(六)
「――その三日後でした。ときが死んだのは」
忠兵衛は大きく息を吐いた。
「訪ねてきた子供達が帰り際に言ったのだそうです――虎に餌を与えて下さいと」
無論、荒唐無稽のことと、ときは一笑に付した。が、少年はなおも、
「嘘言ではありません。でないと、虎は夜な夜な抜け出して、人を喰い殺します。四、五日に一度は鶏なと屏風の前へ置いて頂けましたら、生餌でなくともよいのです」
「そりゃあ確かに真に迫った虎ですけどねえ。ええ、わかりましたとも」
ときは軽く受け答えして、兄妹をせっついて追い出した。
「結局、子供らの言った通りにせなんだので、ああなったのです」
忠兵衛は石でも呑み込むように喉を大きく鳴らした。
「然様でしたか」
と、定敬はじっと忠兵衛を見詰めた。
「酷いものです。腹を、はらわたから喰うのですね、獣というのは。おときの顔はきれいなままでしたが、まだしも……」
それにしても生きたまま臓腑を喰い千切られる苦痛で、歪んでいただろう。
「となると、今晩あたりうちでも鶏を用意しておかねばならんな」
定敬はそう言って、乙訓屋を出た。
つと蟠りが解けて、再びあの見世物小屋に寄ってみた。
だが、小屋は既に締まっていた。仕方が無いので麻布竜土町までまっすぐに戻った。すっかり外は暗くなってしまった。
その晩、定敬がいつものように客間の床で寝ていると、不意に裏庭から物音がした。
何やら生温かい風が障子紙を震わせている。獣の臭いさえ感じた。
薄目を開けてみたが、部屋は暗いばかりで、衣擦れを立てぬように半身を起こすと、屏風が目に入った。
玄関から移されていたのである。
虎の白眼には、銀が施されていて、恰も生けるが如くらんらんと光ったが、其処から抜け出る気配はなかった。
定敬は障子を開け放った。秋の小寒い風が寝所に舞い込むと同時に、濡れ縁に光る四つの目玉を見止めた。
「屏風を取り戻しに来たようだな」
定敬の通る声が闇夜に響くと、庭から闖入者たる少年と少女が姿を現した。
「どうかお赦し下さい」
少年のほうが先に言った。
「三河屋で訊ねたか」
「はい。松平様という、以前西国大名を取り仕切る役職をなされたことのある偉いお殿様の別邸に運んで行かれたと」
正しくは別邸ではなく、権妻の家だ。細かいことはいい。
襖の向こうでくすんと鼻を鳴らす音が聞こえたが、琉璃が苦笑しているに違いない。彼の女は定敬を一人寝所に寝かせ、自分は隣室に「虎が抜け出せば、いざ」とばかりに長刀を脇に端坐していたのである。
定敬は、
「とまれ外はまだ寒い。中へ上がりなさい」
遠慮がちな兄妹を促して、廊下に上げさせると、やはり二人は浅草の見世物小屋で短刀を投げていた双子だった。
「君達の父上の話は、乙訓屋から聞いている」
定敬は言った。
「ただ、屏風の虎がときさんを喰うたのか、そうでないのか判然としないことには返すわけにはいかない。何しろ、三河屋も乙訓屋もおれのずっと先代からの付き合いもあって、好い加減なことは出来んのでな」
すると、兄の方が妹を見遣り、二人は暫し何とも辛そうな表情で見詰めあったのち、頷いた。
「実は驚いているのは私達のほうなのです。申し訳ございません。嘘をついていました」
二人は申し合わせたかのようにそう言って、同時に額づいた。
兄妹が亡父の絶筆である虎図を仁太郎に奪われ、その後ようやっと乙訓屋に辿り着いた時、兄のインチョルは考えた。
仁太郎にしてやられたという痛手もあり、このままのこのこと小屋者の形で乙訓屋を訪ねても、塩を撒かれるのは目に見えている。
そこで、
「虎は本当に屏風を抜け出て人を喰うのです」
と、でまかせを言ったのである。
「仁太郎という男がそう吹聴して、乙訓屋に屏風を売り付けたと聞いていたのを、逆手に取ったのだな」
定敬が訊き返すと、少年は深々と頭を垂れた。
「その通りです。そう言えば、虎図におそれをなして返してくれるのではないかと考えて言ってしまいました」
とはいえ、浅薄だったと兄妹は後で直ぐに反省した。
よしんば返してくれるとしても、乙訓屋は仁太郎から千円という法外な金で虎図を買っている。その仁太郎は行方知れず。
千円払い戻せと言われれば、兄妹は為す術もないのだ。
「それで、ときさんが死んだとあっては何やらますます私達の仕業のようで、身の置き所もないのです」
インチョルは悲痛な声を上げた。
「成る程、まさかに君達兄妹が虎でもなければ、ときさんを腹から喰うような酷い真似などするまい」
定敬の言葉に、兄妹はどきりと肩を震わせた。定敬は軽く笑んだ。
「安心なさい。屏風はいずれ返してあげよう。但し、くどいようだが、ときさんを喰らった真犯人を突き止めてからその後だ」
(五)へ
(七)へ
小説目次へ
「とにかく殺す!」へ
所司代TOPへ
本館TOPへ