(二)
「――そういう事情で、今うちにこの様な屏風があるのです」
琉璃は藤田に説明した。
「呆れたもんですな」
「然様です。呆れたものです。本郷の御邸に持ち込むとまた松浦様に叱られると仰って、よりによってうちに当座ばかりに置いておくなんて」
琉璃は怒り半分で言った。
式台に置かれた衝立には、まだ帖紙がかぶせられていたが、それは玄関の方へ表を向けてある。
「人喰い虎なら家の護りになる、不届きな輩が入ってきたら喰ってしまえ、と言えばよい」
と定敬は冗談めかして例の虎の屏風を運び入れた。
「しかし、立派な虎ですよ」
藤田は帖紙をめくってしげしげと屏風を見詰めた。
「三河屋の茂七さんは、いやいやだったそうですが、御前様ときたら五百十円だすと仰って無理から引き取ってきたみたい。随分と物好きな」
「御前様の物好きは、今にはじまったことではないでしょうが、実はおれもこの屏風を直に見るのは初めてでして。本当に人喰いしそうな迫筆ですなァ」
もとはといえば、藤田が事のついでに乙訓屋の娘ときの事件を話したのが、切欠といえなくもない。その意味では、定敬も藤田も同類ではないか、と琉璃は思う。
しかし、厄介物を持ち込まれてその遣り場に困じているのも、実は権妻冥加の一かもしれない。頼みとされているのは、女として悪い気はしない。正室の初子が聞いたら卒倒しかねない話でも、平気で持ち込んでくる定敬の無邪気さが可笑しい。
「で。その御前様は今何処に?」
「ああ。殆ど藤田さんと入れ代わりに出て行かれて」
蔵前に向かっていた。
昔は札差で殷賑を極めていた蔵前も、様相が変わった。
浅草の見世物小屋はそれでも相変わらずである。手妻からいかがわしいものまで、営業場所は決められていたが、人の流れは絶えない。
「以前なら、まさかこういう所を通るなど」
定敬にとっては考えられなかった。今しも妙といえば妙だが、隠居の晴山先生が何処をどう歩こうと、誰も見咎める者はいない。馬車か俥を借りるのも大仰なので、徒歩で来た。
すると、橋のたもとの小屋に看板がぶら下がっているのが見えた。
「唐渡り剣技」
とあって、いやに人だかりがある。
定敬はふと気を引かれた。
「唐渡り」という文句にである。彼は上海に行ったことがある。物見遊山や留学ではなく、逃亡といってよい旅だったが、ひと月余りの滞在の間、清国の雑技団で子供らが人知を超えかねない遊技を見世物としているのを見たことがある。
それを思い出した。
小屋の前で木戸銭を払い、人の背に揉まれながら入って行くと、俄か造りの舞台に、でっぷりと太った男が立っていた。
「さあて、これなるは双子の美少女美少年。海を渡って釜山より来るインチョルとユミン兄妹。ようく御覧あれ」
舞台の真ん中には、何故か支那服を着せられた十五、六の少年と少女が立たされていた。
名の響きからして、朝鮮の出身であるのに支那服とはどういうことだろう、と定敬は不思議に思った。観客はそこまで知る由もないと思われているのだろう。
太った男は、双子の兄妹の身上をせつせつと謳い上げる。
どうやら兄妹はある両班(ヤンパン)の落胤だが継子にいじめられて故郷を捨てざるを得ず、といった境遇だが、それも真実かどうかはわからない。どうでもいいのだ。客を惹き付けることさえ出来れば。
そうこうしているうち、見世物は始まった。
少女が身の丈程の高さの板の前に立ち、その少女の四肢、頭すれすれに小刀を投げて板に突き立てていく。
一見何気もなさそうな舞台芸のようだが、小刀はいつしか少女の衣服に突き立ったり、掠め切って行った。そうして少女が身じろぎすると、支那服は呆気無いほど簡単に破れ綻んでいくのだった。
観客は、少女の白い二の腕や腿が服の隙間から覗く度、「おお」だの「ああ」だのと歓声を上げる。
「何のことはない、そういう見世物か」
わかってしまうと、定敬はげんなりした。長居は無用だ。
少女の腋を小刀が掠め、腰を捩ったと同時に服の胸元が裂けた。その時、定敬は小屋を出たところだった。
「悪趣味な」
客が喜んでいるのは、娘の肌を見られるからのみではない。
恐怖に彩られた美しい面を見て、嗜虐性を満足させているのだ。
維新の戦では、やれ官軍が誰それの首級を取っただの、賊軍が村々を襲って略奪を行っただのと言われただが、そう嘯く一般の民も結局変わり無い。
人は心の奥の何処かに、残酷な獣を飼うている。
「人喰い虎か」
蔵前の乙訓屋に着いた時、定敬は店前で人知れずそう呟いていた。
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