(七)
事実が判明したのは、それから十日後、木枯らしの強い日のことだった。
警視庁から退庁してきた藤田は、その足で湯島の松平邸を訪った。
「驚きました。自白したんですよ」
藤田はさすがに早足で来たせいで、額にじっとりと汗を掻いていた。
「通い番頭の球磨次が、だろう?」
「はあ」
何でこの人はそういつもいつもお見通しなんだ、とばかりに藤田は定敬を見た。
「ことの起こりは忠兵衛の読み違いさ、な」
定敬は苦笑した。
「球磨次はね、ときさんと割りない仲だったんだよ。ずっと昔から。恐らくときさんが嫁に行く前から密かに二人で言い交わしていたのだろう。そこを忠兵衛は忠吾郎に跡目を継いで貰わねばならんし、という事になると小姑が残っていては嫁もやり難かろうと、ときさんを早く嫁がせた」
「成る程」
「恐らく互いに未練を残したままだったんだろうなァ。出戻って来たときさんは、すっかり番頭らしく男っぷりの上がった球磨次に……」
しみじみと定敬。
「焼けぼっくいに何とやらってやつですね」
藤田はそこから膝を打って、話を浚えた。
「球磨次が言うには、ときの腹の中には球磨次の子がいたんだそうです。そりゃあ、出戻り娘と女房持ちの番頭の間に不義の子が出来たとあっては、まずいことになります」
ときは、腹の子大事さにすっかり逆上していた。
球磨次には「離縁して私と所帯を持ちたいとお父っつぁまに言うておくれ」とせっつく。
そうなれば、忠兵衛は恐らく烈火の如く怒り出すだろう。とはいえ、可愛い娘の事ゆえに怒りは一過性のものとして、うまく転べばすぐにも暖簾分けとなるかもしれない。
どういうわけか、球磨次は女房との間にまだ子がない。子が出来ないのを理由に離縁を言い渡しても然のみ怪しまれないのではないか。
ところが、寸善尺魔とはよく言ったもので、ひょっこりと或る日昔馴染みの仁太郎が姿を現したのだ。
「金に困っていた仁太郎は、例の虎図を乙訓屋に売り付けるように球磨次をそそのかしたようです。何といっても、球磨次は昔の恩があるので断れません。急度、大っぴらに出来ない事でもしていたんでしょう。仁太郎の言うがままに仕込んで、あの通りです」
「となると、虎が脱け出すというのも丸きりの嘘なのか」
ええ多分に、と藤田は大きな背中を折り曲げるようにして、頷いた。
「ときの腹をかっ裂いたのは、仁太郎だというのですよ」
球磨次は仁太郎がせしめた千円のうち、幾らか貰って虎図のからくりの口止めをされた。その様子を、やはり球磨次と早く所帯を持ちたいと督促しようとした、ときに見られてしまったのである。
「私だけならまだしも、お父っつぁまを騙すなんて」
ときはかっとなってしまった。
なまじ父親思いだけに、己が好いた男の仕打ちは許し難かったのだろう。
「こうなったら、やや子のことも屏風のことも洗いざらい何もかもお父っつぁまに言うわ」
だが、生憎と忠兵衛は出掛けてしまっていた。
憤慨するときを、球磨次は何とか宥めすかして少し酒を飲ませ、床に就かせた。
だが、弱った。
ときが総てを喋ってしまえば、球磨次はお終いである。暖簾分けどころか警視庁に突き出されてしまう。そこで、仁太郎の出番だ。
「仁太郎は元々が変に悪才の回る男のようで、ときを殺し、虎が抜け出てときを喰ったことに見せかけてしまえばいい、と球磨次に言ったそうです」
藤田は、さすがにぞっとしないといった表情で言った。
「それも仁太郎本人が姿を眩ましているとあっては、本当の事は判るまい」
と、定敬。
「御前様はどうしてお気付きになられたのですか?」
怪訝そうに訊く藤田に、定敬はふんと笑ってみせた。
「ときさんが腹を裂かれて、というのでおかしいと思ったのがはじまりだ。女子を殺すに大の男なら縊り殺すか、匕首で心臓を一突きで事は済む。それをわざわざ臓腑を獣に喰われたように見せかけるなど、不具合を隠す為に相違ない。となると、女の場合孕んでいる。その相手が誰なのかと考えたのさ」
「はあ。気付けばそういうことでしたか」
藤田は滅法感心した。
「虎は目くらましだ。とにかく、おれはあの兄妹に屏風を返してやらねばならん」
定敬は翌日、浅草を訪ねて行った。
小屋では双子の兄妹は短刀投げの練習をしていた。屏風を運ばせて来て、見せてやると、二人は涙を流して喜んだ。
「ありがとうございます。これで、故郷へ戻ることが出来ます」
五百十円は失ったが、人助けをしたと思うと定敬は満足した。元殿様というのは、心底呑気な人種である。別れ際、インチョルは言った。
「お助け頂いてそのうえ厚かましいのですが――もし、もしも私達二人がこの屏風を持ち出せないようなことになれば、貴方様にお願いしたいのです。朝鮮の仁川に親戚がおります、其処へお送り頂きたいのです」
妙な事を言う、と定敬は一寸首を傾げたが、了解した。
果たして数日後、インチョルとユミンの兄妹は小屋で見世物をやっている時、事故に遭って死んだ。
インチョルの投げた短刀が誤ってユミンの左胸を貫き、動転したインチョルは己で己の喉を突き、舞台上で死んだのだった。
引き取り手のない二人の遺体を一旦寺に安置したものの、翌日忽然と消えていたという。
そうして、不思議にも小屋の舞台に置かれていた屏風には虎が二頭増えていた。
「父虎と兄妹虎。本当に、虎は生きていたのだな」
定敬は、横浜港を発つ貨物船に乗せられた屏風のことを思った。
麻布竜土町の一軒家で、琉璃が庭先に飼い始めた矮鶏(ちゃぼ)に餌を撒いていた。
「それは急度、父虎が呼んだのかもしれませんよ。虎は子思いというではありませんか」
「成る程、虎の子というほどだからな」
定敬は遠い朝鮮の竹林で静かに暮らすだろう父子虎の姿を思い描いた。
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