(八)
「おぬしの一言で思い到ったのだ。まことに世話になった、真鍋どの」
半蔵は釈然としない顔付きの真鍋左内に頭を下げた。
「いっ、いえ畏れ多いですわ。所司代様の御奏者番様に御礼を言うて頂くやなんて」
「気にするでない真鍋どの。服部どのは堅物のようにお見えだが、結構懐がお深い」
立見鑑三郎が軽口の横槍を入れる。半蔵は、
「堅物とは心外な」
「これは申し訳ありません」
鑑三郎は大きな肩を竦めてみせた。おどけた姿に、半蔵は片頬を緩める。
「"吉岡"ときけば、苗字のように思えまするが、実は"吉岡流小太刀"であったと気付かねば、咄嗟に受太刀は出来なんだと考えます」
半蔵は咲き誇る梅花を見上げつつ言った。北野天神の境内は、今が盛りを過ぎつつあった。
禁裏付同心の安井が言い残したのは、己を斬った相手が吉岡流の使い手であるという意味だった。
吉岡流とは、一乗下り松の決闘で宮本武蔵に破れた吉岡清十郎一門の剣術、斬殺の為というよりは相手の手足を狙い、戦意を削ぐという剣法であり、殺戮の手にも見苦しさはない。
女でも達者はいる。必ずしも佐川を殺したのが男とは限らないのではないか、と半蔵は思い至った。
しかしながら、富小路直尚であって欲しいと望む気持ちと、おゆうが下手人ではないのかという疑念と綯い交ぜであった。現実には、後者のほうだったが。
「由布どのの処分は如何相成るので?」
鑑三郎が訊いた。
「まだ御沙汰は下っておりまへんが、通常やったら死罪でしょうな。けど、佐川の脅迫の事やお家の事情、直尚の件も加味されて、もしかしたら死一等は免れるかもしれまへんな」
真鍋は答えた。隠岐遠流くらいで済むならよいが、二人の幕臣を殺めている。とはいえ、公家との関係を悪化させてはならないという圧力が掛かるやもしれない。いずれとも判らない。
「くだんの富小路直尚のほうは?」
「それが、一旦捕まって獄に入っとったんですがね」
真鍋は眉を顰めた。実家から保釈金が積まれたか、三日も経たぬうちに密かに戻されたのだという。
「議奏の家から罪人を出すわけにいかぬからのう。絶縁申し渡すにもいかんのか」
鑑三郎は憮然となった。
「恐らく、その金の出所は実家などではない。長州からのものであろうな」
半蔵は言った。
「金を積まれて御解き放ちとは、幕府は何をしているのかと後ろ指指されますぞ。御前様は御存知でないのか」
鑑三郎は真鍋に詰め寄る。
「あきまへんがな、立見様。直尚を放つ代わりに別の賭場仲間を差し出してきよりましたし、連中皆の人相書きを寄越してこれで手ェ打てと。中には長州浪人もおったしで、奉行所の面目も潰れてまへんので、どないもしゃあないんどすわ」
「阿漕な連中め」
鑑三郎は地団駄踏んだが、半蔵は皮肉に口許を歪めただけであった。恐らく、まだ松平定敬の耳に真実は伝わっていないようである。
天満宮の境内を出、上七軒を斜交いに下って行くと、妓楼が目に付く。その通りを行き交う人々の群れに半蔵の見知った顔があった。
「これはこれは。京職はんの御家門の方どしたな。確か――」
「服部半蔵と申しますが、御機嫌麗しゅう、富小路の若殿様」
すると、直尚がくすんだ笑みを浮かべた。
「そなたらも風雅に梅でも愛でておじゃったかの。それとも此方の花やろか」
富小路直尚は、妓楼の軒先を扇子で差した。鑑三郎は、むっとなったが真鍋が押し留める。
「花は然様に何方に咲こうと生けられようと、可憐で美しいものにございますな。無為に摘み取った挙句、水も与えず捨て去ってしまうような真似などせねば、我々の心をずっと和やかにしてくれまする」
半蔵は遠くを見るようにして、言った。
「ふん。仇花は幾ら美しゅうても仇花に違いあらへん。そなたは何を当て付けに言いとうおすのか知らんが、こなたにそないな物を言わはる筋合いはおへんのと違いますやろか」
直尚は鼻を鳴らした。まるで、過日の怯え様とは打って変わって傲慢な態度である。
「誰があない大年増なんぞに熱を上げるかいな。女子は若いがええに決まっとる。兄さんの持ち物や思うたら、ちょっと手に入れてみたい思うただけや」
そう棄て台詞を残して、直尚はすたすたと去った。躍り掛かろうとせん勢いの鑑三郎の袖を、半蔵は引き、振り返りもせずに歩き出す。
両後日、鴨川の分岐する出町辺りの砂洲で、一人の堂上の死体が上がった。
左胸を背後から一突きで絶命したと思われる、富小路直尚の遺骸であった。奉行所が屍を引き上げに行き、検分と聞き込みに当たったが、目撃者は見付からず終いである。
三月初旬。
池下由布の刑罰が決まり、隠岐流しとなった。なお、池下家には家禄を存続とのことと、その条件として半年以内に他家より養子を迎えることとの申渡しが、幕府より所司代を通じて下った。
半蔵が代理として池下家に赴いた時、老雑掌がいた。
「豆腐屋はん、あんた偉い格好して何どすねん」
「いや、本日は豆腐屋としてではのうて」
と、半蔵は些か面食らった従者を振り返りつつ説明をした。
すると、慌てて老人は式台から飛び降り、平伏した。
「しょ、所司代はんの御奏者番どしたか。えろう御無礼の数々、すんまへん」
「よいのです。御当主様が御病気ゆえに、此方からお伺いせよとの主の命ですので」
半蔵は客間に迎えられ、一切を池下宏行に報告した。宏行は涙に咽びつつ、
「所司代様並びに服部様の御厚情には、何と御礼を申し上げてよいものやら」
「御礼など。主が望んでおられるのは、京に住む方々の安寧のみです。我々は任を果たしておるだけです」
「有難いことです」
「されど、由布どのの事然り、堂上の御方々と幕府との間にはやはりまだまだ埋め難き溝がございます事を実感した次第です。我々にも省みるべき事は多い、と主も申しておりました。余談を申し上げまして、失礼を致しました」
半蔵はそう言って退出した。
情の赴くままに言ったわけではない。少しでも所司代に対する心象を良くして貰おうという意識からであった。
帰り際、老人は恭しく半蔵を見送りながら、ぽつりと呟いた。
「もうあの豆腐屋はんが寄ってくれることはあらへんのか」
「気が向いたら、振り売りに来るでしょう」
「悪うおす。絹漉し二丁と油揚げ二枚。今度はひろうずも貰おうかいな」
「この間の代金はつけときましたさかい、お節季でお願いしやす」
半蔵は振り返って言った。
「献上とちゃいますのんか」
老人の声が遠くに聞こえた。
滅多に片頬も上げない半蔵がにやにやと笑っているのを見て、従者らも首を傾げた。
所司代屋敷に戻って報告し、そのあと出掛けるつもりである。研屋に預けたままの備前介宗次を引き取りに行く。
「何しろ、腐った性骨を斬ったゆえ、研料も少々高うついたかもしれんな」
半蔵の独り言は春風に紛れて、誰の耳にも届かなかった。
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