(二)
服部半蔵正義
(まさよし)は元治元年の今年、二十歳になる。
その名を聞いて誰もが知らぬ筈は無い。といっても、それは東照神君・徳川家康に仕えた初代服部半蔵のことである。
服部家の長男として生まれたゆえに、代々の名「半蔵」を継いでいる。半蔵本人にとっては二百数十年も前の先祖の武功話など、巷間の噂程に遠い話であった。
服部半蔵正成
(まさなり)を祖とする半蔵家は、伊賀上服部郷から興った。家康に仕え、本能寺の変の折には堺にいた家康を守護して無事に領国三河まで送り届けたということが最大の勲功であろう。
二代目石見守正就
(まさなり)の時、既に先考を継いで五千石の知行を受ける旗本であり、伊賀組同心を束ねる御役目にあった。賤しい者として他の武士から蔑まれた伊賀者としては異例の出世である、それに奢ったかどうかは判らないが、下忍である同心らの不評を買い、反乱を招いた。
正就の失策を救ったのが、妻の実家久松松平家であった。
舅の定勝の臣下となって大坂の陣に出た正就は行方知れずとなったが、その後正就の弟が継いだ服部家は家老職に就き、代々勤めてきたのである。
半蔵は江戸で生まれ育った。生まれながらにして主君を扶ける為の訓育を受けてきた。かつての忍者集団の親分という職掌とは無縁であるが。
「主君によかれと尽くす、それが己の運命である」
と思っている。
尤も、まだ半蔵は家督を継いでおらず、奏者番の身分であった。
主君が京都警固を仰付けられ、さらに昨年京都所司代となって、半蔵は江戸から京へ呼ばれた。
京へ来て間もなく一年が過ぎようとしていた。
先々代藩主の頃より家老職を務めてきた父・正綏
(まさやす)は、五十を目前にしている。
「近々、御前様には隠居薙髪願をお届けし、家督をおぬしに譲ろうと思うている」
と、年が改まる前から段々に言われて半蔵はその心構えでいた。
「父上、まだ一線を退かれるにはお早いのでは」
半蔵にはまだ弱冠の身で漸う京の諸事、藩内の庶務にも職にも慣れてきたばかりという自信のなさが、多少残っている。
小藩ならともかくも、桑名藩十一万石は中堅規模の御親藩であるうえ、白河楽翁・松平定信を輩出した実績がある歴史的重みの大きい藩である。
さらに、彦根藩とともに京都警固として西国諸藩に対する防禦壁を任され、京都所司代まで拝命した。その桑名の家老として家中を率い、主君を扶け或いは時には諫言も辞さない。輝かしさと同時に、重荷を背負うのは言及するまでもなかった。
「なれど半蔵。御前様は既に、御年十八で京職になられた。おぬしは御前様より一年年長である。ぬくぬくとわしの袖の下に居るわけにもゆかんぞ。それに、わしらの様な老体が常に御前様の御供をしているのは絵にならんわ」
正綏はそう言って笑った。半蔵は、いつもの登城風景を浮かべてみる。
「颯爽と強大な悍馬に乗られる所司代様の周りに、しょぼくれた五十の爺では、京童の笑い者。家中の血も若返らせねばな」
藩政は丁度、世代交代の時期にも差し掛かっていた。半蔵はともかくも、父に言われるよう今日か明日にも家督を継げといわれても滞りないような覚悟でおらねばならない。
桑名藩屋敷では、風邪で療養していた正綏とそのような話をして、所司代上屋敷に戻ってきたのである。
その翌々日の事である。
奉行所からの用件を取り次いだ半蔵は、その足で与力に案内され、東町奉行所へ向かうこととなった。
禁裏付同心からの通報で盗人を捕縛したが、当人の盗人は堂上
(とうしょう)家に仕える人間というので取扱いに困じている。平堂上とはいえ、公家にかかわることであるので、所司代様にお伺いを立てるべきとのことで使者が来た。
半蔵は上から、その当人に聞き取り面談をしてこいと命じられたのである。
奏者番の本来の仕事とは言い難いが、何分小所帯で京職を取り仕切っているので、何でもござれの感はある。
その辺りが守護職の会津藩と異なった。近畿一円の公事、諸行事、京洛の普請など数多を統括せねばならぬので、藩士は各々何足もの草鞋を履いているようなものだった。主君は主君で、一般の業務以外に公卿との付き合いや、在京諸藩との交際、江戸からの通達、報告、会津藩、禁裏守衛総督の一橋家の御機嫌伺い、と忙殺されている。
半蔵はまた、主君に奉行所での顛末を報告せねばならない。
さて。東町奉行所に到着してみると、何やら騒々しい。
何事かと覗いてみると、下っ引らが戸板に載せた遺骸を運んでいた。
「殺しのようです。一条戻り橋の付近にあがっとりました。それも殺されたんは、うちの与力なんどすわ」
半蔵を案内してきた男が言った。真鍋左内という奉行所与力である。丸い顔に愛嬌があった。
「攘夷過激派の仕業か」
「何とも申し様ございませんな」
真鍋は苦い顔をした。
「佐川又兵衛という男なんどすが、佐川は内内でもあんまり評判のようない男でして」
佐川は先代から京詰の与力であるが、生まれは府内である。幼い頃一家で京へ移り住んだ。
与力は世襲ではないが、仕事が仕事だけに地元に精通し、町衆とも親しくなければ務まらない。ゆえに、親の地盤を子が継ぐのが手っ取り早いのである。
「父親の頃はよかったんですが、又兵衛は親父に似ず、金に汚うおましてな。飲みに誘うても、いつも他の連中が奢らされるんですわ。中途で用を思い出したと言うて逃げよることもしょっちゅうで」
「一銭も払わぬのか」
「いえ。幾許か置いて行きよりますが、割に合わんほどうわばみでして。そないな男なもんで、嫁にも逃げられてしもたらしいです、噂では。大きな声では言えしまへんけど、女子も結構好きらしいようやて」
真鍋はこっそりと半蔵に耳打ちするかのように、言った。
「新地で遊んでも値切るような男どすさかい、誰に恨まれとうかわかりまへん。捕縛しようとした悪たれ連中に刺されたかどうかも怪しいもんですわ」
何処かで聞いたような話だな、と半蔵は首を捻った。
半蔵は少し考えたあと、ふっと顔を上げた。
「佐川又兵衛とやらの骸を見せて貰えまいか」
真鍋は承諾した。半蔵は粗莚を剥がす。
佐川の顔を見て、半蔵は喉の奥を詰まらせた。
「この顔は、北野でおゆうという辻君を襲うていた男ではないか」
だが、半蔵は顔色を変えなかった。冷静な面差しのまま、佐川の遺骸の傍らに置かれている水心子正秀二尺八寸を確かめた。
「見事に袈裟懸け一線どすな」
真鍋が言った。佐川の致命傷は右肩から胸に掛けてであった。
「ただの博奕打や生兵法の手練とは思えません。名のある剣豪か志士の仕業と見るべきか」
半蔵は呟いた。
とすると、奉行所ひいては幕府に対する挑戦ではないかとも思うのだった。
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