風から抜け出たとあっちゃ、左甚五郎も真青ですが、笑いごとではおませんよ。当の忠兵衛旦那には」
「まあな。しかし、立派な屏風だろう」
「まさかに先生、虎を見たいと仰るんやないですか?」
茂七は上目遣いに定敬を見た。三河屋の店内には、もう二人客がいて、二番番頭と話し込んでいた。
茂七はそっと其方を振り返り、また定敬の方へ向き直って言った。
「蔵にご案内させて頂きましょか」
定敬はにっと小さな八重歯を覗かせた。茂七は飽く迄案内だけでは気はすすまぬといった顔付きで、草履を引き寄せたのだった。
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