(一)
鳥羽伏見の敗走ののち、江戸へ辿り着いた新選組が最初に欲したのは、酒と女だった。戦闘で負った傷と船旅に疲れ果て、何よりも寄る辺無いまま京を追い出されたという事実が重く圧し掛かって来る。実情を知り得る幹部でもそうなのだから、平隊士などは尚更であった。
永倉新八らを乗せた順動丸が、天保山沖を正月九日に出航して品川へ到着したのが十二日であった。続いて局長・近藤勇らの乗り込んだ富士山丸が入港した。釜屋で宿泊した隊士らは、医学所へ行きそれぞれ負傷の手当てを受けた。
そして、戦で泥と血に塗れた体を洗い流し、女郎屋だの居酒屋だのへと散々に走った。
和泉橋にある医学所の付近に宿をとっていた斎藤一は、最後までひとりぼんやりと旅籠の二階で手酌酒をやりながら、そんな隊士達の姿を横目で見ていた。物思いに耽るというでもなく、他にすることが無いから酒を飲む。
「たまには付き合えよ」
という永倉の一言に気圧されて、多少の酔いの所為かついに仮宅へ上がる羽目になった。
めいめいに白首女が敵娼
(あいかた)となって座敷に上がって行くのを見ているうちに、取り残されてしまった。
仕方なく窓の隅に陰気に蹲っている女に声を掛けると、女将が「おや、まあ」と甲高い声を上げた。
「おりくなんかでよろしゅうござんすか?」
「腕がちゃんとありさえすれば、無口な方がいい」
腕、と女将は訊き返した。
「酌が出来ればいいのさ」
斎藤は真顔で答えた。女将は下膨れの顔に皮肉な笑みを浮かべる。
「おりくにゃ、旦那みたいないい男は勿体無いですよ。まあ、でも人は好き好きですからねぇ」
「世辞など要らんぜ」
斎藤は、りくの顔を見下ろした。確かに貧相なといえばそうである。病み上がりのような青白い顔色で、頬さえもう少しふっくらしていれば化粧映えもするだろう。何処か生気が薄い。
「抱き心地が悪そうだ」
と、斎藤はあけすけに思った。自身が痩躯の斎藤は、どちらかというと女は少々むっちりとしている方が好みだ。さりながら、今は女色に耽溺しようとのことで仮宅へ赴いたのではない。
りくは斎藤の露骨な視線を避け、すっと立ち上がると奥二階へと導いた。永倉達がどんちゃん騒ぎをしている部屋の前へ来ると、斎藤は手を振った。りくはそのまま通り過ぎ、西の小部屋へ入る。
酒が運ばれてくると、りくは無言のまま盃を差し出した。
「水をくれないか」
斎藤はそう言って、印籠から紙包みを取り出した。
「何処かお具合でも悪いのですか」
りくは初めて口をきいた。
「胃の腑が調子悪くてな。飲み過ぎるとえずくのさ」
すると、りくは微妙な笑いを薄い唇に載せた。
「そこまでしてお飲みになるなんて」
斎藤は、黙って粉薬を飲んだ。医学所の松本良順に処方して貰ったものだった。近藤も同じものを常用しているという。
斎藤が印籠を仕舞おうとすると、ふと、りくが言った。
「その根付変わってますな」
何ということはない蝉の意匠である。だが、それを見詰めるりくの双眸には、不意に力強い灯が点っていた。
「その日暮し。だから蜩
(ひぐらし)をつけてるのさ」
自嘲的に斎藤が言う。斎藤の大きな手の平の中で根付が自在に躍った。行灯の炎がじりじりと油を焦がして音を立てる中、りくは息を呑んだ。
「違いますよ、旦那さん。蜩は清国じゃ潔白の身の証だとかで尊ばれてるんですよ」
「物識りだな」
斎藤はにやりとした。蝉の羽は薄くて透き通っている。何も隠す所が無い。それ故に中国の官吏は清廉潔白の象徴である蝉を縁起物として珍重した。その云われは、根付の元の持ち主であった芹沢鴨から聞いた。
芹沢は見掛けの豪放磊落さら巨躯に似ず博学で、手先も器用であった。
「それと同じ様な根付を持ってた人から聞いただけですよ。変わったお名前のお客さんだったんで、よく覚えてますわ」
りくは白い首を伸ばし、遠い昔のことでも数えるように言った。
「鴨だな」
「そう、鴨でした。旦那さん何で?」
目を見張ったりくに、斎藤は鼻笑いでふんと応じた。
「おれが縁あってこの根付を頂戴したのは、芹沢鴨というお人だ」
「奇遇でしたねえ」
りくの頬に柔らかい笑みがとろりと滲み出た。ついさっきまで、階下で陰気な顔をしていた女とは思えなかった。
「何だか嬉しい。あの人は私にとって天神さんみたいなお人ですから」
天神とはまた大層だな、と斎藤は思った。京に居た頃の芹沢にこれほど似つかわしくない形容はない。いったい、この品川辺りで女郎を歓ばせるほど豪遊を重ねていたか知れないが、それも芹沢なら有り得るだろう。
「旦那さん、もしよろしかったら酒の肴にあたしの昔話でも聞いて貰えますかい?」
斎藤は憮然となった。無口な女を選んだ筈だが、こうなるとは。己がりくを選んだ手前、否とは言えなかった。しかし、芹沢の話というのなら聞いてもいいだろう。
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