(二)

 りくは今年で二十五になる。館林城下の足軽の家の末娘に生まれた。高齢でりくを産んだ母は産後に直ぐ死に、父子だけの貧しい生活になった。食うや食わずのかつかつの生活に倦んで、兄達は城下を出、りくも十二の年に江戸へ奉公に出た。しかし、奉公先になじめず転々としているうちに置屋の下女になり、そのまま女郎勤めになった。
「多少の読み書きが出来るのは、ご城下を出るまでに習っておりましたんですわ。こういう仕事になると殆ど忘れっちまったですけどねえ」
 要するに、りくは貧乏暮らしに飽いて自ら故郷を出たものの、江戸に馴染めないでいた。ゆえに何処へ奉公しようと続かないのである。
 とはいえ、女郎屋勤めも生半では出来ない。小使から飯炊まで何とか一通り耐えながら、赤いべべを着られるようになったのが、十六の年である。決して早くはない。女郎というものをやってみると、性に合うのか妙にしっくりときた。芸事は全く出来ぬが酌をすればよいし、器量も格別ではないにしても悪くはなかった。りくの世間擦れしていない素朴なところが気に入って、通い詰める客も出来た。
 ところが、十九を過ぎた時、珍客がりくの相手をした。
「横浜から江戸見物に来たという異人でしてね。こう、身の丈六尺はゆうにありましたよ。胸なんて毛むくじゃらでさ、目は灰色で異国の酒の甘い匂いがしましたよ」
 りくは、その時の事を思い出すと複雑な心地になる。エゲレス人の体臭は濃密で、また愛撫も日本の男とは違った。異国の言葉を耳元で囁き掛けられても何のことか判らないが、ただの女郎扱いではないような歓びを得る事が出来た。だが、同時にやはり恐ろしさはあった。
 異人が客になったのはそれきりである。
 その一度の経験が、りくの運命を転ばせて行くとは、思いも寄らなかった。
「そっから先は闇夜です。あたしゃ、瘡(かさ)に罹っちまいました」
 梅毒である。この花柳病になると、女郎は廃業に等しい。中には偽って商売している者もいたが、病が病だけに長くは続かない。りくも暫くの間、体の異変を隠して客を取っていたが、次第に症状が面に見え始めると、他の女郎も気付いた。
「今日からお客を取っちゃなんないよ。あんたは掃除と風呂焚きだけしとくんな」
 女将にそう宣告され、りくは従うしかなかった。もとより、女の値打ちがなくなって叩き出される羽目にならなかっただけでもましである。
 そうした或る日、揚屋に現れたのが芹沢鴨であった。
 芹沢はぎょろりとした目で女郎達を一通り品定めしたのち、りくを指した。誰もが瞠目と同時に嫌悪の顔付きで、床掃除をしていたりくを見遣った。
「旦那様、その女は下働きですので」
 女将が下手に言うと、芹沢は鉄扇で己が手の平をぴしゃぴしゃと叩きながら、酔眼を剥いた。
「下女なれば召し出すわけにいかん、というのか?商売物には変わりあるまい」
 既に出来上がったような目付きに睨まれると、女将も泡喰って震え上がった。「あれは大物か、でなきゃきちがいだよ」と、あとで女郎達に言いまくっていたという。
 りくはせめて化粧して務めようと思ったが、芹沢はその前に有無を言わさず部屋へと押し込んだ。
 畳の上に転ぶようにして芹沢を見上げると、総身丈以上に大きく見えた。りくは初めて、この男を恐いと感じた。エゲレス人の方が体格は良かったが、何とも得体の知れない存在感というものが芹沢にはあった。
「とって喰ったりはせん、懼るるな」
 そう言って白い歯を剥き、酒盃に豪快に齧り付いた。
「名は?」
「りくと言います」
「悪くはない名だ」
 と言って、また飲む。
「あのう、旦那様の鴨というお名は何か謂れがおありでしょうか?」
 りくは恐る恐る訊いてみた。芹沢は巨躯を揺すってくつくつと笑った。笑うと目が糸のようになり、眦の皺に愛嬌がある。
「謂れなどねえよ。おれの本名は、下村継次というんだ。ちょいと勤皇の真似事をやろうとしたが、如何にもそれじゃあ都合が悪いんで改名した。その時田舎の池辺で釣り糸など垂れておったのよ。獲物が掛かったかと思やあ、糸が切れちまった。そこへ飛んで来て、おれの獲物を掻っ攫ったのが鴨だったというわけでな」
 本当かどうか判らない、今作ったような話であった。だが、りくは久しぶりに笑った。
 この時、りくの瘡は小康状態にあった。少し横面にあばたがあったが、身体はしゃっきりしていた。化粧もしないで客を取る気恥ずかしささえ感じた。
 それに、芹沢がりくの病に気付いているのかいないのか、その事も言い出せずにいた。
「旦那様は何で私のような女を敵娼になすったんですか?」
 既に芹沢は軽い酩酊の域にあった。仮宅に来る前から酔っていたが、腰を据えてさらに深く酒の海に沈んでいるかのようであった。
 芹沢は目を細め、りくの顎に手を伸ばすと、強く掴み寄せた。首と胴が離れるかと、りくは思った。
「わからねえか?」
「はあ」
「お前は武士の娘だろう?」
 りくは目を瞬いた。足軽の娘ではあるが、士分といえば歴とした士分である。りくは微かに頷いた。芹沢は唇を捲り上げるようにして、笑った。
「父は足軽、上州の田舎侍にございます」
「足軽だろうが武士は武士だ。そこ行くと、おれあ田舎郷士の小倅に過ぎねえやい」
 酒臭い息がりくの鼻先に掛かる。郷士の何処がいけないのか、りくには判らない。地方の豪族で半農半士の彼等は「お大尽」扱いではないか。そこいくと、士分という見えぬ柵に囲われた貧乏足軽など、名はあっても実は無し。こうして娘を売り飛ばさねばならない程の赤貧の何がよいのだろう。
「お侍が憎いのいですか?」
「憎いとも羨ましいとも思わねえ」
 芹沢は赤ら顔だったが、口調は確かであった。
「おれは侍になった。だが、根っからの侍ではない。だから生まれながらの侍ってのはどんなもんか興味があってな。侍の娘を抱くんだよ」
 りくは茫然としたまま芹沢に抱きすくめられた。

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