(三)
女の住まいは、確かに『半蔀』のように五条通西洞院の辺りにあった。
裏店のさらに引っ込んだ長屋の端で、こんな所にも住居がというような入り組んだ場所である。
申し訳程度の生垣には、白い夕顔の花が幾つも咲いていて、暗がりで見るとぼんやりと女の白い顔が浮かんでいるようで、不気味といえば不気味だった。
斎藤が「もし、お訊ね申し上げたいのだが」と、入って行くと女は待ち構えていたかのように出て来た。
「やっぱり、新選組のお方どしたんな」
女は初めて斎藤に口をきいた。尾行してきたのを咎めているでも、不審がってもいない。
むしろ誘うような淡い笑みさえ浮かべて、女は深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。からかうような事いたしまして」
「何の事ですかな」
斎藤には、女の言葉がよく呑み込めなかった。
「貴方様が古道具屋でお求めにならはった添い寝籠。あれを失敬したのは、他でもないうちです」
女の告白に、斎藤は唖然となった。
そして、家の中には確かに全く同じ物が置かれていたのだ。
「この竹夫人を道具屋に売ったんもうちです」
「おれには理解しかねるのだが」
女は両親を亡くし、祇園御旅所近くの水茶屋につとめていたという。
昨年の二月終わり頃から、或る士分の者と親しくなった。その男が、当時は幕府徴募の浪士組で、壬生浪士組の一員であると名乗った。女は最初、それを聞いて余りいい気持ちはしなかった。何しろ、名うての荒くれ者に田舎侍、と京童には疎まれているのが新選組だ。
しかし、男の人柄が実は案外素朴で虚飾がなく、只の人斬りというわけでもないと知ると、女は情を感じた。
「けど、あの人は昨年の四月から、ぱったりと此処へ来てくれへんようになりました。理由はわからしまへん。苛酷なおつとめやさかい、怪我でも負わはったか、もしや――」
女は最悪の事態を考え、悲しみにくれた。
恐らく、男は何らかの理由で落命したのかもしれない。
そうでなければ、京を離れる理由がない。
「ただの気移りやったら仕方おへんのです。うちは所詮、身持ちも固うない、うらぶれた茶屋女ですし」
何となく気が引けて、まさか新選組の屯所まで訪ねるわけにもいかず、考えあぐねていた。
やはり、男ばかりのしかも良くない噂のある虎穴に自ら入り込むには、勇気が必要だったというのもある。
「しかしそれなら名前を言って下されば、おれには誰とわかりますよ」
「田村剛三といわはりました」
はて、その名は斎藤の記憶にはない。浪士組以来の古参の隊士にもましてや新選組となってからの隊士にもそういった名の男はいない筈である。
「偽名を使ったか、それとも其方が本名で、隊内で使っているのが偽名か改名か」
「そうかもしれません。けどうちが知っとうのは田村はんいうお名で」
「言葉の訛りは?」
「江戸で生まれたいうお話で、それ以外は」
女は頭
(かぶり)を振った。
「顔や身丈はどうでしたか?」
と訊いても、女はこれといった特徴はなく、すっきりした面長の男と言うのみである。
斎藤は女に聞いて人相書きを書こうとしたが、どうも上手くいかない。斎藤に絵心がないというのもそうだが、居そうにないような上品なのっぺりした顔になってしまうのだった。
これには斎藤もお手上げだった。
「申し訳ない。後日調べて、また伺う」
という話になった。
「ほう」
山南は溜息を吐いた。
「それで、竹夫人はどうなったのですか?」
「あれは女の元へ通っていたという男が使っていたものだと言います。来なくなって、その品を見ると何となしに思い出されて悲しいので、道具屋に売ったというのです」
「それを偶然、斎藤君が求めたというのを知ったんですね」
「道具屋に買い戻しに行ったようですよ」
女は男のことが気になって、やはりまた戻って来るかもしれない、戻って来た時には添い寝籠があるほうがいいだろうと思い直して道具屋を再訪したと、斎藤に言った。
すると、斎藤の名までは明かさなかったが、新選組の幹部らしい人が購っていたという事を道具屋が喋った。女は、
「あの竹夫人をあの人と同じ浪士組の人が、これも何かの奇縁やわ」と気もそぞろになって、壬生まで訪ねてきたと語った。
「ははあ、それでむくつけき野郎達の中に入ってその事を訊くにも訊き辛く、壬生寺にいた我々を見付けてそれとなく様子を窺ったのだな」
山南は納得した。斎藤の下手糞な人相書を見て、くつくつと笑う。
「な、何が可笑しいんですか山南さん。おれは絵は不得手なんですよ」
「これは失礼。そういう意味ではなくて、男の正体が判ったよ」
そう言った山南の口許に、ふと淋しさの翳が浮かんだ。
「とにかく明日、寅刻に壬生寺へお出で、斎藤君」
山南に促されて、斎藤は翌朝、壬生寺の墓地に赴いた。
すると、墓地には既に白い夕顔が置かれていた。
「墓石を御覧」
脇に彫られた名を見て、斎藤は「あッ」と瞠目した。
文久三年の二月に結成された壬生浪士組の一員で、四月六日に病死した男。
「阿比留鋭三郎。まさか、阿比留さんが」
「間違いないだろうね。阿比留君が我々の知らないところで女性と親しくしていても、それは彼の最後の純粋な気持ちだったかもしれない」
斎藤は悄然となった。
阿比留の記憶は僅かに二ヶ月間のものであって、彼が此岸を去ってから一年余経っていた。その間、余りにも多くの出来事があり過ぎて、斎藤は過ぎにし日々、去りにし人々の事を疎んじていた気がした。
阿比留が彼の夕顔の女の想う男と気付いたのは、やはり山南敬助ゆえではなかろうか。
「しかし山南さん。一つ腑に落ちないことが」
阿比留が使っていたという竹夫人は、夏に使う物であって、二月や三月の春に使う物としては、季節が些か早いのではないか。
「斎藤君、阿比留君は労咳で亡くなったのだ。労咳を患った者は、常に微熱を発していて体が熱い。当然、我々より夏を早く感じるのではないでしょうか」
山南は静かに墓前に腰を下ろし、手を合わせた。
斎藤もそれに倣って、手を合わせた。頭の片隅に沖田の事が浮かんでいた。
「あの竹夫人は戻して貰わない事にします。沖田さんには、何か別の物でも見繕いますよ」
「それがいいでしょう。ずっと竹夫人を使うような事でもいけませんからね」
山南は、八木邸の方を向いて言った。
その後、五条の夕顔がどうなったのか、山南も斎藤も知らない。時折、夏の或る日にはひっそりと白い花が手向けられていることがあるらしい。
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