(七)

 半蔵は前日に愛刀・備前介宗次を研屋から引き取って来た。そうして、主君・松平定敬に宛てて一筆認めた。
 靄の立つ早暁であった。禁裏に向かって歩けば、何処からともなく梅の香が漂った。
 桜は公家、武士は梅と物の譬えにある。
 やがて、丸太町筋を一人の男がぶらぶらと懐手に歩いてくるのが見えた。
 半蔵が歩みを止めると、向こうも気配を察してか立ち止まった。
「誰じゃ」
 若い男の声が誰何した。
「服部半蔵と申す」
「けったいな嘘を言いなはんな」
 靄が流れて男の顔が明らかになった。先日、おゆうと連れ立って歩いていた男である。
「嘘かまことか、お試しなさいますか。富小路の若殿様」
 半蔵は左手で、ちゃっと鯉口をくつろげた。直尚の目が驚愕に見開かれる。
「ま、待て待て。そなた人違いをしとるんではないのか。こなたは如何にも富小路直尚だが、刀を抜かれる筋合いはおへん」
 半蔵は、直尚の態度に不審を感じた。殺気というものが全く感じられなかった。公家は公家でも、いっぱしに武芸を心得ている者なら何らかの気を発する筈が、半蔵に脅されて即座に動揺を見せた。
 「面妖だな」と思いつつ、半蔵は姿勢を変えなかった。
「それがしは、京職にお仕えいたす者。ゆえに京の治安を乱すもととなる行為を、たとい議奏のお身内とて見逃すわけには参りません。若殿様はさる堂上の御屋敷にて、賭博をなさっておいでのようで」
「誰がそないなことを」
 直尚は目を細めて嘯いた。
「禁裏御門番の安井庫吉という男が、申しておりました」
 すると、俄かに直尚の顔色が変わった。
「あの男生きておるのか」
「冥途へ行く前の置き土産です。流石に見上げた武士と、我が主も感心しておりました」
 半蔵の淡々とした物言いに、直尚は段々とふてぶてしい表情に変化していった。
「あほらし。一々賭博じゃのご禁制じゃの言うとったら、京の公家は大半がのうなるがな。こなたのような青二才なんぞより、岩倉村におる狆くしゃみたいなおっさんをふん縛っといたらええ」
 岩倉具視の隠棲先でも公然と博奕が行われており、浪士が出入りしているという。
「博奕は兎も角、御歴々が尊攘激派と交わっておられるのが困るのです。長州人は京への遊学を禁じられておる筈が、何ゆえ蔭で跳梁跋扈しておるのでしょう」
「知らんがな」
「堂上の方々が偽手形や添状を作り、引き入れておられるのではないでしょうか」
「こなたは知らんというたら知らん」
 直尚は頑なに否定した。半蔵はもとより、直尚のような小者を責めるつもりはなかった。
 岩倉のように老獪な公家が、討幕派を呼集しようとしている。その者らの尻尾を掴んでやりたい。
「御出頭頂けるようなら、佐川殺し、安井殺しの件も含め、我が主に情状酌量頂く事も出来ますが」
「佐川に安井だと?こなたはその二人を殺してはおらんぞ」
 直尚は大きく首を横に振った。半蔵はじりじりとにじり寄る。間合いが五間にも満たぬ程、詰めたにもかかわらず、直尚は小太刀を抜こうともしなかった。
 「やはり、この男ではないのか」と、半蔵が判断した時、靄の向こうから砂利を踏みしだく音が聞こえた。半蔵が抜き放った直後、前方から鈍い銀の円相が現れた。
 慌ててみねを返し、受け止めると、目の前におゆうの顔があった。
 半蔵は刀を引いた。
「おゆうどのか。佐川と安井を殺めたのは」
 おゆうは肩で息をしながら、小太刀を構え直す。
「やったらどないどす。佐川ような男は生きとう値打ちもおへん。うちらが貧乏堂上やいうのを楯にとって、脅しでうちをものにしようかて我慢ならん。そのくせ、うちを夜舞いや思うたら金を払えるかやと、吝(しわ)いこと言うて、幕府の役人の根性かてあないなもんですか」
 かといって、殺してよいようなものでもない。半蔵は、おゆうを見詰めた。
「半蔵はん、あんたはええお人や。京職にお勤めとは知らなんだけど、薄々城番衆か京詰の方か思うてましたが、まさか所司代はんとはなァ」
 半蔵は自嘲気味に笑うおゆうに近付いた。おゆうは、まだ小太刀を握ったままである。
「おゆうどの、小太刀を納めるがよい」
「いやや。直尚はんをお縄にはさせられしまへん。罪はうちが全部引き受けるさかい、はよ逃げとくりゃす」
 おゆうは叫んだ。
 それまで二人の遣り取りに固唾を飲んでいた直尚が、雷に打たれたように身体を動かした。砂利を撒き散らして逃げようとするところを、半蔵は脇差を抜き、左手で直尚の前に投げ放った。袴ごと刃が地面に突き立つ。
 が、半蔵が身をひねったその隙を、おゆうが突進してきた。再び半蔵は白刃を交わした。羽織の片袖が裂かれ、おゆうは勢いのまま地に膝から突っ伏した。
 嗚咽が洩れる。半蔵は振り返り、納刀した。
「おゆうどの」
「……あきまへん。あんたのようなお人はよう斬れまへん」
 肩を震わせるおゆうの白い項に、朝の薄日が差し始めた。
「たといどんな悪人であれ、人を斬るというのは非常に心を傷めまする。おゆうどのが如何なる仕打ちに遭い、苛烈なご決心をされて人を殺められたか、奉行所でとくとお話下され」
 半蔵は、おゆうの背中を見詰めながら、静かに言った。
「北野で初めて会うた時、そなたは"お侍様の主様はやさしい御方どすな"と言って頂いたのを、おれは寔に嬉しく思うたのです。我が主は物分りのよい御方です。急度、そなたのお気持ち汲んで下さるでしょう」
 おゆうは漸く顔を上げた。だが、振り向く事は出来なかった。小太刀の柄から嫋手を離し、両手で顔を覆い、泣きじゃくった。
「おおきに。おおきに半蔵はん」
 即日、おゆうこと池下由布は東町奉行所に出頭した。おゆうの白状によって、与力であった佐川又兵衛の生前の行状が知れた。
 佐川は、おゆうとの縁談を断られたのに得心が行かず、自らおゆうの身辺を探り始めた。
 すると、おゆうが夜毎に堺町御門の屋敷を出て、北野へ春を鬻ぎに行っていることが判ったのである。佐川は或る晩、客の振りをしておゆうに近付いた。
「由布どのは、然様金子を貰うて男を楽しむのが興趣でございますか。されば、それがし如きでは満足なさらんと見えまする。縁組をお断り頂いた理由がよく判りましたぞ」
 と、ばかりに憤怒を露にした。
「堪忍おす、佐川はん。これには深う事情がおす。こなたにも、已むに已まれぬのどす」
「金子が御入用でしたら、正直にそう仰ればよいものを、さりとてお殿様の薬代は、先日それがしが全てきれいさっぱり払って参りましたぞ。今後の分も含めて」
 佐川の言葉は有無を言わさず、おゆうの退路を断つ。与力らしい周到さであった。
「払ってしまったものを今更返せとは言いませんが、真の事を白状なされよ。さもなくば」
 佐川はおゆうが私娼をやっていることを世間に暴露し、薬代をせしめ取ったと所司代に訴え、池下家に何らかの処罰を加えて貰うしかない、と言ったのである。
「お父様にこれ以上迷惑掛けられしまへん。うちは、ほんまの事を佐川はんに言いました」
 実は、おゆうは出戻った後も富小路直尚との仲が切れていなかった。
 二年程前までは、ふっつりと途絶えていたのだが、それは直尚が養子に行ったからである。その後、ふと堺町御門筋の池下家を直尚が訪問したのである。
 おゆうは父に見つからぬように直尚を屋敷に引き入れ、話をした。
 聞けば直尚は遊蕩がたたって悪所通いと博奕にのめり込んでいるのが養父らの逆鱗に触れ、養家を追われたという。議奏の家の出身ということで、多少の遊興には目を瞑るだろうが、相当なものだったのだろう。
 それが、
「何斗酒を飲んでも、遊女を抱いても、由布どのの肌が忘れられん。こなたは阿呆な事をしとる。けど、こなたをこないにあかん男にしてしもうた由布どのは、罪な女子や」
 その言葉を聞いて、おゆうは己にも責任はあると感じた。ゆえに、直尚が賭場で負っている借金十両ばかりを返済することを承知した。
 無論、男女の関係は戻った。焼けぼっくいに火が点くと、おゆうも直尚に情が移る。
 家財を売っては父に気付かれるので、おゆうは身分を匿して夜舞いをすることにしたのである。
 佐川はその事を聞くと、どうにも富小路直尚が憎らしく思えた。
 そこで、直尚が出入りしているという堂上の離れの賭場を安井庫吉を通じて探し出し、待ち受けた。自慢の水心子で一刀断にしてくれると考えたのである。
 ところが、佐川は返り討ちに遭い、無残な姿で翌日、一条戻り橋付近で発見されたのだった。

 (六)へ
 (八)へ
 

小説目次へ
「とにかく殺す!」目次へ
所司代TOPへ
本館TOPへ